百名山の最後の山は宮之浦岳にしようと残り20座位になったときから決めていた。北海道の残り三座をこの年の8月に登り、いよいよ宮之浦岳だけとなった。同時に標高100山も5月に南アルプスの笹山(黒河内岳)を登り残りは北アルプスの祖父岳のみとなっていた。祖父岳は以前、雲の平に行った時にすぐ脇の撒き道で三俣蓮華に行き足跡を印していなかった山である。どちらを優先させるか迷ったが私としては人の主観よりも数値的に意味の有る標高100山の方により強く執着していたので9月の連休に祖父岳に登った。
そして10月の連休にいよいよ宮之浦岳に向かった。しかし出発するまでが大変であった。会社で私の部門の中期経営計画の案を明日中に社長に提出しなければならない。明日、山に行くために休暇を取っているので今日中に作成する必要がある。営業からの資料が出てきたのが21時、それから生産、技術部門との整合性を付き合わせ資料の形に纏まったのは朝の4時半過ぎになっていた。急いで家に帰り山の仕度をして朝1番の新幹線で東京・羽田に慌ただしく出発した。幸い、仕事に集中していたらそれまで風邪で鼻がグズグズ、頭痛がしていたのがどこかに吹き飛んでくれた。
鹿児島空港からバスで船の出る西鹿児島に行くが丁度、桜島が久しぶりに火山灰を吹き上げ市内は口をハンカチで押さえ、傘をさしながら歩いていた。飛行機到着から、バス、船の連絡が良く、途中で昼飯を食べようと考えていたがその時間が取れず、昼食抜きで船に乗る。私は船に弱くいつも酔ってしまう上に空腹で徹夜明けのため船酔いしないか不安であったが水中翼船のジェットフォイル・トッピーは揺れもなく、快適そのものであった。窓から海に浮かぶ開聞岳が私を見送ってくれる。屋久島の宮之浦港は観光地の雰囲気の全くしない田舎の小さい港そのものであった。着くとすぐに今日の宿泊予定の民宿(いっぱち)方面(安房)へのバスが出るので地元の小学生達と一緒に40分くらい乗る。民宿近くのバス停で下りて民宿に連絡して車で迎えに来てもらう。
羽田でコンロの燃料の白ガソリンを没収されてしまったので島で売っているところがないか民宿のご主人に聞くが売っていないとのこと。ガスコンロのガスカートリッジは売っていた。普通のガソリンでも使用できないことはないが明日からの1泊2日の山行は弁当とパンで実行する事にする。コースは荒川口から入り、縄文杉を見て、新高塚小屋に泊まり翌日、永田岳、宮之浦岳を登り花乃江河から淀川口に下山するコースに決めている。
翌朝、タクシーを呼び、弁当とパンの売っている店に連れて行ってもらい2日分の食料を準備する。安房から荒川登山口までタクシー代は4200円であった。途中、猿の一団が道を占拠していて警笛を鳴らしながら走る。運転手の話では屋久島では人の数よりも猿や鹿の数の方が多いとの話である。
荒川登山口は島とは思えない山深さを感じさせる。マイカー、レンタカーも多く駐車していた。運転手さんに明日の14時半に淀川登山口に迎えを予約してから出発する。雨がしとしと降っている。傘にしようか雨具を着ようか迷ったが取りあえず傘をさしてトロッコ軌道を歩き出す。この軌道は屋久杉を伐採し運び出すために作られたものでまだ1部、別の用途で使用されているようである。小杉谷学校跡は建物の土台が残っている。回りには人の住んでいた形跡は何もない。こんな所に学校があったのかと不思議に思い、帰ってからインターネットで調べたら伐採最盛期の昭和35年前後には133世帯、540人が小杉谷に居住していたそうである。昭和44年に伐採は終り、今は誰も居なくなったとのこと。軌道には時々、猿と鹿が現れる。鹿は1〜2mくらいまで近づいても逃げない。本当に鹿と猿は多かった。
三代杉付近までくると大きな古い杉や木株、苔むした朽ちた杉等が目に付くようになる。大株歩道入口で軌道から別れ本格的な登山道となる。翁杉は大きすぎて前の広場からはビデオに収まりきれない。ウィルソン株では団体さんと一緒になり、今まで一人、太古の雰囲気を味わいながら歩いていたのが急に賑やかになる。株の中は空洞になっていて10畳ほどの広さがありその大きさに驚嘆する。
団体を先にやるためにここで昼食とする。雨が本降りになってきたので傘をたたんで雨具を着る。木の階段を登って行くと大王杉、夫婦杉など名前の付いている巨木杉が見られるがそれ以外にも巨木な杉ばかりで歴史を刻んだこれらの木を目の前にして感動しっぱなしであった。
縄文杉は根の保護のため、かなり離れた所に柵が施され展望台からしか見ることができない。確かに縄文杉には風格を感じ、素晴しい感動を覚えたが私はどちらかと言うと直接手で触る事ができた翁杉や大王杉のほうが太古の息吹を感じて感激した。
縄文杉の上に高塚小屋があるが泊まるのは1時間ほど登った新高塚小屋の方が良さそうなので縄文杉の喧騒を後にして静かな登山道を新高塚小屋まで行く。小屋に着いたのは13:40で早いためか7〜8人しか居なかった。雨も止み、小屋の裏手では鹿が草を食べているのが窓から見える。次第に混みはじめ小屋に入りきれなくなり軒先に寝袋を広げている人も出てきた。薄暗くなり始めた16:30過ぎに着いた最後のパーティと思われるリーダーが小屋の皆に70歳以上の年配者3名だけでも小屋に入れるように詰めてほしいと頼むのでギュウギュウに詰めながらなんとかスペースを空けた。年配者が居ながらこのような時間に着く計画をしたリーダーに疑問を感じてしまった。
窓の外は青空が広がり夜になると星がまばたいており、明日が楽しみで気持が高ぶってくるのを持ってきた日本酒2合を飲み気持を静めてから寝る。
私と百名山 100.宮之浦岳(2002年10月13日)ーその1
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