そこはもと湖だったという伝説をご存知でしょうか。
由布院盆地一帯は元「由布院町」で湯平(ゆのひら)村と合併して「湯布院町」となり、最近の合併で由布市の一部となりました。
伝承によると、太古、由布院盆地は湖であったといいます。
高台からその湖水を見ていた宇奈岐日女神(うなぎひめ)は、この水を干したら広大な土地ができ、住民の暮らしも楽になるだろうと考えて、力持ちの部下の権現に岸辺の一か所を蹴破らせたのだというのです。そこからごうごうと水が流れ出て、湖は広大な耕地となり、水の流れたところが大分川になったということです。
以来住民は由布院盆地開拓の恩人の権現を蹴裂権現として祠を建て祀ったといいます。
国土地理院の2万5千分の一の地形図を見ますと、盆地の南西部、内徳野の東に神社のマークがあります。私はずっとこれがその蹴裂権現社と思っていました。何度か調べてみましたが、その辺りにはそういう名の神社はないといいます。前徳野で聞くと大分川の南側ではないかという人もいました。それは後になって事実だとわかりましたが、当時は神社マークが蹴裂権現社だという思い込みのため問題にならないと思っていました。
最近になって、インターネットで調べてみますと、本当に蹴裂権現社は現存し、地元の人が大切に祀っているといいます。農村交流センターや川西温泉の横から登るのだといいます。それで探してみました。
別府から県道11号線に沿って由布院南部を進み、JRの線路を渡り、由布川橋を渡って左折、国道210号線に入ります。地形図の神社マークのあると思われる近くを通り過ぎ、さらに南由布橋を渡り、JRのガードをくぐると直ぐ、左手に農村交流センターがありました。その左は里の駅川西農産品直売所、奥に川西温泉がありました。
センター前の駐車場に車を止め、石段を2回登りますと、蹴裂権現社の由来を書いた案内板がありました。
さらに石段を196段登りますと、高台に着きます。高台の左奥の一段高くなった所に蹴裂権現社の祠はありました。
写真上は蹴裂権現社、下はその由来を書いた案内板です。
こうして長年の懸案が解決しました。ところであの地形図の神社は何なのでしょうか。調べてみますとそれは山神社で、地元の人の話では、北側の前徳野から登る道があるということでした。
ところで由布院湖の存在は事実でしょうか。証拠は多く存在するようです。
また田中充子 (TANAKA Atsuko) 氏の論文によると標高463mのところでシジミの化石が見つかったといいます。氏はそれをもとに標高465mを水面とする瓢箪型の湖水を書かれています。私もそれに倣い、「カシミール3D」の湖作成機能を用いて標高463mを水面とする湖を作ってみました。等高線図でしか作成できませんでしたが、以下のように田中氏のものと同様の結果を得ました。
この伝説にご興味のある方は次のサイトを参考にしてください。
◎湯布院素描(大分合同新聞社)
◎湯布院の自然と歴史(講師 志手駒男氏)
◎火の国はいかにして作られたか(京都精華大学 田中充子氏論文)














