本書は全国の名山・40座についてその歴史を紹介した、470ページ及ぶ大著である。名山の紹介だから深田百名山とかなり重なるが、そうでない山(榛名山、武甲山、高尾山、大山、箱根山、戸隠山、比叡山、鞍馬山、熊野三山、六甲山、高千穂峰、雲仙岳)も取り上げられている。
著者は冒頭の章で日本の宗教と山について次のようにいう。
古くから名山とされてきた山はたいがい、水の神としてあるいは農耕神としてあがめられてきた。そういう素朴な原始信仰が、はっきりと宗教性を帯びるのは、仏教伝来以後のことである。平安時代以来、仏・菩薩が衆生を救済するために姿を変えてあと(垂)をたれ(迹)たとされる(本地垂迹説)。つまり神と仏の一体説だ(神仏習合説)。全国の名山とよばれる山は、おおむね神仏一体の山岳信仰の霊場として栄えていく。
だから山は僧によって開かれた。名山にはその山麓や山腹に寺院が建立され、神社が併設され、山上には社が置かれ神が祀られた。「蔵王権現」にみられるように全国の名山に権現が多いのは、仏・菩薩が集生を救うために権(かり)の姿となって現れること、すなわち権現であるという思想によるものだ。
寺院は僧が悟りを得るための修業の場であり、俗界を離れた山上や山中に開かれた。平地の寺院であっても山号がつくのは、その名残りである。「山寺の和尚さん」とか「山のお寺の鐘が鳴る」と童謡にうたわれるごとく、今でも山岳寺院は少なくない。
ところが、日本の名山の多くには寺がない。あるのは神社だけだ。寺があってもほとんど目立たない。名の知れた山の山頂に建つのは、たいがい祠だけである。各地の名山の多くは、神社によって立つ霊峰であり、神々の鎮座する山となっている。
なぜ名山から寺があっても消えてしまったのか。
著者は慶応4年(明治初期の元年=1868年)に新政府によって出された神仏判然令(神仏分離令)と、その結果起こった廃仏毀釈運動がその元凶であると告発する。神仏分離・廃仏毀釈こそは、日本史上最大・最悪の宗教弾圧であり、文化破壊であったとも。
日本のにおける宗教、日本人の信仰は、千年以上の長さにわたり神仏一体となって栄え、つづいてきた。それを明治新政府は、神道のみを唯一の国教と定めて、仏教を排斥しようとしたのである。その結果、日本各地の名山、神仏習合によって栄えた山岳宗教の霊場は、ほぼ例外なく仏教色を排除してしまったのだ。
著者は古来名山と呼ばれてきた日本の山々には、ほぼ例外なく名刹があった、という事実を明らかにすることも本書の趣旨の一つだといっている。
ちなみに、小生の知り合いが「『歴史散歩』の記録」(稲垣泰平著、文芸社出版)という本を最近出版した。教えられたことがある。おおよそ次のようにいう―「神社というのは、もともと村という共同体の繁栄を願ってつくられたものだ。仏教の伝来によって日本の寺院は神仏習合となったが、明治政府は寺を追い出して神社にしてしまった。そして村という共同体の繁栄を願う神社を強引に国家神道(アジア侵略につながる思想)に統合していった。明治政府は神社が多すぎると国家神道をつくりあげていくために支障をきたすので、村ごとにあった神社(村社)を強引に統合(合祀)をすすめた」。
明治政府は寺を山から消しただけでなく、共同体の繁栄を願う村ごとにあった神社を国家神道にしやすいように無理に統合したことがわかった。




