最近、裁判員制度の実施が近づいて来た事もあってたびたびこの話題を取り上げています。
昨日の夕方のニュースで面白い報道が目にとまりましたので紹介しておきます。
いつの事なのかは聞き漏らしましたが一つの判決が出たのが昨日の事です。
電車の中で「痴漢行為」をはたらいたとして逮捕された男性が警察の調べの結果「そのような事実は確認出来なかった」として「不起訴」処分となりました。
これは「刑事事件」としての立件が出来なかったという事ですね。
21日間も拘留されて厳しい取り調べを受けたこの男性は被害者とされる女性や国などを相手取った損害賠償請求の訴訟を起こしました。
これは「民事事件」としての訴訟という事になりますよ。
その一審判決は「請求棄却」すなわち「損害賠償の請求は認められない」でした。
理由は「男性が痴漢行為をはたらいたと認められたため」です。
「痴漢行為」という「事実」があったのか、なかったのか「司法」の判断がまっぷたつに分かれてしまったのです。
「刑事裁判」としては痴漢行為が「なかった」と判断されたのに対して「民事裁判」としては「あった」との判断が下されたのです。
納得の行かないこの男性がすぐさま控訴してその控訴審の判決が昨日出されたのでした。
結果はまたもや「請求棄却」すなわち痴漢行為があったと認められてしまったのです。
この男性はすぐさま「上告」するそうですが「痴漢事件」については「やっていない事」を証明するのがものすごく難しいと聞いた事があるので賢パパが横浜まで新幹線通勤をしていた時に電車や地下鉄に乗る時は必ず両手でつり革を握っていましたね。
この事件とは別に横浜で女性が焼死した事件で「刑事裁判」では「自殺」と判断されたのに対してこの女性の両親がその交際相手の男性を相手取って起こした「民事」の損害賠償請求ではこの男性に対して賠償の支払いを認めた事があったように記憶していますが確定したのかどうか定かではありません。
それでも例え一時的なものにせよ「民事」では「殺人」と認めたのですからこれはとんでもない事ですよ。
「真実(事実)」は一つなのに複数の「判断」が生まれてしまう矛盾。
これは人間がすべて「正直者」ばかりにならない限り永遠に続くテーマなのかも知れませんね。
動物は良いですよ。
嘘をつかないから。
昼間は暑いですが朝などはずいぶん涼しくなってきましたね。
今日は個性とマナーについて書いてみます。
「十人十色」は昔からある四字熟語で「考え方や好みなどが各人それぞれに違っていること(大辞泉)」ですが昔よりもいっそう価値観の多様化が進んだ現代ではさしずめ「百人百色」とでも変更する必要があるかも知れませんね。
価値観の多様化は人間一人一人をより「個性的」にしますから大変良い事だと思いますが最近の価値観は「自己中心」的になっているような気がして心配です。
特に「自由」の意味をはき違えているのではないかと思う例をよく見かけますよ。
良い(悪い?)例で若いお母さん達が「子供は自由にのびのび育てたい」などとおっしゃって何をしても怒らない様子をよく見かけますがあれなんか完全に勘違いですよね。
人間は「社会的な生き物」ですから社会生活を営むにあたっては守らなくてはいけない「ルール」とか「マナー」というものがあります。
その最低限守らなくてはいけない「ルール」を教えた上でそれを守った範囲内で「自由」にやって良いよという教育をしてやるのが子供のためでもあるのにどうもその辺をわかっていない親が多いように感じます。
最近の賢パパは通勤が自転車で、遊びに出掛ける時は車ですから公共の場に出る機会がほとんどありません。
従って公共マナーがどのくらい守られているのかわかりませんが賢パパが子供だった頃よりは守られていないように思います。
数年前まで新幹線通勤をしていたのでほとんど毎日新幹線に乗っていましたが子供達が夏休みのこの時期など何度も嫌な思いをさせられたものです。
今の時期は子供が休みですから家族連れとか、お母さんと子供同士の何グループかが一緒にどこかに遊びに出掛けるケースが目立ちます。
賢パパは通勤帰りの新幹線でそういうグループと乗り合わせる事がよくありましたね。
数人のグループですから新幹線の座席を向かい合わせにして座っています。
夕方の下りの新幹線というのは空いている事が少ないところに持ってきてこの時期ですからまず間違いなく通路に立っている人がたくさんいます。
そんな状況にもかかわらず6人座れる所に小さい子供を含めた4人ぐらいで平気で座り続ける神経というものがまずもって理解出来ません。
「そこ空いていますか?」などと訊こうものならものすごーく嫌な顔をされて本当に嫌そうにしぶしぶ荷物をどかします。
子供にしてみれば家族とその仲間達で空間を占有出来ますから極めて居心地は良いと思います。
その空間に知らないおじさんが入ってくるのですからとたんに居心地が悪くなると思います。
そんな時に公共のマナーというものを教えてやるのが親のつとめだしそうして教えられた子供がやがて大人になった時それを又自分の子供に教えてやる。
みんなそうやって育てられて来ました。
それが当たり前だったのに、気がついたらいつの間にかこんな世の中になっていました。
こういう経験をして育った子供達がやがて大人になって親になるわけですからその又子供がどういう風に育つかは見なくてもわかります。
このままではこの国の将来は暗いです。
この誤りを正して行くには「教育」しかないのだと思いますが一体誰が「教育」するのでしょう?
昔は学校で先生に教えられましたし、一緒に出掛けた時など親からも教えられました。
それが今では学校でちょっと厳しい指導をすればやれ「体罰だ」やれ「行き過ぎ指導だ」と親が自分の子供の出来の悪さを棚に上げて学校や先生に文句を言う世の中です。
賢パパの子供時代は先生が子供にげんこつをふるう事など当たり前でそれを親に話したりしたら「それはお前が悪いからだ」と怒られて親からもげんこつをもらうのが当たり前でしたからね。
早いとこ何とかしないと取り返しがつかない所まで行ってしまうのではないですかねえ?
このお兄さんは至る所で立ち小便をしますから公共マナーに問題ありです。