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2008年11月23日
日本平 [ 307.20m 富士山・伊豆(神奈川県・山梨県・静岡県) ]
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大谷嶺 [ 2000.00m 南アルプス南部(山梨県・長野県・静岡県) ]
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2008年11月02日
浜石岳 [ 707.10m 富士山・伊豆(神奈川県・山梨県・静岡県) ]
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アーカイブをご覧いただけます。August 2007

裁判における矛盾

最近、裁判員制度の実施が近づいて来た事もあってたびたびこの話題を取り上げています。

昨日の夕方のニュースで面白い報道が目にとまりましたので紹介しておきます。

いつの事なのかは聞き漏らしましたが一つの判決が出たのが昨日の事です。

電車の中で「痴漢行為」をはたらいたとして逮捕された男性が警察の調べの結果「そのような事実は確認出来なかった」として「不起訴」処分となりました。
これは「刑事事件」としての立件が出来なかったという事ですね。

21日間も拘留されて厳しい取り調べを受けたこの男性は被害者とされる女性や国などを相手取った損害賠償請求の訴訟を起こしました。
これは「民事事件」としての訴訟という事になりますよ。

その一審判決は「請求棄却」すなわち「損害賠償の請求は認められない」でした。

理由は「男性が痴漢行為をはたらいたと認められたため」です。

「痴漢行為」という「事実」があったのか、なかったのか「司法」の判断がまっぷたつに分かれてしまったのです。

「刑事裁判」としては痴漢行為が「なかった」と判断されたのに対して「民事裁判」としては「あった」との判断が下されたのです。

納得の行かないこの男性がすぐさま控訴してその控訴審の判決が昨日出されたのでした。

結果はまたもや「請求棄却」すなわち痴漢行為があったと認められてしまったのです。

この男性はすぐさま「上告」するそうですが「痴漢事件」については「やっていない事」を証明するのがものすごく難しいと聞いた事があるので賢パパが横浜まで新幹線通勤をしていた時に電車や地下鉄に乗る時は必ず両手でつり革を握っていましたね。

この事件とは別に横浜で女性が焼死した事件で「刑事裁判」では「自殺」と判断されたのに対してこの女性の両親がその交際相手の男性を相手取って起こした「民事」の損害賠償請求ではこの男性に対して賠償の支払いを認めた事があったように記憶していますが確定したのかどうか定かではありません。

それでも例え一時的なものにせよ「民事」では「殺人」と認めたのですからこれはとんでもない事ですよ。


「真実(事実)」は一つなのに複数の「判断」が生まれてしまう矛盾。

これは人間がすべて「正直者」ばかりにならない限り永遠に続くテーマなのかも知れませんね。

動物は良いですよ。
嘘をつかないから。






2007年08月30日 by 賢パパ | General | 1 コメント | No Trackbacks |

十人十色(個性とマナーについて)

昼間は暑いですが朝などはずいぶん涼しくなってきましたね。

今日は個性とマナーについて書いてみます。

「十人十色」は昔からある四字熟語で「考え方や好みなどが各人それぞれに違っていること(大辞泉)」ですが昔よりもいっそう価値観の多様化が進んだ現代ではさしずめ「百人百色」とでも変更する必要があるかも知れませんね。

価値観の多様化は人間一人一人をより「個性的」にしますから大変良い事だと思いますが最近の価値観は「自己中心」的になっているような気がして心配です。

特に「自由」の意味をはき違えているのではないかと思う例をよく見かけますよ。

良い(悪い?)例で若いお母さん達が「子供は自由にのびのび育てたい」などとおっしゃって何をしても怒らない様子をよく見かけますがあれなんか完全に勘違いですよね。

人間は「社会的な生き物」ですから社会生活を営むにあたっては守らなくてはいけない「ルール」とか「マナー」というものがあります。

その最低限守らなくてはいけない「ルール」を教えた上でそれを守った範囲内で「自由」にやって良いよという教育をしてやるのが子供のためでもあるのにどうもその辺をわかっていない親が多いように感じます。

最近の賢パパは通勤が自転車で、遊びに出掛ける時は車ですから公共の場に出る機会がほとんどありません。

従って公共マナーがどのくらい守られているのかわかりませんが賢パパが子供だった頃よりは守られていないように思います。

数年前まで新幹線通勤をしていたのでほとんど毎日新幹線に乗っていましたが子供達が夏休みのこの時期など何度も嫌な思いをさせられたものです。

今の時期は子供が休みですから家族連れとか、お母さんと子供同士の何グループかが一緒にどこかに遊びに出掛けるケースが目立ちます。

賢パパは通勤帰りの新幹線でそういうグループと乗り合わせる事がよくありましたね。
数人のグループですから新幹線の座席を向かい合わせにして座っています。

夕方の下りの新幹線というのは空いている事が少ないところに持ってきてこの時期ですからまず間違いなく通路に立っている人がたくさんいます。

そんな状況にもかかわらず6人座れる所に小さい子供を含めた4人ぐらいで平気で座り続ける神経というものがまずもって理解出来ません。

「そこ空いていますか?」などと訊こうものならものすごーく嫌な顔をされて本当に嫌そうにしぶしぶ荷物をどかします。

子供にしてみれば家族とその仲間達で空間を占有出来ますから極めて居心地は良いと思います。
その空間に知らないおじさんが入ってくるのですからとたんに居心地が悪くなると思います。

そんな時に公共のマナーというものを教えてやるのが親のつとめだしそうして教えられた子供がやがて大人になった時それを又自分の子供に教えてやる。
みんなそうやって育てられて来ました。

それが当たり前だったのに、気がついたらいつの間にかこんな世の中になっていました。

こういう経験をして育った子供達がやがて大人になって親になるわけですからその又子供がどういう風に育つかは見なくてもわかります。

このままではこの国の将来は暗いです。

この誤りを正して行くには「教育」しかないのだと思いますが一体誰が「教育」するのでしょう?

昔は学校で先生に教えられましたし、一緒に出掛けた時など親からも教えられました。

それが今では学校でちょっと厳しい指導をすればやれ「体罰だ」やれ「行き過ぎ指導だ」と親が自分の子供の出来の悪さを棚に上げて学校や先生に文句を言う世の中です。

賢パパの子供時代は先生が子供にげんこつをふるう事など当たり前でそれを親に話したりしたら「それはお前が悪いからだ」と怒られて親からもげんこつをもらうのが当たり前でしたからね。

早いとこ何とかしないと取り返しがつかない所まで行ってしまうのではないですかねえ?

このお兄さんは至る所で立ち小便をしますから公共マナーに問題ありです。


2007年08月26日 by 賢パパ | General | コメントを書く | No Trackbacks |

裁判員制度について

待ちに待ったお盆休みに入りましたが賢ママの休みは明日からなので昨日、今日は家でおとなしくしている賢パパです。

今(と言うかもうかなり前から)話題になっている「裁判員制度」はご存知ですか?

概略は以下のようになっています。

重大な刑事事件の裁判において、一般市民から選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加し(原則として裁判官3人と裁判員6人の合議制)、被告人の有罪・無罪や量刑などを決める制度。

裁判員候補者は、20歳以上の有権者のなかから「くじ」で選ばれる。

有権者であれば裁判員に選ばれる可能性があり、選ばれたとき、辞退できるのは特別な事情がある場合に限られる。

陪審員が裁判官から独立して有罪・無罪の評決をするアメリカの陪審制とは異なり、日本の裁判員制度では、裁判員と職業裁判官が一体となって審理にあたる。

このような制度は、ドイツやフランスで採用されている参審制に近い。

2004年に成立した「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」で、09年までに裁判員制度を導入すると定めている。   「Yahoo!みんなの政治」より

この制度の導入については賛否両論があって色々な論議が尽くされたと思うのですがそれでもまだ納得の行かない賢パパです。

今年の事ですからまだ覚えている方も多いと思いますが富山で刑事事件の犯人として判決が出されて刑務所に入り服役して刑期を終えて出所して来た後で真犯人が捕まったため「冤罪」が明らかとなったケースがありました。
服役している間に父親が亡くなりその死に目にも遇えなかった悲惨な事例です。

それと鹿児島県の県議会議員選挙での大量選挙違反事件が記憶に新しいと思います。
こちらの方は幸いな事に裁判できちんとした判決が出されて無罪が決まりました。

これらのケースはいずれも「証拠」がでっち上げられた事例ですから責められるのはずさんな捜査を行った検察であって裁判官には責任はないのですが「誤審」は「誤審」ですからね。

「本物と偽物」のブログの中で取り上げていますが「事実」(又は「真実」)は一つしかありません。
しかし一つしかない事実に対していくつもの「認識」が存在する事は日常茶飯事です。

プロの裁判官は「証拠」に基づいた客観的な判断をして「有罪」か「無罪」かの判決を出しています。

そんな法廷に例えば「ワイドショー」で事件の報道を見て予備知識を持った家庭の主婦が入って行ってまともな判決を出す事が出来るのでしょうか?

こんな事は実際にはあり得ない事だと思いますが6人の裁判員が全員プロの裁判官と異なる判断で一致してしまったような時です。

「合議制」ですから最後は「多数決」になるのだと思いますが素人の判断が通ってしまってプロの意見が退けられたtら「プロの面目丸つぶれ」ですよ。

かと言ってプロが必死になって素人を説得して判断を覆させるのであれば最初から裁判員なんて必要ないと言う事になってしまいます。

なかなか難しい事ですよね。

写真は本文とは関係ありません。


2007年08月12日 by 賢パパ | General | 3 コメント | No Trackbacks |