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プロフィール

  • ID: 1164
  • ハンドルネーム: ワンダーフォーゲル
  • 性別: 男
  • 年齢: 63
  • 住所: 大阪府 岸和田市
  • 所属クラブ:
  • 登録日: 2007年06月16日
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    私の山行記録 新着

    2008年04月20日
    六甲山 [ 931.34m 六甲山地(兵庫県) ]
    山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10
    2008年04月13日
    三十三間山 [ 842.30m 敦賀半島・野坂山地(福井県) ]
    山行日記山行フォトギャラリー (8) 8
    2008年04月06日
    皆子山 [ 971.51m 琵琶湖周辺(滋賀県・京都府) ]
    山行日記山行フォトギャラリー (10) 10

    以前の山行記録、予定は下記から

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    山スキー練習にもってこいのニセコスキー場

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     13日から4日間ニセコスキー場に行ってきた。この時期としては異常に暖かく、北海道のスキー場らしくもないじゅくじゅくの雪質だった。そのうえガスと雨にたたられた。となれば滑りは散々だったということになるのだが、そうともいえない。
     僕がスキーをやる究極の目的は山スキーにある。山スキーの醍醐味と野趣は他に代え難い。この年になってこれから何度その機会に恵まれるかわからないが、山の斜面を滑降する足前は絶えずみがいておきたい。じゅくじゅくという雪質はゲレンデスキーをやるには最悪だが、山スキーは何でもありの斜面だ。どんな雪質であろうが、どんな斜度の斜面であろうがクリアしなければならない。それにガスと雨。山スキーは天候を選ばない。晴れを選んだとしても天候が急変することはしばしばありうる。ガスと雨も格好の練習の条件である。
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     それでも最終日(16日)は少し冷え込み、ガスが取れた。形のいい羊蹄山が眼前に姿を見せた。前日まで悪天で運休していたトップリフトが稼働し、真っ白のニセコアンヌプリの山頂直下に降り立つと一木もない斜面は全山が滑降のエリアが見下ろされる。もちろんポールで圧雪のエリアが指定されているのだが、自由に非圧雪の斜面に躍り出ることができる。少し高度を下げれば林間の非圧雪の斜面を滑ることもできる。こういうスキー場は他に知らない。
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     非圧雪斜面に出ると、僕の足前では滑りにくい少し凍結した圧雪斜面より滑りよい。滑りよいというより安定して下降できるといった方がいい。そもそも山スキーは斜面を滑る醍醐味がたまらないのだが、斜面を安全確実に下降するという意味合いが小さくない。
     北海道まで足を伸ばし天候に恵まれなかったが、ニセコスキー場は山スキーの練習場にもってこいのゲレンデだった。

    2008年03月17日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | コメントを書く | No Trackbacks |

    「新宮山彦ぐるーぷ」のこと

     昨年末にまとめた「大峯奥駈道縦走記」を「新宮山彦ぐるーぷ」代表の玉岡さんに送ったところ、昨日丁寧な手紙と資料が届いた。メールですませないどころか、ワープロでもなく直筆の手紙であることが82才という世代を感じさせる。「新宮山彦ぐるーぷ」とは南部大峯奥駈道の整備と3つの山小屋の建設と維持管理しているボランティアグループのことである。
     「小生一人が温存するには惜しく、取りあえず二〇部を南奥駈道に限ってコピーさせて頂き、私共の幹部に配布させて頂きました。何卒ご了承ください。‥‥是非行仙宿をお訪ねください。一献傾けて山の話を交わしたいものですね」と認められている。そして「幹部」に配布したコピーの添え書きも添付されていた。「『大峯奥駈道縦走記』は、我々南奥駈道や三カ所の山小屋管理に当たっているものにとって、その登山意欲もさることながら、山小屋の管理は如何にあるべきか、についても示唆されるところが沢山あり、勝手ながら『釈迦ヶ岳〜上葛川』の区間をコピーさせて頂きました。ご覧ください」とあった。玉岡さんだけでなくコピーされて読まれているとしたら書手として望外の喜びである。

     さて、「山小屋の管理は如何にあるべきか」ーそのことに少しでも役立つことを書いたかいな、と気になった。あらためて読み返してみると、思い当たるところがないではない。
     転法輪岳(持経ノ宿から行仙岳)の項(2007年9月28日の山行)で「平治ノ宿」に着いた際のことを次のように述べた。
     「十数人は収容できそうなこじんまりした小屋だ。清潔である。水や非常食、燃料が備え付けられ、蚊取り線香まで用意されている。水は採取した日付が記されていて安心して利用できる。商品は料金を自主精算することになっている。実に心がこもった小屋だ」。「大峰山系ではここ数年で避難小屋が相次いで建て替えられた。狼平避難小屋といい、行者還避難小屋といい、楊子ノ宿小屋といい、国や県、市町村が建てた小屋はいずれも判を押したようなログハウスだ。見かけはしょう洒だが、果たして『新宮山彦ぐるーぷ』の手になる小屋のように登山者を優しく迎え入れているだろうか。建物は新しく機能的であるのがいいに決まっている。しかし建物に魂を入れるのは人である」。
     玉岡さんは示唆されるところがどこか書いてないが、引用した箇所あたりではないか。僕は率直な感想を書いたまでだが、そのことが彼らの励みなるのだったらこれまた喜びである。

     併せて宗教雑誌「禅と念仏」第22号に寄稿された「千日刈峰行と山小屋建設」のコピーも同封していただいた。この文章を読むと玉岡さんがなぜ「新宮山彦グループ」を立ち上げ、南奥駈道に山小屋建設と南奥駈道の整備を思い立ったがよくわかる。前回たまたま行仙小屋に滞在していた玉岡さんとしばし歓談しただけだった。僕は宗教心を持たないが山岳宗教には関心がある。お招きを頂いた「行仙ノ宿」に近い将来再び訪ねて、山と山岳宗教について夜を突いて歓談したいものである。

    2008年03月04日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | コメントを書く | No Trackbacks |

    恐羅漢山のボーダー遭難を考える

     恐羅漢山のスノーボーダーらの遭難は、ゲレンデアウトして雪山を楽しむものにとってひとごとではない。無事生還して何よりだった。
     こうした遭難事故が起きるたびに、危険を犯してそんな寒いところになぜ行くのかとか、なぜゲレンデアウトするのかという声が聞こえそうである。雪山にゲレンデアウトするのは、整備されたゲレンデにはない醍醐味、野趣があるからだ。しかし危険性は格段に増す。だから危険を想定した準備、計画が大事だ。

     雪山で怖いのは吹雪かれたりガスに巻かれることである。もう20年前の3月、氷ノ山で吹雪かれ、13年前の5月、鳥海山でガスに巻かれホワイトアウトした体験がある(関心のある方は、登山日記の氷ノ山の項=1988年3月、鳥海山の項=1995年5月を参照してください)。そのときはその後吹雪が幾分収まって視界が得られたり、下山者に出会って下山ルートがわかり大事に至らなかったが、残雪期も含めて雪山に入れば注意を払ってもホワイトアウトし、ルートを外すことはありうる。
     もちろん悪天が予想されるときに入山すべきではない。しかし天候の完全な予測は無理である。予期しない天候の急変は冬山や春山では常である。自然が相手だからそうした危険は避けられないし、危険を皆無にすることはできない。危険を100%避けたいのであれば雪山にはいっさい入らないことだ。誰だったか「失敗しない人は何もしない人だ」といったことがあるくらいだから。問題は雪山でホワイトアウトしたり、ルートを外した際にどういう対応をとるべきか、どんな装備が必要かだ。

     ホワイトアウトしたら風を避けられるところで天候の回復を待つことだ。ビバァークが避けられないと判断したら雪洞を掘って天候の回復を待つことだ。食料が仮に尽きても水さえあれば人間はそう簡単に死にはしない。むしろやたら動き回ることが危険である。白い闇の中で動き回ったらリングワンデリングに陥るのが常だ。体力を消耗し冷たい風にさらされたら、生還する気力を萎えさせ判断力をも鈍らせる。それは確実に遭難事故へ近づいている。鳥海山でホワイトアウトしたとき僕は、迷いなく相方にビバァークすることを告げた。春雪はピッケルでも雪洞を掘ることはできる。
     ゲレンデアウトしたり雪山に入るときの最小限の装備として、非常食の他、あえていえばツエルトよりスコップとマット、それにレスキュー・シートだと思う。スコップはもちろん雪洞を掘るためのものだ。マットとレスキュー・シートがあれば横たえることができるし、体温を保持することができる。スコップもマットも最近軽量かつコンパクトなものが販売されている。レスキュー・シートはわずか10グラム程度のもので荷にはならない。ツエルトはあることにこしたことはないが、軽量につとめなければならないバックカントリーでは絶対必需品には思えない。

     今回生還できたのはたまたま廃屋があり、風を避け暖をとることができたからだ。しかしいつも廃屋にありつくわけではない。むしろ今回のケースはまったく例外だ。「朝日」の報道に「冬山登山と一番違う点は彼らが山に泊まるつもりじゃなかったという点だ」と労山事務局長の談話を紹介していたが洞察のある発言であると思う。日帰りであってもビバァークもありうるという心構えで入山すべきと思う。そのかまえが遭難を回避する道のように思う。

    2008年02月05日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | コメントを書く | No Trackbacks |

    「山行パンフ」余聞

     以前に「山行パンフ発行の時期がきた」を書いたことがある。その山行パンフ「07年山行から」と「大峯奥駈道縦走記」の2冊を年末に仕上げ、山好きの知り合いに40部ほど配った。2冊を一度に出すというのは初めてのことで、しかも「07年山行から」は90ページを超えるボリュームとなり、印刷、製本作業が大変だった。レザープリンターのトナーを買い足す物入りとなった。お礼や感想を何人かからもらったし、職場では幾人かには回し読みもされたらしい。そんな声を聞くと苦労が吹き飛ぶ。

     この山行パンフを出すようになったのは、1994年の夏、北海道の深田百名山を一日一座連続して5座登ったときの山行記を書いたことがきっかけである。その時のパンフの冒頭に「とくに今回は綴らざるを得ない衝動にかられました」と記している。感動や冒険、出会った人と交わした言葉などを記録しておきたかったからだ。一ヶ月ほどかかりきりになって書き上げパンフレットにして山好きの知り合いに配った。どういう反応があるか不安はあったが「意外と面白かった」という感想が寄せられた。そのころは画像を入れることもできず、活字ばかりの山行記だったが読んでもらえた喜びは大きい。

     以来やみつきになり毎年末に出し続けてきた。仕事が多忙で年数回の山行にとどまったこともあったし、マンネリになりもうやめようかと思ったことも一度ならずある。その都度「意外と面白い」という声に励まされて13年続いていることになる。
     1994年以前の山行記はメモを頼りに記憶を呼び起こして綴ったものだ。ワンダーフォーゲル部時代のものはともかく、西穂高岳〜槍ヶ岳の縦走や後立山連峰の縦走、大峰北部の縦走などのメモがなく書き残すことができなかった山行が多々あるのは残念至極といわねばならない。活字にできたものはすべてこの「みんなの登山記録」にアップさせてもらっている。

     ところで今回寄せられた感想に「山行記を読んでいると不思議と自分がその場にいるような錯覚にとらわれます」というものがあった。文章に臨場感があるのだろうか。また「前回頂いたものと、山の好みが少し変わっているように感じました。山との一体感、感性のしっとり感?なんとなくですが」というのもあった。目下は二百名山や関西百名山、故郷福井の山、ホームグランドの大峰・台高山系を主に歩いていて、最近は槍や穂高には行かないけれど、山の好みがとくに変わったわけではない。文章から山との一体感が感じられるとしたら40年余山行を重ねてきて山への思い入れが深まり、物言わぬ山と少しは対話ができるようになってきたのかなと思う。

    2008年01月11日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | 2 コメント | No Trackbacks |

    膝痛に膝サポーターの勧め

     昔の山仲間からの年賀状に膝痛で山行から遠のいているというのがあった。膝痛に悩まされている人は少なくないのではないだろうか。膝痛は山歩きをするものにとって致命症である。膝痛は山歩きの喜びを帳消しにしてしまう。膝痛は山行の意欲そのものを失せさえてしまう。

     僕自身も一時期膝痛に悩まされた。30代の後半、山行のトレーニングをかねて毎日10キロ走っていたことがある。冬のある日、準備体操もせずいきなり職場近くの大阪城公園を走っていて靱帯を痛めた。「バキッ」という音がして座り込んだ。大学病院の整形外科や接骨院で治療を受けたが、以来数年間、膝痛に悩まされ続けた。平地を歩くときは感じないが、階段を下るときにするどい痛みが走るのだ。登山をあきらめ別の趣味に宗旨替えをしなければならないかと真剣に考えたことがあるほどだ。しかし他に趣味を見つけられるほどに器用ではない。何とか歩き続けたいと必死に膝痛の治療に励んだ。しかしいったん膝痛が収まって調子がいいなあと思っている矢先にしばしば痛みに襲われた。接骨院の先生の説明によると、膝の靱帯が緩むと神経に障り痛みが出るとのことだった。

     そういうしつこい膝痛が今ではまったくなくなり、これまでのところ膝の状態は安定している。その靱帯損傷以後、深田百名山に集中して登ることができた。膝痛をなくすのに何が効能だったのか。その接骨院の先生から勧められたことは、膝を冷やさないためにサポーターを着用することだった。以来一年365日、サポーターをはずさない日はない。宴席の場であぐらをかいて浴衣の間からサポーターが丸出しになり恰好悪いこともしばしばあったが、恰好などかまっておれない。夏場は皮膚がかぶれることだってある。それでもサポーターをはずさない。むしろサポーターがないと膝が寂しいほどだ。何かを忘れているような感じさえする。

     なぜ膝を冷やしてはならないのか。靱帯にはわずかだが毛細管が通じている。靱帯は毛細管が少ないためにいったん損傷する(緩みやすくなっている)と、回復するのに時間がかかるのだ。膝を冷やすと元々少ない毛細管の血のめぐりを悪くし、自己治癒力を弱めてしまう。接骨院でやってもらうマッサージは血行を助ける施術だ。しかしマッサージを24時間やっているわけにはいかない。日常的に膝を暖め血行を助けるのが膝サポーターである。
     その説明を聞いてなるほどと思った。実際サポーター着用の効果は明白である。膝痛で悩まれている方、膝サポーターを着用してはどうだろうか。

    2008年01月05日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | 3 コメント | No Trackbacks |

    ストックを使っていますかー骨折事故騒動を他山の石に

     山歩きをしていて転倒、足首を骨折した職場の同僚を病院に見舞った。足首がブラブラになったというほどだから完全な骨折だ。Aさんから事故の様子を詳細に聞いてあらためて他山の石としなければと思った次第。
     大阪府河内長野市の旗尾岳(548)から府庁山(640)へ向かう途中、事故は起きた。さほど急ではない下り坂で落ち葉を踏んでスリップ。かばった逆の足をひねって転倒。そのとき「ボキッ」という音がしたという。もう立ち上がることはできなかった。携帯は通じず連絡が取れない。旗尾岳の山頂側に高圧線の鉄塔があったのを思い出し、鉄塔に近づけば携帯が通じるのではないかと判断。リュックを前に放り出しながら少しずつ這いつくばって30分ほど旗尾岳の方に戻ったとのこと。ようやく携帯が通じ、奥さんの指示で119番に連絡したという。
     もちろん職場にも連絡が入り、いったんは山好きの僕らが救出に向かうという段取りになったが、陸路から消防のレスキュー隊が、空路から大阪市消防局のヘリが出動することが確認されて出番はなくなった。レスキュー隊からはやたら携帯を使うな、電池を消耗させてはならないと厳命されたとのこと。救助隊が事故現場につくまでは連絡が取れる状態を保つ必要があるからだ。
     レスキュー隊が到着するまでの3時間余、上体は防寒具で寒さはしのげたが、下半身は冷えてかなわなかったという。ヘリにつり上げられるポイントまでレスキュー隊員に担がれて移動。ヘリで太子町役場のグランドまで運ばれ病院へ搬送されたとのことだった。

     反省すべきことは多々ある。第1に、家族にも同僚にもどこに登るか伝えてこなかったことである。このコースは普段からあまり歩かれているところではなく、しかも平日のことである。人と出会うことはまず期待できない。携帯がつながらなかった場合、捜索範囲を絞り込めない。近場の山とはいえ、山行に出かけるときは行き先を伝えておくか、少なくとも書き置きぐらいはしておくことだ。登山口に登山届け場所がある場合は必ず届けを出すように心したい。
     第2に、非常食を持たず、防寒用具を持っていないことだ。Aさんは発見が遅れた場合を考えると不安が募ったという。非常食があり、レスキュー・シートかレスキューバッグがあればたとえ発見されるのが遅れても焦らずにすむ。いずれもかさばらないものだし、必ず携行するようにすべきだろう。
     今回の場合惜しまれるのは、ストックを携行せず使っていないことだ。スリップすることは山歩きではままあることだ。スリップした場合かばうのが逆の足であり、腕である。その際の衝撃をストックがいくらかでも吸収できるならダメージを軽減することができる。今回のケースでも骨折が避けられ軽いねんざ程度ですんでいたかもしれない。ストックの使用がスリップそのものを予防する効果もあるだろう。

     僕の場合43年にわたる山行生活の中で、日没や道迷いでビバァークしたことも一度ならず二度あるが、遭難したことはない。転倒したことも多々あるが骨折の類のけがをしたこともない(もっともゲレンデスキーで暴走し骨折したことがあるが)。運がよかったこともあるだろうがよく気をつけて歩いてきたこともあるだろう。まだまだ歩き続けたい。身近な人の事故を他山の石としたい。

    2007年12月26日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | 2 コメント | No Trackbacks |

    デジカメとフィルムカメラ

     年賀状の季節がやってきた。僕の年賀状は毎年自分で撮った山の写真で飾ってきた。毎年デザインや文章を考えるのは面倒だから山の写真を変えるだけ。レイアウトも文章も毎年ほとんど同じだ。年賀状は古い知人や親戚に、「まだくたばらずに元気に生きているよ」「あいも変わらず山を歩いているよ」という挨拶状ぐらいに思っているからそれでいいと思っている。
     このフォームで年賀状を出し始めた頃は、その年に撮った山の写真を使うことを原則にしてきた。ところが徐々に自分なりに満足できる写真がなくなり、最近は昔撮った写真を使う場合が多い。その写真さえストックが少なくなってきた。

     なぜだろうかと考える。最近は地味な山に登ることが多くなっていることもあるだろう。しかしそれだけではないように思う。デジカメを使うようになったことと関係しているように思うのだ。デジカメは便利である。いったんハードに投資すればフイルム代がいらない。フイルム代を気にせず写欲が起きた時に撮れるだけ撮ればいい。フィルム時代だったら撮らないようなものまでもバンバン撮る。デジカメはメモ代わりである。気に入った画像はその中からセレクトしてプリントアウトすればいい。デジタル画像はホームページやブログに直接張り付けることができる。フィルム画像ならいったんスキャナで読みとってデジタルデータを作成しなければならない。それも簡単ではない。ゴミの除去という面倒な作業が伴う。

     いうまでもなくフィルムカメラの最大の難点はフィルムを惜しみながら撮らなければならないことだ。フィルムの現像と同時プリントすれば出費はかなりのものになってしまう。もっぱらポジフィルムで撮って同時プリントをやめたこともあるが、一定のサイズに大伸ばししてみないと山の写真の出来映えはわからないものである。引き伸ばしてよみがえった画像も少なくない。しかし気に入った画像を大伸ばししようものならポジのダイレクトプリントは割高だった。
     ところがデジカメはいいことずくめではないのだ。本格的にデジカメを使い初めて数年がたつが、満足できる自信作というのがない。なぜだろうか。デジカメの便利さがかえって徒になっているように思える。手軽さ、便利さがかえってじっくり山に向き合い撮るという習慣を希薄にしているように思えるのだ。
     フィルム時代はねらっていたところや、ここぞというシーンに出合った時は、腰を落とし三脚を立てて1時間はじっくり撮影するというのはざらだった。そのために相方をしばしばあきれさせたこともある。重い中版カメラと三脚を背負い、早朝起きだして厳寒の中をラッセルして撮影したこともある。その代償は自分なりに満足できる写真として返ってきた。ハイライト部分に露出を合わせシャッターを切る、1ショットに気持ちを込め、出来映えを想像しながら撮ったものだ。

     デジカメがフィルムカメラに追いついたという記事を目にしないではない。カメラの性能がいくらよくなっても、写真の出来映えは撮り手側の問題だ。写真の出来映えは機材の性能に比例するわけではない。フィルムを惜しむが故に1ショットに熱を込めたのに対し、デジカメはフィルムを気にしなくていいがために1ショットに注ぐ熱いものが希薄になったように思える。これがデジカメで満足できる山の写真が撮れない要因のように思える。

     とはいえ目下のところフィルムカメラの出番はない。しかし中版カメラや35ミリのフィルムカメラを手放そうという気にはなれない。リタイヤしてボランティア生活に入ったら再び出番がやってくることを楽しみにしている今日この頃だ。
    2007年12月22日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | 2 コメント | No Trackbacks |

    大峯奥駈道縦走を終えて

     12月6日玉置神社〜熊野本宮間を歩き大峯奥駈道の縦走を終えた。3年越しのことである。この間スキーで骨折し、半年間山行から遠ざかった期間をはさむ。
     もっともスタートは吉野の青根ヶ峰だったし、上葛川〜玉置山間の2キロほどは日没の恐れがあったのでカットした。そして最終日は相方の不調で吹越宿跡からエスケープルートを下ろうとして、荒れた谷に迷い込み、途中地元の人の車に拾われて熊野本宮に着くなど、100%歩けたわけではない。しかし全長170キロとも180キロともいわれる紀伊半島の主稜線を9回、のべ12日をかけてほぼ歩ききった。

     今回の縦走は連続したものではない。季節を変えてつなぎつなぎ歩いた。原則として前回下山したところへ登り返し、つないで縦走したので、その地点への入山の往復を含めれば、歩いた距離は二百数十キロにもなるだろう。
     しかし5泊6日で全山縦走した人からするとそんなものなんだという声が聞こえてきそうだが、連続縦走にはない貴重な体験を積んだ。山小屋や縦走路で出会った人たちとの交流や見聞は楽しいものだった。とくに厳冬期に歩いた五番関〜洞辻茶屋間の体験は貴重だ。紀伊山地は太平洋側に位置するので積雪はそう多くはない。しかし1〜2メートルは積もる。ルートを探しながらラッセルし、岩峰を突破した達成感は今も余韻に残る。

     大峯奥駈道の北半分ー釈迦ヶ岳(前鬼)はこれまでに何度も入山したことがあるが、南半分は今回初めてである。北部に比べ南部は高度も低く地味である。そのうえ交通不便である。登山としての山の魅力は薄れるが静かな山旅を楽しむにはいい。そういう山並みの縦走路を整備し、3つの山小屋を建て維持管理している「新宮山彦ぐるーぷ」の活動は敬服に値する。南部奥駈道でわかりにくいところはほとんどなかった。この人たちの活動のおかげで南部奥駈道が歩けたといっていい。

     目下、毎年まとめてきた「07年山行から」の編集、印刷、製本作業と平行して「大峯奥駈道縦走記」をまとめる作業中だ。そんのことで年末は超多忙である。
     なお、部数に若干の予備を作る予定。ご希望の方があれば進呈します。住所、氏名を小生のメールアドレス(watanabe_k0904@yahoo.co.jp)にご連絡ください。年内にお届けできると思います。
    2007年12月08日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | 2 コメント | No Trackbacks |

    山行パンフ発行の時期が来た

     12月が近づいてきた。年末恒例になっている07年度山行パンフレットの編集発行作業に取りかからなければならない。もうやめようかと思ったことは一度たりではないが、「意外と面白かったよ」の一言に励まされて1994年来続けてきた。部数は40部ほど。山好きの知り合いに配ってきた。中には「山行の参考にさせてもらっている」と背表紙をつけて書棚に並べてくれている人もいる。雑文に目を通してもらい、そのうえ書棚に並べてくれるなんてありがたいことだ。今年から「みんなの山行記録」に参加させてもらっているからもうパンフ作成は必要ないかと思ったりするのだが、僕の年代以上の知り合いはパソコンをやらない人やインターネット弱者も少なからずいる。である以上今年も作成しなければなるまい。

     そのパンフレットというのは、A4を二つ折りにした袋とじの冊子で70ページ前後のものだ。当初は活字だけだったが、デジカメが普及してから画像も取り入れている。袋とじだから大型のホッチキスでとじてもこの程度の枚数が限界となる。まったくの手作りで作業量は相当な量になる。
     まずは印刷。当初はインクジェットプリンターで打ち出していたのでスピードが遅く、その上紙ずまりのトラブルに見舞われたりもした。インク代も馬鹿にならない。プリンターメーカーはカートリッジで暴利をむさぼっているという噂を耳にするが、このときこそその通りだと実感する。エプソンさん、キヤノンさん、コニカミノルタさん‥‥‥‥、この声を聞いてほしい。

     そこで一昨年大枚をはたいてカラーレザープリンターを導入した。このレザープリンターにしてもハード以上にトナーのカートリッジは高価である。エイッ、ヤーと思い切らないと手にすることができない。でも一度投資すれば一度に大量に印刷するのは山パンフと年賀状ぐらいだから、個人の使用量ではトナーカートリッジは3年はもつ。それで今年の年末は出費を押さえられそうだ。レザープリンターは何より印刷スピードが速く、トラブルが皆無なのが嬉しい。

     ともあれ、07年度はあと1ヶ月余を残すのみ。あと3座登れば今年は30座登ったことになり、近年でもっとも多く登ったことになる。雪山も歩いたし、山スキーにも出かけた。200名山は12座も登れた。仕事で多忙だった割によく登れたのは、節目節目に割り切って山行に集中したからだ。あと1回で完登に迫っている大峯道奥駈全縦走も年内に完登したい。
     来年の計画を立てるのも楽しみだ。ますます登り、撮り、滑り、書きたいものだ。さすがにもう登山はやめているが、80才代でまだ元気な知人は「60才代は青春だよ」という。「老春」といってもいい。僕の「老春」は若い頃から続けてきた山とともにある。

    2007年11月19日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | 1 コメント | No Trackbacks |

    なぜ山に登るのかー身体が喜ぶ登山

      「なぜ山に登るのか」は古くて新しい問題である。
    この問への有名な言葉は、イギリス人登山家のマロリーの「そこに山があるから」だ。1923年、「なぜエベレストに登るのか」というニューヨーク•タイムズ紙のインタビューで、"Because it is there."と答えた時の言葉だ。"it"(それ)はエベレストを指す。世界一高い山がそこにあるから登るというわけだ。ところが「そこに山があるから」と意訳された。ともあれ、登山家の信念を表す名言として現在まで語り継がれている(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による)。
      しかしこれは「エベレストになぜ登るか」には答えているが、一般の登山者が「なぜ山に登るのか」に答えていない。もっといえば意訳した言葉が独り歩きしているように思える。

      「無名塾」を主宰し「新百名山」を提唱している岩崎元郎氏は、「からだが喜ぶ山歩き」という言葉を使っている。日本勤労者山岳連盟会長をつとめた、故吉尾弘氏も「筋肉の快感や精神の緊張感」(「垂直の星」本の泉社)をあげている。これは岩崎氏の言葉の別の表現といっていい。里山のハイキングからアルペンやクライミングまで、登山にもさまざまなレベルや形態があるだろうが、「なぜ登るのか」という問への端的な答えは「身体が喜ぶ」が最も実感に合うように思う。「身体が求める」といってもいい。

      「なぜ登るのか」という問への答えとして、「達成感がある」とか、「眺望が望める」という答えもあるだろう。それぞれ一理がある。しかし僕は決して達成感があるとは言えないような里山の低山にも登るし、曇っていたり雨降りでも、あるいは山頂が樹林に覆われ眺望が得られなくても、その山行に意味がないと思ったことはない。荷を背負い、足を動かし手を使うことが爽快であるのだ。
      山頂で登山者同士の交換風景や下山後の温泉での交換風景でよく耳にすることは、「これが楽しみ」といって登山後の入浴やビールをあげる人が少なくない。大汗をかき疲労感があるだけに、下山後のひと風呂は格別に心地よい。下戸の僕でも下山後にビールを飲み干す時がある。これも「身体が喜ぶ」登山の効能の一つだろう。

     最近うつ病が増えているという。日本社会の異常な働き方(いや、働らかされ方)にその背景がありそうだが、それはさておき、うつ病がセロトニンという物質の分泌の不足から起きることが分かってきている。逆にいえばその物質がちゃんと分泌されていれば、落ち込みを乗り越え前向きに精神活動を維持できる。その物質は歩くことによって分泌が促進されるのだそうだ。足をリズミカルに動かすことによって、気分と身体が爽快になるのは、精神医学レベルで解明されてきているといえそうだ。うつ患者が回復の兆しをみせはじめると、精神科医は積極的に歩くことを奨励しているそうだ(蟻塚亮二「うつ病を体験した精神科医の処方せん」大月書店)。

      人間を他の動物と区別たらしめているのは「人間は考える葦」(パスカル)である。しかしその前に人間は歩かねばならない。味気ない表現だが、登山は傾斜のあるところを歩くことだ。登山は歩く一形態だ。ただ歩くだけでは飽きてしまう。古来登山愛好者が絶えないのは、歩くことの爽快さにくわえて、登山が達成感や眺望の喜びを得ることができるからだろう。

    2007年10月24日 by ワンダーフォーゲル | 山のエッセイ | コメントを書く | No Trackbacks |
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