アーカイブをご覧いただけます。July 2007
昨日は午前中青空が広がって暑くなったので「今度こそ梅雨明け」と喜んだ賢パパでしたがどうやらまだのようで週末の天気が心配です。
さて、2001年の4月に10年ぶりぐらいで山登りをした賢パパでしたがまだ日常的に山登りをしようという気にはなっていませんでした。
この年の7月に
毛無山に登ったのはちょっとした間違いからでした。
家族連れで本栖湖や朝霧高原方面に遊びに出掛ける事の多かった賢パパはおみやげを買うために立ち寄る道の駅「朝霧高原」から間近に見える特異な景観の山に前から興味を持っていました。
山全体が熊笹で覆われているように見えるその山はとても魅力的な風貌をしていたのです。
木が生えていなくて丸坊主のようにも見えるその山の名前をてっきり「毛無山」だと間違った思いこみをしていたのです。
そして「毛無山」に登る計画を立てたのでした。
地元の富士宮市の観光課に電話を掛けて資料を送ってもらいました。
「麓」という村落の所に駐車場があってそこから登れば良い事がわかり、ある夏の日の早朝に弁当のいなり寿司と冷凍にした缶チューハイを一本、それにペットボトル入りの水を持って家を出ました。
麓の駐車場に着いた時は霧が出ていて今にも降り出しそうな雨模様でしたが本格的な降りにはなりそうもなかったので一応折りたたみの傘を持って登り始めました。
この時既に賢パパの頭の中には「?」マークが浮かんでいました。
あの「道の駅」から見えていた山とは全然違った風景なのです。
今更やめるわけにも行かないのでそのまま登ってしまいましたがやっぱり「あの山」ではありませんでした。
おまけに結構きつい登山道で一歩一歩のステップの歩幅が
大きくてその上傾斜が急なのです。
霧で濡れているところに持ってきて賢パパの靴がサッカーのトレーニングシューズで底にイボイボのついているやつだったため下りで何度も滑って尻餅をつきました。
それでも頂上は晴れていて目の前に大きな富士山を見ながら飲んだ冷え冷えの缶チューハイのうまかった事を思い出します。
後になって目指していた山が「竜ヶ岳」だった事を知りもう一度計画を立て直して初めて登ったのはそれから4年後の事でした。
それ以来「竜ヶ岳」には5,6回登りましたが「毛無山」には登っていません。
やっぱりあの登りのきつさが頭に残っているんでしょうかねえ。
朝霧のショートコースから見た毛無山です。(左のピーク)
1982年の暮れに南ア茶臼岳で越年登山をして以来山からはずいぶん遠ざかっていた賢パパですが結婚、子育て色々忙しい事が多くてなかなか出掛ける機会がなかったためです。
久しぶりで山に登ったのは2001年の事で由比にある
「浜石岳」に登ったのですがこれは予定外の登山でした。
その日はJR主催の「さわやかウォーク」があって興津駅からさった峠を越えて由比駅まで歩くコースを多くの参加者に混じって歩いたのでした。
峠で富士山の素晴らしい眺望を満喫すると由比駅に向かって下りになります。
下り始めて程なくすると農道の脇に標識が立てられてい「由比駅」の反対方向に「浜石岳」と書かれています。
「せっかくここまで登ったんだからもうちょっと頑張って浜石に登ってみるか」と軽く考えるとそのまま登りに掛かりました。
桜の花が咲いていましたから4月の初めぐらいの事ですが予定では興津から由比まで2時間ぐらいのウォーキングだったので水も何も持っていません。
それでも「何とかなるさ」と軽く考えていましたがこれは後になって後悔しました。
登山道の取りつきからの急登を登り切ってしまえば稜線を歩いてそんなに時間はかからないとたかをくくっていたのですがどっこいこれがなかなか長い。
結局峠から3時間近くかかってやっと浜石岳の頂上に着いた時は正直ほっとしたものです。
天気が良くて暑いぐらいの陽射しだったので汗だくで喉はからからです。
ところがどこにも水がない。
下っていけばどこかにあるだろうと思ってどんどん下ってもどこにもない。
結局水にありつけたのは由比駅の水道でした。
それ以来どんな小さな山行でも必ず水を持参する事にしている賢パパです。
画像はさった峠からの富士山です。
いつ見ても素晴らしい。
南ア南部の
茶臼岳での越年登山を計画したのは1982年から83年にかけての事でした。
この年は8月に
赤石岳で遭難しかけた後10月に
八ヶ岳に登り12月にも
鳳凰山をやっていますから後半は2ヶ月に一回のペースで本格山行をした事になります。
南アの雪の中で正月を迎えようと言う提案があったのは大先輩の口からで賢パパと八ヶ岳に一緒に登った後輩が同行を決めて3人パーティでの登山と決まりました。
暮れも押し迫った12月29日の朝賢パパの車に乗って静岡を出発しました。
畑薙第一ダムまで車で行ったのですがチェーンを着けた記憶がないと言うのは道路には雪がなかったんですかねえ?
畑薙ダムからはゲートに鍵が掛かっていて車が入れませんから歩きになります。
ダムの左岸の林道をだらだら歩くとやがておなじみの大吊り橋が見えて来てやっと山登りの感じがして来ます。
風の強い時は渡るのがちょっと怖い大吊り橋ですが距離的にはずいぶん近くなっていますからこれが出来て相当便利になったと思います。
大吊り橋を渡るといよいよ登りになります。
どの辺から雪が出て来たのかは記録に残していなかったのでわかりませんが一日目の宿泊地である横窪小屋あたりは完全に雪の中だったと記憶しています。
2日目は雪の登山道をひたすら登り続けて茶臼小屋に到着です。
それでも雪は少ない方だとかでそれほどの苦労はありませんでした。
3日目の大晦日の日は上河内岳に登ったり仁田岳の方を散策したりして思う存分雪山を楽しみました。
ものすごく良い天気で上河内岳からの聖岳は目の前にありました。
天気の良い日にしては珍しく雷鳥の姿も見る事が出来ました。
元旦には茶臼岳の頂上でご来光を拝みました。
雲海から昇る初日の出は神々しくさえ感じられました。
初日の出を拝んだ後は再び雪の登山道をひたすら下って畑薙ダムまで下りると後は年の明けた静岡目指して一走りです。
年末年始の忙しい時に浮き世を忘れての楽しい山の暮らしでした。
この四日間で天気の悪かった日は一日もなかったということでここでも「晴れ男」の面目躍如の賢パパでした。
画像は竜ヶ岳からの南アルプスで本文とは関係ありません。
鳳凰山の縦走を計画したのは1982年の事で10月に八ヶ岳に登ってからしばらく経って「そろそろどこかに登りたいなあ」なんて考えていた時の事でした。
会社人生でも山の方でも大先輩の方から誘いを受けたのです。
賢パパはその頃まだ独り者でしたからせっかく誘われたのを断る理由など全くありませんでしたので二つ返事で誘いに乗りました。
この大先輩に山の方は比較的経験の浅い後輩を加えた3人パーティでの山行でした。
夜叉神峠へのアクセスは冬季のためタクシーか徒歩しかありません。
賢パパのパーティは後輩の車で甲府まで行ってそこからタクシーをチャーターして夜叉神まで行く事にしました。
芦安の村に入ったところはそうでもなかったと思いますがゲートからは完全な雪道でスパイクタイヤをつけたタクシーでなければとても走る事は出来ません。
この時は初めから終わりまで雪の中を歩きましたがものすごく良い天気で紫外線の強さで目をやられた記憶が残っています。
薬師小屋に泊まったのですがかなり寒かったので小屋の中にテントを張って寝たように記憶していますがこれは別な山行と混同しているかも知れません。
翌日は観音岳と地蔵岳に登った後御座石鉱泉に下ってバスで穴山の駅まで出て中央線に乗って甲府に戻りました。
この時温泉に入ったと思うのですが記憶にないのでもしかしたらバスの時間の関係で入る事が出来なかったのかも知れません。
又変な事を覚えているのですが甲府の駅前に降り立つと停めておいた車の周りに人だかりがしていました。
事情を訊くと駐車場の入り口に停められてしまったのでタクシーの出入りに苦労させられていて困っているとの事。
あわてて車に乗り込むと一目散に逃げ出した賢パパパーティでした。
又、この山行の帰りに52号線沿いの食堂に入って遅い昼飯を食べたのですが出て来た「カツ丼」を見てびっくりしましたよ。
どんぶり飯の上にトンカツと千切りキャベツが乗っているだけなんですから。
「え゛ーっ?」と驚きましたが静岡に帰って甲府出身の友達に訊いたら山梨ではそれが常識で普通我々がカツ丼と言っているようなものは「煮カツ丼」と言うのだそうです。
最近色んな所でこの「山梨版カツ丼」にお目にかかる事が出来るようになりましたが一般的なそれとは区別して「ソースカツ丼」と呼ばれているようですね。
写真は甲斐駒山頂からの鳳凰山です。
本文とは関係ありません。
先日の
「ものわすれについて」で名前を忘れてしまった花ですが思い出しました。
「バロータ」でした。
他の花の名前を思い出そうとしていたら突然浮かびました。
こんな事がしょっちゅうです。
「ふるさとウォーク」さん、お騒がせして申し訳ありませんでした。