アーカイブをご覧いただけます。June 2007
八ヶ岳に登ったのは赤石岳で「あわや遭難」というひどい目にあった2ヶ月ぐらい後の1982年の10月の事でした。
その頃は今みたいに10月の第二月曜日なんて言うのではなく10月10日が「体育の日」と決まっていましたから9日から10日にかけて一泊で出掛けたのですが恐らく連休だと混むから9日は平日で有休を取って行ったのだと思いますが定かではありません。
余談になりますが「体育の日」というのは東京オリンピックの開会式の行われた日を記念して定められた祝日でこの日は「晴れの特異日」と言って過去の統計から見て晴れる確率が非常に高い日ですから秋の山行を計画される時は参考にして下さい。
本題に戻ります。
この時の山行は会社の後輩のY氏と二人でした。
会社では後輩でしたがY氏はかつて会社の山岳部で活動していた山の先輩です。
それ以前にも日帰りで安倍奥などの山にちょくちょく一緒に登ったり
仙丈、
甲斐駒の時も一緒に登った事はありますが二人だけでの本格山行は初めての事でした。
9日は行者小屋まで行くだけなのでそんなに早い時間の出発ではなかったと記録にあります。
美濃戸口に昼頃着いてだらだらゆるやかな登りを歩いて2時半前には行者小屋に着きました。
小屋泊だったのかテント泊だったのか記憶にないのですがたぶんテントだったと思います。
昼間は良い天気だったのですが夜中に低気圧の通過があったらしく朝起きると上の方は一面の雪景色でした。
冬の装備は持参していませんでしたがうっすら積もった程度だったのでアイゼンなしでも慎重に行動すれば全く問題ありませんでした。
阿弥陀岳から赤岳、横岳、硫黄岳と回って赤岳鉱泉を経て行者小屋に戻ったのだと思いますがあまり良く覚えていません。
25年も前の事ですから忘れてしまっても仕方のない事だと思いますがはっきりと覚えている事がいくつかあります。
一つは美濃戸口に向けて下山途中で地元の方々が河原でキノコ汁パーティーをやっていて通りがかった賢パパ達に声をかけてくれておいしいキノコ汁と缶ビールを御馳走になった事。
もう一つは帰りの国道20号線で長い直線があったのですがここが黄色のセンターラインで前をのんびり走っている車を追い越す事が出来ずにいらいらしながら走っていると後ろから猛スピードで追い越して行ったやつがいて「バカヤロー、捕まらないかなあ」と思っていると直線の終わりにパトが待っていて見事に「一巻の終わり」でこれは本当に気持ちが良かった事。
肝心の山の景色や何かはあまり印象に残っていないのに何でこんな事ばかり
覚えているんでしょうかねえ?
この画像は
蓼科山からの八ヶ岳です。
賢パパの山行は1969年の朝日連峰と71年の蔵王山という学生時代の2回のあとしばらくブランクがある。
それはまだ自分で計画してどこかに登ろうというほど山登りに魅力を感じていなかったし、何よりも就職して横浜に住んだ事で環境が大きく変わり、都会の暮らしに慣れるのが先決と思っているうち今度は静岡に転勤となり再び慣れない環境での生活に追われて山に出かけるほどの心のゆとりがなかったせいかも知れない。
それでも静岡に住んでしばらくすると友達も増え飲みに行ったりする機会も多くなって来る。
そうすると色々な出会いの場が出来て友達の輪が広がって来る。
飲んでいる時の話題に「山登り」が出て来ることも多くなる。
すると、もともと嫌いなわけではないので自然に興味が湧いて来るようになる。
そんな事があって前回の「山の想い出(地元の山々)」にも書いたように79年ぐらいからは会社の後輩を誘って静岡市北部の「安部奥」と呼ばれる方面の山々に登り始める事になる。
79年〜80年頃はもっぱら安部奥の山を登っていたのだが81年に久しぶりの本格山行に出かける機会が訪れる。
賢パパの会社には昔「山岳部」があり若い人たちを中心に活動が盛んだったと聞く。
賢パパが入社した頃には中心になって活動していた人たちが家庭を持ち子育てなどの役目に追われてあまり自由が利かない時期だったので部活動は休止していて一部の個人が計画を立てて山行する事が多かった。
そんな時山岳部で長年活動されて来た長老が定年退職される事になりそれを記念して昔のメンバーが仙丈ケ岳と甲斐駒ケ岳に登ろうと言う企画が提案されたのだ。
山岳部に所属したことのなかった賢パパであるが山が好きなのなら一緒に来ないかと誘われて連れて行ってもらえる事になったのである。
この山行は
HPの山行記録にも載せてあるので行程についてはそちらを参照していただくことにしてここでは特に記憶に残っている事を紹介させてもらう事にする。
一日目は広河原からバスで北沢峠まで上がりテントを設営してから仙丈に登った。
賢パパにとって初めての3000m峰登山で頂上に立った時の感激を今でも覚えている。
素晴らしい快晴のもと頂上で乾杯したビールの味は格別だったし、360度の大パノラマも感動ものだった。
下りは別ルートで馬の背ヒュッテから藪沢コースを下山したがアイスバーンのトラバースがあってアイゼンを持たない全メンバーがかなり苦労させられた事を思い出す。
夜はテントの外で飲めや歌えの大宴会をやったことがまるで昨日の事のようだ。
翌日は朝から降り出した雨の中を甲斐駒に向かったのだが仙水峠では雪に変わっていて駒津峰あたりはかなりの積雪があり、アイゼンなしでは万一の事が心配とあってやむなく撤退して登頂は次の機会に譲る事となった。
それ以来甲斐駒には格別の思いを持っていた賢パパであるが念願かなって2004年に
初登頂を果たす事が出来た。
好天に恵まれた甲斐駒登山は駒津峰から望む山頂の気高い美しさに加えて甲府盆地から八ヶ岳にかけての大パノラマをプレゼントしてくれ以来賢パパはますます甲斐駒の大ファンとなった。
何とか賢ママを連れてもう一度甲斐駒の頂上を踏みたいと思っている賢パパである。
週末の予報は雨のはずが梅雨入りしたとたんにこの好天である。
工場長の
金峰山からのみずがき山の写真を見て次の山行は金峰と決めている賢パパとままである。
駒津峰からの甲斐駒山頂

鳳凰山と富士山
賢パパの山行体験を振り返ってみると子供の頃に駆け巡った里山を除くと大学生の頃の朝日連峰と蔵王山に登っ後、就職してからはしばらく登っていなくて1979年に山歩きを再開した事になっている。
就職したのが1972年の事で1974年に横浜から静岡に転勤となったから静岡に移った後5年目でようやく山への思いが再燃したのだろう。
当時は独身寮に住んでいて、何もする事がない休みの日など同じ寮に入っていた後輩を誘って地元の山に出かけたものである。
寮のすぐそばには谷津山という高さ100mあまりの低山があったがこの山(と言うよりは丘)に登ると静岡の街から郊外までが一望できたのでよく登ったものだ。
天気の良い日など南アルプスの山々が見渡せて真っ白な雪を頂いた峰々を眺めては山への思いを馳せたものである。
まがりなりにも「山行」と名の付くものは近場では竜爪山(1000mちょっと)からになる。
静岡には安倍川という川が流れていてその川を遡った源流部は「安倍奥」と呼ばれる山岳地帯となっている。
竜爪山は安倍奥に連なる山岳地帯の前衛峰的な山で静岡の市民からは一番身近な山である。
賢パパは竜爪山を手始めに色々な安倍奥の山にチャレンジした。
その頃は車を持っていなかったので交通手段はもっぱらバスを利用した。
車があれば便利には違いないが一番の欠点は車を置いてある場所まで戻らなくてはいけない事である。
その点バスなら好きな所に下りて来れるので変化に富んだ山行を楽しむ事が出来たのも事実である。
車で行く場合だと梅ヶ島から登ったら梅ヶ島に下りる事になるがバスなら梅ヶ島から登って八紘嶺を経由して大谷崩れに下りたり更に足を伸ばして山伏まで行ったりする事も出来た。
安倍奥唯一の2000m峰である山伏岳には何度も登ったし雪洞訓練をやろうと仲間数人で登ったら肝心の雪が全くなくてやむなく小屋泊まりにした事も懐かしい想い出である。
その後賢パパの思いは南アルプスに向く事になるのだが入門コースとしての安倍奥の山々への登山は山への情熱を強く燃えさせてくれた貴重な体験となっているのかも知れない。
一昨年ぐらいから山登りを始めた賢ママはまだ安倍奥の山には登った事がないのでそのうちどこかに一緒に登ってみようかと思っている賢パパである。
梶原山からの谷津山と静岡市街

久しぶりで歩いた安倍峠のみやまつつじ

安倍峠登山道にて

舗装された林道にて
賢パパの登山人生を語る時、この山の事を抜きにしては語る事は出来ないのが富士山である。
しばらく山から遠ざかっていた賢パパを再び山に呼び戻してくれた山で、以来毎年何回かは登るようになっている。
最初に富士山に登ったのは2003年の9月の事である。
横浜まで新幹線通勤をしていた賢パパは毎朝車窓から間近に富士山を眺めていたが登ろうと具体的に考えた事はなかった。
9月の初めに同じ会社でやはり新幹線通勤をしていた賢パパの先輩が「富士山に登って来た。」と話しているのを聞いて「登ってみようかな」と思い立ったのである。
それでもその年はもう9月の10日を過ぎていたので来年にしようと思っていたのだが中旬の3連休の天気予報が良さそうだったので急遽山行を決めたのである。
3連休の真ん中の日の朝3時半前に家を出て富士宮口5合目駐車場に向かう車の窓からは星が見える。快晴。
1時間ほどで駐車場に着くと準備もそこそこに早速登山開始。
シーズンが終わっているにもかかわらず連休で好天とあって登っている人は多い。
カメラを持たずに行ったので途中で写真を撮る事もなくひたすら登り続ける。
後ろを振り返るとはるかかなたに小さな島が見えている。江ノ島であろうか?
列を作る登山者をどんどん追い越して登り続け8時10分に頂上着。
剣が峰まで登った後お鉢巡りをして朝食を食べてから下山。
11時前には駐車場に戻り昼過ぎには帰宅。
これですっかり「日帰り登山」にはまってこの後北岳や甲斐駒にも日帰りで登る事になるのだからやはりこの登山が賢パパの登山人生のターニングポイントとなっている。
この後7回富士山に登っているがほとんどが7,8月を除いたオフシーズンの平日の登山なので出遭う人には富士山にこだわりを持っている人が多い。
500回登山で知られる埼玉の大貫さんには2005年の5月に登った時頂上直下の雪渓でお遭いして話を聞く事が出来た。
その時は479回目の登山で前日478回目をやったとの事だった。
500回記念登山にはお誘いをいただいて5合目駐車場まで駆けつけたがあまりの悪天候のため中止だと思って帰って来た。
この時は決行したのだが頂上直下で断念したとの事を後でうかがった。
去年一年間で200回登られた秦野市の佐々木さんにもお遭いして話をうかがった事がある。
その時も素晴らしい好天で伊豆大島や芦ノ湖が良く見えていた。
今年もだんだん雪が消えてきてそろそろ登ろうかと考えていたら昨日の雨が富士山では雪を降らせて又積もってしまった。
この分では今年の「初富士山」はまだしばらく先の事になりそうである。
ダイヤモンド富士
越前岳からの富士山