<   2007-05   >
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

プロフィール

  • ID: 548
  • ハンドルネーム: 賢パパ
  • 性別: 男
  • 年齢: 59
  • 住所: 静岡県 静岡市
  • 所属クラブ:
  • 登録日: 2006年12月11日
:
:

スポンサード リンク

カテゴリ

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

過去記事

Feed

RSS 2.0
ATOM 1.0

アウトドアグッヅ情報

私の山行記録 新着

2008年11月23日
日本平 [ 307.20m 富士山・伊豆(神奈川県・山梨県・静岡県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (8) 8 登った山の地形図(国土地理院) 登った山の地図(グーグルマップ)
2008年11月22日
大谷嶺 [ 2000.00m 南アルプス南部(山梨県・長野県・静岡県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登った山の地形図(国土地理院) 登った山の地図(グーグルマップ)
2008年11月02日
浜石岳 [ 707.10m 富士山・伊豆(神奈川県・山梨県・静岡県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (4) 4 山行フォトギャラリー (10) 10 登った山の地形図(国土地理院) 登った山の地図(グーグルマップ)

以前の山行記録、予定は下記から

みんなの新着

マイページ

コミュニケーション

タグ

第2リンク集

アクセスカウンター

Total122844 7days1759 Yesterday236 Today209


みんなの登山ブログポータル
Powered by
コミュニケーション by

アーカイブをご覧いただけます。May 2007

山の事(蔵王山)

今日は日曜日で普通だと賢の散歩を終えてから賢ママのお供でゴルフの早朝打ちっ放しに行くのだが賢ママが休日出勤なのと賢兄の弁当作りがあるので今週の打ちっ放しはキャンセルとなった。
ゆっくり皆さんのブログを読ませていただくことが出来る。
賢パパの今日の話題は山の事。
賢パパは学生時代の4年間を山形市で過ごした。
山形の市内からは西の方に蔵王の山々をすぐ近くに見る事が出来る。
蔵王山というのは熊野岳を主峰として刈田岳、地蔵岳等の峰を総称したものであり深田氏の百名山にも選ばれている山であるが登山よりもスキーで全国にその名を馳せているのが実情だ。
賢パパもご多分に漏れず学生の頃はもっぱらスキーの対象と考えていたようで登山で行ったのは4年間でたったの一度しかない。
今になって考えると全くもったいない事をしたもので賢パパが住んでいた大学の学生寮からはそのまま歩いて蔵王登山が出来たのである。
と言う事で、登山はしなかったがスキーにはよく行ったものだ。
友人達と「コーボルトヒュッテ」という大学の山小屋に泊まりがけで行く事も多かったが小白川キャンパスの正門前に出来たばかりの「北京飯店」という中華料理屋の店主さんに連れて行ってもらう事も多かった。
店主は賢パパとは5歳違いぐらいで当時はお互いにまだ若かったので朝起きて天気が良いのを見るといても立ってもいられなくなってしまって賢パパは学校をさぼり店主は店を奥さんにまかせて二人でスキーに出かけてしまうのである。
店主は今でも健在で季節の地産品などをやり取りしている仲であるがお世話になった奥さんは癌のため数年前に他界してしまいもうこの世にはいない。
そんな蔵王山にはたったの一度それも友達に連れられて登っただけである。
夏の暑い盛りに同じ寮に住んでいる友達の部屋に遊びに行くとなにやら荷造りに余念がない。
訊くと「明日蔵王に登山に行く。」と言う。
「一緒に連れて行ってくれないか?」と頼むと快くOKの返事。
それからやはり同じ寮の後輩で山のサークルに入っているやつの部屋に行き山の装備一式を貸してもらって慌ただしく準備。
翌日の朝早く山形駅前からバスに乗って登山の出発点まで行ったのである。
当時の記録が残っておらずあるのはモノクロ写真が数枚でその裏に記された撮影日と賢パパの記憶を頼りにHPの山行記録を書いたが今でもはっきりと覚えているのは真夏の暑い時期だったのに雪渓が残っていた事と「カモシカ温泉白雲荘」という名前だけで温泉には立ち寄っただけなのか一泊したのか定かでない。
そんなわけで車でドライブしたり友達から借りたバイクで登ったりして有名な「お釜」には何回も行っているのだが自力で登って眺めたのはこの時一度だけである。
この後学生時代の山行は記憶にないし就職して横浜に住んでからもなかったので再開するのは静岡に転勤になってからしばらく後の事になる。
写真は櫛形山からの富士山で私の気に入りの一枚です。
本文とは関係ありません。


2007年05月27日 by 賢パパ | 山の想い出 | コメントを書く | No Trackbacks |

山の想い出(朝日連峰縦走)

日曜日の朝は賢の散歩の後5時半に家を出て近くの練習場に出かけてゴルフの早朝打ちっぱなしで汗を流す賢パパと賢ママであるが今週は水曜日にコースに出たので恒例の打ちっ放しはキャンセルと決めました。
時間の制約がないので賢の散歩をフルコースで行って来ました。
昨日紹介したわんこ友達のルビーちゃんの家の前を通ってこれまた友達の涼音(りおん、ボーダーコリー)ちゃんの所を過ぎてぐるーっと一回り約1時間のコースでいつもは2000歩ぐらいの万歩計ですが今日のカウントは5000を超えていました。
 さて本題です。
賢パパの「山の原点」は少年時代の「里山歩き」にあると書きましたがこれは「山歩き」の原点で「山登り」の原点はやはり生まれて初めての本格山行となった「朝日連峰縦走」にあると言わなければなりません。
当時の記録と言えばモノクロ写真の裏側に書かれた撮影日だけですから記憶を頼りに書きますが1969年とありますから私が大学2年生の時の事でした。
「駅弁大学」と言われたほど地方の主要都市に国立大学が作られた時期に賢パパは山形市の大学に入学したのです。
冬は蔵王でスキーをしましたが夏はあまりやる事がなく9月の初めに友達が朝日連峰に登るという話を聞いて一緒に連れて行ってもらいました。
本当に記憶だけなので定かではありませんが山形の駅前からバスに乗って「宮宿」という所まで行きそこからバスを乗り換えて「古寺」まで行ったと思います。
その先はバスがないので登山口まで長い歩きですが途中でトラックの荷台に乗せてもらったような記憶があります。
最初の鳥原山への登りはつずらおりの登山道をあえぎあえぎ登った事を思い出します。
鳥原小屋が見つからず薄暗くなるまで探してようやく見つけたときの安堵感も懐かしい想い出です。
翌日の稜線歩きの快適だった事や大朝日岳からは日本海が見えたと記憶しています。
その日は狐穴小屋に泊まり最後の日はずーっと下りです。
「バカ平」という本当にバカみたいに長い下りの事も覚えています。
当然の事ですが里山とは違った自然のスケールの大きさに驚きすっかり山の魅力に取り憑かれた賢パパだったのです。
今日はこんなに良い天気なのに自治会の仕事があって(と言っても半分飲み会のようなものですが)どこにも出かける事が出来ません。
賢ママも休日当番を引き受けて出勤するとの事なのでまあ良いか。

写真は去年行ったサイパン旅行の時のもので本文とは関係ありません。

タポーチョ山頂にて

2007年05月20日 by 賢パパ | 山の想い出 | コメントを書く | No Trackbacks |

遭難しそうになった話(明暗を分けた10分)

一度だけだが山で遭難しそうになった経験がある。
記録を紐解いてみると1982年の事とある。
会社の同僚と二人で赤石岳に登って翌日聖沢を下りながら渓流釣りをやる計画を立ててマイカーで静岡を出発した。
例年になく遅い梅雨明け宣言の出た翌日の事である。
朝から快晴の好コンディションの中をさわら島から登り順調に高度を稼ぎ、途中赤石小屋で昼食休憩。
この時はまだ聖岳の頂上がよく見えていたのだがこの後ガスが出始めやがて本格的な雨となり更には雷まで鳴り始める。
ほうほうの体で避難小屋までたどり着いたがいつもの山行なら楽しみの一つである宴会も出来ないほどの疲労困憊ぶりで激しくなる雨音を聞きながら翌朝早々の下山を決定しはやばやと床に就く。
翌朝はいっこうにやむ気配のない豪雨の中を6時に下山開始。
赤石小屋まで一気に下って後はさわら島まで下りてリムジンに乗って帰るだけという安心感からか20分の休憩を取った。
後で考えるとこの休憩を10分間にしておけば後の行程が全く違ったものになったのだがこの時点ではそんな事を知るよしもなかったのである。
さわら島に着いたのが9時40分の事で畑薙ダム行きのリムジンは10分前に出たばかりとの事。
次のリムジンが出る11時半までぶらぶらして待っていると待てど暮らせどリムジンは来ない。
小屋の管理人さんの話では道路の状況が悪いのでしばらく運転を見合わせているとか。
ノー天気な賢パパはまだ深刻な状況になっている事を理解していなくて避難小屋に置いて来てしまった酒類を「持って来ていれば良かったなあ」なんて未練に思っていた。
結局11時半のリムジンはキャンセルとなりロッジで一日中酒を飲んでごろごろ過ごす。
翌日になると雨はやんだがロッジ前の大井川の水位は相当高くなっていた。
林道まで出てみると土砂崩れがあちこちで起きていてこれではリムジンの通行はとても無理なので徒歩での下山を決意して11時10分にさわら島を後にする。
途中何十カ所もの土砂崩れの上を乗り越えてひたすら歩き続ける。幸いにも上からの崩れの箇所ばかりで道路が落ちてしまった所がなかったので苦労しながらも前進する事が出来たが「中の宿」の所に1カ所だけ道路の落ちてしまった箇所がありそこのトラバースには苦労した。
何しろ一歩間違えたら濁流の大井川に呑み込まれてしまうのだからさすがの賢パパも思わず足がすくんでしまった。
後日聞いた話ではこの場所で足を滑らせて濁流に落ちて行方不明になった方がいたらしい。
難所を何とかクリアーしてさらに進むと一難去ってまた一難でとんでもない事態が待ちかまえていた。
何と大井川にかかっていたはずの立派なコンクリートの「畑薙橋」が跡形もなく流されていたのである。
途方に暮れる我々だったが後から到着した栃木県のパーティが右岸を高巻くルートを辿るというので同行させてもらう事にして後に続く。
散々苦労した末夜の8時を回った頃にやっと畑薙ダムに到着しその夜はダムサイトでビバークしたが夜中に再び激しい雨となりバス停のベンチに避難。
翌日は雨の中を井川の駅まで歩き通した。
駅には臨時避難センターが開設されていてそこに登録して会社には無事である事を知らせる事が出来た。
大井川鉄道は不通になっていたためその日は井川の民宿に泊まり翌日鉄道が一部区間のバス振り替えによって復旧した事でやっと静岡に帰り着く事が出来た。
我々が帰宅したのと時を同じくして「災害救助法」の適用によってさわら島に足止めされていた人たちがヘリコプターで静岡に帰ってきたのは皮肉な事であった。

写真はさった峠からの駿河湾と富士山です。
本文とは関係ありません
2007年05月18日 by 賢パパ | 山の想い出 | コメントを書く | No Trackbacks |

山の事

「賢パパの登山ブログ」と言うタイトルが付いているのであるから山の事を書いておかなくてはならない。
初めて本格的な山行をしたのは大学生の時で「自然に親しむ会」というサークルのメンバーに連れられて朝日連峰を縦走したのであった。
登山口からのきつい登りは今でもはっきりと思い出す事が出来るほどの苦しさだったが大自然の中の尾根歩きは素晴らしかった事も懐かしく思い出す事が出来る。
本格山行はこの時が初めてあったが山登りの原点はもっと遡って子供の頃にあるのかも知れない。
東北のとある城下町に産まれて育った賢パパは小さいときから山や野原を駆け回る少年であった。
そして小学校5年生か6年生の時に「關山(せきさん)」と言う600mちょっとの町のシンボル的な山に登り頂上からの景色が下界からでは絶対に見る事の出来ない素晴らしさである事を知り山の良さに気がついたのである。
大学生の時は朝日連峰の他に蔵王山にも登った事がある。
大学の寮が蔵王の麓にあって割合簡単に登る事が出来たのであるがその時も同級生の友達に連れて行ってもらったせいか日帰りだったのか一泊したのか記憶が定かでない。
卒業して今の会社に就職し、2年目に静岡に転勤となってから南アルプスに近いという地の利を生かしてたびたび出かけるようになった。
その後結婚→子育てという家庭中心の時期があってしばらく山から離れた生活を送っていたが数年前に知り合いが富士山に登って来た話を聞いて山登りを再開してみる気になって昔の道具を引っ張り出した次第である。
富士山は快晴の好コンディションで東は江ノ島から西は静岡の見慣れた山々まで完璧な眺望でありこれで山登りの快感が呼び覚まされその後しばらくは単独日帰り登山に励んでいた。
2年前に賢ママを誘って富士山に登りこの時も快晴の快適登山を味わった賢ママがすっかり山にはまったためそれからは夫婦登山を楽しむようになった。
こんな賢パパの登山人生であるが一度遭難しそうになった経験がある。
その話は次回に譲る事にする。

写真はダイヤモンド富士です。
本文とは関係ありません。

2007年05月16日 by 賢パパ | 山の想い出 | 1 コメント | No Trackbacks |