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プロフィール

  • ID: 1187
  • ハンドルネーム: 木偶野呂馬
  • 性別: 男
  • 年齢: 64
  • 住所: 長野県 松本市
  • 所属クラブ:
  • 登録日: 2007年06月22日
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私の山行記録 新着

2008年06月28日
焼山 [ 2400.30m 妙高山・戸隠山周辺(新潟県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年03月09日
天狗岳 [ 2645.80m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年02月17日
聖山 [ 1447.15m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)

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猛暑を避ける


 8月4日
 午後になるとこの夏一番かと思われるほどの暑さになったが、五十谷三島には陽射しを遮るものは何も無い。あまりの暑さに耐えかねて背後の山側の立ち木の手前の草を刈り、木の枝を傘にして避難所をつくる。入り口だけを開けて周りの薮はそのままにしておいたので中はひんやりと涼しく心地よい。ただし蚊が多い。

 この日の暑さは尋常でなかったので、この後,元気の無い中2の女の子達を町場連れて行き、冷房の効いた買い物がてら涼をとらせる。Junさんが後を引き取って2人をドライブに連れて行ってくれることになる。
 一方,男の子達もしばらく浜を離れて涼しい所へ避難しようと言うことになリ、全員で東港に移動した後、島一周のドライブに出る。

 島の人達も早朝から昼頃まで働いた後は暑さを避けて涼しいところで過ごっし、『真夏の午後は動くべきでない』と仰る。まさにその通りだが、ドライブした山の中は涼しかったので案外そこに活動の場があるかもしれない。


 ギラギラの太陽がやや西に傾きかけた頃,浜に戻ると、Junさんから『貝染め』を教えたいので『イボニシを獲って来るよう』にと言う指令があり、Akkoさんを連れて磯の貝拾いに出かける。ちょうど潮が引いたばかりの好条件であったが、しかし2日の朝,あれほど沢山いたマツバガイやヨメガカサはまったく姿が見られず、他の貝類もあまりいなかった。イボニシもあまりいなかったが何とか10個ばかり拾って帰る。
2008年08月21日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

再掲・2005年,白馬大雪渓崩落事故・後


 自分は個人的にあまり大雪渓のコースを使うのが好きでないので、雪渓から登ることははじめから考えていないし、下るにしてもそれは、何らかの事情で変更を余儀なくされた場合しか考えられないが、『いざなったら大雪渓から・・・』と言う意識はいつも持っている。それは安全にエスケープできる,と言う位置づけである。
 そういう位置づけでこのコースを考えていた立場からすると、今回の崩落は頭をガツンとやられたような衝撃だった。
  10年無事故だろうと100年無事故であろうと起きる時には起きる,と言うことで、それを肝に銘じなければならないと言うことだ。

 かつて佐伯冒険クラブの第1回アルプス冒険学校の際,ねぶかっぴらから見上げる杓子岳の岩壁の先端がガスの合間から垣間見える様を『天空の城ラピュタ』に例えた子どもがいた。かれこれ20年も前の話しである。
 確かに素晴らしい景観ではあるが、考えてみればそら恐ろしい場所でもある。十数年間大崩落なしと言う事実が安全神話をうみ、ついつい警戒を怠ってしまいがちだが、あれほどの岩壁がほとんど垂直にそそり立つその足元にいて、恐さを感じないと言うのは決してほめられた事ではないんだと思った。
 
 斜面があってそこに雪があれば『いつでも,どこでも雪崩は起こりうる』と考えなければならないと、厳しく教えられたが、雪山だけでなく、斜面があればいつでもどこでも,落石,土砂崩落はありうると言うことを改めて頭と体にたたき込まなければならない。
 これまで無事故であったと言うことが、今後の無事故を保証するものではない。にも拘らず無事故であることが気の緩みを生み、安全への万全の備えを怠ると言うことは大いにありうる。安全幻想の落とし穴だ。
 今回の崩落事故を、自分の中にいつの間にか芽生えていた安全神話を打ち砕く警鐘としなければならないと思う。
 (写真は大雪渓,ねぶかっぴら付近で列をなして待機する登山者。ほとんど動いていない,8月1日)
  
2008年08月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

再掲・2005年,白馬大雪渓崩落事故・前


 8月11日午前7時半頃,白馬大雪渓で大きな崩落事故が起きた。崩落が起きた場所は『葱平(ねぶかっぴら)』と呼ばれる、杓子岳に向かう登山道との分岐点付近。1人が亡くなり、1人は行方不明,1人が怪我と言うことで行方不明者の捜索が続けられているが、もう1人登山者がいたと言う情報もある。
 白馬大雪渓は、小規模な落石はあるもののここ十数年,大規模な崩落は起きておらず、地元遭対協の人たちでさえ予想していなかったということだった。
 
 実はこれは他人事ではなかった!
 今夏の冒険学校は、当初8月9日〜12日と設定していたものを、佐伯FHCとの交流企画となったために7月31日〜8月2日に変更したのだった。
 もし、はじめの通りの計画であれば、9日,栂池〜大池、10日,大池〜白馬岳,11日白馬岳〜天狗山荘・・・,と言う日程になり、大雪渓から猿倉へ下るコースは11日のエスケープルートとして位置づけていた。
 もし当初の予定通りに計画が進行していれば、私達は10日の夜を白馬岳のキャンプ場で過ごし、何事もなければ左下に大雪渓のコースを見ながらのんきに杓子岳への稜線を歩いていたはずだ。そして事故を目撃していたかもしれない。
 もし、10日までの行程でトラブルが発生していたら、11日にはこの大雪渓コースから下山していたはずだ。
 崩落が起きたのが7時半と比較的早かったので、あるいはまだ行動していないか、始めた直後くらいかと思うが、いずれにしても何らかの形で崩落事故に遭遇していたことは間違いない。(続く)

2008年08月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

チクサク チクサク エイ エイ エイ!


  Okkunが動きが締まらないのでミーティングをして『活を入れたい』と言い、島に来て初めて話し合いをした。確かに島でのキャンプが始まって以来、それぞれがてんでバラバラに動いてそれなりに楽しんではいるが、皆が何かを決めて行動すると言うことも無ければ、スタッフに指導を求めるでもなく、ただ食事の準備をして食べて海に使ったり休んだり^と、何となく時間が過ぎている。特に2人の中学生たちの元気が無く、日陰で休みがちなのが気になった。
 Okkunは体育会系ではないが、それでも多少気合を入れて『話しかけられたら返事をしよう』とか、『やるのかやらないのか、意志をハッキリ示そう』などと言い、活発な動きと共同的な行動を促す。

 私は前日来,広島組の方につきっきりで子ども達と一緒に行動でき無かった点を自己批判し、子ども達の顔にやる気が漲ってきたのを見て景気づけのチクサクコールを提案。子ども達もこれに応えて腹の底から声を出し雄たけびを上げて自分達を鼓舞する。

   
 この後,磯での貝拾いを提案し、4人の男の子達と共に磯に向かったが、前夜あれほど大量に獲れた貝類が全然見つからず、貝拾いをやめて岩登りに切り替える。
 場所はてっぺんに祠のあるこの岩場。Okkunが立っている所から向こうの水際までの斜面を降りて岩場を左に廻り階段まで戻ると言う設定で、核心部は80度(角)の絶壁を水際まで降りる所と滑りやすい斜面のトラバース。
 『恐ければ無理にやらなくていいんだよ』と始めに言ってあるので途中で止める訳には行かず、三点支持を叩き込むために時には怒声をもらって泣き出す場面もあったが何とか乗り越え、少しだけではあるが全員に岩場での歩き方を学んでもらった。
 できれば着衣泳などもやりたかったが手が足りない。


 目当ての貝類が手に入らず、朝まづめの時間帯も過ぎていたので釣りは別の機会に譲ることにして一旦浜に帰る。この後,カヌーを組み立てたが子ども達は余り興味を示さなかった。
2008年08月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

新しい仲間,加わる


 昼前に原発反対の立場で島に移住して活動しているM氏から原発・原爆の話しを聞く。M氏は上関に原発が出来た場合の島の生活への影響について懸念される事柄を分かりやすく話してくれたが、子ども達に伝わったかどうか・・。
 私自身は原発には反対の立場であるが、それを子ども達に注入する気は無い。ただ、反対の立場の人が島にいて、その活動をしている人がその話しをしたいという現実の動きがあることと、その主張は知らせるべきだと思うので受け入れた。
 推進を支持する立場の人から話したいと言う申し出があればそれも聞かせたかった。その方が問題点が鮮明になり、子ども達も興味を持ったと思うのだが・・,


 Ogata,Fujii,Akiの3人が乗った午後便の船から『100人を越える子ども達の大集団が出航を待っている』と言うメールが入った。これはラボと言う組織のキャンプの集団で、総勢150名が5日から五十谷三島に来ると言うことが予め分かっていたのでその旨を返信する。
 その船が新たに加わるYukiを運んで来るのでそれを迎えに行くべく16:00過ぎに東港に向かって車を走らせていると、まだ東港に着かない時刻なのに『今船を降りた』と言う連絡が入った。『えッ!』と驚くOkkunと思わず顔を見合わせる。 
 『お前さん,今どこにいるんだよッ?』とOkkun。やったネ,大集団に釣られて西港で降りちゃったんだ・・。
 しかたない,西港まで迎えに行こうとした時にYukiから電話。『島の人が乗せてってくれるって、今そっちへ向かってます』と。
 そんなハプニングがあり、ここでも島の人に助けられて新しい仲間が加わった。

 忙しい1日だったが、午前中は朝の便で来る岳君と軽トラを提供して下さったM氏が原発と原爆の話しをして下さると言うのを迎えに行き、午後はこの日帰る広島の3人を波止場まで送ったり、Aki・Tomo父母さん達の手伝いをしたり・・と、子ども達に関われず終いの忙しさで、子ども達と疎遠な1日だった面は否めず、課題を残した。 

2008年08月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

獲ったぞ! 海の幸

 タコをゲット/Junnさんの獲物
 一通り潜水講習を終えた子ども達は思い思いに潜って海底を観察したり獲物を探したり・・。しばらく後にはNaotoが小さいながらタコを突いてきて皆を驚かせた。
 Junnさんも沖合いに出てカサゴやウニ,サザエなどを確保し、私達に届けてくれた。


 午後からは子ども達に岳君も加わってウニ,サザエ,ベラや巻貝などの獲物を確保。食べられるものもあれば得体の知れないものもある。
 赤いウニは身が詰まっているが、黒い奴は食べられる部分が殆どない。ブンブクとか真っ黒クロスケ(スカシパンか?)みたいなウニだかクラゲだか分からないようなものまで上がってきた。
 まあ食べられれば何でもいいし、食べられないことが分かればそれも勉強だ。



 お昼過ぎにはタコ壺漁から帰ったKojiさんが取れたばかりのタコを届けてくれた。さっそく火を起こして網焼き&天ぷらに・・。
 



 一方,こちらは朝採ったマツバガイ,ヨメガカサ等の磯の貝の汁。Nonちゃんが気に入ってしっかり食べてくれた。
 Aki・Tomo父さんがクサフグをいっぱい釣ってきてくれて捌くのが忙しかったが全部頂き!
 

 夜はカサゴの煮付けとアラ汁(ツルナ入り),アジの塩焼き,タコ飯,サザエのつぼ焼き,ルッコラ・・,海の幸いっぱいの豪華な晩餐。

 
2008年08月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

クサフグを捌く



 昼間の釣りでは餌取り名人のクサフグに悩まされる。どこの釣り場でもクサフグは厄介者扱いで、海に返されること無く堤防の上に放置されて干からびているのをよく見かける。中には憎しみを込めてコンクリートに叩きつける人もいる。おとながやって見せるので真似する子どももいる。
 元より釣れたクサフグに罪があろう筈は無く、釣人の技術の結果釣れただけのことであるのにクサフグに当たるのは筋違いも甚だしい。食べないなら海に返すべきであろうしその前に釣るなと言いたいが、釣ってしまうのは自分も同様で、できるだけ丁重にハリを外してお引取り願うが、大き目のものは捌いて頂くことにしている。クサフグと言えどもフグはフグで美味なることこの上なく、しかも免許が無い以上他人に食させることはできないので堂々と全部1人で食べることが出来る。


 頭の後ろから包丁を入れて

 頭を引っ張り、皮と一緒に内臓を剥ぎ取る

 切り離された頭部・内臓と可食部分の身。

 フグは血液,卵巣,肝臓,皮に毒があるので、それらを全部取り除いて海に捨て、身についた血はよく洗い落とす。
 頭の後からではなく首から切りを入れて後ろの皮1枚を残し、頭を引っ張って皮を剥ぐと内臓も一緒に取れるので、その方がいいかもしれない。


 三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。

 薄皮にも毒があるので剥ぎ取る。

 わずかな血もついていない棒身
 三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。うまく処理すれば骨の中の骨髄も食べられるらしい。中には肝の血を洗い落として食べるという人もいるが、そこまで危険を冒すべきでなく、筋肉の部分だけを食べることにして、他は一切捨てることが肝要。調理道具についた血をしっかり洗い、また調理場に落ちた血もよく洗い流して地上には不食部分を一切残さないこと。

 ここまできれいに処理すれば安全だが、クサフグは筋肉にも毒があるとする記述もあり、また漁師さんの中には季節によっては食べない方がいいと言う人もいる。
 Takaharuさんは『命がけで食べるほどのものではない』と言い、他にいくらでも美味しい魚はあると仰る。数多くの種類の魚を相手にしている漁師さんの言葉だけに説得力がある。
 確かに『フグ』,『フグ』と目の色を変えるほどのものではないかも知れない。大きいものならともかく、小さいのを捌くのは面倒すぎる。
2008年08月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

水源の町・みなかみ

 下山後は水源の町,みなかみを最も象徴するもの,首都圏の水瓶として利根川源流に満々と水を湛える巨大ダムに2人を案内することにした。
 みなかみ町藤原はダムまたダムの町である。14年前に何度も通った藤原湖の右岸の道を走り、宝台樹スキー場のある藤原の里からさらに遡って洞元湖(須田貝ダム)へ。突き当たって楢俣ダムのロックフィル式の大ダム堤を見上げた後、湯の小屋を経て楢俣ダムの堰堤上にある展望台に寄る。

 葉留日野山荘はその楢俣ダムのすぐ下にある。一帯を湯の小屋と言い、水上からのバスの終点になっている。道はさらに上州武尊山と至仏山の間を東進し、坤六峠を経て鳩待峠・戸倉に至る。湯の小屋は尾瀬の裏玄関でもあるのだ。
 葉留日野山荘はまた、藤原と片品の間に位置する片藤沼から笠ヶ岳,悪沢の頭を経て至仏山に至る長大な湯の小屋ルートの出発点(下降点)でもあり、私はかつて2度このルートから下山したことがある。
 その葉留日野山荘に寄って山荘の主人でアルペンガイド『白馬岳』の著者である著名な登山家の高橋伸行氏に挨拶した後、洞元湖からさらに最奥の八木沢ダム(奥利根ダム)に向かう。

 八木沢ダムは利根川源流の最深部に位置するダムで、その水源の最初の一滴は大水上山に発する。巨大なダムは多くのファンを有し、モーターボートやカヌーを牽引した車が並び、大勢のキャンパーがテントを張っている。その多くはダムで大イワナやマスを狙って船で釣ったりトロールする人達や、源流部のシッケイガマワシとかオイックイと呼ぶ難所に挑む探検者達である。
 自分もかつては大イワナが手掴み出来る等という話しに乗せられて源流部の探検を目指し、ダム左岸を延々と半日歩いてバックウォーターにまで到達したことがあるが、その時はビバークの用意も時間も無くすぐに引き返しただけに終っていて、源流遡行は未だ果たせずにいる。
 水源をめざす冒険者達にとって憧れの源流であることに変わりはなく、カヌーでまっすぐダム尻に入れば遡行は可能であろうと、今もその機会を狙っている。
 
 この後、一度上がった雨が再び激しく降り始める中をみなかみから三国峠に移動。平標登山口で夜を過ごして翌朝晴れていれば登ろうと言う考えだったが、天候回復の兆しも見られず、平標山〜三国峠トレッキングは別の機会に譲ることにしてこのまま帰ろうということになり、塩沢からR353,十二峠越えで十日町へ,十日町からR117で飯山ICまで走って上信越道・長野道経由でその夜のうちに帰ることとなる。
 今は平標山〜三国峠のみを歩くより、三国峠〜平標山〜谷川岳〜茂倉岳〜朝日岳を大縦走したい気持ちが強い。
2008年08月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ピンポイントだった!

下山した途端に雨が降り始め、やがて激しい雷雨となったことを考えると、ピンポイントで狙いすましたような登山だったと言える。山容全体を仰ぎ見たり、頂上からの展望を楽しむことは出来なかったが、一時はガスが晴れて双耳峰であるそれぞれのピークを相手側から望み、あるいは眼下に広がる緑いっぱいの山肌を見ることも出来て,手探りながら谷川岳の一端に触れ、この山域への足がかりを得ることが出来たと言える。今後,この方面に進出したいと思う。

 それにしてもかなりの数の観光客,登山者が山上に取り残されたであろうことが気になった。山に登ることは出来ても下りで苦労する登山者が増えている現状を考えると、避難小屋から上の鎖場の急登部分を雨に追われて下るのは非常に危険であり、ぬれた蛇紋岩の岩場の下りに備えての鎖・ロープの設置もやむを得ないものと思えるが、それ以前に、どこかの時点,どこかの場所でそれ以上の前進に歯止めをかける必要があるのではないかと思う。
 地理的,地形的に見て気象の変化が大きく厳しい山であると思われる割には簡単に入れることが油断を生みやすい気がする。
 スキー客を対象として、ロープウエイからそのままリフトで天神山に誘うかのようなルート設定で、しかも天神平に登山コースの案内がないことには疑問を感じる。

 
2008年08月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

谷川岳・後


 
 1994年から約2年間,私は水上にいた。正確に言うと水上町藤原の葉留日野山荘と言う山荘に半年余り勤務していたが不当解雇に遭って解雇撤回の裁判を起こし、結審するまでの1年余りと併せて1年半を水上で過ごし、最後は沼田に転居した。
 谷川岳をはじめとする上越国境の山々は魅力に富んでいたが、その頃は山どころではない苦しい生活の連続だったので、どの山にも登らず終いだった。ただ一度,山荘勤務の一環として上州武尊岳の調査登山を命じられて登ったのがこの時期の唯一の登山だった。
 それから14年を経てようやく谷川岳に登る機会を得たのが今回の山行である。

 
 天狗の溜まり場を9:07に出る。相変わらず展望の利かない中を花を見ながらゆっくり登る。天狗の溜まり場ではトリカブトの花を見た。またこの辺りからツリガネニンジンの仲間の何とかシャジンやシモツケソウが沢山見られるようになり。さらに高度を上げて1800m付近ではフウロソウが現れる。ハクサンフウロのようであり、少し違うようでもあり、しかしグンナイフウロでもないようで、やっぱハクサンフウロと言うことにしよか・・,って勝手に決めるな!

 
 9:28,頂上に近い天神のザンゲ岩と言う大岩を通過。上方から元気のいい若者達の声が聞こえ、霧の中から木道を下って来る学生と思われる集団が現れる。最後尾のリーダーの『あと5分です』の声に前方を見上げると確かに頂上が近いと思わせる地形で、やがて右手に細くて高いケルンのようなものが現われ、左手に肩の小屋の赤い屋根が見えてくる。
 そこからさらに草原を5分ほど登って9:45,トマの耳に到達する。この時点で前方にオキの耳が見えており、安心して写真を後廻しにしたところ、10分後にはガスに覆われてそれっきり見えなくなってしまった。刻々と変化する気象条件下であれば見える時に撮っておくべきであった。

 何とかシジミ/何とかハハコ

 しっかり休んで10:02発,オキの耳へ。10:15着。そこでもゆっくり休んでトマの耳が現れるのを待つ。下の方は好く晴れて緑の草地が美しいが、トマの耳は見えそうでなかなか見えず諦めて戻る。
 10:40発,10分でトマの耳を通過し、同55,肩の小屋に寄る。きれいな小屋で売店があり、素泊まりは寝具なしで2000円とか・・。

 11:05下山開始。この頃になって山頂を目指す人が多くなる。雷予報が出ていたので『ちょっと遅すぎないかい・・』と老婆心が出る。(実際,この2時間後には雷雨となった。)
 11:30,天狗溜まり場下で休憩。振り返ると山頂下のケルンを頂点とする谷川岳南峰の屹立する姿が見え、ここに来て初めて谷川岳らしさを垣間見る。トマの耳の先端はそこからは見えないが、当初予定の下山コースである西黒尾根の道も好く見えた。上部が見えたのはこの時のほんの一瞬で、再び山頂がガスに覆われたのを潮に立ち上がる。
 11:45発。滑りやすい鎖場を一気に下って12:05,避難小屋でまた5分休む。天神山から来たと思われる軽装の5人家族が着いて、上に行くかどうかを相談していたが、1年生くらいの末っ子がぐずっているのが気になり、天狗の岩までは無理ではないかと言い置いて下山する。この後の雷雨を考えるともっとハッキリ下山を勧めるべきだったと後悔する。

 ロープウエイで天神平まで来て、その勢いでリフトに乗って天神山まで上がった人が避難小屋まで来るとしたらほんの30分しか歩いていないことになる。しかもその大半は下りである。そして本格的な登りはここから始まると言うことを考えれば、軽装の観光客が悪天に際して引き返すべき地点はここであり、だからこその避難小屋であるとするならば、この小屋には観光客に対する何らかの警告があってもいいのではないかと思う。
 12:40,天神平に着いた途端に雨が降り始め、散らばっていた観光客が一斉にロープウエイ駅に殺到する。12:55,下山。
2008年08月18日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |
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