氷川神社のあと次は埼京線と中央線を乗り継いで市ヶ谷へ。
市ヶ谷から靖国通りをのんびり歩いて靖国神社へ。
だいぶ足が疲れました。
靖国神社でも光りが写りこみました。
なんなんでしょ??
やっぱり何回行っても豪華で人もたくさんいます。
外人さんもいましたが・・・。
10月28日休みをもらいたまたま仕事で埼玉にいたので、武蔵國一ノ宮(
氷川神社)へ行ってきました。
大宮駅より徒歩で移動しましたが歩けない距離ではないですがちょっと足が疲れました。
神社に入ると地元の中学生等が写生してました。
一度来たことはありましたが時間で門が閉まっていて本殿まで行くことができませんでした。
写真に太陽の光なのか何か光りが写りこんでます。
これが本殿です。
ちなみにここのご祭神はスサノオ、クシナダヒメ、オオナムチ、スクナビコナです。
終わるギリギリに飛び込んで行きました。
ここの門をくぐる時に上を見上げると・・・・
ア・ウンの龍が書かれていました。
かっこよくて写真を撮っちゃいました。
もうここにはいまませんが謙信のお墓。
gacktも謙信公祭のときにお参りをしていました。
駐車場からここを登ります。
Gacktが来た時はここまでは車で来られなかったみたいです。
階段を登ると境内があらわれます。
春日山神社のこの文字。。。。
東郷平八郎が書いたものを石碑にしました。
さらに進むと境内。
それから春日山山頂(本丸)まで行き下山。
上杉謙信の像まで下りると終わりです。
来年の大河ドラマ「天地人」の直江兼継になってみました。
どこにも新潟中にのぼり旗で天地人がいっぱいあります。
ぺふ謙信。
新潟県の米山付近にある胞姫神社です。
よなひめじんじゃと読みますがふりがながないとわかりませんね。
専用駐車場はなく胞姫橋の横に止めて行きます。
どうやら源義経が奥州へ逃げるときに義経の愛人がここで子供を出産したという場所らしいです。
ちょっと奥まったところにあるので道路からは確認できずわかりづらいところです。
御神木。
ひときわ大きいです。
代受苦菩薩真如海上人は朝日村越中山に生まれ、 純真な性格の持主として育ち、幼少の頃より仏教の教えに心をひかれ 青年時代より仏門に帰依出家し、一生を捧げて弱肉強食の不平等社会を仏国 楽土たらしめ、衆生を救うことを誓願され、湯殿山大権現を信仰し、本寺大日坊を 拠点として各方面の教化につとめた。寺を建て慈悲を施して社会福祉につとめられたため、 徳望一世に高く、生き仏として多くの人々より尊ばれた。二十代より即身仏を志し、 木食の行に入り、天明三年九十六才で生身のまま土中に入定するまで七十余年の長い間 この難業苦業を積み重ね即身仏となられた。今日まで約二百年以上もなるが、 生きながら入定そのままの尊い姿である。即身仏とは、湯殿山行者の行う難業苦業の最たる 木食の行を積み重ね、生きながらにして土中に入定し三年三ヶ月後に弟子や信者の手により掘り出し、即身仏になった。
湯殿山総本寺 大日坊金剛院瀧水寺より
代受苦菩薩真如海上人
書籍 湯殿山と即身仏という本に出会い衝撃を受けました。
語られることのない湯殿山でどういった修行が行われていたのか。
出羽三山といったら羽黒山が修験のメインといったイメージ。
羽黒と湯殿は天台宗と真言宗とまったく違う宗派だったわけで羽黒は湯殿を配下に置きたかったと考えられてます。
そこで湯殿は即身仏を作り羽黒とは違うというのをしたかったという憶測があります。
彼らはなぜ土中入定し即仏となったのか?
即身仏となるための過程は以下。
湯殿山の仙人沢で山籠りを行う
↓
千日行という千日単位の厳しい修行を行う
↓
五穀断ち、十穀断ちの木食行を行う
↓
生きながらにして土中入定する
↓
土の中で鉦を打ち鳴らし読経しながら即身成仏する
↓
三年三ヶ月後に掘り出される
↓
衣を着せられ厨子に安置され、即身仏として祀られる
これはオカルトではなく、彼らの想いはどうかわからないが生前、自己を捨てて民衆の悩みを救い、人の尊崇の念を一身に集め、木食行も行い、最後には衆生救済を祈願して入定したのではないか。
他に類を見ない即身仏に会いに行くかは自由ですが、興味深いです。
今回は出羽の古道に続いて戸隠古道。
戸隠神社奥社に通ずる道です。
駐車場は道沿いですぐに歩き始められます。
この門がだいたい半分くらいになります。
全行程で片道約2kmとなります。
ここから杉並木となり出羽と雰囲気が似てきます。
ただこちらはなだらかな道でほとんど平。
最後に上がる感じです。
九頭竜神社。
戸隠神社、5個ある中の一つがこの九頭竜神社。
奥社の隣にあります。
戸隠神社奥社。
この前出羽三山に行った時にこのような本を買い読みました。
これはみなさんの山に登るという行為にも通ずることだと思います。
みなさんは何故山に登りますか?
趣味、レジャー。色々と答えはあると思います。
修験道というとよく意味がわかりません。
この本に書いてある文を使わせてもらうと、修験道は役行者が開祖。
そしてこの修験道を実践する人を修験者=山伏。
自然と人間が共生している世界が、修験道や山伏の世界と書いてある。
実際どういうことかというと、私たちの先祖は山は聖なる場所としてきて山には神や祖霊が集まるとされてきました。日本人の文化として先祖を敬い大事にするということから山に登り逢いに行っていたのかと思います。
逆にキリスト教は山が嫌いだったのではないか?
山には悪魔や魔女が住むとされ神などはいない。「ヘンゼルとグレーテル」でも森に魔女が住んでいます。
ギリシャ神はでもたくさんの神様はいましたが、キリスト教では神はキリストのみです。ということから日本の山に対する考え方からはほど遠いわけです。このことから日本のような修験道という文化は生まれなかったのは納得できます。
この文化は日本独自ですから素晴らしいことです。
現在、このことを意識的に実践しているのは昨今世界遺産に登録された熊野地域、出羽三山、御嶽山、英彦山等々ありますがすべての山に修験道はあります。
メッカとされる山以外にも役行者達はたくさんの山を開山させました。今日、気軽に登山できるのも彼らの勇気ある修行のおかげです。当時は登山道もないところを突き進んだわけですから・・・。
いつも遠くからこの赤い鳥居が気になってました。
なのでせっかく前を通ったので行ってみることに。。。
鬱蒼とした林の中には・・・。
ちゃんとした神社がありました。
天皇関係を祀っている様子。
新潟県胎内市。。。あそこは胎内なのか??
まあ、蔵王集落の一番高いところから見守ってくれている神社。
まず始めに鳥居が見えるんですぐにわかります。
ここは高坪山に登るためにこの脇の砂利道を進んで行かなければなりません。
金峰神社ということは金山彦大神さんらしいです。
なんでお金に関する神さまです。