今年も隊長共々 ぺんぎん隊をよろしくお願い申し上げます。
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迎春
今年のぺんぎん隊活動報告
2008年ももう少しでおしまいですね。
そこで今年一年のぺんぎん隊を振り返ってみました。
2008年も例年通り1月1日男抱山(おただきやま)の初日の出を拝む事から始まりました。
山頂に着く手前で周囲は明るくなります。でも、それからが長いご来光までの時間なんですねぇ。一日の気温で一番下がるのが日の出直前のこの時間帯です。
「う〜さぶ!」とか言ってる間に東の空がオレンジ色に染まっていよいよ2008年を迎えました。さあ今年はどんな一年になったのでしょうねぇ・・・。
雪山はやらないぺんぎん隊も一年を通して低山のハイキングはやっています。今年も1月から頑張りました。
1月20日標高1000mを巡る隊長との壮絶な行き先争いの結果、私が勝ち取った標高1168mの熊鷹山に今期本格的初登山。これには友人の酒田さんも道案内として参加してくれました。
渓流沿いの登山道を歩くコースは釣り屋向きでとても楽しい歩きでした。凍りついた飛沫を写真に撮ったりしながらの登山でした。山頂に登れば高い櫓の上から県北の山々が一望出来る素晴らしい展望にシャッターを切りまくりととても良い山歩きが出来ました。
月が変わり2月、一年で一番寒さが厳しい月です。
当然ぺんぎん隊の力量では県北の雪深い山々には行ける筈も無く、かと言って休日を家で過ごすのも嫌いなぺんぎん隊ですから何かと考えを巡らせて行き先を見つけて来きました。
2月2日、宇都宮市郊外にある古賀志山に南登山口から登りました。古賀志山へは宇都宮市から一番近い北登山口から登るのが常でしたが、実はこの南登山口の方が一般的には知られています。ですから何かの折に古賀志山の話が出ても大体がこの登山口から登った話になりぺんぎん隊は話に加わる事無く寂しいばかり。「それでは!」とこの機会に南登山口から登ってみようという事でした。古賀志山山頂よりも御岳山山頂の方が眺めが良いこともこの時初めて知りました。この古賀志山にはもう一つ「中尾根コース」というものがぺんぎん隊には未経験で残っていますので是非歩いてみようと思っています。

2月17日この日は一風毛色が変わった遊びをした日でした。スノーシューという物を初めて履いて雪原を歩き回って来ました。
スノーシューというのは西洋カンジキの事です。「山の駅たかはら」でレンタルスノーシューを借りてハイキングツアーに参加しました。スノーシューを履くのも初めてならハイキングツアーに参加するのも初めてのぺんぎん隊です。大勢の人たちが長い列を作って雪原を歩くのですが、これもまた楽しいものでした。あまり大勢は苦手なぺんぎん隊なのですが、まあスノーシュー初体験では仕方無く、「郷に入れば郷に従え」の格言のまま団体の一員として一日を楽しんで来ました。
しかしスノーシューという物はかなりの優れモノでした。スキーやスノボーには抵抗がありましたが、スノーシューなら気軽に取っ付けそうな感触です。来年は是非回数を増やしてぺんぎん隊の新しい冬の遊びにしてみたいと思っています。
3月、今年の3月は特別でした。
ぺんぎん隊の次期隊長候補が生まれたのです。そしてそれと同時に副隊長はおじいちゃんになりました。そんなこんなで街で忙しい日々を送っていたぺんぎん隊でしたから山行は1回のみでした。
花粉が飛び交う季節でもあり私も一人前に花粉症で悩んでいます。外で遊ぶ事が大好きな人間には一番辛い季節です。しかしこの花粉症なのですが、ここ数年の経験で街に居る時より山に居る時の方が症状が軽い事に気が付きました。「虎穴に入らずんば・・・」と言うやつでしょうか・・・(笑)。
3月9日、足利市郊外の行道山から両崖山を経て市内の織姫神社に下って来るハイキングコースを歩きました。登下山口が違うこのコースではマイカーを使わずに電車で行く事に決めましたが、この時は足利市在住の酒田さんに車で足利駅から行道山登山口まで送って戴き大変お世話になりました。お陰様で身軽になった我々は両山のハイキングに加えて足利学校まで見学して帰って来ることが出来ました。
4月も県南の山を歩きました。4月5日に赤雪山、4月20日に石尊山・深高山と隣り合う山々を歩き「この間登った山だぞ〜!」などと山頂で双眼鏡を覗きこんでおりました。この時は赤雪山山頂でお目に掛った方から「シハイスミレ」という花を教えて戴き一つ利口になって帰って来たぺんぎん隊でした。
さあ、いよいよ5月。
5月ともなればあちらこちらで渓流釣りが解禁されて2ヶ月が経っています。私たち山岳渓流の釣り屋もそろそろ動き始める季節となりました。しかしこの5月という月は意外と地域の行事が多い月でもあります。球技大会・体育祭などが予定され、ただ出ればいいという立場ではなく企画から準備までに携わる身としてはまだまだ釣り竿を持って出掛ける訳には行きません。とは言えこの後いきなりザックを担いでの源流詣ででは身体が着いて来てくれませんから徐々にトレーニングが始まります。

5月17日、栃木県では二番目に標高が高い日光男体山に登りました。トレーニングとは言っても登りたいから登るのですから一石二鳥です。残雪に苦労した登山でしたが、やはり登り詰めて頂上に立った時の達成感は良いものです。宇都宮市から眺める日光男体山にもより親しみが湧いて来ました。そうそう、私が最近読んだ山を扱うコミックにこんな一節がありました。「頂上まで登った山は遠くで見るとズッと綺麗になる。」確かに男体山はそんな山です。
最近気が付いた事ですが、と言うよりこの男体山登山の前後から現在までの長い期間で気が付いた事がありました。「男体山は宇都宮から何時でも見える」こう思っていた私でしたが、それは冬に限定されていました。春から初秋にかけて、見えない日の方が多いのです。これ、男体山登山に向けて時期と天候を気にして毎日眺めていたので間違いはありませんよ。(笑)
さあ6月、いよいよ山岳渓流釣りの幕開けです。
6月7日〜8日で新潟県女川へ今期初釣行に行きました。テン場に向かう長い山道歩きも本格的な登山をやり始めたお陰で精神的に強くなった事を実感出来た釣行でした。体力的には成長はありませんが・・・(笑)。
久々に集う渓の仲間たちも全員の顔が揃い、元気にそして楽しく二日間を過ごしていました。苦い思い出が残る女川の歴史をこの釣行が綺麗さっぱり洗い流してくれて、また新たに女川への思いが募る私です。
6月14日には会津只見の浅草岳を歩きました。「登りました!」と書かないのは避難小屋手前で残雪に阻まれて山頂を踏めなかったからですが、それでも存分に楽しめた一日でした。更に麓の只見キャンプ場で古い渓仲間が集まりました。三瓶さん、小峰さんを始め原田さん、木村さん、千葉さん、高野さんと10年来の友人たちとの酒宴の一夜を息子と共に楽しむ事が出来ました。折しもこの14日は岩手・宮城内陸地震が起きた当日。岩手県北上市在住の千葉さんは自宅や親族の安否を気遣いながらの酒宴でしたが当人は震源地から遠く安全な福島県に居るわけで、それだけが不幸中の幸いと解釈されていました。
水温む7月、本格的な源流釣りへと動き始めました。
7月5日〜6日、山形県荒川へ息子佑次郎と原豊・勇輝親子、田辺哲と遊びました。昨年に続き荒川の吊り橋を渡った息子たちですが、ザックと渓流シューズがもうすっかり板に付き危な気無く歩いていて大人たちを驚かせました。テン場では午前中から宴会が始まりましたが子供たちは焚き火で自分の食べるイワナを焼き上げるなどして、ここでも逞しいところを見せてくれました。
7月21日〜22日新潟県早出川、これはとても思い出に残る渓あるきとなりました。と言うよりもその予感は行く前から感じていたと言っても良いでしょう。瀬畑雄三翁と中尾章男氏のランデブーこそ私の夢だったのですから・・・。もし仮にこの遡行記を私のあずかり知らぬまま雑誌の誌面で見ただけでも私は大変喜んだ事でしょう。それほどにこの二人の夢の競演を待ち望んでいた私ですが、何と幸運な事にその遡行現場に息子と一緒に同行させて戴いたのですから一生の思い出に残らない筈がありませんよね。息子なんかは気楽に「瀬畑のお爺ちゃん、元気だね・・」なんて申しておりますが、私は素直に頭が下がる思いでその後ろ姿を追い続けておりました。

8月盛夏になりました。隊長も夏休みに入り、私自身もお盆を挟んだ長期休暇が取れる季節なのですが釣りに関してはメジロアブの最盛期でもあり、あまり水際に近づきたくない季節でもあります。
8月13日、ここ数年お盆休暇の始めはチタケ採りを楽しんでいます。今年も隊長を引き連れて友人酒田さんと楽しい一日を送りました。今年は栃木県内でもチタケは豊作でしたが、それに伴い各地で滑落・転落事故が相次ぎました。私の知人である山里の人々も救助活に参加されたと聞き、登山も釣りも山菜やキノコ採りも趣味や遊びの範疇であるならば安全第一をいつも心掛け他人に迷惑をかけない様にしなければとあらためて考えさせられました。
8月14日〜15日、これも恒例になりつつある夏休み企画「ぺんぎん隊渓合宿」で高野さん親子、原くん親子と共に秩父入川に行きました。この合宿は真夏なので初めから釣りには期待をしていませんが、川で泳いだり・焚き火で食事を作ったり・テントを使わずに天幕の下で寝袋だけで寝たり・と日常生活では出来ない事を子供たちに体験させる事はもちろん、更にここが一番大切なのですが大人たちも一緒に遊び楽しむ事を目的に集まっています。まあ、子供たちは二の次といった面がかなりある事は各父親共に認めるところです。(笑)

9月、山岳渓流釣りも残り1ヶ月となりました。一年の計画を立てる上で一番悩むのがこの月です。カレンダー上に連休が二つもあるのですから2泊の大型遠征を考えるには持って来いです。それに加えて山からの恵みにも期待出来るとなれば候補地が目白押しとなるのも仕方ありません。私の場合は二つあるどちらかの連休に年間の第一希望の渓を組み、もう一つは予備として仲間たちに合わせたり隊長との釣行に充てたりする事にしています。
9月13日〜15日、富山県弥太蔵谷に入りました。原くんと八木さんが同行です。この渓流は本来初夏に入ると良い釣りが楽しめるのですが、前記の様に二泊しなければ楽しめないところに持って来て富山県という栃木からは遠方の渓ですから予定を立てる時点で「時期は9月。」と限られてしまいました。釣りの適期では無いにしろ弥太蔵谷は十分に満足出来た遡行でした。一日中水に触れながら渓を歩き、テン場ではわずかばかりの岩魚を肴に思う存分酒を飲む。こんな遊びが良いのです。
9月20日〜21日、山形県小沢にて今年の渓遡行は終了しました。渓納に相応しいゲストを迎えて親子共々楽しい二日間を過ごさせて戴きました。この日もそうでしたが思い返すと今年の渓のテン場は全て豪勢な焚き火が出来ました。焚き火が出来たと言う事は申し分の無い天気に恵まれたと言う事でもあります。遊びに占める天候の良し悪しはその遊びそのものの印象まで変えてしまいかねないですから、今年の巡り合わせは最高だったと言えるでしょう。
10月、渓流釣りも禁漁を迎えてぺんぎん隊は山に戻って来ました。しかし6月の中途半端な浅草岳登山以来釣り三昧だったぺんぎん隊ですから、またもや足慣らしから始めなければなりませんでした。

10月4日、茶臼岳・朝日岳に登って来ました。往復ロープウエイでした。(笑)それでも紅葉の季節でしたから良い景色を眺めて来る事が出来ました。次回は是非とも三本槍岳まで足を伸ばしたいと思います。
10月19日、日光白根山。とうとうぺんぎん隊も栃木県最高峰の山を制覇しました。苦節8年、隊長を騙し騙しの道のりは長かったなぁ・・・(笑)ぺんぎん隊は山の標高には拘らないのが本分なのですが、やっぱり高い山を制覇すれば嬉しいです。イワナ釣りにも拘らないけれど釣れれば嬉しいのと同じレベルですかね。この登山には釣り仲間も参加してくれて思いを共有出来る仲間たちが徐々に増えて行く事がとても嬉しく感じました。
11月、さて季節は冬に向かいます。
ぺんぎん隊の登山は今のところ無雪期だけに止まっています。安全対策もさることながら雪山はまた装備が全く違うものですから、それをするには金銭面で予算が追い着かないというところもあります。せいぜい雪原のスノーシューハイキングが良いところでしょう。(笑)
11月15日、会津只見の浅草岳をやっつけて来ました。この山、そう6月に残雪の為に山頂手前で引き返して来た山です。今年の雪が降る前にどうしても制覇しておかなければ来年の行動計画に執拗に絡んで来そうでしたので意を決して出掛けて来ました。いや〜長い長い、山頂までのアプローチは奥白根山以上です。下山は夕暮れすれすれセーフでした。これで思い残すこと無く来年は新たな山に向かう事が出来ます。
12月、いよいよ年の瀬です。ぺんぎん隊の活動も鈍くなる季節。まあ、遊んでばかりいては周囲はともかくも家族からの批判が出そうな慌ただしい師走の休日なのですが、何とか逃げ出して山へと向かいました。
12月21日、八溝山に登りました。八溝山は茨城県最高峰との事で百名山に名を連ねる筑波山と共に茨城を代表する山です。とは言え標高は1000mを少し超える程度で登山道も整備されていて気軽に登れる山でした。一等三角点が置かれた山頂には展望台があり、そこからの眺めは360°でした。この日は天気が良過ぎて逆に水蒸気が発生してしまい遠くが霞んでしまう状態でしたが、それでも日光連山、那須連山、磐梯山や阿武隈連峰など一年の最後を飾るにふさわしい展望を楽しんで来ました。
今年の山あるきもこれでおしまいです。八溝山の登山道を来年の事を話しながら歩きました。中学生になる隊長は勉強はもとより部活動も悩みの種。山渓にも行きたいし、部活もやりたいと言っています。まあ本人の好きなようにする事が一番です。
さて一年を通しての感想ですが、今年は山渓共に良い散歩が出来たと思います。行き先もそうなのですが一番な事は、やはり仲間たちでしょう。長年の付き合いともなると変わる様でいて、実際はあまり変わらない仲間たちとの交流は、出会った事の幸せをあらためて感じさせてくれます。近からず遠からずの間柄はお互いに仕事や家庭を持ち、そこで暮らす境遇には丁度良い距離感です。ひとたび事あれば自然とそこに集まれる仲間たちであることを再確認出来た一年でした。またそこに息子佑次郎が絡んで来るから面白い。佑次郎はぺんぎん隊の顔として私がいつも連れ歩いています。私の友人で佑次郎を知らない人は誰一人いません。逆に言えば佑次郎は私の山渓仲間をみんな知っています。父親の友人をみんな知っている息子って皆さんのご家庭にも居るでしょうか?そうそう居ないのでは・・・?(笑)私と息子との会話に私の友人たちの噂話が飛び交うことも度々あります。息子との共通の話題が父親の友人たちの話なんですから他所のお宅とは少々違う父と息子の関係でしょう。
私には山渓を共に歩く仲間たちの他にここのブログで交流を重ねている登山愛好のみなさんがいます。ゆくゆくは実際にお会いして山行を共にして・・・と考えている方々ですが、まだ源流行に心奪われている私はそこまで入り込めないでいるのが現状です。しかしみなさんの影響は目に見えて現われています。男体山や白根山登山がそれです。また浅草岳への再チャレンジもみなさんの影響無くしてはあり得なかったでしょう。嘗ては「山頂にイワナはいないよ!」とうそぶいていた私に登山というものの面白さ、楽しさを教えてくれているのがみなさんなのです。
山歩き、渓あるき、共通するのは自然を相手に遊ぶ事です。山も沢も釣りも同じ山懐に入り込み身体で感じる遊びなのです。会えば楽しく、そして助け合い、お互いに秩序と思いやりを持ってフィールドを分かち合い理解し合えたらとても良いと思います。
さて、2008年も終わりです。ぺんぎん隊の2009年はおそらくまた初日の出を拝む事から始まると思います。
いよいよ隊長も中学生になり「勉強にも力を入れないと・・・」と母親からは言われている様子です。母が「勉強しろ」と言うのなら父は「遊べ」と言うのがバランス的には良いのでしょうか・・・。(笑)
まあ2009年の目標は「山は高く、渓は険しく」という事でやりたいと思っております。
ここのブログは今回が年内最後の更新になると思います。
少し早いですが皆様良いお年をお迎えください。
そこで今年一年のぺんぎん隊を振り返ってみました。
2008年も例年通り1月1日男抱山(おただきやま)の初日の出を拝む事から始まりました。
山頂に着く手前で周囲は明るくなります。でも、それからが長いご来光までの時間なんですねぇ。一日の気温で一番下がるのが日の出直前のこの時間帯です。
「う〜さぶ!」とか言ってる間に東の空がオレンジ色に染まっていよいよ2008年を迎えました。さあ今年はどんな一年になったのでしょうねぇ・・・。
雪山はやらないぺんぎん隊も一年を通して低山のハイキングはやっています。今年も1月から頑張りました。
1月20日標高1000mを巡る隊長との壮絶な行き先争いの結果、私が勝ち取った標高1168mの熊鷹山に今期本格的初登山。これには友人の酒田さんも道案内として参加してくれました。
渓流沿いの登山道を歩くコースは釣り屋向きでとても楽しい歩きでした。凍りついた飛沫を写真に撮ったりしながらの登山でした。山頂に登れば高い櫓の上から県北の山々が一望出来る素晴らしい展望にシャッターを切りまくりととても良い山歩きが出来ました。
月が変わり2月、一年で一番寒さが厳しい月です。
当然ぺんぎん隊の力量では県北の雪深い山々には行ける筈も無く、かと言って休日を家で過ごすのも嫌いなぺんぎん隊ですから何かと考えを巡らせて行き先を見つけて来きました。
2月2日、宇都宮市郊外にある古賀志山に南登山口から登りました。古賀志山へは宇都宮市から一番近い北登山口から登るのが常でしたが、実はこの南登山口の方が一般的には知られています。ですから何かの折に古賀志山の話が出ても大体がこの登山口から登った話になりぺんぎん隊は話に加わる事無く寂しいばかり。「それでは!」とこの機会に南登山口から登ってみようという事でした。古賀志山山頂よりも御岳山山頂の方が眺めが良いこともこの時初めて知りました。この古賀志山にはもう一つ「中尾根コース」というものがぺんぎん隊には未経験で残っていますので是非歩いてみようと思っています。
2月17日この日は一風毛色が変わった遊びをした日でした。スノーシューという物を初めて履いて雪原を歩き回って来ました。
スノーシューというのは西洋カンジキの事です。「山の駅たかはら」でレンタルスノーシューを借りてハイキングツアーに参加しました。スノーシューを履くのも初めてならハイキングツアーに参加するのも初めてのぺんぎん隊です。大勢の人たちが長い列を作って雪原を歩くのですが、これもまた楽しいものでした。あまり大勢は苦手なぺんぎん隊なのですが、まあスノーシュー初体験では仕方無く、「郷に入れば郷に従え」の格言のまま団体の一員として一日を楽しんで来ました。
しかしスノーシューという物はかなりの優れモノでした。スキーやスノボーには抵抗がありましたが、スノーシューなら気軽に取っ付けそうな感触です。来年は是非回数を増やしてぺんぎん隊の新しい冬の遊びにしてみたいと思っています。
3月、今年の3月は特別でした。
ぺんぎん隊の次期隊長候補が生まれたのです。そしてそれと同時に副隊長はおじいちゃんになりました。そんなこんなで街で忙しい日々を送っていたぺんぎん隊でしたから山行は1回のみでした。
花粉が飛び交う季節でもあり私も一人前に花粉症で悩んでいます。外で遊ぶ事が大好きな人間には一番辛い季節です。しかしこの花粉症なのですが、ここ数年の経験で街に居る時より山に居る時の方が症状が軽い事に気が付きました。「虎穴に入らずんば・・・」と言うやつでしょうか・・・(笑)。
3月9日、足利市郊外の行道山から両崖山を経て市内の織姫神社に下って来るハイキングコースを歩きました。登下山口が違うこのコースではマイカーを使わずに電車で行く事に決めましたが、この時は足利市在住の酒田さんに車で足利駅から行道山登山口まで送って戴き大変お世話になりました。お陰様で身軽になった我々は両山のハイキングに加えて足利学校まで見学して帰って来ることが出来ました。
4月も県南の山を歩きました。4月5日に赤雪山、4月20日に石尊山・深高山と隣り合う山々を歩き「この間登った山だぞ〜!」などと山頂で双眼鏡を覗きこんでおりました。この時は赤雪山山頂でお目に掛った方から「シハイスミレ」という花を教えて戴き一つ利口になって帰って来たぺんぎん隊でした。
さあ、いよいよ5月。
5月ともなればあちらこちらで渓流釣りが解禁されて2ヶ月が経っています。私たち山岳渓流の釣り屋もそろそろ動き始める季節となりました。しかしこの5月という月は意外と地域の行事が多い月でもあります。球技大会・体育祭などが予定され、ただ出ればいいという立場ではなく企画から準備までに携わる身としてはまだまだ釣り竿を持って出掛ける訳には行きません。とは言えこの後いきなりザックを担いでの源流詣ででは身体が着いて来てくれませんから徐々にトレーニングが始まります。
5月17日、栃木県では二番目に標高が高い日光男体山に登りました。トレーニングとは言っても登りたいから登るのですから一石二鳥です。残雪に苦労した登山でしたが、やはり登り詰めて頂上に立った時の達成感は良いものです。宇都宮市から眺める日光男体山にもより親しみが湧いて来ました。そうそう、私が最近読んだ山を扱うコミックにこんな一節がありました。「頂上まで登った山は遠くで見るとズッと綺麗になる。」確かに男体山はそんな山です。
最近気が付いた事ですが、と言うよりこの男体山登山の前後から現在までの長い期間で気が付いた事がありました。「男体山は宇都宮から何時でも見える」こう思っていた私でしたが、それは冬に限定されていました。春から初秋にかけて、見えない日の方が多いのです。これ、男体山登山に向けて時期と天候を気にして毎日眺めていたので間違いはありませんよ。(笑)
さあ6月、いよいよ山岳渓流釣りの幕開けです。
6月7日〜8日で新潟県女川へ今期初釣行に行きました。テン場に向かう長い山道歩きも本格的な登山をやり始めたお陰で精神的に強くなった事を実感出来た釣行でした。体力的には成長はありませんが・・・(笑)。
久々に集う渓の仲間たちも全員の顔が揃い、元気にそして楽しく二日間を過ごしていました。苦い思い出が残る女川の歴史をこの釣行が綺麗さっぱり洗い流してくれて、また新たに女川への思いが募る私です。
6月14日には会津只見の浅草岳を歩きました。「登りました!」と書かないのは避難小屋手前で残雪に阻まれて山頂を踏めなかったからですが、それでも存分に楽しめた一日でした。更に麓の只見キャンプ場で古い渓仲間が集まりました。三瓶さん、小峰さんを始め原田さん、木村さん、千葉さん、高野さんと10年来の友人たちとの酒宴の一夜を息子と共に楽しむ事が出来ました。折しもこの14日は岩手・宮城内陸地震が起きた当日。岩手県北上市在住の千葉さんは自宅や親族の安否を気遣いながらの酒宴でしたが当人は震源地から遠く安全な福島県に居るわけで、それだけが不幸中の幸いと解釈されていました。
水温む7月、本格的な源流釣りへと動き始めました。
7月5日〜6日、山形県荒川へ息子佑次郎と原豊・勇輝親子、田辺哲と遊びました。昨年に続き荒川の吊り橋を渡った息子たちですが、ザックと渓流シューズがもうすっかり板に付き危な気無く歩いていて大人たちを驚かせました。テン場では午前中から宴会が始まりましたが子供たちは焚き火で自分の食べるイワナを焼き上げるなどして、ここでも逞しいところを見せてくれました。
7月21日〜22日新潟県早出川、これはとても思い出に残る渓あるきとなりました。と言うよりもその予感は行く前から感じていたと言っても良いでしょう。瀬畑雄三翁と中尾章男氏のランデブーこそ私の夢だったのですから・・・。もし仮にこの遡行記を私のあずかり知らぬまま雑誌の誌面で見ただけでも私は大変喜んだ事でしょう。それほどにこの二人の夢の競演を待ち望んでいた私ですが、何と幸運な事にその遡行現場に息子と一緒に同行させて戴いたのですから一生の思い出に残らない筈がありませんよね。息子なんかは気楽に「瀬畑のお爺ちゃん、元気だね・・」なんて申しておりますが、私は素直に頭が下がる思いでその後ろ姿を追い続けておりました。
8月盛夏になりました。隊長も夏休みに入り、私自身もお盆を挟んだ長期休暇が取れる季節なのですが釣りに関してはメジロアブの最盛期でもあり、あまり水際に近づきたくない季節でもあります。
8月13日、ここ数年お盆休暇の始めはチタケ採りを楽しんでいます。今年も隊長を引き連れて友人酒田さんと楽しい一日を送りました。今年は栃木県内でもチタケは豊作でしたが、それに伴い各地で滑落・転落事故が相次ぎました。私の知人である山里の人々も救助活に参加されたと聞き、登山も釣りも山菜やキノコ採りも趣味や遊びの範疇であるならば安全第一をいつも心掛け他人に迷惑をかけない様にしなければとあらためて考えさせられました。
8月14日〜15日、これも恒例になりつつある夏休み企画「ぺんぎん隊渓合宿」で高野さん親子、原くん親子と共に秩父入川に行きました。この合宿は真夏なので初めから釣りには期待をしていませんが、川で泳いだり・焚き火で食事を作ったり・テントを使わずに天幕の下で寝袋だけで寝たり・と日常生活では出来ない事を子供たちに体験させる事はもちろん、更にここが一番大切なのですが大人たちも一緒に遊び楽しむ事を目的に集まっています。まあ、子供たちは二の次といった面がかなりある事は各父親共に認めるところです。(笑)
9月、山岳渓流釣りも残り1ヶ月となりました。一年の計画を立てる上で一番悩むのがこの月です。カレンダー上に連休が二つもあるのですから2泊の大型遠征を考えるには持って来いです。それに加えて山からの恵みにも期待出来るとなれば候補地が目白押しとなるのも仕方ありません。私の場合は二つあるどちらかの連休に年間の第一希望の渓を組み、もう一つは予備として仲間たちに合わせたり隊長との釣行に充てたりする事にしています。
9月13日〜15日、富山県弥太蔵谷に入りました。原くんと八木さんが同行です。この渓流は本来初夏に入ると良い釣りが楽しめるのですが、前記の様に二泊しなければ楽しめないところに持って来て富山県という栃木からは遠方の渓ですから予定を立てる時点で「時期は9月。」と限られてしまいました。釣りの適期では無いにしろ弥太蔵谷は十分に満足出来た遡行でした。一日中水に触れながら渓を歩き、テン場ではわずかばかりの岩魚を肴に思う存分酒を飲む。こんな遊びが良いのです。
9月20日〜21日、山形県小沢にて今年の渓遡行は終了しました。渓納に相応しいゲストを迎えて親子共々楽しい二日間を過ごさせて戴きました。この日もそうでしたが思い返すと今年の渓のテン場は全て豪勢な焚き火が出来ました。焚き火が出来たと言う事は申し分の無い天気に恵まれたと言う事でもあります。遊びに占める天候の良し悪しはその遊びそのものの印象まで変えてしまいかねないですから、今年の巡り合わせは最高だったと言えるでしょう。
10月、渓流釣りも禁漁を迎えてぺんぎん隊は山に戻って来ました。しかし6月の中途半端な浅草岳登山以来釣り三昧だったぺんぎん隊ですから、またもや足慣らしから始めなければなりませんでした。
10月4日、茶臼岳・朝日岳に登って来ました。往復ロープウエイでした。(笑)それでも紅葉の季節でしたから良い景色を眺めて来る事が出来ました。次回は是非とも三本槍岳まで足を伸ばしたいと思います。
10月19日、日光白根山。とうとうぺんぎん隊も栃木県最高峰の山を制覇しました。苦節8年、隊長を騙し騙しの道のりは長かったなぁ・・・(笑)ぺんぎん隊は山の標高には拘らないのが本分なのですが、やっぱり高い山を制覇すれば嬉しいです。イワナ釣りにも拘らないけれど釣れれば嬉しいのと同じレベルですかね。この登山には釣り仲間も参加してくれて思いを共有出来る仲間たちが徐々に増えて行く事がとても嬉しく感じました。
11月、さて季節は冬に向かいます。
ぺんぎん隊の登山は今のところ無雪期だけに止まっています。安全対策もさることながら雪山はまた装備が全く違うものですから、それをするには金銭面で予算が追い着かないというところもあります。せいぜい雪原のスノーシューハイキングが良いところでしょう。(笑)
11月15日、会津只見の浅草岳をやっつけて来ました。この山、そう6月に残雪の為に山頂手前で引き返して来た山です。今年の雪が降る前にどうしても制覇しておかなければ来年の行動計画に執拗に絡んで来そうでしたので意を決して出掛けて来ました。いや〜長い長い、山頂までのアプローチは奥白根山以上です。下山は夕暮れすれすれセーフでした。これで思い残すこと無く来年は新たな山に向かう事が出来ます。
12月、いよいよ年の瀬です。ぺんぎん隊の活動も鈍くなる季節。まあ、遊んでばかりいては周囲はともかくも家族からの批判が出そうな慌ただしい師走の休日なのですが、何とか逃げ出して山へと向かいました。
12月21日、八溝山に登りました。八溝山は茨城県最高峰との事で百名山に名を連ねる筑波山と共に茨城を代表する山です。とは言え標高は1000mを少し超える程度で登山道も整備されていて気軽に登れる山でした。一等三角点が置かれた山頂には展望台があり、そこからの眺めは360°でした。この日は天気が良過ぎて逆に水蒸気が発生してしまい遠くが霞んでしまう状態でしたが、それでも日光連山、那須連山、磐梯山や阿武隈連峰など一年の最後を飾るにふさわしい展望を楽しんで来ました。
今年の山あるきもこれでおしまいです。八溝山の登山道を来年の事を話しながら歩きました。中学生になる隊長は勉強はもとより部活動も悩みの種。山渓にも行きたいし、部活もやりたいと言っています。まあ本人の好きなようにする事が一番です。
さて一年を通しての感想ですが、今年は山渓共に良い散歩が出来たと思います。行き先もそうなのですが一番な事は、やはり仲間たちでしょう。長年の付き合いともなると変わる様でいて、実際はあまり変わらない仲間たちとの交流は、出会った事の幸せをあらためて感じさせてくれます。近からず遠からずの間柄はお互いに仕事や家庭を持ち、そこで暮らす境遇には丁度良い距離感です。ひとたび事あれば自然とそこに集まれる仲間たちであることを再確認出来た一年でした。またそこに息子佑次郎が絡んで来るから面白い。佑次郎はぺんぎん隊の顔として私がいつも連れ歩いています。私の友人で佑次郎を知らない人は誰一人いません。逆に言えば佑次郎は私の山渓仲間をみんな知っています。父親の友人をみんな知っている息子って皆さんのご家庭にも居るでしょうか?そうそう居ないのでは・・・?(笑)私と息子との会話に私の友人たちの噂話が飛び交うことも度々あります。息子との共通の話題が父親の友人たちの話なんですから他所のお宅とは少々違う父と息子の関係でしょう。
私には山渓を共に歩く仲間たちの他にここのブログで交流を重ねている登山愛好のみなさんがいます。ゆくゆくは実際にお会いして山行を共にして・・・と考えている方々ですが、まだ源流行に心奪われている私はそこまで入り込めないでいるのが現状です。しかしみなさんの影響は目に見えて現われています。男体山や白根山登山がそれです。また浅草岳への再チャレンジもみなさんの影響無くしてはあり得なかったでしょう。嘗ては「山頂にイワナはいないよ!」とうそぶいていた私に登山というものの面白さ、楽しさを教えてくれているのがみなさんなのです。
山歩き、渓あるき、共通するのは自然を相手に遊ぶ事です。山も沢も釣りも同じ山懐に入り込み身体で感じる遊びなのです。会えば楽しく、そして助け合い、お互いに秩序と思いやりを持ってフィールドを分かち合い理解し合えたらとても良いと思います。
さて、2008年も終わりです。ぺんぎん隊の2009年はおそらくまた初日の出を拝む事から始まると思います。
いよいよ隊長も中学生になり「勉強にも力を入れないと・・・」と母親からは言われている様子です。母が「勉強しろ」と言うのなら父は「遊べ」と言うのがバランス的には良いのでしょうか・・・。(笑)
まあ2009年の目標は「山は高く、渓は険しく」という事でやりたいと思っております。
ここのブログは今回が年内最後の更新になると思います。
少し早いですが皆様良いお年をお迎えください。
学校登山
栃木県内で那須茶臼岳に全校生徒参加で
登るという行事を二年連続で実施している
小学校が有る。
全児童数377人の小学校。
引率の先生やPなどの大人を含めて今年は
424人での登山となったそうだ。
峰の茶屋から峠の茶屋、無間地獄を回り下山はロープウエイ
というコース取り。
多分想像以上にPTAは大変だったろうと思う。
隊長の小学校では今日全校生徒が各地に
遠足に出掛けている。
3〜4年生は茶臼岳に行っている。
学校で集団登山をする。
責任は重大だけれどこれからも続けて欲しい気がする。
何か違うんだよなぁ・・・
今日の下野新聞にこんな記事が載っている。

【二宮】町は本年度、高田の高田山専修寺周辺の山林整備に着手する。県が導入した「とちぎの元気な森づくり県民税」活用事業のうち、「守り育てる里山林整備事業」の実施第一号という。県から交付金を受け、対象面積約四・一ヘクタールに、散策路や木製ベンチなどを整備する。歴史と文化が一体となった"鎮守の森"の再生を目指す。
森林環境税「とちぎの元気な森づくり県民税」は、今年四月に導入された。県は税収額を基金として積み立て、森林整備などに活用している。里山林整備は市町が交付金を活用して実施する事業で、町への本年度交付額は四百十万円。
今回対象となるのは、同寺所有のヒノキを中心とした人工林。同寺と一体的に国の指定文化財となっている。もともとは同寺を開基した親鸞にちなんだ赤松林だったが、立ち枯れしてしまったという。下草刈りなどの管理作業はこれまで、檀家を中心に行ってきた。
計画によると、林の中を流れる農業用水に沿って、全長二百七十七メートルの砂利の散策路を整備。併せて木製ベンチ八基と案内板なども設ける。本年度中の完了を目指す。
工事完了後は、同寺の檀家や地元自治会などで組織する「高田山専修寺の森を守る会」が維持管理に当たることになる。町経済課は「メダカやホタルの生息する環境が戻れば」と話している。
この「とちぎ元気な森づくり県民税」は林業活性化を目的として、荒れ果てた山林の再生などに使われるものと聞いている。
単に林業業者援助というのも反対な私なのですが、今回の寺所有の里山林の整備ましてや散策路やベンチ設置に使われるべき税金では無い。
この税の有り方の不安定な部分がまさにここに出ていると思われる。
役人さんは自分の財布は痛まないから判らないのだろうが、他人様の庭の手入れにポケットマネーを出す人はいないでしょうよ。
【二宮】町は本年度、高田の高田山専修寺周辺の山林整備に着手する。県が導入した「とちぎの元気な森づくり県民税」活用事業のうち、「守り育てる里山林整備事業」の実施第一号という。県から交付金を受け、対象面積約四・一ヘクタールに、散策路や木製ベンチなどを整備する。歴史と文化が一体となった"鎮守の森"の再生を目指す。
森林環境税「とちぎの元気な森づくり県民税」は、今年四月に導入された。県は税収額を基金として積み立て、森林整備などに活用している。里山林整備は市町が交付金を活用して実施する事業で、町への本年度交付額は四百十万円。
今回対象となるのは、同寺所有のヒノキを中心とした人工林。同寺と一体的に国の指定文化財となっている。もともとは同寺を開基した親鸞にちなんだ赤松林だったが、立ち枯れしてしまったという。下草刈りなどの管理作業はこれまで、檀家を中心に行ってきた。
計画によると、林の中を流れる農業用水に沿って、全長二百七十七メートルの砂利の散策路を整備。併せて木製ベンチ八基と案内板なども設ける。本年度中の完了を目指す。
工事完了後は、同寺の檀家や地元自治会などで組織する「高田山専修寺の森を守る会」が維持管理に当たることになる。町経済課は「メダカやホタルの生息する環境が戻れば」と話している。
この「とちぎ元気な森づくり県民税」は林業活性化を目的として、荒れ果てた山林の再生などに使われるものと聞いている。
単に林業業者援助というのも反対な私なのですが、今回の寺所有の里山林の整備ましてや散策路やベンチ設置に使われるべき税金では無い。
この税の有り方の不安定な部分がまさにここに出ていると思われる。
役人さんは自分の財布は痛まないから判らないのだろうが、他人様の庭の手入れにポケットマネーを出す人はいないでしょうよ。
10月1日なので・・・
白い森だ〜い好き!
これ、私が大好きな町のPRパンフレットの表紙です。
「白い森」
これはブナの事です。
白樺と間違えられる事もあるくらいにブナの樹皮は白いのです。
雪解けを迎える6月中旬から9月一杯までの期間、
山菜や山釣りで遊びに行きます。
朝日連峰への登山口でもあるこの町。
いつかここから大朝日岳に登るのが夢です。
今のところ、途中の川に捕まってしまい山には登れず仕舞いです。(笑)
軽いトレッキングから本格的な登山
軽い渓流釣りから本格的な山釣り
私の大好きな町は 隊長もお気に入りです。
友へ・・・
今日で丸3年だね。
安達太良山見えてるかな?
こちらは相変わらずだけど、君は変わり無い?
ん?
ああ、みんなも元気に馬鹿やってるよ。
そうそう、オヤジは朝から飲んでるかな?
やっぱり!
君からよく言っておいてよ。
え?もう面倒見切れないって!(笑)
また何かの折にでも遊びに寄るからさぁ、
それまで安らかに眠っていて下さい。
斉藤信之君、じゃあね!
8月は未曾有の雨
これ、私がよく行く活動拠点
普段ならエメラルドブルーの水が流れている所
夏ともなれば絶滅危惧種「川ガキ」が多数見られます
でも、今年は雨が多い
しかも半端じゃない!
自然には勝てません
喧嘩をしても負けてしまいます
今日から9月
さて、渓流釣りも今月で終わり
どんな自然が出迎えてくれるのでしょうか・・・
暇なので・・・
初めてのお泊り・・・
先週に西伊豆戸田に遊びに行ったのですが
うちの隊長は「民宿」と言うものを知りませんでした。
うんうん、いつも野宿だから!(違うか!・・・自爆)
長「お父さん、今日は何処に泊まるの?」
副「民宿だよ」
長「・・・・」
副「どうした?」
長「12チャンネルでやってるやつだよね?」
副「???」
長「こんにちは〜、今晩泊めて下さい!ってやつでしょ?」
副「ああ、『田舎に泊まろう!』ね。違うよちゃんとお金払って泊まるとこ、旅館の小さいのだよ。」
長「なんだ!安心した・・・」
こんな会話が電車の中で交わされていたのでした。(笑)

うちの隊長は「民宿」と言うものを知りませんでした。
うんうん、いつも野宿だから!(違うか!・・・自爆)
長「お父さん、今日は何処に泊まるの?」
副「民宿だよ」
長「・・・・」
副「どうした?」
長「12チャンネルでやってるやつだよね?」
副「???」
長「こんにちは〜、今晩泊めて下さい!ってやつでしょ?」
副「ああ、『田舎に泊まろう!』ね。違うよちゃんとお金払って泊まるとこ、旅館の小さいのだよ。」
長「なんだ!安心した・・・」
こんな会話が電車の中で交わされていたのでした。(笑)
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