アーカイブをご覧いただけます。August 2007
昨日のニュースに又腹の立っている賢パパです。
厚労省の役人が社会福祉法人の理事長から車を3台ももらったり現金を受け取ったりしていたそうですが悪びれた様子もなくテレビのインタビューに応じていましたが性根が腐りきっていますね。
さて、暑い日が続きますがこんな話はいかがでしょうか?
子供の頃(とは限りませんが)「暑い、暑い」と文句を言ったりすると「『心頭滅却すれば火もまた涼し』と言って精神を集中させれば暑さなんか忘れてしまうものだ」と親から言われた事はありませんか?
今日はこの「心頭滅却・・・」の話です。
この言葉は武田信玄の菩提寺として有名な甲斐の
「恵林寺(えりんじ)」の僧であった快川紹喜(かいせんしょうきあるいはじょうき)が辞世として使った事から有名になりましたが実はその原典は「碧巖緑(へきがんろく)」と言う中国の宋時代初期の禅の教本にあります。
晩唐の時代に杜筍鶴と言う人がいたそうでその人の句で
安禅不必須山水 滅却心頭火自涼
「安禅(あんぜん)必ずしも山水をもちいず、心頭滅却(しんとうめっきゃく)すれば火も自ら涼し」
というのがあったのだそうです。
「心頭滅却すれば」とは、心を滅(無に)すれば、という意味だそうです。
「火も自ら涼し」とは、火さえも冷たく感じる、という意味ではなくてその熱さが気にならないと言うような意味だそうです。
例えば夢中でスキーをしている時などいくら寒くても寒さを感じない事があったり、夏の炎天下にゴルフなんかしている時でもナイスショットの連発でバーディチャンスになった時など暑さなんて忘れてしまう事がありますよね。
こういう状況をを言っているらしいのです。
快川は織田信忠から焼き討ちを受け、炎につつまれながらこの辞世を残して、自らも炎になりきったそうです。
まあ賢パパのような凡人には到底このような悟りの境地を開く事は出来ませんがせめて「暑い、暑い」と文句を言うことなく黙って我慢するぐらいの気構えでいたいと思います。
余談ですが恵林寺は塩山市から大弛峠に向かう国道がすぐ横を通っていますから金峰山に登られたことのある方は気がつかれたかも知れません。
甲斐の名刹として名高いお寺ですから金峰山の帰りに是非立ち寄ってみて下さい。
金峰山です。
良い山ですよね。
賢パパはバックに写っている甲斐駒が大好きです。
9連休が終わり昨日は久しぶりで会社に行きましたがやはりちょっと「連休ぼけ」が残っていて元に戻るまで半日以上かかってしまいましたね。
今日からは気合いを入れ直して行きますよ。
先日NHKテレビの特集番組で「地球温暖化」の影響で生き物の世界に現れている変化の事を放送していましたが以前賢パパが紹介した「クマゼミ」の生態変化の事についても取り上げられていましたね。
大阪における「クマゼミ」の激増が温暖化の影響のようですが幼虫の行動がポイントになっているらしいですから驚きです。
動物の場合は自力で行動の範囲を広げて行けるので平均気温が少し高くなって住環境が高緯度にシフトすればどんどんそちらに移動して生息域を広げて行きますが植物の場合はちょっと違いますね。
植物が常にその勢力範囲を広げようと色々な工夫をしている事は以前「植物の知恵」の話で紹介しました。
種子で繁殖する植物はその種子を出来るだけ遠くまで運ぶために色々な工夫をしています。
一番簡単な方法が美味しい実をつけて動物や鳥に食べさせて遠くまで運んでもらって芽を出すというやり方ですがこれだと「渡り鳥」に食べてもらえば遙か彼方の海の向こうまで運んでもらえる可能性だってありますからねえ。
人やけだものの身体に着いて運んでもらう方法もありますね。
風に乗って遠くまで飛ぶ事が出来る種もあります。
こうして色々なやり方で遠くまで運ばれた種子が発芽して植物体が再生するわけですがいくら遠くまで運ばれてもそこの環境が生育に適していなければたちまち枯れてしまってそれまでの苦労は徒労に終わってしまう事になります。
その逆に初めて新しく発芽した場所が生育に適していれば更に新しい場所を求めて勢力を広げて行きます。
最近の温暖化で環境が変わったせいか目立って増えて来た植物があります。
「たかさごゆり」がその一つです。
このゆりは日本原産の「テッポウユリ」に姿形が似ていて別名を「細葉テッポウユリ」と言うぐらいですが原産地は台湾で学名には「台湾」が入っています。
かなり以前大正時代に観賞用として持ち込まれたものが野生化して自然界で繁殖していますがこういう植物の事を「帰化植物」と呼びセイタカアワダチソウなどもこの帰化植物の一種です。
このたかさご百合ですが賢パパの住んでいる静岡で以前はそんなに目立つ存在ではなかったのが近頃では町中のあちこちで見かけるようになりましたよ。
その種子が大きさの割りに軽いので風に乗って遠くまで飛んでいく事が出来ます。
遠くまで飛んだ種がその地の環境に合っていて勢力をどんどん広げているんですね。
台湾原産と言うぐらいですから元々は暑い方の植物です。
こういう植物がどんどん増えて来ているのを見るにつけ「温暖化」が進んでいる事を実感している賢パパです。
これがたかさごゆりです。
どの辺まで見られるのか目撃情報を頂けるとありがたいですが首都圏では見られますか?
今朝の賢の散歩の時鈴虫の鳴き声が聞こえていました。
日中は相変わらずの猛暑ですが朝晩には秋の訪れが感じられますねえ。
9日間の夏休みもやっと昨日で終わり今日から又仕事に戻る賢パパですが今日はいきなり飲み会の予定が入っていますよ。
休みも良いですがせいぜい4日ぐらいが適当でそれ以上は持てあましてしまいますね。
さて、皆さんは「ブランド」と言うと「シャネル」とか「グッチ」と言ったファッション関係の製品を思い浮かべられるかも知れませんが最近では「ブランド米」とか「ブランド牛」のように農業の産物にも「ブランド」と言う言葉が使われるようになって来ましたね。
例えば「ブランド米」を取り上げてみましょう。
お米の種類のことを「品種(ひんしゅ)」、名前のことを「品種名(ひんしゅめい)」と言いますが、いま日本には、およそ 500品種のお米があると言われています。
ですが、実際に栽培されているのは、そのうちのだいたい 100種類ぐらいです。
同じ「お米」と言っても味が良いとか寒さに強いとか収量が多いとか一つ一つに違った性質がありその「価値」を消費者から認められた品種が「ブランド米」として市場に流通していると言うわけです。
そして価値を高めて、より多くのお客様から買って頂けるようにその性質を変えようとするのが「品種改良」と呼ばれる研究です。
お米のように種子で増やす植物の品種改良には「交配」によって得られた種子を育てて収穫し、出来た米の性質を確認するという地道な作業が不可欠です。
稲の交配は、蒸し暑いガラス室内でピンセットを使い、父品種の花粉を母品種の花の柱頭に一つずつ付けてやると言う細かい作業ですから相当に根気のいる仕事です。
おまけに父品種、母品種ともにたくさんの種類を交配させますからそれに必要な労力は相当なものだと思います。
お米の生産には年に一回だけ収穫を行ういわゆる「一毛作」が普通に行われていますが「品種改良」の研究の場合は少しでも早く収穫をして新しく作った品種の性質を確認したいわけですから時間との勝負という見方も出来ると思います。
そこで沖縄とか九州のように暖かな地方で栽培を行って年に2回も3回も収穫するというやり方をしている研究機関もあるようです。
またお米の名前(いわゆる「ブランド名」ですね。)は、基本的にはそのお米の品種を開発した人につける権利があります。
どのようにつけるかと言うと、あまり厳密な決まりはありませんが、国の研究機関で開発された品種はカタカナ6文字以内、県の研究機関で開発された品種はひらかな6文字以内、一般の企業など民間の研究機関で開発された品種は漢字や数字まじりでも良いことになっています。
たとえば「ササニシキ」「コシヒカリ」は国の研究機関で生まれたのでカタカナですが、県の研究機関で開発された「はえぬき」「どまんなか」はひらかなです。
名前のつけ方は割合単純で「ササニシキ」は「ササシグレ」と「ハツニシキ」の交配種です。
日本の代表的なお米の品種と言えば、コシヒカリとササニシキですが、コシヒカリが東北以南でかなり多く作付けされているのに対し、ササニシキは東北6県に集中しています。
これは、ササニシキがもともと、耐冷(たいれい)品種(=寒さに強い品種 )として開発された東北地方向けの品種だったのですが平成に入ってからは消費者の好みも多様化し、いろんな品種がデビューするようになったのです。
品種改良には米のように「交配」を繰り返して良い性質を選抜して行くやり方の他に「枝変わり」と言って「突然変異」によって生まれた株の中から良いものを見つけ出すやり方もありますがこちらの方は「偶然」の産物ですからあまり科学的ではありません。
そんなわけでこちらのやり方で実際の生産品種になるのは一般の生産者(農家)が日頃の生産活動の中で見つけ出す事が多いようで交配によって作り出されるのは一般農家からよりも国や県の研究機関からの方が多いようです。
静岡では先日今年一番早いお米の収穫が済んでもう新米が出ていましたよ。
賢です。相変わらずのんきなものです。
お米は食べさせた事がありませんが賢パパの打つそばは大好物です。
交通事故のニュースが多いお盆休みですがやはり人の移動が多ければアクシデントの起きる確率も高くなってしまいますよね。
今日は今の時期にふさわしい話題でセミの話をしようと思います。
日本には何種類ぐらいのセミが住んでいるのか正確には知りませんが賢パパが知っているだけでも10種類近くは出て来ます。
賢パパは東北生まれの東北育ちで成人してから横浜にちょっとだけ住んで後はずーっと静岡ですから東北と横浜、静岡に住んでいるセミの種類は知っています。
一番大きく異なるのは「クマゼミ」がいるかいないかでしょうね。
静岡にはクマゼミがいてこの時期になるとそれこそ「うるさいっ!」って言いたくなるぐらい「シャンシャン、シャンシャン!」と鳴いていますが東北には住んでいません。
その代わりと言っては何ですがあちらには「エゾゼミ」というのが住んでいます。
高い木の上で何とも言えない崇高な鳴き声を披露しています。
時には雷にも似た声なので賢パパの古里では「雷(らい)ゼミ」と呼んでいましたね。
横浜に住んでいる時はクマゼミの声は聞いた事がなかったように記憶していますが近年の温暖化の影響か近頃では首都圏でもクマゼミの目撃情報が報告されているようです。
クマゼミの特徴は鳴く時間と鳴き声の大きさですかね。
アブラゼミなんか割合いつでも鳴き声がしていますがクマゼミに関しては鳴く時間が決まっていて賢の散歩に行く朝の5時前くらいから全部のクマゼミが一斉に鳴き出して暑くなった頃に気がつくともう全く鳴いていません。
暑い時に出て来る生き物だからうんと暑い日中に鳴いていても良さそうなんですがどうして鳴き止んでしまうのでしょうかねえ?
昆虫ですから脳はそれほど発達していないと思いますので「光」か「温度」で鳴きだしたりあるいは鳴くのを止めたりしているのだと思いますが実際はどうなのか知りません。
注意して観察してみたら鳴き始める時間に微妙な違いがあって一昨日の朝は割合早くから鳴いていましたが昨日は曇りで気温も低かったせいか一昨日と同じ時間には鳴き始めませんでした。
やっぱり光か温度を感じて鳴き出すのでしょうね。
又セミには好きな木があるようでそれはセミの種類によっても違うようですね。
アブラゼミなんかはよく桜の木にとまっていますがミンミンゼミやクマゼミはケヤキの木などが好きなようです。
ニイニイゼミは梅の木ですね。
ヒグラシは雑木林に多かったように思いますし、チッチゼミという小さな蝉は賢パパの田舎では「松ゼミ」と呼んでいたぐらいで松の木にしかとまりません。
蝉の寿命は7〜8年ぐらいと言われていますがそのほとんどを幼虫として地中で暮らし地上に出てからわずか1週間ほどで死んでしまうそうですからその間に相手を見つけて子孫を残そうと必死で鳴いているのですね。
「うるさい」なんて言わないでその短い命を見守って上げましょう。
クマゼミの目撃情報を調査してみたいと思います。
一説によると神奈川県の葉山以南に棲息していると言われていたのですが最近ではもっと北の方でも目撃されているようなのでお手数でも首都圏より北の地方で目撃された事のある方はご一報いただけませんか?
よろしくお願いします。
ふるさとウォークさんにC-chan、山梨にはクマゼミはいますか?
これはアブラゼミです。
クマゼミですが小さくてわかりにくいです。
中央にいます。
クマゼミのアップですがピンぼけです。
「マクロ撮影」の仕方がわからなかった賢パパでした。
久しぶりのやや本格的な山行で軽い筋肉痛が残った賢パパでしたが今週を乗り切る事が出来ればうれしいお盆休みが待っているので張り切って仕事をしましたよ。
さて、今日も又唐突な話ですみませんが「走れメロス」ってご存じですか?
賢パパは中学生の時の教科書で習ったように記憶していますが作者が太宰治先生だと知ったのはずいぶん後になってからの事でした。
なぜこの話を持ち出したのかというとこれも先日紹介した「本物と偽物」の話に通じているような気がするからです。
この話のあらすじは大体次のようなものです。
正義感の強さのあまり暴君を暗殺しようと企てたメロスは捕らわれて死刑を宣告されますがたった一人の肉親である妹の結婚式を済ませて来るために3日の猶予を願い出ます。
そして3日の後に戻らなければ親友のセリヌンティウスを身代わりとして殺してくれと言い置いて古里の町に戻って行くメロスを暴君は「どうせ戻って来るはずがないからその時は精一杯の憐れみを持ったふりをしてメロスの親友を殺してやるのだ。」と残酷な思いで送り出します。
所がメロスはあらゆる困難を乗り越えて暴君の元に帰って来ます。殺されるために。
そして帰って来たメロスは待っていた親友に向かって「私のほおを思いっきり殴ってくれ」と言います。
この三日間でたった一度だけこのまま戻るのをやめて逃げ出してしまおうかと思ったその償いだと言うのです。
思いっきり殴ったセリヌンティウスが今度はメロスに向かって同じように殴れと言います。
やはり3日の間にたった一度だけメロスが戻って来ないのではないかと、疑ったその償いだと言うのです。
それを聞いていた暴君が心を打たれて目を覚ますと言う結末はどうでも良い事です。
賢パパが興味を持ったのはメロスが「このまま逃げてしまおうか」と考えた事やセリヌンティウスが「もしかしたら戻って来ないのでは?」と疑った事が本当にあったのか又何回あったのだろうかという事です。
存在は「形として現れた行動や物」ですが認識は「存在」とは異なります。
となるとこの場合本人以外には知る事の出来ないメロスの「逃げたいという欲望」やセリヌンティウスの「戻って来ないのではないかという不安」は本当に存在した事になるのでしょうかねえ?
太宰先生、この小説で実はもっと奥の深い何かを言いたかったのではないかと思うのは賢パパの考えすぎでしょうかねえ?
またまた賢です。
本当にのんきなものです。
うらやましいと思う事もありますが毎日独りで留守番はつらいですね。
昨日は会社の昼食に「うなぎまぶし丼」が出されました。
240円ですから国産という事はあり得ませんよね。
で、賢パパはうなぎ大好き人間ですがじっと我慢して120円の「冷やしラーメン」にしました。
さて、
先日「本物と偽物」についてのブログを紹介しましたが似たような話があります。
中学校の教科書で取り上げられていた「形」という菊池寛の短編がそれです。
今の大阪あたりのことだったと思いますが昔の侍大将で中村新兵衛という槍の名手がいたそうです。
新兵衛は「猩々緋(しょうじょうひ)の服折を着て、唐冠絵金の兜を被(かぶ)り」とありますからかなり特徴のある格好をしていたのでしょうね。
その一目見れば新兵衛とわかる姿で敵の雑兵をばったばったとなぎ倒していたので敵も味方も「槍中村」と呼んで敵は恐れ、味方はこの上ない信頼を寄せていました。
その新兵衛に、元服して間もない若者が、「明日は初陣なので手柄が立てたい、ついては猩々緋と唐冠を借りたい」と頼んだそうです。
若者は主人の側室の子で新兵衛が守役をつとめ慈しんで来たことから、「あの服折や兜は、申さば中村新兵衛の形じゃわ。そなたが、あの品々を身に着ける上からは、われらほどの肝魂を持たいではかなわぬことぞ」
と言い快く承諾したそうです。
あくる日の戦場で、若者は猩々緋と唐冠の兜を朝日に輝かしながら一番槍として敵方に突き入り、若者を新兵衛と思い込み恐れ浮き足立った数人の端武者を倒して意気揚々とと引き上げて来たのに対してその日、新兵衛は黒皮威(くろかわおどし)の鎧を着て南蛮鉄の兜を被っていましたが、若者の活躍に自分の形にすら敵方が恐れるほどの威力があることを誇りと感じていました。
新兵衛は二番槍として敵方に突入しますが、その前に新兵衛の猩々緋の服折と唐冠の兜を被った若者に散々な目にあった敵方は、その恨みをはらさんとばかりに、新兵衛に猛然と突きかかって来ました。
新兵衛は敵方がいつもと違うことに気づきます。 いつもならば、新兵衛は猩々緋の服折と唐冠の兜の姿にうろたえる敵をなんなく槍で突き伏せることができるのですが、このときばかりは敵方は 新兵衛と知らず必死で攻撃を仕掛けてくるのです。 新兵衛は次第に劣勢になり、ふと気がついた時には敵の槍に突かれてあえなく死んでしまうという内容のものです。
皆さんはこの話をどう思いますか?
子供のサッカーの試合なんかでJリーグのチームの下部組織の子供達がトップチームのユニフォームと同じ姿で出て来るのを見た相手チームの選手が試合をやる前からもう既に気後れしてしまって戦わずして負けているような場面に遭遇したりあるいはこれに似たような体験をした事ってありませんか?
「形」って一体何なんでしょうかね?
写真はあまりに暑いので涼しそうなのを一枚。
本文とは関係ありません。