アーカイブをご覧いただけます。June 2009

烏帽子小屋の前庭は立山や薬師岳を望む絶好の展望台で、しばらくはベンチに座ってG氏が広げた地図で山を同定するなどしてくつろぎながら、次の行程をどうするかを考える。
西側の目の前に横たわるのは赤牛岳でそこから左手に伸びた稜線の先に水晶岳があり、その稜線と裏銀座の主脈が合流するのが鷲場岳で、その手前が真砂岳,野口五郎岳と言うことになる。
一方,赤牛の背後に重なるのは薬師岳で、視線を北北東に転じた目の前には不動岳,その後に針の木岳が重なり、さらにその陰には鳴沢、赤沢辺りの山が見え隠れする。黒部ダムはその直下を西に越えたところであり、赤牛岳を目の前にするこの位置からは見えない。その西に位置する立山のカールらしきものは認められるが、剣岳は視認できなかった。
また、南側の眼前には唐沢岳が錐のように鋭く天を突き、その後から餓鬼岳の長い稜線が南に伸び、東沢の大だるみを隔てて燕岳の岩峰を望むことができる。そこから先の大天井岳や常念岳の吊り尾根も見えるが、槍・穂高岳方面はガスの中だ。
14:27,時間的にも体力的にも船窪方面への前進葉可能との結論を得て烏帽子岳に向かい出発。ゆるやかに左にカーブするハイマツ帯の稜線を行く。この辺りは雪もなく快調。2605mの前烏帽子から改めて周辺の山々を見る。何と言っても烏帽子岳の天に向かって合掌するかのような鋭い岩峰が圧巻で、柱のようにきれいに並んだ岩が美しい。この岩峰はしかし、進むにつれてそれまでとはまったく違った異様な姿へと変貌する。
15:08,烏帽子岳岩峰への分岐点に到達。時間が押しているので山頂は通らず通過する。一転して雪の斜面となる。南沢岳との鞍部は烏帽子田圃と言う湿原で、この辺りをビバークの候補地とも考えていたが、できればさらに進んでおきたかった。
湿原は凹地であり、一方の縁は烏帽子からの稜線でもう一方に並行する山稜があって二重山陵を形成していた。そのもう一方の小高い山陵に踏み後が見えたのでそこを目指して雪面を突き進んだが、もう少しと言うところで分厚いハイマツ帯に阻まれて進めなくなる。しばらくはあちらこちらと突破口を探したが無理と分り、後退を決めて下ってきた雪面を登り返し、最後はシラビソとハイマツの混じる薮の中を這うようにして突破し、16:29,登山道に戻る。烏帽子分岐からは1時間20分のタイムロスとなる。ここから南沢岳への登りの途中から急に冷たい西風が吹き始めて山頂下では霰が降る。
17:00,南沢岳(2625m)登頂となる。ここをビバーク地点と決めて山頂東側直下の雪面を均して,テントを張る。
雪を熱して水をつくり、お湯を沸かしてアルファ米を戻し、レトルトのカレーを温めて用意したが、G氏がつくってくれた梅酒のお湯わりを頂き、行動食を食べているうちに食事が面倒になり、結局カレーは食べずに横になる。ひとしきり熟睡し、目が覚めて2時間近くじっと考え事をしながら夜明けを待つ。風に時おり雨音が混じる。
2時を廻ったかと時計を見るとまだ0時前で、それから悶々と時の過ぎるのを待ち、何度かまどろんでようやく4時を迎える。どんなに疲れていても3〜4時間熟睡すれば充分で、後は時間をもてあますのが幕営である。

6月13日(土)
登山ブログで交流のあるG氏との間でブナ立尾根を登ってみませんかと言う話しがまとまり、昨夜のうちに静岡市から来て仮眠していたG氏と七倉ダムのゲートで落ち合う。初対面の挨拶の後、それぞれパッキングして5:35から歩き始める。
高瀬ダムまでの3.7kmを歩いて6:32ダム下休憩。ロックフィルダムに取り付けられたこっちから向こうまで2往復半,1kmの車道を歩くのは馬鹿らしいので大岩を直登して20分で登り、6:55高瀬ダム堰堤に着く。
ダム左岸の不動トンネルを抜けて不動沢の長いつり橋を渡ると河川敷に出る。鉄製の梯子道に導かれて濁り沢の吊り橋を渡り、水を補給して7:35から登山道に入る。
いきなり急登が始まる。『11』と書かれた標識があるが意味不明。長丁場なので休まずゆっくり登り、8:28,『落石注意』と書かれた標識NO『9』の巨岩,通称『権太落とし』で最初の休憩。8:35出発。直後にパラパラッと雨が来て、雨の多い南アの人らしくG氏は素早く雨具とザックカバーを着ける。自分は面倒なので様子を見ながら先行。足元にツバメオモトの花,次いでシラネアオイの花を見て『そう言う季節なのだ』と頭が下界とは違う世界に反応し始める。こうして写真を撮りながら徐々に高度を上げるうちに気持ちも体もその世界に順応して行くのだろう・・。
9:05,標識NO『7』を通過。シラネアオイが見事なのでG氏にはゆっくり写真を撮ってもらう。
9:42,標識NO『6』に着き2度目の休憩の際に雷鳴を聞く。G氏によると『前線が通過する見込み』だそうだが、1日中雷につきまとわれるのではないかと不安になる。稜線での雷はゴメン蒙りたいものだ。
9:55発。今回の山行には幾つかの不安があった。早くもそれが的中したのか、左脚大腿の外側に痙攣痛を感じる。ごまかしながら歩いていると痙攣は内側に移行し、なおも我慢していると今度は右脚に移行した。
この冬は一度も冬山に登らなかったので体力に自信がない。加えて登山靴を修理に出したままでアップシューズや地下足袋での山行が続いたために足が登山靴の重さに耐え切れず、歩き始めからどうも左右にふらつくのが気になっていた。大腿部の外側と内側の痛みはその影響と思われた。筋肉は8時間動かさない状態が続くと退化を始めると言うから登山靴の重さや踏ん張りに対応する筋力が衰えているのは明らかで、それは使うことによって鍛えられ回復するのを待つしかない。
10:06,右手が開けて烏帽子岳,南沢岳の岩峰群や不動岳の大崩れを望める場所があり、ここで立ち止まって行く手の稜線を地図で確認している間に左右の大腿部両側の痛みがうそのように消えた。10:20,雨がやや強くなりG氏に倣って雨具とカバーを着ける。ジンクス通り着るとすぐに雨が上がり、20分後に雨具を脱ぐ。雷は去った模様。足元には小イワカガミやエンレイソウ,サンカヨウの花を見る10:31標識NO『5』を通過。
10:49,最初の雪渓が現れG氏はここでアイゼンをつけたが自分はツボ足で通過。道はすぐに雪渓から離れ、10:59に標高2208mの三角点に着く。登山道に入ってからの所要時間は3時間25分。
11:20発。10分でタヌキ岩と言う巨岩を通過。さらに20分あまりで不動岳,船窪岳を望む場所に出る。そこからは尾根に沿って左にカーブしながら進み、右下がえぐれた場所を通過してダケカンバの大木を過ぎた辺りからシラビソ帯となり、12:24頃から大量の雪を抱えた稜線下の急登が始まる。
登山道が分らないので先頭を行くG氏も見当をつけて遮二無二登って行くが、次第に斜面が傾斜をまして行くのも構わず平然と登っていくG氏の後を追うのが恐くて左の樹林の際を行く。
最もそれを必要とするこの急斜面でなぜか2人ともアイゼンをつけず、自分はピッケルさえ背中に負ったままで登ってしまっていた。アイゼンやピッケルのことを考えもせずに雪面に入ってしまったのだが、いつの間にかとんでもない斜度になっていたのだ。
樹林の際を行くと雪の解けた場所から登山道が覗いており、異様な形状のダケカンバがあって標識NO『1』と書かれたその場所でしばらく休む。時刻13:16。雪と格闘する間にたちまち時間が経過していた。
すでに小屋に迫っているものと思っていたG氏も少し先で休んでいたらしく、歩き始めるとすぐ前を行く姿が見え、やがて主稜線と小屋への道を分ける標識に着くと目の前に烏帽子の小屋が現れる。
13:51着。三角点からは2時間30分で雪のため夏道の倍近くかかっていた。登山道に入ってからは約6時間,七倉のゲートからは8時間16分を要した。

畑にびっしりと生えているアカザを食する。以前から食べてみようと思ってはいたが実践するのは初めてで、まずは佃煮風にしてみた。悪くはないがよくもなくむしろ茹でたのをそのままお浸しにした方がすんなり食べられる。多少モサッとするがあまり癖もない。
大量に摘み取ったものを茹でてしぼり、小分けして冷凍したものを少量づつ味噌汁の実に使っているが、これが一番いいようだ。格別美味しいと言うほどではないが充分に野菜代わりになる。

元祖,アカザは野菜だった。森林国の日本では山菜・野草が豊富であったために野草を改良して野菜を作り出すと言う努力があまりなされず、アカザやスベリビユが野菜として用いられていた時代があったのだそうな・・。
一方,大陸では野菜がどんどん創出されそれが中国・朝鮮から日本に入ってきて栽培されるようになると、アカザやスベリビユ等は省みられなくなって今では畑の嫌われ者でしかなくなってしまった。彼等が今も畑に生えるのはそう言う歴史があるからで、アカザもスベリも畑から離れられない植物と言えるようだ。
アカザと言えばアカザの杖が中風を防ぐ効果があると言ってもてはやされたりする。柄のついた立派なステッキをつくる人が今もいるようだが、これは杖が効くのではなく、ビタミンA,B2,C等が豊富でホウレンソウの数倍の栄養価を持つアカザを食べることによる高血圧や動脈硬化,中風等の予防効果との混同と思われる。
アカザは史前帰化植物と言う古い時代の帰化植物で、中央部の赤いものがアカザ,白いものをシロザ,青いものをアオザと言うが種としては同一のアカザ。

安曇野地方の端午の節句は1ヶ月遅れ。その節句が過ぎた6日の朝,畑の片隅でアヤメの花が咲いているの気づく。まさに言葉通りの6日のアヤメとなった。

6日のアヤメ,10日の菊,26日のmasケーキ,15日のチョコレート・・・,

そんなことには関係なく、曇り空の下のアヤメは美しい。

5月5日(祝)
5時前に起きて前夜買った食糧と家から持参したアジの南蛮漬けを食べ、荷物をパッキング。はじめは1番電車で雨晴海岸まで戻り、そこから氷見駅まで歩くだけなので雨具と医療セット,飲料と食糧だけを用意をして6:08の高岡行きに乗り、6:16雨晴海岸で下車。

6:20、電車を見送って海岸に出る。越し方,伏木港方面には女岩,男岩の先に射水のマンモスクレーンや巨大煙突が霞んで見え、行く手にはまっすぐ伸びる海岸線の先に氷見の街並みが見えている。中でひと際目立つのが上庄川の河口にかかる比美乃江大橋と言う大きな吊り橋で、高さ51mの大きな主塔がピサの斜塔よろしくこちらから見れば右に傾いて立っているのが望まれ、それが氷見の道の駅までの目標になる。

伏木万葉港方面/氷見市方面

雨晴海岸から氷見までは湾の屈曲線に沿って西北西から北西へと進み、比美乃江大橋から先は北東〜北北東へと90度近く進路が変わるため、今日,明日と歩く能登半島は目の前を左手から右手に向かって横たわって見える。その先端は石川県との県境の大泊辺りで、そこからはまっすぐ北進しているのでここからは見えず、横たわる半島もうす雲っているためにかすかに島影として見えているだけである。
浜から沖を見ると定置網の浮玉が点々と並んでいるのが見られる。

比美乃江斜塔/定置網の浮き球

砂浜の少し上には三段敷石の護岸があり、その内側にはサイクルロードを挟んで松林が延々と続くおなじみの海岸風景。ごく稀に砂浜や船着場の突堤で釣りをする人,散歩する人,座って読書する人等々、思い思いに朝の海辺を楽しんでいる人を見かける外は滅多に人に会うこともない。

陸上繋留場/松太江浜キャンプ場

ハマナスや月見草の花を愛でながら15分で雨晴マリーナと言う船の陸上繋留場がある施設を通り、6:40松太枝江浜と言う海水浴・キャンプ場に到達。松林の中に数張のテントがあって何人かのキャンパーがくつろぐのを見る。
この辺りから氷見市にかけての海を有磯海といい、海岸線には雨晴キャンプ場,島尾キャンプ場,松田江浜キャンプ場等、海水浴場,キャンプ場、海浜公園、海浜植物園が目白押しに並ぶ。

ハマエンドウ/コウボムギ

飛砂防備林と名を変えた松林の内側には氷見線が走り、おりしも高岡行きの2番電車が軽快な音を立てて通過するところ。松林に守られた緑地にはハマダイコンがびっしりと花をつけ、林の外側にはハマエンドウの花やコウボムギの群落が見られるようになる等、次第に海浜植物の緑が厚みを増して来ると、浜と林の間の小道は所どころにベンチを置いた遊歩道となる。その道はやがては氷見市の海浜植物園へと続くのであろうか・・。

防護柵内の松の苗/向こうの海岸線右の白塔

防備林の松は現在も新たに植栽・育成の努力が続けられており、植えたばかりの小さな松の苗を保護するための竹の柵がいくつも設けられているのを見る。
いつの間にか島尾の駅を通過し、リゾートマンションのような老人ホームの前を通って小さな川を渡ると島尾キャンプ場に到達(7:20)する。
出発点からまだ3kmあまりだが、ここまで来ると比美乃江大橋の斜塔がくっきりと見えるようになる。7:25氷見市海浜植物園の整備区域に入る。

カーブを曲がったら突然何かが右手に走ってそこに立ち止まった。カモシカだ!
しかも子連れ。子どもはこれまで見た中で最も小さくて体長50cmにも満たない。 開けた窓のすぐ傍でジッとこっちを見ている。距離は2m。

カメラを引き寄せて構えようとした時にはまだその位置にいたのだが、視線をカメラに移した瞬間,身を翻して崖を登り始め、至近距離での撮影に失敗。
木の陰に子どもを隠してこちらを伺っている母親だけかろうじて撮れた。

もう1頭若いカモシカがいて、出くわした時に左の斜面に逃げ、そこでこっちを見ていた。多分これは去年生まれた子だろうとのことだ。