アーカイブをご覧いただけます。September 2008

『あけびしゅ』と書き込んで変換したら『あけ美酒』と出た。こっちの方がいい!
去年の10月18日に漬け込んだ『あけび酒』が、いい色,いい香り,いい味に仕上がった。
2〜3ヶ月で取り出すように,とのことだったのを4ヶ月近くも放置していた。少し長く置き過ぎたかも・・。でもにごりはなかった。
アケビの皮のあの強烈な苦味はどこへ行ったのかまろやかな味だ。これなら私にも飲めそう!
08年2月14日

アケビが沢山採れたと言う記事に『丸ごと漬けて、レモンと氷砂糖をたして、実は全部3ヶ月でとりだしてそのまま熟成。まろやかで美味しいお酒になりましたよ。』とのコメントを頂いて早速実行。
私の果実酒は3倍法。即ち,果実の3倍量のリカーに漬け込み、リカーの5分の1の氷砂糖を入れる。これで行くと、アケビの実約600g,氷砂糖360g,ホワイリカー1800ccとなる。リカー1800ccは必ずしも1800gではないが、その辺は大雑把に・・。レモンは生協で国産のものを求めてから入れる。
砂糖を入れないと言う人がいるが、砂糖には果実のエキスを抽出する役割があるので使った方がよい。

ついでにアケビの皮と挽肉を油で炒めて味噌を絡めて見たが、やっぱり苦いので蕗味噌をつくる要領で味噌を思いっきり多くして砂糖を加え、アケビ味噌とした。苦味がアクセントになってなかなかいい!
07年10月18日

ここは昔よく採った場所。道路の真上でしかも高いところにあるので誰も採らないせいか、毎年コンスタントに実をつけている。
ここは見て楽しむ場所。

アケビの完全開果〜6個の実がきれいに開いて絹のレースを思わせる実が覗いている。
・・・2005年9月30日撮影

アケビがわんさか・・・2007年10月9日撮影
今年は貧果か・・・?
知人に書籍を送るついでに栗やアケビ等の秋の実でも入れようと思って去年鈴なりになっていたアケビの『シロ』に行ってみたら、チラホラとぶら下がっているだけで採るほどなかった。しかも開いた実は黒く汚れていて食べられる状態ではなかった。
去年はどの山に行ってもアケビの実が目につくほど豊作だったので、今年はその裏年に当たるのかもしれない。何ともさびしいことだ。
と言うことで今年のアケビの写真は未だなし。

・・・2007年10月9日撮影

一度は諦めて放棄したカタダイコンが復活してそろそろ1回目の間引きの時期を迎える。よかった!

ネズミダイコン発芽・・・軸が紅い

遅れていたビタミンダイコンも発芽

くらまも発芽。

一番速く蒔いた干し理想はまた一段と大きくなり順調。

8月23日播種の干し理想は理想的な生育で、間引きで多少ぐらついていた根もしっかり張って1本立ちした。後は収穫まで何もしない。

キャベツが結球し始めた。

見事に育ったブロッコリー。この時期のものは育ちが早く、次々と採れる。

畑を変えて中条ダイコン(ネズミダイコン)とくらまを播種。ギリギリセーフか!
諦めた第1農園のカタダイコンは、その後被害が広がることなく最小限に留まり、残った大半の芽が日増しに青さを増してきた。
一方、追い蒔きした干し理想も発芽したが、こちらはどれだけ追いつけるか不透明。期待せず見守る。ビタミンダイコンのみ発芽が遅い。

一日中ぐずついていたのが、夕方になって突然晴れ、西山が真っ赤に燃えた。
もう少し北寄りの、常念が最も美しく見える位置から撮りたいと思い、車を走らせるうちにみるみる燃え尽きて、消し炭のように色褪せ、やがて消えた。ただそれだけのこと。

キキョウが咲き乱れる庭で珍しい4枚花弁の花を見つけた。

千日紅がいっぱい

こんなきれいな花を食べるなんて『もってのほか・・・,』と言う名の食用菊

オクラの花は芙蓉に似る。

ミニトマトや柿の実にそっくりの黄色いトマト

あちこちに野草も・・

庭にはツゲの木が多く、今日の仕事はその刈り込み

↓

素人なのでこの程度でご勘弁を・・

ショウゲンジ。アミガサをかぶった虚無僧に似ているところからコムソウとかボウズとも呼ばれる。ラップで来るんでレンジチンしてお浸しに・・。身が充実していてアジがいい。

雑木林・・・,ここが仕事場。明るい林床は比較的乾燥しているが、キノコの発生も見られる。自分の敷地でキノコを調達できるところがスゴイ!

オオカメノキ?/ナツハゼ

林内にはクヌギの高木が多く、無数のドングリが落ちて若木が沢山生えている。

ヤマウルシも多い。これを全部引き抜いて欲しいと言うのが仕事内容の1つ。

林の中に歌碑

カワラナデシコ/キキョウ
林の奥から振り返るとはるか先に家の壁が見える。こんな暮らしもあるんだ・・。

松川村の学者村と言われる一画。700坪もあると言う広大な敷地のお家のぐるりに植えられたイチイの木の刈り込み・・。その広いこと・・!

道路に面した西側から刈り込み。ここだけで直線にして70mもあり、しかも道路も私道。ざっと刈り込むのに4時間かかった。午後は北面と東面の合わせて100m。
1日中チョキチョキやって肩が固まってしまった。明日は庭の中の樹木の手入れ。

庭と言うより樹高20mを越えるナラ,アカマツ,クヌギ等が生い茂った雑木林でキノコが採れる。

昨日まで青々としていた苗が萎れかけていた。異変は現在進行形だったのだ。
根切り虫(夜盗虫)かもしれないと思って萎れた苗の周辺を掘ってみたが見当たらない。第一夜盗虫の被害がこれほど広範囲に及ぶことはない。
原因不明,追い蒔きしても同じだろう・・。諦めるしかなく放棄! ダイコンを第1農園に集中させたことが悔やまれる。
キムチ用のダイコンだけでも何とか確保したいと思って大急ぎで第2農園を耕運・施肥して55日系の総太りを蒔こうとしたら種が見つからない・・。
1日も早く蒔かなければならない時になんてこった!
松本1本ネギ,京都九条ネギ,ナバナ,コマツナを播種。隣はルッコラ,さらに隣はハクサイとキャベツ。ホウレンソウも蒔かなくてはッ!

異変
1週間,畑を留守にした間にダイコンが発芽しているはずだったものが写真の通りの砂漠状態・・。

こうなっているはずだったものが・・・,

すでにきれいに発芽してすくすく育つはずだったものまで部分的に枯れている。

発芽がした後で異変が起こった。日照りで萎れたようなものと、虫に喰われたような跡があるものとがある。
未だかつてなかったことで昨日は愕然,呆然として何もする気にならなかった。
1日置いて気を取り直し、これから蒔きなおして間に合うかどうか種苗屋さんに相談すると、あちこちで一度発芽した後で苗が枯れる被害が出て蒔きなおししている人が多いと聞いてすぐに種を買いに走った。
カタダイコンや干し理想等の75日系は無理だが、総太りやネズミダイコン等の55日系はすぐに蒔けば間に合うだろうとのこと。
それでも干し理想はどうしても欲しいのでビタミンダイコンと共に大急ぎで蒔きなおした。総太りとネズミダイコンは明日,マルチを敷いてから蒔く。
話しによると、発芽後の苗が枯死したのは長雨による根腐れという説と日照りによるものと言う説があってハッキリしないとのことだが、そのような長雨やひどい日照りがあったと言う事実はないと言う。何とも不思議なことだ。

一方こちらは8月23日に蒔いた干し理想。順調に育って間引きの時期を迎えた。オオイヌノフグリがビッシリと生えていたので手取り除草して間引く。

まさかこんなに育っているとは・・,と思わず絶句!
毎年,秋口に苗を買って、12月頃,紫色に霜焼けしたものを収穫する。苗が1株50円もするので、今年こそはと種から育てたのだが・・,
いくらなんでも早すぎる。今時,寒さに晒されてもいないものを収穫したのではあの独特の甘みはないだろうに・・,とがっかりした。
記録を見ると、夏至直後の6月27日播種となっている。播種の時期があまりにも早すぎたせいであって、暑い夏に順調に生育して早々と大きな蕾塊をつけたのだからブロッコリーに文句は言えない。
播種を早くしたのは、毎年,夏(遊ぶの)が忙しくて播種の時期を逃してしまうからだが、播種が1ヶ月早ければ収穫も1ヶ月早くなるだろうと単純に思ったのが大間違いで、早ければ生育のスピードがうんと速くなり、遅ければ生育に時間がかかって収穫期が遅くなる・・,と言うことが頭に入っていなかった。

同時期に蒔いたハクサイ,キャベツも順調に育って、ハクサイなどは早々と結球し始めてしまった。年末のキムチづくりに向けてつくったつもりがこれではタイミングが合わないし、今の時期にハクサイなんて・・・,だ。
ハクサイ,キャベツは1ヶ月遅れでもう1度蒔いたのでそちらは霜の頃に結球すると思うが、ブロッコリーは3ヶ月も早く終ってしまいそうで、何とも締まらないことになった。
唯一,期待できるのは、主幹の蕾塊を採った後、脇から出てくる蕾で、実はこちらの方が主幹の蕾塊より美味しいと言うことはあまり知られていない。
12月の収穫では主幹の蕾塊が精一杯で、脇芽を伸長させる余力はないが、今ならそれが期待できそうだ。
子どもの頃,鉄路はどこまでも無限に続いていて、それを辿れば必ず日本のすべてを見ることができると信じ、地図を見ながら見知らぬ町や村に思いを馳せていた。
鉄道のない地域もまだ敷かれていないだけで、いずれはどんな辺鄙なところにも網の目のようにレールが張り巡らされて、いつかそこへ行けるんだと思ったりもしていた。
どこまでも繋がっていると言うことが、子ども達や若者達の夢を支えていた。
成熟した社会と言うものは 、そんな風に都市であれ田舎であれ、人口の多少に関わりなく公平に機会をつくるものだと思ってもいた。
時を経てローカル線が次々と廃止されたり、新幹線と引き換えに本線さえもが廃止され、繋がっていたレールはズタズタにされて夢も砕け散った。
だが諦めたくはない。線路がなければ歩いてそこを繋いでやろう・・。
窓の外に広がる景色や人々の暮らし・・,青々とした海や緑いっぱいの野山,丘や小川,小さな町や村の田んぼや畑やそこで働く人々,街の活気と雑踏,踏み切りで待つ人々・・,そう言うものを見ながら人は旅をする。時には窓を開けてその町の空気に触れたり、わずかな停車時間であっても何気にホームに下りて見たくなったりもする。
眺めたり触れたり、話したり考えたり、物思いに耽ったりしながら人は旅をする。それにはそれにふさわしいスピードがある。
新幹線や高速道路で日本中が繋がって高速で走りぬけたところで、子ども達や若者達や人々の夢は育たない。
鉄路の旅を追い続ける一方で、廃止されたローカル線を執拗に歩いて見ようと思っている。

相生で次の電車に乗り替えた時、若い男性が『登山ですか?』と声をかけてきた。旅行の時も登山用の大型ザックにテントと炊事道具,釣り道具,衣類等を詰めているので重くはないが嵩張って結構目立つらしく、声をかけられることがよくある。
登山でないのに登山の時より大きな荷物を持っていてこの手の質問をされると、何だか騙しているようでいささか気恥ずかしい。まあしかしこれが一番便利なので何と思われようと旅のスタイルはこれしかない。
『登山ではないけど山屋だよ』と答えると『広(島)大の学生ですが、高校の時,山岳部だったので・・』と言って隣に腰をかけた。
教育学部で高校の国語教師を目指して古典を学んでいると言うその若者は、青春18切符が使える最後の日なので『京都まで』行くのだが、『出来れば彦根まで行きたい』と言う。
外国に興味はなく、その金と時間ががあったら日本を知り尽くしたいと言う共通点から話しが弾み、電車旅のことや文学の旅の話しなどして楽しい時間を過ごした。
古典を学ぶ立場から芭蕉の奥の細道を追跡的に歩いてみたいと言う若者の言葉から東北の文学旅に話しが及んで、象潟や山寺,尿前,平泉などを廻った経験談を話し、また光太郎庵や賢治記念館,啄木記念館,小泊の太宰治の記念館や津軽鉄道の旅,遠野や三陸の旅等について語った。もちろん信州の旅も推奨した。
電車の旅は好きだが時刻表を調べて計画を立てるのは苦手で、行き当たりばったりの自由な旅をしたいと言う若者に対して『自分もかつてはそう思っていたが、自分が望むように都合よくは電車は来てくれないので、しっかり調べて計画を立てて行かないと時間と金を無駄にするよ・・』と言いたかったのだが、それは彼が自分で経験していずれ分かってくることだろうと思い、『時刻表を調べるのって面白いけどなぁ〜』と言うに留めた。
京都へは『源氏物語千年紀』の関わりで、また、彦根へは安政の大獄を強行して桜田門外の変で暗殺された井伊直弼が第13代藩主だった彦根城を見ておきたいのだと言う若者に対して、私は無責任にも『京都から彦根までは近いから、どうせなら彦根まで行っておいたら・・』と言ってしまい後刻,後悔することとなる。
電車でも車でも何度も通っているのに私は彦根の位置を正確には把握しておらず、京都から30分程度だと思っていたが、彦根は米原の1つ手前で、電車は野洲で乗り換えなくてはならず、京都からは1時間もかかって15:16の着だった。
岡山の実家まで帰れればいいと言う若者に残された彦根での滞在時間は最大19時までの3時間あまりであろうか・・。
松本に帰って調べてみると彦根発18:54の快速が相生着21:40で、21:57の岡山行きに接続して岡山着23:01でこれが最終となる。
多分これを利用することになるだろうが、もしそれより遅いと彦根発19:51の文字通りの各駅停車で相生着23:44(赤穂着23:56),最終的には彦根発20:26の快速で姫路着22:46,40分待って23:31の赤穂行きに乗れば相生着23:50(赤穂着は0:02)で、いずれも相生または赤穂泊まりとなり、岡山までは帰れないことになる。
果たして彼が18:54の快速に乗ったかどうか・・。彦根城を訪ねて興が乗れば3時間あまりではすまなかったかもしれない。
気になってメールを入れておいたら翌日返信があり、『昨夜は午後10時くらい,相生で終電を迎えてしまいました・・,で始発でやっと岡山に着きました。やっぱり僕には少し計画性が必要みたいです』とあった。若者らしくネットカフェで夜を過ごしたらしい。宿賃と相生〜岡山間の運賃を無駄遣いさせてしまったが、多分それは想定許容範囲内だったのだろう。
※多分これ⇒ 彦根19:24⇒21:47姫路22:05⇒22:24相生
若い人には旅をして欲しいと思う。とりわけ教職を目指す人であれば尚更旅をして見聞を広めたり、思索を深めて欲しいと思う。

7日夜はかねてから狙っていた東港の一番外側の堤防で夜通し釣る。この場所は5mあまりに渡ってテトラで守られているが、テトラの尖った部分と平らな部分が交互に上になっているのが釣人にとって好都合で、潮が低くてもかなり先の方まで降りて行けるので釣りやすい。
8月のキャンプ後のお礼参りの際,徹夜で釣ってメバルの好ポイントであることが分かっており、秋になってメバルがさらに寄ってきていると思われた。

4.6mの渓流竿にミチイト1.5号,ハリス1.0号,ハリはチヌ3号,ガン玉中,餌はアオムシまたはフナ虫。暗闇の中で電気ウキやケミ蛍などの発光目印はなく手に来るアタリだけが頼りの探り釣り(脈釣り)。
メバルのアタリは大きさに反比例する。すぐに鋭いアタリがあって15cm級のメバルが立て続けに釣れるがすべて放流。微かにひっかかるような,あるいはコツンと言う小さなアタリの場合は大きいものが期待できる。
この夜は好調で、3時過ぎまでに25cm以上のカサゴを3尾,メバルは18〜24cmを11尾,それ以下の放流サイズを16尾,計30尾を釣ってそのうち14尾をゲットした。

カサゴの引きは強烈で、根に潜ろうとしてぐいぐいと引く。もちろん根に潜られればそれまでだし、かと言って強引な引っぱり合いをすれば切れる。潜られないように、しかし引き過ぎないように竿の弾力を利用して頑張っていると向こうが力を使い果たして上がってくる。
竿が柔らかければたわめる力が大きくて引っ張り合いがより面白くなる。こちらも竿の弾力を利用できるが、それは向こうにとっても有利に働く場合があり、逃げ切るチャンスが生じる。その駆け引きがたまらない。竿が強すぎるとその妙味がなくなってつまらない釣りになるのだ。
この夜は竿が短かかったのでラインを長く取ってバカを出していたため、3尾のカサゴは重すぎて竿を立てても手元まで上がって来なかった。なのでやむなくラインを手繰って引き上げた。

カサゴは見た目は立派だが頭が大きくしかもその大半は口であるため、頭を落とすと残った身は思いの外少ない。メバルも口は大きいが頭より胴部が大きく身も多い。どちらも煮つけて美味しい魚で、特にカサゴの頭や骨からはいいダシが取れるので吸い物やアラ汁にいいし、頭にも結構身があって旨い。

TAKAHARUさんにアジ釣り漁に連れて行ってもらった。アジ釣りと言っても延縄の一種で、1本の長いライン(釣りではミチイト)に疑似餌ハリのついた枝のライン(同ハリス)を40〜50本結んだものをアジの群れの中に投入してゆっくり引きながら釣ると言うもの。

疑似餌のついた長いラインを投入した後、重さ4kgもの錘を使って水深60mの海底付近まで沈めてゆっくり引っ張る。4kgの錘は仕掛け全体を一気に海底まで落とすためのもので、それとは別に1本1本の枝ハリが浮き上がらないようミチイトに当たるメインのラインには20cmの間隔で鉛玉の錘がつけてあるので全体としては相当の重量になる。
TAKAHARUさんが時々ラインを持ち上げてその感触でかかっているかどうかを探る。『かかっている』と言って持たせてもらったが、仕掛け全体が重いのでよくは分からなかった。
しばらく流しながら引っ張った後、船べりに取りつけた据付型リールとでも言うべき巻き上げ機で引き上げる。
1回目は空振りに終わったが2回目にはかなりの数がかかり、大きなものも数本いた。アジに混じってワカナ(ヤズの仔魚)がいたが、タモで掬う前に逃げられた。

付近には同じようなアジやヤズ(ワカナ)狙いの船が数艘いて狭い海域で漁をしているのでお互いの仕掛けが絡み合ったりしないよう常に注意を払い、また潮の流れを読んで船をコントロールしながら漁をしなければならないので素人が同行しても邪魔にこそなれ手助けにはならず、出来るのはせいぜいハリを外すことくらいだが、それとても自動的に巻き上げられるスピードに合わせるとなると簡単ではない。
それでも梶を右に10度とか元に戻す・・,ニュートラルから微速前進に・・,等の操船を手伝い、3回ほど流して終了した。

漁師さんの釣り漁は、釣り船での釣りや陸からのサビキ釣り等,いわゆるレジャーとしての『釣り』とはまったく違うもので、まさしく職としての『漁』であるから、仕掛けの準備,魚群の探知と釣り場の選定,漁にかける時間,スピード,効率等,あらゆる面で厳しさがあり、その一端を垣間見た気がした。
持ち帰ったアジは背開きにして干す。

本来は一直線にまっすぐ張られているロープだが、底引き網の船に引っ掛けられて曲げられたり切られたりすることもしばしばで、時には密猟者によって無法に獲物を盗られた上にロープが団子状態で放棄されていることもあると言う。
この日もまっすぐに微速前進するはずの船が途中で大きく曲がるのがわかった。
最終日の今日はツボを海に返さず、船に積み上げて回収して行く。普段より手間のかかる作業で、一度に回収できる数に限度があるので何回かに分けて回収する。2時間弱で200コのツボを回収した。

引き上げられたツボの中のタコはしばらくすると自分でツボの中から出てくるが、タコツボを海に返す場合はすぐに引き出さないと作業が滞るのでタコが自分で出てくるのを待ってはいられない。

ロープを自動巻き上げ機で巻き上げると次々とツボが上がってくる。この間,船はニュートラルの状態でこの自動巻き取り機に引っ張られながら前進している。1本のロープには800コのツボが取り付けられており、それが2本入っているのだそうだ。
ツボの間隔は約10m,次のツボが来るまでの時間は約20秒。その間に引き上げたツボの中のタコをすばやく追い出してツボを海に返さなければならない。ツボの中のタコを無理やり引き出そうとするとタコは吸盤でツボの内側にピタッと貼りついてしまい、一旦そうなったら大のおとなでも剥がせるものではないらしい。モタモタしているとツボが船の上にたまってしまい、ロープが絡んだりして船が進めなくなってしまう等のトラブルの元になる。

そこで予めママレモンの容器に塩水を入れたものを用意しておき、ツボの中のタコにピュッとかける。そうするとタコは目を保護するために慌てて出てくるのだそうだ。
こうして巻き上げ機のスピードに合わせて次々とツボを引き上げ、タコを取り出してはツボを海に返す作業が延々と続くのだが、最盛期には7割以上のツボにタコが入っていることがあり、そうなると息つく暇もない作業の連続となる。
そんな甲板上をタコが這いまわって溢れ返る沸きかえった様は一体どのようなものであろうかと、想像すると心が躍る。

この笑顔に会いに行く

今年4度目の平郡島訪問のため明日出発。目的はKojiさん,Takaharuさん,Masakazuさん等Urabe3兄弟とJunさんの漁の取材と平郡等での今後の活動展開に向けての拠点開拓。平たく言えば空き家を1軒借りようと言う話しでその物件探し。
実現すれば『大人の冒険学校〜山のあしおと中学校』として、年間を通して同島へのキャンプ・ツァーを組んで瀬戸内の海と島と人のよさを多くの人々に知ってもらおうと言う計画のための第1歩。足繁く島を訪れて島の人達と交流を重ねて行きたいと思っている。
目玉が飛び出るほど高いニンニクの種(あれは種ではないなぁ・・,球根,あるい鱗片? 何と言うのだろう・・?)を植えつけた。マルチをかける前にたっぷり雨が降って畑がしっかり水を吸い込んでくれた上に、植えつけ後も雨で大いに助かる。
中に1個の粒が2つに割れかけて2つになりきってない馬鹿でかいものがある。何しろ高いのでこう言うのは2つに分割したくなる。
ジャガイモの場合は芽を含んでいくつかに切り分ければそれぞれから芽が出て成長する。ニンニクも栄養生殖だから2つに割っても発芽するかも知れないが、発芽点が1つしかないからそれは不可能に違いない。
不可能に違いないとは思いつつ『欲張り(けちん坊)は発明の母』とばかり実験してみることにした。発芽点と思われる先端の部分をカッターナイフで切って、それぞれを植えて見たが・・、やっぱり無理だろうなぁ・・と言う気の方が強い。果たして如何。

今日時点で3枚(人)分と2枚(人)分の計5枚(人)分が残っていて、使い切れそうにありません。
明日から平郡島に行くので3枚の方は使いますが、2枚(人)の方が余るので欲しい方があれば譲渡したいのですが・・・。
使えるのは10日まで,今日しか発送の時間がありません。 連絡先はSNSに・・。

あまってら農園唯一の肥料は某牧場の牛糞堆肥。その牧場が廃業することになり、貴重な堆肥の供給源がなくなってしまった。これが最後の2t。
来年からどうしよう・・,まったくあてがない!

大根3種の播種終了。干し理想の他に、信州地大根(カタダイコン),ビタミンダイコン,約500本分。後は総太りと中之条大根(ネズミダイコン),各100本程度。

干し理想発芽
雨がたっぷり降ったのでチャンスとばかりマルチを敷いてニンニクの植えつけ(明日)に備える。
タマネギの播種も済ませたが、タマネギはなかなか揃って発芽してくれずうまく行った試しがない。『今年こそは!』と思うが、管理が行き届かない。今年も蒔きっぱなしになりそう・・。

こぼれんばかりのタラの花
下山
12:50発,稜線付近の花を惜しみながら下る。ハクサンフウロが格別きれいだ。下りで道を見失った地点を確認したが、上から下ると難なく通過してしまうような場所で、ただ目印を見失った沢の中にある岩にはっきりと矢印で行く先が記してあったのを見落としていたことが分かった。
13:48,最後の水場まで下って弁当を食べる。14:03発,同27地獄谷の渡渉点を通過。登りの際、この先で道端にとんでもない大きさの真っ黒な糞を見た。さすがにギョッとして大きな声で『お〜い』とか『ヤッホー』,『ここにいるぞぉ〜』等と叫びながら歩くが、その声も周りに沢音があればまったく聴こえない。熊鈴などは何の役にも立ちはしないのだが、あんなも
のが気休めになると言う人は余程度胸があるのだろう・・。
飛ぶように下り14:37、裏金山谷を渡渉して10分休憩。47発,15:07金山谷に到達。イナゴを餌に釣って見ようと竿を探したら途中で落としたらしくなくなっていて断念。渓流竿が残り1本になってしまった。
金山谷からはロープのある斜面の細道を辿って一山越え、30分で滝沢を通過。15:52,駐車場に帰着して調査山行を終える。16:00発,途中で小谷温泉露天風呂に入浴して19:00頃帰宅。 走行距離215km
余談
山で見たくないものはペット。近頃は上高地などにペットを持ち込む人が多いそうだが、他人のペットと一緒に登山したくはない。野生動物にとって犬は脅威であるし、エキノコックス寄生虫病のように病気を持ち込んで伝染させたり、逆にもらったりする危険性さえある。
山で聞きたくない音は熊鈴の音。すれ違う程度ならまだしも、同じ方向に行く場合は下手をすると一日中つき合わされる羽目になる。風の音や川のせせらぎ,鳥の声,あるいは無音の世界に浸りたいのにあの音は無神経で傍若無人でさえある。
風鈴殺人まで起きる時勢であるが、いつまでもなり続ける音と言うのは時に苦痛を感じさせるものだ。第1あんなもので熊がよけられるとは思えない。200mも離れたら人間には聴こえないし、沢音があればかき消されてしまう。
山で嗅ぎたくない匂いはタバコの匂い。せめて風下で吸うくらいの気配りをして欲しいものだ。
兎にも角にも11:57分に登山道を発見した。だが薮の中を滑り降りる途中,あのずり落ちそうになりながら登ったガレ場は見なかった。それは、この登山道が道を見失った所より前方だと言うことを意味する。それに気づいて下山するのを止め、登り方向に向かって歩くとすぐに広いカール状の原っぱに出た。一帯は溶岩が点々とする平原でアオノツガザクラの大群落が見られた。
先刻来の激しい登降で右足の大腿部が硬直して引きつってきたのでその一画に座って周囲の景観に浸りながら休み、英気を養う。一度はガスに覆われて怪しくなりかけた空が再びパァ〜ッと晴れて涼しい風が吹き、花に囲まれて気分が爽快になると富士見峠を見極めたいと言う意欲が湧いて来るのを覚え、2つ目のおにぎりを食べて立ち上がる。
12:05発。そこからの道は刈り払ってはあるもののネマガリダケの鋭い切り株があったりオオイタドリに覆われたりして決して歩きやすくはなかったが、行く手に焼山〜金山の稜線と富士見峠であろうと思われる鞍部が見えるのが何よりの強みで、加えてハクサンフウロやエゾシオガマ,キンコウカ等の高山らしい花に彩られた周辺の雰囲気に魅せられて気分よく歩くことが出来る。
4年前に宮下健司氏から『焼山の西に広がるお花畑を通って越後早川から信州に抜けるもう1つの善光寺街道がある〜』と聞かされて以来,夢に描いてきた楽園のようなそのお花畑に無数のアサギマダラが舞う中をゆっくり歩いて富士見峠に着く。時刻は12:32。
そこから裏金山や金山は指呼の間であるし、見上げれば東には焼山の岩峰が屹立している。北側を覗けばすぐ下にも湿地帯があってそこにも花が見えた。稜線を20分も歩けば『泊岩』まで行けるだろう・・,だが疲れていたし明るいうちに下山したかったのでこの日はそこまでとする。12:50発,下山路へ。
信越古道は必ずしも富士見峠を通るものだけではなく、いくつかのルートがあるようで、また富士見峠を通る場合でも今回調査の杉の沢〜富士見峠のルート以外に金山を通って乙見峠,または前回調査した金山〜天狗原山ルートも考えられる。
このうち奥裾花渓谷を経て鬼無里に向かうとすれば乙見峠のルートが最も有利な道取りであるように思う。いずれこのルートも探索してみたいものだ。
9月1日,気象庁は08年の『梅雨入り,明けと梅雨前線の特徴について』を発表した。これによると北陸の梅雨明けは速報値の7月19日から立秋前日の8月6日へと大幅に修正されている。2日や3日のずれ,大きくても1週間程度のずれならともかく、3週間もの修正である。
ちょっと大きすぎるんじゃないか・・,と驚いた。
関東甲信の梅雨明けの平均値は7月19日,北陸のそれは7月22日である。これに対する08年の速報値は、関東甲信が7月19日ごろで平年並み,北陸は平年より3日早い7月19日ごろとなっていた。
昔は『梅雨明け10日』と言う言葉があって、7月20〜30日頃が『山の天候が最も安定する時期』と言われてきた。近年の気象変動でそう言う実感はあまりしなくなったが、意識の底には『梅雨明け10日』と言う感覚めいたものが居座っていて、それに支配されやすい年代である。
気象庁の発表であっても鵜呑みにしてはいけないとは思いつつも、日頃から気象について充分に注意を払ってその動きを追い、独自の見解を持てるほどの気象通ではない。なので『ずいぶん早い梅雨明けだなぁ』と思うその次には『今年の夏は暑くなるんだろうなぁ』と言う思いが来て『7月後半は山は大丈夫だろう・・』等と迂闊にも単純に思ってしまった。この安易さが命取りになるところだった。
7月27日は若狭湾から新潟にかけて大荒れの日で、平地でもテントが吹き飛んで死傷者が出るほどだった。白馬稜線では予報は出ていたものの予想を越える激しい雷雨と強風で60代の夫婦が被雷し、県警のヘリが捜索する騒ぎがあった。
以下はその様子を伝える記事
『27日午後2時50分ごろ、北アルプス白馬岳(2932m)付近で、岐阜県中津川市の男性(66)と妻(60)が落雷に遭い、手足がしびれて歩行困難になったと、同じパーティーの仲間が白馬山荘を通して通報した。県警ヘリなどが捜索したが発見できず、翌28日午後、白馬岳から約3キロ北の雪倉岳の避難小屋に自力で避難していたところを発見され救助された。男性は足に軽いやけど、女性は無事だった。大町署によると、山小屋にはほかに、千葉県の50代の夫婦と兵庫県の60代の男性も落雷を避けるため避難していたが、けがはなかった。2人は同県の登山サークルのメンバー計6人で27日白馬岳に入山。29日に下山する計画だった。27日昼頃、三国境から同山荘に向かう途中だった。ほかの4人は山荘にたどり着き、無事だった。落雷の後、2人は「手がしびれる」などと症状を話すことはできたが、パニック状態だったという(「歩行困難になった」の報も)。一帯は当時、激しい雷雨だった。』
(産経新聞、時事通信、信濃毎日新聞、NHKなどからデータ引用・抜粋した〜『山道を行く〜遭難カルテ』http://yamayakenta.blog51.fc2.com/blog-entry-460.html の記事から引用)
同日,同時刻,私は白馬鑓から天狗山荘に向かう稜線上のハイマツに潜りこんで雷雨と強風が収まるのを待っていた。
その事態に至ったのは事前に前線の動きを調べもせず、また雷の予報が出ていたにも関わらず安易に稜線に入ったことに尽きるのだが、『梅雨は明けた』と言う思い込みがあったことは確かで、しかしハイマツの中で寒さに震えながら『梅雨は明けていない,夏はまだ来ていないではないか・・』と喚きつつ、『天候の判断は自分でしなければ駄目だ』と言うことを思いっきり実感していた。
なので今年の梅雨明けに関してはいずれ修正の発表があるだろうと予測していたが、まさか3週間もの大幅修正があるとは・・,でも実際がそうだったんだよね!
翌8月7日は立秋。梅雨明けと共に秋が来たのだった。確かにその日から風が変わったのを暑い最中の広島でも感じた。まして北陸や信州では短い夏だったのだ。
気象庁にとってもこの修正は屈辱だろうしつらいだろうなと思うが、現場では命に関わるので同情している訳には行かない。
それでも登山現場は自己責任である。現場での感覚をより研ぎ澄まさなければならないし、それ以前に過信と無知を戒めなければならないと強く思った次第。
以下,発表内容の原文
『
報道発表資料
平成2 0 年9 月1 日
気象庁
平成20年の梅雨入り・明けと梅雨時期の特徴について
平成20年の梅雨入りは、沖縄・奄美と東北地方ではかなり遅く、東日本と西日本ではかなり早かった。梅雨明けは早いところが多かったが、北陸地方と東北南部はかなり遅かった。降水量は、6月は平年並のところが多かったが、7月は東日本と西日本でかなり少なかった。
気象庁では、毎年、春から夏にかけての実際の天候経過を総合的に検討し、各地の梅雨入りと梅雨明けの確定及び梅雨時期の特徴のまとめを行っています。今般、平成20年の梅雨についてとりまとめた結果は以下のとおりです。
1.梅雨入り・明け
今年の梅雨入り・明けを別表1、2のとおり確定した。
2.確定値のポイント
(1)梅雨入り〔九州北部、中国地方〕
速報での梅雨入り発表後はおおむね予想の通り経過したものの、日照時間や平均雲量など、より長い期間の天候経過及び九州南部や四国地方の天候経過との比較などから、これらの地方と同じ日を梅雨入りとした。
(2)梅雨明け〔北陸、東北地方〕
速報での梅雨明け発表後も、北陸、東北地方では前線の影響を受けて予想に比べて晴天が持続せず、また7月下旬には北陸地方で前線による大雨が発生したことなどから、この前線の影響が解消した後の梅雨明けとした。
3.梅雨時期の特徴(詳細は別紙のとおり)
(1)梅雨入り
沖縄・奄美と東北ではかなり遅く、東日本と西日本ではかなり早い梅雨入りとなった地方が多かった。
(2)梅雨明け
早い梅雨明けとなったところが多かったが、北陸と東北ではかなり遅かった。
(3)梅雨前線
梅雨前線は、5月と6月は日本の南の海上に停滞することが多かった。7月は平年に比べ活動が弱かったが、下旬には北陸から東北にかけて停滞し、局地的な大雨となったところがあった。
(4)降水量
降水量は、6月は九州南部、関東甲信でかなり多く、東北南部でかなり少なかったが、そのほかは平年並のところが多かった。7月は東日本と西日本でかなり少なかった。
本件の問い合わせ先:予報部予報課 03-3212-8341(内線3127)
地球環境・海洋部気候情報課 03-3212-8341 (内線3154) 』
10:05,最後の水場を通過。ここまでの登山道は背丈の倍ほどもあるオオイタドリやネマガリダケの薮を切り開いたりしてよく整備されており、赤いテープの目印もよく目につくように取りつけられていた。
しかし、焼山の登りに入ってからはよく踏まれた間違いようのない道とは程遠い、よくもこんなところ道をつけたものだ感心するような道で、整備するにも難渋したであろうことが容易に推察できた。部分的には切った木の枝や葉が片づけられずに放置された所もあり、テープを探しながら歩くのも容易ではなかった。
10:37,小休止しておにぎりを食べる。10分後出発。道はジグザグを切りながらも焼山の正面を避けて西へ西へと斜上して行く。
沢状にえぐれた場所をまっすぐ上に向かっていた赤い目印が突然消えた。沢状の部分を遮二無二登って突破すればそのうちテープが見つかるだろうと見当をつけて上に行くとガレ場の下に突き当たり、滑りやすいその斜面を慎重に這い登ってさらに上を目指す。
ルートからはずれていることは明らかだったがその斜面を登り切った上に小さな雪田があり、その上にもう1つ裸地の斜面があって踏み跡のような感じのものがあり、そこを登れば何とか稜線に出られそうな気がした。
ズルズルと滑り落ちそうな裸地の斜面を横切り、左の潅木帯に入って踏み跡を探したがそれらしいものはなく、そこからはカバノキとネマガリダケの薮漕ぎとなる。裸地の上に到達して行く手の左右を見れば樹間に空が見えるが、迂闊に横に移動すると帰りで道に迷う恐れがあるのでまっすぐ上に登る。潅木やネマガリダケに掴まって腕力だけで自分を引っ張り上げるのはきつく、たちまち腕が鉛のように重くなる。ともすれば横に逃げたくなる誘惑を振り切ってまっすぐ登るのは精神的にもきつい。
まっすぐ上がれば巨岩にぶつかることもあり、そう言う場合は左右どちらかに廻るしかないが、その場合は自分がどう動いたかを頭に叩き込みながらとにかくまっすぐ上に登ることを心がける。
11:27,斜面が幾分緩くなってそこにコケモモの実が群生している場所に着き、コケモモを頬張って喉を潤す。終らない斜面はない・・,と気張っては見ても2400m(後で知った)の山頂に向けて直登しているとするとまだまだ斜面は続く。(2100mくらいと思っていた)。
コケモモの広場からさらに斜面を10分ほど登ってようやく向こうに切り立った岩峰が見える位置まで来た(11:37)。小高い丘のようなその場所は、山頂から南に張り出した支尾根の末端と思われた。覗けばそこから下は断崖のようなもので、そこまではその断崖を這い登ってきたのだった。
その場所から岩峰までは厚い潅木帯でそこを突破する余力はすでになく、撤退を決める。
元の道に戻れるかどうかと言う不安を抱えながら、頭に焼きつけた岩や立ち木や倒木を辿りながら慎重に下る。途中まではよかったが、徐々に西に寄り過ぎている気がして左へ左へと修正しながら最後は適当にどんどん下る。最悪の場合でも来た道の1つ西の谷に下るかもしれないが、その行き着く先は最後の水場の沢の隣の枝沢で、そのさらに下は地獄谷である。
そんなことを考えながら下っていると突然見慣れた道に出た・・・,と思った。見慣れたと言うのはオオイタドリを刈った整備された道と言う意味であるが、さっき通った道のようにも見えた。
時刻11;57。とまれ、これで無事帰れると思って引き返そうとしたが・・・,『ハテナ?』 下る途中で明らかに西へより過ぎていたのに元の道に出られる筈はないではないか・・・?
9:05発。沢を渡るといきなりの急登となり100mほど登って1454mのピークのすぐ北東を通過すると、左手に聞こえていた金山沢の沢音が消えて逆に本流の沢音が聞こえてくる。そこからは緩やかな下りとなり、40m下って本流に接近した後、裏金山沢の右岸に出る。すぐに対岸に渡るのでなくそのまま右岸に沿って50m余り進んだ所が渡渉点(1410m)で、9:27にここを通過する。
そこから先はほぼ本流に沿って平坦な湿地帯を進み、10分で地獄谷の渡渉点に到達する(9:37)。休憩5分。
9:42発。本流は渡渉点の70m下流で地獄谷を分けており、そこから先は本流を離れて地獄谷に沿って進むが、やがて地獄谷は西に折れて裏金山に向かい、一方登山道は沢から離れてまっすぐ北進し、焼山の南斜面の登りにかかる。
1544mのピークから先は緩やかな登り。10:05に地獄谷の支流であり最後の水場でもある小沢を通過すると始めは左(西)よりにトラバースして1700mまでゆっくり高度を上げた後、一転して急登となる。
この後、200mあまりのこの急登の途中で突然道を見失うこととなる。
8月31日(日)
5時起床。炊事棟で朝食の後、杉の沢へ移動。一点の雲もなく快晴。6:00発。第2堰堤の落ち込みで竿を出してみたがアタリがなく、6:20に竿を収めて登山道に戻る。
10分で前日の入渓点に到達。沢に寄らずにそのまま進むとロープが張られた崖があり、そこを下ると入渓点の少し先の河原に降りる。そのまま右岸を進むと滝沢という沢にぶつかり、これを渡って本格的な登りになる。
100mほどを一気に登って1427mのピークを右に巻きながらほぼ水平に進むと、本流に沿って谷底にまっすぐ滑り落ちるスリバチのような斜面の中腹につけられた道へと続く。その殆どがガレ場で途中に6ヶ所のロープがあると言う不安定な道をわずかな登り下りを繰り返しながら進むこと40分余で金山谷の渡渉点に到達(7:03)。
降り口にちょっとした淵があり、試しに竿を入れるとすぐにアタリがあって25cmくらいのイワナが姿を見せたがハリがかりせず、再度の投餌にはまったく反応がなかった。ここで荷を降ろしてしばらく釣りに時間を割くことにする。
本流までは約180mでこの間に20cmクラスの痩せたイワナが1尾かかり放流。本流に出て釣り上がり、大き目の淵の落ち口に竿を入れた途端に強い引きがあり、水面まで引き上げると予想を越える40cm級のイワナで、流心を避けて緩やかな方へ寄せようとした瞬間に身を翻し、いとも簡単にハリスを切って逃げた。
その後はアタリがなく、さらに200m余り釣り上がるもまったく反応がなくなって釣意を失い渡渉点に戻る。渡渉点の上流にもほどよい淵があり、竿を入れるとすぐに釣れたが20cm未満,さらに何度かアタリがあったがハリがかりせず。この沢のイワナは押しなべて1度しか餌を追わない。
9:00納竿。以後は登山に専念する。
小谷温泉からの道々,満開の萩の花が豪華なので写真を撮ろうとしてチップを忘れたことに気づき、せっかく釣行,山行なのに写真が撮れないとは・・,とがっかりする。なので今回は写真がない。
釣りの支度をして真川沿いの登山道を歩き始めると、上から2人連れのフライマンが下ってきた。『どうですか?』と聞くと『いやぁ〜,全然アタリがなくて〜』と、後半はゴニョゴニョ口ごもって足速に去った。この先に餌釣りの人は多分いないだろうと踏んで道を急ぐ。
第1堰堤から100mほど遡ったところにもう1つの堰堤があり、そこは山側に巻き道がつけられていて、そこを越えてぬかるんだ登山道を10分ほど歩くと沢に出たのでそこから入渓する。多分そこは先ほど下って行ったフライマンが竿を振るった場所で場荒れしていると思ったが、そこから先の登山道は100m以上の登りになり、しかもかなりの距離を沢から離れて歩かされることになるらしいので、あまり期待できないのを覚悟で入る。
ミチイト0.8のスーパーラインに出来合いのヤマメ8号,ハリスも0.8。餌はブドウムシ。淵あり、瀬あり、トロ場ありの3拍子揃ったいい渓相でボサや枝の張り出しもなく釣りやすい。それだけに入渓者は多いらしくアタリは出ない。
淵よりもトロ場で最初のアタリがあり姿を見せたが20cm弱ですぐに餌を離してしまい2度目はなかった。小滝の落ち口でも同じサイズが餌を追って姿を見せたがくわえずそれっきり。その後も2〜3度アタリがあったもののハリかかりせず、流し終わって返すハリに20cmにも満たない痩せたイワナがかかったのを放流する。全体に反応が弱く、そして1度しか餌を追わない。
その後は大きな淵でも瀬でもまったくアタリがなく、テンカラに切り替えて流しながら下るも反応がないまま入渓点に戻り、3時間遊んで釣果なく納竿。
杉の沢橋から3km走ると笹ヶ峰キャンプ場で、翌日の天候回復を期待してその駐車場に車を停めて朝を待つ。管理人が誰もいなかったので炊事棟を使わせてもらって食事し、早々に寝る。
安曇野市から杉の沢Pまでは97.5km,笹ヶ峰CP場までは100.5km。

8月30日(土)
じゅんちゃの友人グループが杉の沢(真川)で30cm超級を40尾釣ったと言う情報を聞き、信越古道の調査を決行するなら禁漁期に入る前にと8月30日に笹ヶ峰林道から杉の沢に向かった。
先日来の集中豪雨で日本中どこもかしこも雨。信越国境の妙高山域は雨雲はないものの予想では雨。6月28日にも調査を試みたが林道が封鎖されたままで通れず、対象を金山に変更したと言う経緯があり、今回も登山口まで行けるかどうかさえ不明。とりあえず小谷温泉経由で杉の沢に向かうつもりで4時に起きて用意したが雨が強く、しばらく様子を見て10:30に家を出る。
笹ヶ峰林道は乙見峠前後の非舗装部分の荒れこそ激しいものの通行に支障なく、13:30杉の沢橋に着く。
便宜的に杉の沢と書いたが、杉の沢と言うの地名であって沢の名は真川と言い乙見湖(笹ヶ峰ダム)に注ぐ。真川は杉の沢橋から200m上流で鍋倉沢を右に分ける。
真川本流は約1km上流で左に滝沢を分け、鎧山(1730m)の西を廻り込むように北進して2km先で金山谷,2.7km先で裏金山谷を左に分ける。さらに北進する本流は3.3km先で大きく2分し、左俣は地獄谷本流として裏金山へ、右俣はヌルイ沢などに分岐しながら火打山へ突き上げる。
杉の沢からの登山道は、この真川本流と左俣の地獄谷に沿って何度か渡渉を繰り返しながら最後は沢を離れて焼山の南斜面を1900m付近まで直登気味に登り、左(西)にトラバースしながら2003mの小ピークを廻り込んで焼山西方,金山への稜線に到達するとそこが目的地の富士見峠である。
これらの情報は後づけしたもので、出かける前に大急ぎで2.5万図を印刷して継ぎはぎしたものを歩き出す段になって初めて見ると言う不勉強で、相変わらずのドタバタ登山である。
道の杉の沢橋から150m入った所に駐車場があり、新潟ナンバーの軽トラが停められてあった。駐車場から草叢越しに第1堰堤が見え、落ち口で2人の男性がフライを振っているのが見えた。そこより上流での餌釣りを試みるべく支度をして14:00から入渓。雨はたいしたこともなくささ濁りの好条件だが果たして如何・・。。

丈余の草/手取り除草後

小型管理機が故障して以来,すべて手起こしで耕している。足腰に来るが健康上はすこぶるよいしガソリンを使わない点でもいい。
ガソリン代高騰の折、除草も刈り払機を使わず手取りでやってみた。と言うのも、草の繁茂の度合いにも程度があって、鉄道草と言われたヒメムカシヨモギやオオアレチノギク,ビンボー草とも言われたヒメジョオンに加えてアカザやシロザ,アキノノゲシ等の茎の立つ雑草が背丈よりも高く、また木にように固く太くなっている状況下ではビニールコードでは歯が立たず、チップソーで刈っても倒れた草が累々と積み重なってそれを取り除かなければ次の作業に移れず、手の施しようが無いのだ。

ここまでに雑草をのさばらせた罪は罪として、これを何とかしないと大根の播種に間に合わない・・。
ところがよくしたもので、今を盛りと生い茂っている時期は根もがっしりしていてなかなか引き抜けないが、盛夏を過ぎて草の勢いも幾分衰えかけた今時分になると思ったより簡単に引き抜ける。
丈余の草が密生してもの凄いと言うよりほかないように見えるが、畑の中では小さな華奢な草はすでに駆逐されてしまっており、残るのは両手で掴んで引き抜く大きさのものばかりなので、1本1本抜いてみると意外と簡単に始末できるのだ。

太い茎の下には大きな根っ子がある。木の根のように深くはないが、枝分かれした無数の小さな根がいっぱいに広がり、その細かな根がしっかりと土を掴んでいるので、それを叩き落すとバラバラに砕けてまるで耕したようになる。沢山の太い根を引き抜くとそこいら中が柔らかく耕したようなふかふかの感じになる。雑草もここまで大きくすると土を耕してくれるのだ。

手取りの場合/チップソーの場合

チップソーで刈った場合は、そこに倒れた草を取り除くのに大変な労力を要する上に、土中に残った根っ子を取り除きながら耕すので二度手間,三度手間になるが、手取りの場合は、草を抜く作業とその草を移動させる作業,根っ子取り除く作業が一連となり、実に効率がよい。チップソーで刈るのと同じ時間を頑張れば柔らかくふかふかの土が現れるのだ。
滝のような汗でびしょびしょになるのも,綿毛になった種子がふわふわ飛んで鼻に入ってくるのもどちらも同じだが、手作業の場合は1本1本抜く度にその場所の土の様子がよく分かるし、バッタやカマキリやコオロギを殺すこともない。
手では抜けず1本だけ残ったギシギシ。これだけは厄介だ。