アーカイブをご覧いただけます。August 2008

久々登場のガッテン式体重管理,1月11日の75.0kg(瞬間76.0)から始めて遂に70kgを割り、69kg台に突入した。
表の青いピンから左は1月10日〜20日までの、右は8月12日から28日朝までのもの。濃いオレンジのゾーンが75kg台で以下,オレンジ74kg台,青73kg台,薄青72kg台,緑71kg台,白70kg台,赤いラインが70.0kg。28日朝,初めて70kgを切った。

08年1月10日〜20日
運動量が減る冬の間だけこまめに体重を記録し、畑仕事やアウトドアが増える夏場は必要ないので放任していたが、デスクワークが続くと増えることがあるので6月以降、記録を再開した。

08年8月12日〜28日朝
結果として、夏場は畑作業に出るだけで食べたエネルギーを使い尽くしていることが分かった。少し意識的に食べる量以上に作業すると面白いように下がって行くのでついつい調子に乗ってしまう。
この1週間はちょっとやりすぎの感がしないでもないが、これでも朝は一生懸命食べて畑に行くし昼もしっかり食べている。それでも作業して大量の汗をかいて帰り、夕食前に計量すると、朝よりも下がっていることがしばしばで、70.0kgを割ったのは実は27日の夕食前の69.6kgだった。
夕飯を早めに摂って夜食しないようにすれば確実に下がる。

27日,第1農園に干し理想,2回目播種。4列×25穴,計100株分。1回目は8月23日,第2農園に約60株分。播種の翌日に雨が降ってすでに発芽。今回も雨が降ってdいい展開だ。
干し理想はタクアン用の大根で、昨シーズンは約60本を漬物にしたところ味よくうまく漬かって殆ど全部食べた。楽しみな大根なのだ!
他に、カタダイコンとビタミンダイコンと言う地大根2種と青首大根1種(総太り)を今月中に、またネズミダイコンと言う地大根を9月上旬に蒔く。
9月上旬にはタマネギの種を蒔き、またニンニクも同じ時期に植えつける。

(ホワイト6片,2kg〜6400円)
ニンニク(ホワイト六片)の種(球根)は1kg当たり3200円もする。1kgで12球しかなく、1球に6片だから全部で72片。1欠け当たり44円にもなる。
比較的よく育ったものでも売値は買う場合の半値程度で1球当たり150円〜200円。手数料を除くと105〜140円にしかならない。しかも全部が売り物になるほどしっかり育つ訳ではない。
仮に7割が売り物になるとしたら50個で5250〜7000円となる。半年以上かかって育てても種との差額は2000円〜3800円で、この中に肥料代等が含まれる。
1kgや2kgつくったところでこの程度なので、売るよりも自分達で使ったり、仲間内に配った方が喜ばれる分だけ気分がいいと言うものだ。
今年は納得のいく形状,大きさのものは5割以下の30個くらいに留まった。そのうちの10個を試しに売りに出したところ、150円(×10)で、手数料を引かれて手元に返って来たのはわずか105円(×10)だった。後は知人に配ったりキャンプで使ったりした。
収入を得ようとすれば10kg,20kgでも足りないくらいで、しかも規模を大きくするからには8割以上の歩留まりで確実に売れる販路がなくてはならない。

そんな訳で商売っ気は抜きだが、せめて7割くらいは納得のいく味,形状,大きさに育てたいので3kg(9600円)買って本気で育てる!

8月5日,五十谷三島から引き上げる日。ここまで、Akkoさんの指導よろしきを得て朝晩の食事は素早くスムーズに運んでいた。いやスムーズに運びすぎていた。
欲を言えばもっと失敗や苦労をさせたかったのだが、この日ばかりはラボと言う集団が150名の子ども達を浜に連れてくることが分かっていたので素早く食事をすませ、10時までにすべてを片づけて浜から東港への移動を開始させたかった。
撤収作業は順調に進み、予定通り10時に出発。ラボの大集団とは朝便のフェリーで東港に上陸し、浜へ向かって歩き始めたばかりのところですれ違い、混乱なく入れ替わることが出来た。
この日は東港の近くの空き地で幕営する予定のところ、Kojiさん等のご好意でお宅に泊めていただき,ドイツ帰りのシェフであるKojiさんが、Takaharuさん,Masakazuさん等と共に海から獲ってきたばかりの新鮮な魚介類をふんだんに使った磯の料理をふるまって下さることになっており、またTakaharuさんには漁が終るのを待って干しタコ造りを教えてもらうことになった。

干しタコづくりまでの数時間,やっと釣りをする機会が出来、船着場で初めて全員揃ってアジ狙いのサビキ釣りを始める。
この日はNaotoの竿によくヒットしてアジや小サバ,カマスの仔などがよく釣れ、例によってその場で3枚に下ろして片っ端から食べながら釣り、釣りながら食べると言うOkkunが楽しみにしていた展開になった。
今回は初日に午後便で島に入ったためにこれが出来なかったのだが、やはり朝便で入って初っ端からこの釣りを始める方がインパクトがあったかもしれない。

上・逃がしておやりサイズ/した・まあいっかサイズ

5日5時,早朝の釣りに子ども達を誘うと、元気になった中2の3人にYuyaがついてきた。
餌のアオムシはとっくになくなったが、岩場にはフナ虫と言う生きのいいを餌が走り回っている。昼間はちょろこく(すばしこく)てなかなか捕まらないが、この時刻だと簡単に捕まえられるので無尽蔵と言える。フナ虫のいいところは小さなフグがあまりかからず、本命の青ベラが釣れる率が高いことでこれほどいい餌はない。
前々日,岩登りをした祠のある岩場が青ベラ(磯ベラ)釣りの格好の場所であることを確かめてあったので4人をここに誘い、1人づつ交代で釣ってもらった。
始めはアタリが分かりやすくするためにウキを使う。ウキが沈み込むと言う明瞭なアタリがあって何尾か釣り上げた後、強い引きがあってやり取りしているうちに根に潜られて仕掛けを取られ、1個しかなかったウキが無くなってからは難しい脈釣りとなる。それでもこの日は食いが立っていた。
ベラは貪欲な魚でよく餌を追い、メバルやチヌのような神経質な魚でもないので場所に当たれば誰にでも釣れる。
砂場にいるシマドジョウのような細長いベラと違って青ベラはずんぐりして幅広く、動きが活発でハリがかりすると根に潜ろうとしてぐいぐいと引く。強引に引くとラインが切れるので、適度に竿を送りながらなおかつ潜られないように引かなければならない。切られても負け,潜られても負け。
こうして切られたり根がかりして仕掛けを取られたりしながらも、各自1〜2尾の青ベラを釣り上げることできた。
よくハリがかりする割には釣り上げるのに駆け引きを要する釣りなので釣りの難しさと楽しさを経験してもらえたのではないかと思う。
初心者の陸釣りの対象魚として磯ベラがベストだ。

Mayu 登場/カレーな夜
Mayu & 母さん登場
4日の午後便でKeiの妹のMayuとお母さんが到着し、中2娘が3人揃って女の子達が俄然元気になった。
夕食はTomさん一家と一緒に野菜たっぷりカレーをつくることになった。Tom&母さんはカレーにはちょっとうるさい。食材はあまってら農園から運んだジャガイモとタマネギ,ニンニクにTomさん持参のナス,ニンジン,島で頂いたとカボチャ・・。
2人の協力に新戦力・Kei母さんも加わって期待以上の美味しい出来となり、華麗でかれ(辛)いなカレーの夜となった。
明日は五十谷三島を離れて東港のKojiさん宅に泊めてもらうことになっているので今日が浜の最後の夜だが、暑さ疲れのせいか、みな早々に寝てしまった。

今夜はきれいな三日月だった。月が没し、子ども達が寝静まった深夜,潮を見はからって磯に出てみたが、大潮の夜,あれほど沢山上がって来ていたマツバガイやヨメガカサは殆ど見られなかった。貝類の動きも潮が大いに関わっているようだ。

ジャガイモ掘り

小さな訪問者があった。ジャガイモの植えつけの時にもお母さん,おばあちゃんと一緒に来て手伝ってくれたSoraちゃん(2才半)。収穫もちょっとだけ手伝ってもらった。
土の中からジャガイモが出てくる度に『オッ!』 『オッ!』と言いながらイモを追いかけて運んでくれていたが、一緒に飛び出してくるミミズの方に興味が移って、『オッ!』 『オッ!』を連発しながらおっかなびっくり、ちょこっと触っては『こわい〜』と言って手を引っ込め、またちょっとつついては引っ込めて・・,しばらくミミズと遊んでいた。
来年は土の中のジャガイモを自分で引っ張り出せるようになるかしらん・・。

畑で食べる採れたての真っ赤に熟れたトマトが味覚の基本をつくってくれることを願う。
浅植えのジャガイモに無数の食み跡。こちらにも小さな訪問者がいたようだ。多分コオロギだろうが、イノシシに比べたら可愛いもんだ。
キリギリスやバッタ,コオロギ,セミ,トンボ,カマキリ,蛾や蝶,クモからトカゲやカナヘビ等々,畑には無数の虫や小動物がいて食べたり食べられたり・・。豊かな生態系が出来上がって、これも立派なビオトープ。少々の食害には寛容でありたいものだ。
葛の花 踏みしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり
釈 超空(折口 信夫)
葛がマントを形成して山裾を覆っている。日本の山野で葛ほど強い植物はないのではなかろうかと思っていたら、近年問題になっているアレチウリはその葛を駆逐するほど強い有害帰化植物だと言う。
確かにこのところの犀川周辺のアレチウリの繁茂は凄まじいが、葛だって負けてはいない。
葛の葉のマントは日本中の山野の裾を覆って健在である。
恋しくば たづね来て見よ いづみなる 信田の森のうらみ葛の葉
秋の風に翻されて葛の葉がひらひらと裏を見せる。裏見と恨みをかけた歌舞伎の『葛の葉〜キツネの子別れ』の中で、母狐が書き残して去った歌
東山丘陵は八坂村(現大町市)の唐花見湿原から池田町の大峰山につながり、継子落としを経て安曇野市の押野山まで連なる。

森くらより南にあって標高も低いのに、大峰山のクサギは今が盛りだった。5つの花弁のつけ根にある壷から長い蘂がニュウっと突き出しているのがユニークだ、

変化に富むアジサイの花色だが、何とこれは花が緑色!

草薮の中に赤い実が見えた。カラスウリにしては早すぎると思って近寄って見るとハマナスだった。
鷹狩山から大峰山まで、東山丘陵に様々な秋を見た

貝ムラサキとはある種の貝の紫汁腺(パープル腺)と呼ばれる器官から分泌される物質を使って染める貝染めと言う技法(および染められた色,または染め物)のこと。
世界各地で古くから知られており、地中海地方ではフェニキア人によって発見され、ギリシャやローマに受け継がれて『帝王紫』として高貴と権力の象徴として皇帝や聖職者によって独占的に利用されたと言う。
一方,貝紫はメキシコや古代インカでも独自に発見され、また日本でも吉野ヶ里遺跡から出土した弥生時代の銅剣に付着した紫の布が貝染めによるものと判明したそうだ。

貝染めに使われる貝の殆どはアクキガイ科の巻貝で、ここではイボニシと言う殻に突起のある小さな巻貝を使う。
この貝を叩き割ってパープル腺から紫汁を絞り出し、爪楊枝などで字や絵,記号を描く。布は白がよいが
紫色とかぶらない薄い色のものなら何でもよい。

紫汁自体は薄いコバルト色だが、これを紫外線に当てると見事な濃い紫色に変色する。この紫色は紫外線発色なので太陽の光で褪せると言うことがなく、いつまでたっても鮮明な色を保つのが特徴だそうだ。

各自思い思いにハンカチや小切れに名前や好みのマークを書いたりして貝染めを楽しんだ。

『槍ヶ岳に登りたい』と言っていた亮だが、カナダへ帰る日が迫っていて、日程的にも時間的にも宿泊を伴ったり早朝出発の登山は無理となり、登山はやめて一緒に森くらから前越林道・鍬ノ峰の登山口まで行って見るだけにした。
つい先日,白馬大雪渓で崩落事故があったばかりなので、雨上がりで落石がゴロゴロした林道をビクビクしながら走る。
期待したクサギの花はもう終りかけていたがやはり美しい。ハハコグサの仲間は似たものがいっぱいあって分かりにくいが、これは多分ヤマハハコ。

ノコンギクか?/オトコエシ?

ノギクの仲間で紫色系のものには、ノコンギクの他に、コンギク,シオン,ムラサキヨメナ等があって紛らわしい。これは多分ノコンギク。オミナエシに似た白い花はオトコエシか・・。

オオイタドリ/ベニイタドリ

オオイタドリのも白花系と赤花系があるようで、後者には紅花イタドリと言う名があり、別名を明月草と言うそうだ。高山種のオンタデにも赤花系がある。

早くも黄葉し始めたのはシキミか・・。ヤマブドウの葉にこのような赤い刺が出来たものを時々見かける。何ゆえの突起,あるいは何者の仕業なのだろうか?

装飾花が向こうを向いているのが花が終った証拠。アジサイは色の変化が大きい。このままドライフラワーになる。

森くらにアイガモが入った。6月いっぱいくらいまで田んぼでせっせと草を取る仕事をしたアイガモは、7〜11月の間にしっかり肥育させた後,潰されて11月のアイガモパーティーのメインディッシュとなるそうだ。
果たして潰して肉にする過程を子ども達に体験させることが出来るかどうか・・,興味津々。
その運命を知るよしもなく,アイガモ君達はいたって元気!

カナダに留学中の亮が1年ぶりに帰り、畑を手伝いに来たので未収穫になっているアンデス(ジャガイモ)を一緒に掘ってもらった。電柵のお陰で今年はジャガイモが獣害に遭うことなく、ゆっくり収穫できるようになったのが有りがたい。
ジャガイモは気温が25℃を越えると地上部が枯れて肥育しなくなるが、アンデスは高温に強く夏でも枯れずに秋を迎える。その間にも肥育していると思われるが、大きくなりすぎると中に空洞が出来ると言う欠点がある。なのでほどほどのところで掘り上げて大きくし過ぎないことが肝要。
掘り上げたアンデスはほどほどの大きさで、空洞もあまり問題にならないかもしれえない。

8月4日
午後になるとこの夏一番かと思われるほどの暑さになったが、五十谷三島には陽射しを遮るものは何も無い。あまりの暑さに耐えかねて背後の山側の立ち木の手前の草を刈り、頭上に張り出している木の枝を傘にして避難所をつくる。入り口だけを開けて周りの薮はそのままにしておいたので中はひんやりと涼しく心地よい。ただし蚊が多い。

この日の暑さは尋常でなかったので、この後,元気の無い中2の女の子達を町場連れて行き、冷房の効いた買い物がてら涼をとらせる。Junさんが後を引き取って2人をドライブに連れて行ってくれることになる。
一方,男の子達もしばらく浜を離れて涼しい所へ避難しようと言うことになリ、全員で東港に移動した後、島一周のドライブに出る。

島の人達も早朝から昼頃まで働いた後は暑さを避けて涼しいところで過ごし、『真夏の午後は動くべきでない』と仰る。まさにその通りだが、ドライブした山の中は涼しかったので案外そこに活動の場があるかもしれない。
ギラギラの太陽がやや西に傾きかけた頃浜に戻ると、Junさんから『貝染め』を教えたいので『イボニシを獲って来るよう』にと言う指令があり、Akkoさんを連れて磯の貝拾いに出かける。ちょうど潮が引いたばかりの好条件であったが、しかし2日の朝,あれほど沢山いたマツバガイやヨメガカサはまったく姿が見られず、他の貝類もあまりいなかった。
イボニシもあまりいなかったが何とか10個ばかり拾って帰るとすでに貝染め教室が始まっていた。

自分は個人的にあまり大雪渓のコースを使うのが好きでないので、雪渓から登ることははじめから考えていないし、下るにしてもそれは、何らかの事情で変更を余儀なくされた場合しか考えられないが、『いざなったら大雪渓から・・・』と言う意識はいつも持っている。それは安全にエスケープできる,と言う位置づけである。
そういう位置づけでこのコースを考えていた立場からすると、今回の崩落は頭をガツンとやられたような衝撃だった。
10年無事故だろうと100年無事故であろうと起きる時には起きる,と言うことで、それを肝に銘じなければならないと言うことだ。
かつて佐伯冒険クラブの第1回アルプス冒険学校の際,ねぶかっぴらから見上げる杓子岳の岩壁の先端がガスの合間から垣間見える様を『天空の城ラピュタ』に例えた子どもがいた。かれこれ20年も前の話しである。
確かに素晴らしい景観ではあるが、考えてみればそら恐ろしい場所でもある。十数年間大崩落なしと言う事実が安全神話をうみ、ついつい警戒を怠ってしまいがちだが、あれほどの岩壁がほとんど垂直にそそり立つその足元にいて、恐さを感じないと言うのは決してほめられた事ではないんだと思った。
斜面があってそこに雪があれば『いつでも,どこでも雪崩は起こりうる』と考えなければならないと、厳しく教えられたが、雪山だけでなく、斜面があればいつでもどこでも,落石,土砂崩落はありうると言うことを改めて頭と体にたたき込まなければならない。
これまで無事故であったと言うことが、今後の無事故を保証するものではない。にも拘らず無事故であることが気の緩みを生み、安全への万全の備えを怠ると言うことは大いにありうる。安全幻想の落とし穴だ。
今回の崩落事故を、自分の中にいつの間にか芽生えていた安全神話を打ち砕く警鐘としなければならないと思う。
(写真は大雪渓,ねぶかっぴら付近で列をなして待機する登山者。ほとんど動いていない,8月1日)

8月11日午前7時半頃,白馬大雪渓で大きな崩落事故が起きた。崩落が起きた場所は『葱平(ねぶかっぴら)』と呼ばれる、杓子岳に向かう登山道との分岐点付近。1人が亡くなり、1人は行方不明,1人が怪我と言うことで行方不明者の捜索が続けられているが、もう1人登山者がいたと言う情報もある。
白馬大雪渓は、小規模な落石はあるもののここ十数年,大規模な崩落は起きておらず、地元遭対協の人たちでさえ予想していなかったということだった。
実はこれは他人事ではなかった!
今夏の冒険学校は、当初8月9日〜12日と設定していたものを、佐伯FHCとの交流企画となったために7月31日〜8月2日に変更したのだった。
もし、はじめの通りの計画であれば、9日,栂池〜大池、10日,大池〜白馬岳,11日白馬岳〜天狗山荘・・・,と言う日程になり、大雪渓から猿倉へ下るコースは11日のエスケープルートとして位置づけていた。
もし当初の予定通りに計画が進行していれば、私達は10日の夜を白馬岳のキャンプ場で過ごし、何事もなければ左下に大雪渓のコースを見ながらのんきに杓子岳への稜線を歩いていたはずだ。そして事故を目撃していたかもしれない。
もし、10日までの行程でトラブルが発生していたら、11日にはこの大雪渓コースから下山していたはずだ。
崩落が起きたのが7時半と比較的早かったので、あるいはまだ行動していないか、始めた直後くらいかと思うが、いずれにしても何らかの形で崩落事故に遭遇していたことは間違いない。(続く)

Okkunが動きが締まらないのでミーティングをして『活を入れたい』と言い、島に来て初めて話し合いをした。確かに島でのキャンプが始まって以来、それぞれがてんでバラバラに動いてそれなりに楽しんではいるが、皆が何かを決めて行動すると言うことも無ければ、スタッフに指導を求めるでもなく、ただ食事の準備をして食べて海に使ったり休んだり^と、何となく時間が過ぎている。特に2人の中学生たちの元気が無く、日陰で休みがちなのが気になった。
Okkunは体育会系ではないが、それでも多少気合を入れて『話しかけられたら返事をしよう』とか、『やるのかやらないのか、意志をハッキリ示そう』などと言い、活発な動きと共同的な行動を促す。
私は前日来,広島組の方につきっきりで子ども達と一緒に行動でき無かった点を自己批判し、子ども達の顔にやる気が漲ってきたのを見て景気づけのチクサクコールを提案。子ども達もこれに応えて腹の底から声を出し雄たけびを上げて自分達を鼓舞する。
この後,磯での貝拾いを提案し、4人の男の子達と共に磯に向かったが、前夜あれほど大量に獲れた貝類が全然見つからず、貝拾いをやめて岩登りに切り替える。
場所はてっぺんに祠のあるこの岩場。Okkunが立っている所から向こうの水際までの斜面を降りて岩場を左に廻り階段まで戻ると言う設定で、核心部は80度(角)の絶壁を水際まで降りる所と滑りやすい斜面のトラバース。
『恐ければ無理にやらなくていいんだよ』と始めに言ってあるので途中で止める訳には行かず、三点支持を叩き込むために時には怒声をもらって泣き出す場面もあったが何とか乗り越え、少しだけではあるが全員に岩場での歩き方を学んでもらった。
できれば着衣泳などもやりたかったが手が足りない。

目当ての貝類が手に入らず、朝まづめの時間帯も過ぎていたので釣りは別の機会に譲ることにして一旦浜に帰る。この後,カヌーを組み立てたが子ども達は余り興味を示さなかった。

昼前に原発反対の立場で島に移住して活動しているM氏から原発・原爆の話しを聞く。M氏は上関に原発が出来た場合の島の生活への影響について懸念される事柄を分かりやすく話してくれたが、子ども達に伝わったかどうか・・。
私自身は原発には反対の立場であるが、それを子ども達に注入する気は無い。ただ、反対の立場の人が島にいて、その活動をしている人がその話しをしたいという現実の動きがあることと、その主張は知らせるべきだと思うので受け入れた。
推進を支持する立場の人から話したいと言う申し出があればそれも聞かせたかった。その方が問題点が鮮明になり、子ども達も興味を持ったと思うのだが・・,
Ogata,Fujii,Akiの3人が乗った午後便の船から『100人を越える子ども達の大集団が出航を待っている』と言うメールが入った。これはラボと言う組織のキャンプの集団で、総勢150名が5日から五十谷三島に来ると言うことが予め分かっていたのでその旨を返信する。
その船が新たに加わるYukiを運んで来るのでそれを迎えに行くべく16:00過ぎに東港に向かって車を走らせていると、まだ東港に着かない時刻なのに『今船を降りた』と言う連絡が入った。『えッ!』と驚くOkkunと思わず顔を見合わせる。
『お前さん,今どこにいるんだよッ?』とOkkun。やったネ,大集団に釣られて西港で降りちゃったんだ・・。
しかたない,西港まで迎えに行こうとした時にYukiから電話。『島の人が乗せてってくれるって、今そっちへ向かってます』と。
そんなハプニングがあり、ここでも島の人に助けられて新しい仲間が加わった。

忙しい1日だったが、午前中は朝の便で来る岳君と軽トラを提供して下さったM氏が原発と原爆の話しをして下さると言うのを迎えに行き、午後はこの日帰る広島の3人を波止場まで送ったり、Aki・Tomo父母さん達の手伝いをしたり・・と、子ども達に関われず終いの忙しさで、子ども達と疎遠な1日だった面は否めず、課題を残した。

タコをゲット/Junnさんの獲物

一通り潜水講習を終えた子ども達は思い思いに潜って海底を観察したり獲物を探したり・・。しばらく後にはNaotoが小さいながらタコを突いてきて皆を驚かせた。
Junnさんも沖合いに出てカサゴやウニ,サザエなどを確保し、私達に届けてくれた。

午後からは子ども達に岳君も加わってウニ,サザエ,ベラや巻貝などの獲物を確保。食べられるものもあれば得体の知れないものもある。
赤いウニは身が詰まっているが、黒い奴は食べられる部分が殆どない。ブンブクとか真っ黒クロスケ(スカシパンか?)みたいなウニだかクラゲだか分からないようなものまで上がってきた。
まあ食べられれば何でもいいし、食べられないことが分かればそれも勉強だ。

お昼過ぎにはタコ壺漁から帰ったKojiさんが取れたばかりのタコを届けてくれた。さっそく火を起こして網焼き&天ぷらに・・。

一方,こちらは朝採ったマツバガイ,ヨメガカサ等の磯の貝の汁。Nonちゃんが気に入ってしっかり食べてくれた。
Aki・Tomo父さんがクサフグをいっぱい釣ってきてくれて捌くのが忙しかったが全部頂き!

夜はカサゴの煮付けとアラ汁(ツルナ入り),アジの塩焼き,タコ飯,サザエのつぼ焼き,ルッコラ・・,海の幸いっぱいの豪華な晩餐。

昼間の釣りでは餌取り名人のクサフグに悩まされる。どこの釣り場でもクサフグは厄介者扱いで、海に返されること無く堤防の上に放置されて干からびているのをよく見かける。中には憎しみを込めてコンクリートに叩きつける人もいる。おとながやって見せるので真似する子どももいる。
元より釣れたクサフグに罪があろう筈は無く、釣人の技術の結果釣れただけのことであるのにクサフグに当たるのは筋違いも甚だしい。食べないなら海に返すべきであろうしその前に釣るなと言いたいが、釣ってしまうのは自分も同様で、できるだけ丁重にハリを外してお引取り願うが、大き目のものは捌いて頂くことにしている。クサフグと言えどもフグはフグで美味なることこの上なく、しかも免許が無い以上他人に食させることはできないので堂々と全部1人で食べることが出来る。

頭の後ろから包丁を入れて

頭を引っ張り、皮と一緒に内臓を剥ぎ取る

切り離された頭部・内臓と可食部分の身。
フグは血液,卵巣,肝臓,皮に毒があるので、それらを全部取り除いて海に捨て、身についた血はよく洗い落とす。
頭の後からではなく首から切りを入れて後ろの皮1枚を残し、頭を引っ張って皮を剥ぐと内臓も一緒に取れるので、その方がいいかもしれない。

三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。

薄皮にも毒があるので剥ぎ取る。

わずかな血もついていない棒身
三枚に下ろして骨付きの部分も捨てる。うまく処理すれば骨の中の骨髄も食べられるらしい。中には肝の血を洗い落として食べるという人もいるが、そこまで危険を冒すべきでなく、筋肉の部分だけを食べることにして、他は一切捨てることが肝要。調理道具についた血をしっかり洗い、また調理場に落ちた血もよく洗い流して地上には不食部分を一切残さないこと。

ここまできれいに処理すれば安全だが、クサフグは筋肉にも毒があるとする記述もあり、また漁師さんの中には季節によっては食べない方がいいと言う人もいる。
Takaharuさんは『命がけで食べるほどのものではない』と言い、他にいくらでも美味しい魚はあると仰る。数多くの種類の魚を相手にしている漁師さんの言葉だけに説得力がある。
確かに『フグ』,『フグ』と目の色を変えるほどのものではないかも知れない。大きいものならともかく、小さいのを捌くのは面倒すぎる。
下山後は水源の町,みなかみを最も象徴するもの,首都圏の水瓶として利根川源流に満々と水を湛える巨大ダムに2人を案内することにした。
みなかみ町藤原はダムまたダムの町である。14年前に何度も通った藤原湖の右岸の道を走り、宝台樹スキー場のある藤原の里からさらに遡って洞元湖(須田貝ダム)へ。突き当たって楢俣ダムのロックフィル式の大ダム堤を見上げた後、湯の小屋を経て楢俣ダムの堰堤上にある展望台に寄る。
葉留日野山荘はその楢俣ダムのすぐ下にある。一帯を湯の小屋と言い、水上からのバスの終点になっている。道はさらに上州武尊山と至仏山の間を東進し、坤六峠を経て鳩待峠・戸倉に至る。湯の小屋は尾瀬の裏玄関でもあるのだ。
葉留日野山荘はまた、藤原と片品の間に位置する片藤沼から笠ヶ岳,悪沢の頭を経て至仏山に至る長大な湯の小屋ルートの出発点(下降点)でもあり、私はかつて2度このルートから下山したことがある。
その葉留日野山荘に寄って山荘の主人でアルペンガイド『白馬岳』の著者である著名な登山家の高橋伸行氏に挨拶した後、洞元湖からさらに最奥の八木沢ダム(奥利根ダム)に向かう。
八木沢ダムは利根川源流の最深部に位置するダムで、その水源の最初の一滴は大水上山に発する。巨大なダムは多くのファンを有し、モーターボートやカヌーを牽引した車が並び、大勢のキャンパーがテントを張っている。その多くはダムで大イワナやマスを狙って船で釣ったりトロールする人達や、源流部のシッケイガマワシとかオイックイと呼ぶ難所に挑む探検者達である。
自分もかつては大イワナが手掴み出来る等という話しに乗せられて源流部の探検を目指し、ダム左岸を延々と半日歩いてバックウォーターにまで到達したことがあるが、その時はビバークの用意も時間も無くすぐに引き返しただけに終っていて、源流遡行は未だ果たせずにいる。
水源をめざす冒険者達にとって憧れの源流であることに変わりはなく、カヌーでまっすぐダム尻に入れば遡行は可能であろうと、今もその機会を狙っている。
この後、一度上がった雨が再び激しく降り始める中をみなかみから三国峠に移動。平標登山口で夜を過ごして翌朝晴れていれば登ろうと言う考えだったが、天候回復の兆しも見られず、平標山〜三国峠トレッキングは別の機会に譲ることにしてこのまま帰ろうということになり、塩沢からR353,十二峠越えで十日町へ,十日町からR117で飯山ICまで走って上信越道・長野道経由でその夜のうちに帰ることとなる。
今は平標山〜三国峠のみを歩くより、三国峠〜平標山〜谷川岳〜茂倉岳〜朝日岳を大縦走したい気持ちが強い。
下山した途端に雨が降り始め、やがて激しい雷雨となったことを考えると、ピンポイントで狙いすましたような登山だったと言える。山容全体を仰ぎ見たり、頂上からの展望を楽しむことは出来なかったが、一時はガスが晴れて双耳峰であるそれぞれのピークを相手側から望み、あるいは眼下に広がる緑いっぱいの山肌を見ることも出来て,手探りながら谷川岳の一端に触れ、この山域への足がかりを得ることが出来たと言える。今後,この方面に進出したいと思う。
それにしてもかなりの数の観光客,登山者が山上に取り残されたであろうことが気になった。山に登ることは出来ても下りで苦労する登山者が増えている現状を考えると、避難小屋から上の鎖場の急登部分を雨に追われて下るのは非常に危険であり、ぬれた蛇紋岩の岩場の下りに備えての鎖・ロープの設置もやむを得ないものと思えるが、それ以前に、どこかの時点,どこかの場所でそれ以上の前進に歯止めをかける必要があるのではないかと思う。
地理的,地形的に見て気象の変化が大きく厳しい山であると思われる割には簡単に入れることが油断を生みやすい気がする。
スキー客を対象として、ロープウエイからそのままリフトで天神山に誘うかのようなルート設定で、しかも天神平に登山コースの案内がないことには疑問を感じる。

1994年から約2年間,私は水上にいた。正確に言うと水上町藤原の葉留日野山荘と言う山荘に半年余り勤務していたが不当解雇に遭って解雇撤回の裁判を起こし、結審するまでの1年余りと併せて1年半を水上で過ごし、最後は沼田に転居した。
谷川岳をはじめとする上越国境の山々は魅力に富んでいたが、その頃は山どころではない苦しい生活の連続だったので、どの山にも登らず終いだった。ただ一度,山荘勤務の一環として上州武尊岳の調査登山を命じられて登ったのがこの時期の唯一の登山だった。
それから14年を経てようやく谷川岳に登る機会を得たのが今回の山行である。

天狗の溜まり場を9:07に出る。相変わらず展望の利かない中を花を見ながらゆっくり登る。天狗の溜まり場ではトリカブトの花を見た。またこの辺りからツリガネニンジンの仲間の何とかシャジンやシモツケソウが沢山見られるようになり。さらに高度を上げて1800m付近ではフウロソウが現れる。ハクサンフウロのようであり、少し違うようでもあり、しかしグンナイフウロでもないようで、やっぱハクサンフウロと言うことにしよか・・,って勝手に決めるな!

9:28,頂上に近い天神のザンゲ岩と言う大岩を通過。上方から元気のいい若者達の声が聞こえ、霧の中から木道を下って来る学生と思われる集団が現れる。最後尾のリーダーの『あと5分です』の声に前方を見上げると確かに頂上が近いと思わせる地形で、やがて右手に細くて高いケルンのようなものが現われ、左手に肩の小屋の赤い屋根が見えてくる。
そこからさらに草原を5分ほど登って9:45,トマの耳に到達する。この時点で前方にオキの耳が見えており、安心して写真を後廻しにしたところ、10分後にはガスに覆われてそれっきり見えなくなってしまった。刻々と変化する気象条件下であれば見える時に撮っておくべきであった。

何とかシジミ/何とかハハコ

しっかり休んで10:02発,オキの耳へ。10:15着。そこでもゆっくり休んでトマの耳が現れるのを待つ。下の方は好く晴れて緑の草地が美しいが、トマの耳は見えそうでなかなか見えず諦めて戻る。
10:40発,10分でトマの耳を通過し、同55,肩の小屋に寄る。きれいな小屋で売店があり、素泊まりは寝具なしで2000円とか・・。

11:05下山開始。この頃になって山頂を目指す人が多くなる。雷予報が出ていたので『ちょっと遅すぎないかい・・』と老婆心が出る。(実際,この2時間後には雷雨となった。)
11:30,天狗溜まり場下で休憩。振り返ると山頂下のケルンを頂点とする谷川岳南峰の屹立する姿が見え、ここに来て初めて谷川岳らしさを垣間見る。トマの耳の先端はそこからは見えないが、当初予定の下山コースである西黒尾根の道も好く見えた。上部が見えたのはこの時のほんの一瞬で、再び山頂がガスに覆われたのを潮に立ち上がる。
11:45発。滑りやすい鎖場を一気に下って12:05,避難小屋でまた5分休む。天神山から来たと思われる軽装の5人家族が着いて、上に行くかどうかを相談していたが、1年生くらいの末っ子がぐずっているのが気になり、天狗の岩までは無理ではないかと言い置いて下山する。この後の雷雨を考えるともっとハッキリ下山を勧めるべきだったと後悔する。

ロープウエイで天神平まで来て、その勢いでリフトに乗って天神山まで上がった人が避難小屋まで来るとしたらほんの30分しか歩いていないことになる。しかもその大半は下りである。そして本格的な登りはここから始まると言うことを考えれば、軽装の観光客が悪天に際して引き返すべき地点はここであり、だからこその避難小屋であるとするならば、この小屋には観光客に対する何らかの警告があってもいいのではないかと思う。
12:40,天神平に着いた途端に雨が降り始め、散らばっていた観光客が一斉にロープウエイ駅に殺到する。12:55,下山。

8月16日5:00,車の窓が開いていて降り込む糠雨で目覚める。全天が雲に覆われ、上空は明るいものの谷川岳本峰方向に黒く厚く重い雲があり空は重い。
空っぽの駐車ビルに1台の車が吸い込まれ、続いてもう1台の車が来て我々の隣に停まる。降りてきた男性は空を見上げながら判断しかねて動かず、ビルの中から出てきた男女も天候判断に苦しんでいる様子。さらに2台,3台と来る車もみな逡巡して入り口付近に留まる。新潟から来た3人連れの一家に聞くと新潟は土砂降りで三国トンネルを抜けてやっと雨が上がったと言う。所沢からの車に南側の様子を聞くと赤城山もガスの中だったとのことで、雨の無い山への移動の案もこれで消え、とりあえず朝食を食べて様子を見ながらの時間待ちを決め込む。
時折東側の雲が切れて青空がのぞくが、山側は相変わらず厚い雲の中。それでも幾分空全体が明るくなり雨は落ちなくなり、6:30頃からボツボツと動き始める人が出てきて我々も前進を決めて身支度を整え、駅に向かう。天候が悪いので西黒尾根からの下山を計画を捨て、400円安くなる往復券を買う。

7:05,ロープウエイに乗り10分で天神平着。7:20より歩き始める。ガスで視界は100mほど。
天神平の駅を降りると目の前に天神山に向かうリフトがあり、登山道はそのリフト駅の下を廻ってその先から北西方向に伸びているのだが、谷川岳へのルートはこちらですと言うことを示す標識がなく、この日にようにガスで視界がないとどちらに向けて登ればいいのか分からないので、ついつい目の前にあるリフトに乗ってしまいそうになる。
もちろん地図で調べはしたが、最初の1歩を踏み出すための標識が無いと言うのは初めて来る人に対してあまりに不親切で、実際,新潟から来た一家は私達より先に出発したにもかかわらず、リフトに乗って天神山を経由したために私達より後に熊穴沢の避難小屋にやってきた。他にもそう言う人がかなりいたようだった。

天神平の登山路周辺は一面,ヨツバヒヨドリの花に覆われており、中にヤマアジサイやノリウツギ(?)等の初夏の花が見られる一方,オオカメノキの実が赤く色づいて秋の気配を漂わせている。

途中で天神山・峠方面への道を左に、またロープウエイの下を通って下る道を右に分け、木道混じりの道をゆったり歩いて8:07熊穴沢避難小屋に着く。避難小屋は小さいながら堅牢なつくりで中には腰かける部分があって緊急時には充分ビバークできる頼もしい存在に思えた。
新潟の一家が追いついてきて『あれッ?』と言う顔をしたので訳を説明すると、『400円も余分に払ってしまった・・!』と言った。もとより、自分で調べないのが悪いのだが、そう言う風に仕向けてあることも確かだ。

8:27発。ここから先は岩場混じりの尾根となり、急登もあってロープや鎖場の連続となるが、スタンスもホールドもしっかりしていて必要の無いもの。ただ、蛇紋岩の岩場で滑りやすいので下りの場合は慎重を要する。
足元に文字通り赤い実のアカモノ。稀にその可憐な花も見られる。ふわっとした頼りないはかない食感だが、その実を口にして渇きを癒しながら歩いたこともある。
岩場の急登を抜けて格好な見晴台となる大岩で休む。天狗のたまり場と名づけられた大岩からは晴れていればトマの耳が見えると思われたが、まだガスに覆われていた。

雨はすっかり上がり、ガスもゆっくりと後退して少しまわりが明るくなってきた。
タイム;8月15日〜17日,谷川岳頂上往復,および平標山〜三国峠トレッキング。参加者3名。
安曇野スワンガーデン発21:35。R254⇒東部湯の丸IC⇒上信越道⇒関越自動車道⇒水上IC16日0:30⇒谷川岳ロープウエイP1:05,5:00まで仮眠。
ロープウエイ駅7:05⇒7:15天神平7:20⇒8:07熊穴沢小屋8:27⇒8:57天狗溜まり場9:07⇒

稜線に出るとシモツケソウが目立った。低い所ではすでに花が終りかけていたが、トマの耳の直下では色鮮やかに咲き誇る姿を見ることができた。
清楚な花が多い高山植物の中で、シモツケソウはそのまま切花としても使えそうな艶やかな花だ。

アカモノやオオカメノキの赤い実,ナナカマドの葉が色づきはじめ、山に秋が忍び寄る。

Junさんは潜り漁の人。
神奈川県の高校で社会科を教えていた方で、去年,夫人と愛娘Nonちゃん(2才)を伴って平郡島にIターンし、素潜り漁の漁師さんになった変り種の人。小柄ながら逞しい体つきで日(酒?)焼けした顔いっぱいに髭を蓄えるが、時折その髭をサッパリ剃り落としてしまうことがあり、そうすると本人と気づかず通り過ごしたことがあるほどで、柔和な目をいっそう細くしながら連発するオヤジギャグとの落差は大きく、実際は見かけ以上に若い。
JunさんがIターンするに至った経緯は『水無月さんの平郡島行き顛末』
http://www.geocities.jp/takaharu0028/minazukisan.htm に譲るが、わずか1年余りで島の生活にしっかり溶け込み、その風貌とも相まって今や誰が見ても『島の漁師』さんである。

そのJunさんが、Kojiさん,Takaharuさん,Masakazuさん等Urabe3兄弟漁師さん等と共に私達のキャンプに全面協力して下さり、頻繁に顔を出して子ども達やスタッフ,参加者に島での楽しみ方を伝授して下さった。
(以下『下さる』とすべきところ『くれる』に略す)
今日はJunさんの現在の本職である素潜り漁の基本になる『潜水』教室。

1時間あまりの講習でシュノーケルの使い方を教わり、うまく潜れるようになったようだ。
Masakazuさんも素潜りの漁師さんだが彼は一息で5m,10mと深く潜って漁をするのでシュノーケルは使わない。一方,Junさんは主に潮の流れの速い岩場などの比較的浅い所での漁が多く、そう言うところでは息継ぎのために一度目を離すと同じ所に視点が戻らなくなり、目標を見失ってしまうのでシュノーケルは必要なのだそうだ。同じ潜り漁でも漁場が違えば潜りかたも違うようだ。
この後,Junさんの手ほどきを受けたNaotoが何とタコをし止めてきて皆を驚かせた!

島に朝便が戻って来た。この船で『獲れたて瀬戸内,岳ジャガ情報』の岳君が来ることになっている。

真っ赤に熟れたトマトだが、収穫されないまま落下したものが相当数あった。よく熟したものの中にも先端部が腐ったようになったものがある。これは尻腐れ病と言って水不足によるものだそうだが、長い間雨が降っていないのでやむを得ない。いくら雨が無くても潅水する気はない。
中にいくつかもいで食いちぎったものがあった。まるで人間が食べてヘタの部分を投げ捨てたような食べ方だ。多分,ムジナの仕業ではないかと思う。
旧四賀村では、ムジナ(アナグマ)が物置小屋に入って漬物を食べるという話しがまことしやかに話されていた。
冬,物置小屋の壁の下の地面を掘って中に侵入し、漬物樽の蓋を開け重石を取って中の漬物を食べると言うのだ。
まじめな顔をして『本当だ』と言う人もいれば、『バカバカしい』と笑い飛ばす人もいて真偽のほどは分からないが、ムジナは昼間でも街中をウロウロしていることもあり、よく見かける身近な動物なので色んな逸話が生まれるのだろう。

広島組のうちのOgata,Fhujii,Akiの3人は明日午後便までの滞在なので時間が無い。なので渓流でも海でも、釣りでは私の数段上を行くOgataを誘って当然のごとく夜釣りに出る。
新月で大潮らしく、磯の先端に出るにはまだ潮が高すぎたので、あまり深くない近場に竿を出してみたがアタリは無く、潮が引くのを追いかけながらメバルを狙って徐々に磯の先に向かうが反応が無い。

イワガキ,カメノテ,カラス貝
午前2時をまわって釣りを諦め、岩にへばりついた貝を取る漁りに切り替える。対象はヨメガカサとこれによく似たマツバガイと言う一枚貝で、潮と共に上がって来て、取り残されたものをナイフで取る。
両者ともほぼ同じ菅笠のような形の貝でマツバガイの方が幾分厚みがあるが平べったい貝で、岩にピッタリと張りついている。岩肌をゆっくり移動するので、その時に貝殻と岩の間に隙間が出来るが、何かの気配を感じると吸盤のようにピタッと岩に吸いつく。こうなると手や指で剥がそうと思っても剥がれるものではない。なので移動中に岩との間にナイフを差し込んで浮かせて剥ぎ獲る。
採った貝は身を親指の爪でこそぎとってそのまま食べるかゆでて出汁を取り、かつ身を食す。貝類はいずれもいい出汁がでる。
内臓を取り除いて食べるが、胆が美味しいので内臓ごと食べてもいい。身はトコブシやアワビのようコリコリとして美味しいが、何分にも小さいので採りながら食べ、食べながらまた採る,あるいは貝汁にして食後のひと時に談笑しながら食べるといった具合のもので、食糧になるほどではないが、磯の楽しみの一つである。フジツボやカメノテ,ヘビガイ,シッタカやナガラミ等の巻貝等も同様である。
大潮で普段は潮が来ないようなところにもこれらの貝類が登って来ていたが、上の方はみな小さい。ところが潮が引くにつれてどんどん低い方に追っていくと次第に型が大きくなり数も増えて4時までの2時間弱で200個あまり集めることが出来た。

4時になって潮が相当下がり磯の突端まで出ることが出来るようになったので再び釣りに戻る。すでにメバルの時間帯ではないがべラが狙えるはずである。
餌取りのクサフグがうるさかったが、そのうちにイソベラが釣れ始めた。イソベラは小さい割には強力な引きで根に潜ろうとするので結構楽しめる。ここなら子ども達にも確実に釣りを教えることが出来ると考えて人数分を揃え、7時に終ってテン場へ帰る。
一旦帰って子ども達を釣りに誘い出そうとしたのだが、子ども達はすでに起きて食事を済ませ、海に入る支度をしている者もいた。しまったと思ったが遅かった。
磯で一番面白い時間帯は5時から7時くらいの間であろう。明るくなるのを待って腹をすかせたまま出かけ、貝類を拾ったり朝まづめの魚を釣ったりして朝の食糧を手に入れ、戻ってみんなでそれを食べながらその日の計画を話し合う〜と言う構想を描いていたのだが、釣れるかどうかを試しているうちに子ども達が意外に迅速に行動してしまい、ごく普通の日常的生活を始めてしまっていたのだ。
やはり、子ども達を起こして海に連れだす現場にいなくてはいけなかった。この失敗は今回のキャンプを大きく左右してしまいかねないものになると言う予感がした。

昨日,今日の長旅と初めて見た五十谷三島の浜と島の景色,海が真っ赤に染まった夕暮れのひと時,子ども達は何を感じ、何に思いを馳せているのだろうか・・,
久々に聞く波の音。寄せては返すその音のみひときわ大きく、他に何も音のない世界に呑みこまれてしまったかのように、子ども達は,思い思いの場所に散らばってひっそりと耳をそばだて、闇の中で目を瞠っているかのだろうか・・。

生暖かい風が海から吹いてくる。波の音は大きいが波は穏やかで規則正しくリズムを刻んでいる。
波のうねりにゆったりと身をゆだねて見たくなり、また汗ばんで火照った体を冷やしたいと言う気も手伝って夜の海に浸かる。
『泳ぐぞぉ〜』の声を聞きつけて、テントの中にいたAkiが水着に着替えて来た。
夜の海は気持ちがいい。何よりも泳ぎにつれて夜光虫が光るのがきれいで、それを浜から見ている人に見せてあげたいのだけど、泳ぐ者の動きが刺激になってそこにいる夜光虫達が光るのだから、こればかりは泳ぐ者にしか見えない。
Akiは上から見るだけでは物足りなくて潜水具をつけ、潜って水中から夜光虫の光る様子を見ると言う。それは数倍素晴らしいに違いない。
どうして自分も海の中から夜光虫の光を見ようとしなかったのだろうと,しきりに後悔している自分がいる。
若さとは何とエネルギッシュなものなのだろう・・,と思う。自分にはそこまでの好奇心がなかったことに気づかされて少しショックを受けているのかもしれない。

夜の海を泳ぐのはきもちがいい。

夏本番を迎えて島に渡る人も以前よりぐんと増え、それを迎える人々も入り混じって船着場はごった返していた。そんな人々の群れの中,私達を迎えに来てくれたkojiさん,Takaharuさん,Junさん等のにこやかな顔と共に、島に移住して農業を営みながら原発問題や平和運動に取り組んでいるMさん夫妻の顔があった。
一行を代表して高1のKei君が挨拶したのを受けて、Koujiさんは『今日はともかく時間が無いのですぐに五十谷に移動してテントを張る』ようにと言い、明日にも『タコを持って行くから、自己紹介等はその時に!』とつけ加えた。

出迎えてくれたMさんからは『私達は8・6の関係でしばらく島を離れるので、
その間,軽トラを使ってもいいよ』と言う願っても無い申し出を受けた。
実は島に車を運び込みたかったのだが、往復で6000円もかかるので断念したと言う経緯があったので、感謝してあり難く使わせて頂くこととなり、さっそくテントやクーラー,炊事道具,ブルーシート,カヌー等の大きめの共同装備を積み込んだ第1便が浜に向けて発進。子ども達も最小限の荷物で元気よく浜に向かって歩き始める。
五十谷に向かう道の峠を越える時、海に落ちる寸前の真っ赤な夕陽を見る。

Miyuki,Ruriko(中2)の2人とスタッフのAkkoさんのテント〜4日からMayu(中2)とお母さんが加わる。

Yuya,Naoto(小5)の2人とKei(高1),スタッフのOkkunのテント〜3日からYuki(高1)が加わる。

火を焚いて食事

すべての人と荷物が五十谷三島に移動するとすぐにテントが張られ、火を焚き遅い夕食を摂る

FHCのOgata,Fujiiのテント

Tomoko・Aki姉妹一家のテント
こうしてキャンプ最初の夜を迎える。みんな、広げたシートに寝転がってすぐに寝てしまった。
周防と伊予の間に位置する島々を防予諸島と言い、平郡島はその西端に位置する。

地図上の屋代島は大島とも言い、本土とは橋で結ばれているので柳井市から上関に向けて突き出た半島と、大島とに囲まれた部分は湾のように見える。その最奥に柳井港があり、四国の松山に向かう防予航路や平郡島に向かう平郡航路,祝島に向かう航路の発進基地となっている。
松山行きのフェリーには、途中,大島の伊保田港に寄るものがあるが、面白いのはこの伊保田と松山の三津浜港間がなんと国道437号の海上区間となっていることだ。つまり海の上に国道がり、そこを走る唯一の交通機関が『周防大島松山フェリー便』と言う訳だ。

閑話休題。柳井港を出たフェリーは右手に上関に至る本土の陸地部に沿って大島とに挟まれた海域をゆっくり南下(南南東)する。左手に見えていた大島の先端・法師崎を通り越してようやく正面に平郡の島影が見えてくると、船は平郡島の櫛崎と言うやや西に張り出した岬を迂回するために少し西に曲がる。それはまた陸地に沿って半島の千葉崎を廻りこむ様にやや西に曲がることにもなり、そのため上関に接近する感じがする。平郡航路は原発の着工に揺れる上関と縁が深いのだ。

上関方面/櫛崎漁場

櫛崎は有数の漁場で、朝便でここを通る時は無数の漁船がひしめいているのが見られる。岬を廻り込んで船はやがてそのつけ根に当たる西港に着く。

平郡西港/長崎鼻
西港を出た船は南東に進路を変え、長崎鼻という大きな岩壁の沖を通過すると行く手に五十谷三島が見えてくる。

三島が見えて来た/ここを大きく廻る

そこまではほぼ真東に向かって進むことになり、やがて三島の沖を大きく廻り込んで通過すると北東に進み、最後は盛鼻と言う突端を回りこんで1時間40分で東港に入る。
このように平郡航路は島の一番外側を大きく廻り込みながら走るので時間がかかるのだ。
無数にある大小の島々も平郡島以西は極端に数が減り上関の左手,南西方向は豊後水道を隔てて国東半島が見える。東に目を転じれば松山に至る航路が見え、そこから南西に長く伸びる半島は佐多岬半島で、先端の佐多岬はほぼ国東半島にまで達する。また松山航路から東に見える山塊の中に四国最高峰の石鎚山(1982m)を望むことも出来ると言う。

航路の近くでスナメリの背を見た!
船客のある人は本州,四国,九州と、北海道以外の3つの島が見える航路だ〜と胸を張ったが、それはウソではない。

8月2日(土)5:00起床。まだ寝ている者はそのままに起きている者だけで朝の散歩。帰る日に備えて西広島駅行きのバス停を調べる。
3つのバス停を見てどこが一番近いかを調べ、またコンビニの所在も確かめて戻ると朝食の用意が出来ていた。
食後,今回のキャンプの活動内容についての話し合いを行う。このキャンプでどんな活動をしたいか,また日々の生活をどのように進めるか,食料や水はどのように調達するか・・等々,スタッフが知りえている情報を提供しながら子ども達自身に考えてもらおうとしたが、子ども達にとっては海辺のキャンプは初めてなので、何をどう考えればいいのかイメージが湧かないらしく、活発な話し合いとは言えない。
見えないものを対象にいくら考えても具体性に欠けるので、活動内容については現地に着いてから改めて考えることとし、最低限の買い出しの計画を立てるに留めて10:00過ぎに宿舎を出る。
まず、木偶弟の経営するやまび香房でルッコラ,キュウリ等の野菜を調達。次にスーパーで買出し。終って五日市駅に移動。14:35発の電車で柳井港駅に向かう。N氏が電車で車を引き取りに来てくれた。

柳井港駅着15:40。1つ後の電車で佐伯FHCのO氏とF氏が到着。またAki・Tomoko姉妹と両親はすでに車で来ていて、この日の平郡島キャンプ参加者が全員揃う。個人的なことではあるが、つい1週間前に白馬鑓の稜線で雷雨と強風下を縦走したメンバーの内の4人が瀬戸の島で再会することとなった。

16:30出航。

広島駅着20:50。最初の協力者であるN氏が車で駅まで迎えに来てくれている。全員が乗れるワンボックスで駅近くのスーパーへ行き、今夜と明朝の食料を買い込む。彼はそこから歩いて自宅に帰り、私達は彼の車を借りて五月丘の宿舎に向かう。
宿舎に着いたのは22:00過ぎ。すぐにご飯を炊いて遅い夕食を摂り、シャワーで汗を流してそこそこの時刻に休む。2日目を早発ちとせず、キャンプの活動計画の話し合いや買出しに充ててあるので、明朝は多少遅く起きるのも可とする。

この宿舎は、以前木偶が2年間借りていたもので、今回は家主さんのご好意で8月1日と6日だけお借りすることが出来、宿舎とする運びになったもの。通常は空き家で、その管理を知人で、広島での冒険学校の創立以来のメンバーであるO氏夫妻が任されており、O氏夫人には部屋の掃除や草取り,およびガスの臨時開栓の立会い,その他でお手を煩わせることになった。
広島ガスは、営業とは言えわずか1週間の開栓に快く応じてくれて何度か足を運び、ガス器具の点検や調整をしてくれた。(使用したガスの料金は461円)
このように、今回のキャンプは広島・山口在住の多くの仲間達や現地の方々の協力によって成り立っている。

スーパーで久々に安芸門徒特有の盆灯篭を見た。そう言えばもう何年も墓参りをしていない・・。

11日ぶりに松本に帰った。松本でもみんな『暑い! 暑い!』と言っているが、広島の暑さに比べたらむしろ涼しい方に入る。それほど瀬戸内の沿岸や島しょ部は暑かった。
広島の人達さえもが『今年は異常に暑い』といい、自分も久々に8・6を広島で迎えて以前より数段暑くなっているように感じた。
しかし、寒さには強いが暑さにはめっぽう弱くて夏は北の方へ逃げ出していた自分が、今年は猛暑の瀬戸内を2度も訪問・滞在して暑さに『対峙』してきて、多少なりとも暑さに耐えられるようになったのではないかと錯覚し始めている。錯覚はやがて本物になるかもしれない。
それと言うのもガソリン代高騰のお陰と言えるかもしれない。先月末の下見に車で行った時,少しでも燃費を上げようと冷房をつけずにウインドウ全開で走って何とか耐えることができ、その後少し暑さに対する考え方が変わってきたような気がしている。
冷房のよく効いた部屋に入るとひんやりして気持ちがいいが、そこから出る頃には最初に感じた『ひんやり』が『普通』,もしくは『ちょっと物足りない』に変わってしまっていることに気づく。要するに『涼』を求める感覚には際限がなく、どんどんとエスカレートして行く面があるらしいのだ。
そう言う悪循環に抗して我慢したり、他の方法で暑さを凌ぐことをすれば決してできなくはないのだと言うことが分かってきた。
考えてみれば、自分が嫌いなのは暑さによる『体のべとつき』等の不快な部分であって暑さそのものではなかったのかも知れない・・・,と言う気がする。さらにまた、自分はひょっとすると暑さにも強いのかも知れないと思ったりもする。
瀬戸内の夏の昼間はくらくらするほど暑く、居場所を探すのに苦労するほどだが、それに比べると松本では日陰に入れば楽になるし、夜寝苦しいと言うことはない。朝などは寒いくらいだ。
と言うわけで、これから畑に行く。トマトが真っ赤に熟れているはずだ!

8月9日は午後便で島に着いて各方面に挨拶まわりした後、船着き場に陣取ってサビキ釣りを始めた。
アジは20〜25cmほどのものが ポツリポツリと釣れ、れに時折り小さなカマスがまじった。
岳君の嫁さんのMihoさんは土産娘で海釣り等には縁がなかったが、山口に来てからは岳君と一緒にキャンプや釣りに行くようになってから少し慣れた様子で、この日は彼女が一番よく釣っていた。

尤も岳君がつきっきりで餌をつけてやったり釣れた魚の針をはずしてやるので未だに一人では釣れないらしい。見事な一心同体ぶりを見せてくれる。
そのMihoさんの竿にばかりアタリガあって次々と上がる魚を捌き、刺身をつくる役にまわる。アジに混じって時折り釣れる青ベラや良形のクサフグ等も捌く。もちろんフグは自分だけが食べる。

そのうちに中落ちやすき取った腹身がたまって来たのでJunさんに油と小麦粉を借りて天ぶらを始める。 小アジの天ぷらは言うまでもなく、こんがり揚がった骨センベイが大好評で、一部始終を見ていたTakaharuざんも『これは行ける!』と盛んに手を伸ばしてしっかり食べてくれた。口の奢ったプロの漁師さんに誉められたのは嬉しい限りだ。私達は貰った(奪った)命は無駄にせず食べ尽すことを心がけているに過ぎないが、Takaharuさんもそこを評価してくれた。

『魚を腹いっぱい食べたい』と言っていたMihnさんが『もう結構』と言ったのを潮に、竿と包丁を置き、この後4人で五十谷三島に行って夜光虫の海で泳ぐことにする。
今夜の夜釣りをどこにするか決めかねていた。一旦帰って三島で釣るべく出直すか、それとも東地区のどこか別の釣り場を探すか・・。
昨夜が小潮で今夜は長潮のはずである。長潮と言うのはいつが満潮でいつから引きに入ったかはっきりしない潮だ。夕方から9時頃まで、私達は船着き場の堤防でアジを釣っていた。その間に干潮が満ちに転じたのでその後は満ちて来るだけなのだが、どの程度の潮の高さかをみたかった。
三島の潮の動きはしかし波乱のドラマを予感させるほどのものではなく、踵を返して戻ろうと立ち止まった時、ペガサスの大方形から銀河の東に向けて明かるい流星が走るをの全員が見て口々に『あッ』と声をあげた。
明るさは2等,足が速くて長く、そしてほんのわずかな時間だか赤い痕を残した。この夜の流星はこれが初めてではなく、泳いでいる時にもいくつか目にしたし、立ち止まって空を見上げたわずか5分程の間にも4つもの流星を見た。
そのすべてがカシオペアとペガサスの中間辺りから銀河よりも東の低い空に向かって飛んだ。これだけ起点が集中すると極大日にはまだ間があるが、ペルセウス座流星群のはしりと見てよさそうで、『今夜ここで空を見ながら寝転がっていると沢山の流れ星を見られるに違いない』等と言いながら五十谷三島を後にする。
その夜は明け方まで釣っていたが、その後顕著な流星は見られなかった。尤も釣りに集中している時は空など見ていないのは言うまでもない。
9日,平郡島の夜。岳夫妻が夜光虫の光る海で泳いで見たいと言い、Takaharuさんも夜の海で泳ぐことはあまりないので行って見ようと言って車を出して下さることになり、4人で五十谷に行く。
夜の海は波の音がことさら大きく聞こえて『こわい』と言う印象を持つ人もいるが、ここは遠浅の内海であり昼間の様子も分かっているので、お互いの所在を確認しながら泳げばどうと言うことはなく、規則的な波のリズムはむしろ安心感を与えてくれる。
波打ち際に座って時おり来る予想外の波に翻弄されて見るのも波の大きさが見えない分、不意打ちを食らうスリルがあって楽しい。
肝心の夜光虫はしかし前回ほどではなかった。夜光虫の量が少なく、身体中にまとわりついて動く度に周りがぼうっと光り、その光に包まれて海に漂う幻想的な現象にはほど遠かった。それでもみなはこの滅多にないこの体験に興奮気味だった。
沖合に向けて真っ直ぐ100mほど泳いで見ると、向かい波でも後ろからの波でも波にうまく乗るとひとかきで随分進むものだと言うことが、周りに雑多なものが見えすぎる昼間よりよく分かることに気づいた。
巨大な波なら一瞬で50mも100mも持って行かれると言うのがよく分かる。内海と言えどもその点は油断できないが、波に乗るとこんなにも進むのものかと思えるような体験は楽しい。
こうして1時間あまり海に浸かって遊んだ後、夜釣りの場所を調べに三島の方に行ってみた。
8月6日に島を離れ、宮島見学を終えた子ども達は7日早朝の電車に乗り、長い旅を経てそれぞれの家に帰って行った。
7日夜10時過ぎにスタッフのOkkunから、『最後の子ども達を親御さんにお渡ししました』の報告を受けてようやく諸々から解放された。
昨日,今日はお世話になった方々へのお礼と挨拶まわりで、今日,9日はもう一度島に渡る。一体どれだけの方々にどれほどお世話頂いたのだろう・・。
この出会いと繋がりを大切にして、今後もこのキャンプを続けて行きたいと切に願っている。
今日も暑い。
8月1日広島入り。佐伯FHCの仲間の車を借りて広島駅近くのスーパーで当夜と翌朝の朝食の食材を買い、佐伯区五月が丘の宿舎へは22:30頃着く。遅い夕食の後は長い電車旅の疲れが出たのか、畳の部屋に寝転がるやいなやたちまち深い眠りにおちる。
明けて8月2日。朝の散歩の後、簡単な朝食。終って今回のキャンプの行動計画と買い出しの計画を立て、10時過ぎに出発。木偶弟の経営するやまび香房でルッコラとキュウリを調達し、次に生協で食糧と生活物資を買い込んで五日市駅14:35発の電車で柳井港へ向かう。
柳井港で先週白馬岳縦走を終えたばかりのOgata,Hujii,Akiが勢揃いし、Aki の家族3人が加わって総勢14名となる。
一行は16:30発のフェリーに乗船し、1時間半後の18:10平郡島着。東港で待って下さっていたKoujiさん,Junさんから『明るいうちに』とせかされて挨拶もそこそこに五十谷に向かう。
港には、前回の打ち合わせ訪問の時に10数年ぶりに再会した、島に移住して有機無農薬栽培の野菜づくりに取り組んでいるM氏夫妻(旧知)が出迎えていて下さり、そのM氏から『私達は8・6の取り組みで当分の間広島に行っているので、その間,軽トラを自由に使ってくれていい』と言う申し出を受けた。
koujiさんのお宅には前回車で運び込んだ大量のキャンプ用具を置かせてもらっていたのでこの申し出は有難く、早速荷物を積んで五十谷に運こぶ。
子ども達も元気に歩いて19:30頃には五十谷三島の海岸に着き、テントの設営にかかる一方,夕飯づくりが始まり、こうして2日がかりでキャンプ生活の開始に漕ぎつけた。
ブログ山行記への携帯からの投稿がやっとわかった。ネットに繋いでブログを呼び出した後、1:『ブログ管理』をクリック。2:『ブログ管理者』と『パスワード』を入力(1回目) 3:『アイテムの追加』をクリック。4:管理者とパスワードの2回目入力とログイン。5:記事の編集画面が出て、まずタイトルを入力し、次に記事を書く。6:書き終ったら『アイテムを追加』をクリック。7:もう一度管理者とパスワード』を入力(3回目)してログイン。3回目をやらないと記事は消える。
これで記事が送れる。3回ログインしなければならないので管理者名やパスは短くする。パスは英・数を混ぜない方が楽。ネットに繋がった状態での入力は金がかかるのでメール投稿出来ればベストだが、その方法はわからん。知っている方があれば教わりたい。因みにsnsはメール投稿ができるので便利だ。
私達が来ると言うことはグリーンパトロールの若者が伝えてくれたものと思われたが、山荘では顔を合わすことがなく、礼を言いそびれてしまった。
多くの人ぴとの助力で、こうして暖かいストーブまで来ることができた。
わざわざ迎えに来てもらった上に荷物まで運んでもらった私達が素泊まりすることにしたの自然のなりゆきで、その後はゆっくりとくつろぎ、自炊小屋での夕食の準備にかかる。
キャンプ場にはテントが1張りあったが、それは昼までに着いた人のもので、もう1人はテントを張ろうとしたが強風でどうにも出来ず断念したと言った。
やや小降りになったとは言え雨はまだ降り続いている。明日は晴れれば唐松岳を目指すが、天候は未だ不透明で予断を許さない。
私自身が潜り込んだハイマツの凹地はその先にある小ピークの陰になって小屋からは見えていないが、その小ピークがなかったら多分鑓温泉への下降点の三叉路まで前進していた筈で、そうすると後続の4人との距離が開いてしまっていたと思われる。この小さなピークがあったために出来たわずかな窪みが絶好の待機場になったと言うことがここからよく分かった。
山荘の支配人氏は、一旦ピーク下に現れた私が再び小ピークに隠れたままいつまでたっても出て来る気配がないので迎えに来てくれたと言うことだった。
私達が来ると言うことはグリーンパトロールの若者が伝えてくれたものと思われたが、山荘では顔を合わすことがなく、礼を言いそびれてしまった。
多くの人ぴとの助力で、こうして暖かいストーブまで来ることができた。
わざわざ迎えに来てもらった上に荷物まで運んでもらった私達が素泊まりすることにしたの自然のなりゆきで、その後はゆっくりとくつろぎ、自炊小屋での夕食の準備にかかる。
キャンプ場にはテントが1張りあったが、それは昼までに着いた人のもので、もう1人はテントを張ろうとしたが強風でどうにも出来ず断念したと言った。
やや小降りになったとは言え雨は
17:45天狗山荘着。すぐに乾燥室に案内されてストーブで暖をとり濡れたものすべてを乾かして人心地をとりもどす。ストーブの周りには、先ほど追い越して行った人をはじめ、コルのすぐ上にいた単独の人や降られたけれど比較的早く着いた人等、いずれも中高年の数人の男性が激しかった風と雷雨の様子をこもごもに語っており、私達もその輪に加わってしばし炉辺談話を繰り広げた。
雨に打たれながら夢のようにこがれた暖かいストーブのそばにたどり着いた安心感からか、みなが饒舌になっていた。
乾燥室の窓からは白馬鑓のピークから下の経路がよく見えた。ピークのすぐ下の道標から道は信州側に向かって斜めに下り、ハイマツ帯の始点からほぼ直角に右折している。そのハイマツ帯の頭で風を避けれなくはなかったが狭く、またその先は雪渓に落ちていて無理に下れば戻れない方に進んでしまう。ここを右折するのは風上に向かうことになり、また風を避ける場がなかったのでしんどかったが正解で、縦に伸びるハイマツ帯に沿って下り、ハイマツ帯の切目で風裏に入って凌ぐことができたはの幸運だった。この間の距離はわずか400m程である。私自身が潜り込んだハイマツの凹地はその先にある小ピークの陰