アーカイブをご覧いただけます。June 2008

9:20発。いきなりの急登。周辺にはブナの巨木がいっぱいで、特に大きなこの1本はブナ独特のなよとした腰まわりに深い皺を刻み込み、蒼苔やツルアジサイを絡みつかせてどっしりと立つ。
ブナ倒木に頭が茶色のジャグマアミガサタケに似たキノコを発見。似てはいるが少し違う。足元にズダヤクシュ。

9:55,相方の調子が上がらず1500m付近で休憩。10:05発,徳本峠に比べると1ヶ月遅れのサンカヨウを見る。
10:15,巨大化したミズバショウのある湿地帯を通過。入り口に門衛のように並び立つブナの樹肌に醜い刃物による落書きがある。100年,200年と晒される恥を本人はこの世に生きてこの地を踏んだ証しとでも思っているのだろうか・・。

湿地帯付近から道が幾分緩やかになり、1670m付近で5mほど下って小さな雪渓を越えやせた尾根の登りにかかる。10:45,サラサドウダンの咲く1741mのピーク付近を通過。左手南西方向の樹間に雨飾山,北に金山と思われる雪に覆われた丸い山頂と南西に派生する尾根を見る。

雨飾山方面/金山方面か

右手の眼下には先刻まで歩いて来た林道がつづらに折れて乙見峠のトンネルにつながるのを、また遠景に黒姫山,高妻・乙妻山,戸隠山の山々を見る。

乙見トンネルへ

やや下って左に廻りながら進むと沢音が近づく。沢は道の10mあまり下にあって突き当たりに細い滝があり、道はその滝の上部に廻りこんで沢に入るが、沢はまだいっぱいの雪でそこからはずっと雪渓歩きとなる。標高は1800mを越えダケカンバ帯となる。
6月28日(土) 境界線グループ山行
道路封鎖で計画変更
7:30,小谷温泉と妙高・笹ヶ峰をつなぐ林道の小谷側基点に着く。その林道の入り口に鎖が張られ、「小谷山菜監視委員』と言う腕章をつけた男女2人の張り番が立っていて『ここから先へは入れません』と言う。理由を聞くと山菜の不法採取を防止するためだと言う。
よくよく見れば林道入り口の看板(小谷村)は「この先から車両通行止めですよ」と言う告知の看板であって、鎖は村とは関係ない。

『自分達の権益を守るために公道を封鎖するなんてバカなことがあるか』と抗議して押し問答になった末に『300m先にゲートがあって、そこから先には入れないがそのゲートまでなら行ってもいい』と言う返答を得た。
『当たり前だ,ゲートまでの進入を阻止する権限はあなた方にはない』と言っているところへ別の人が来て『昨日(金曜日),役場が視察に行って崖が崩れた部分などの調査をした。まだ崩れた所があって通れないからゲートが開いてない』のだと『どこがおかしいのか』と胸を張らんばかりの横柄さで村の代弁者みたいなことを言う。『それなら少なくとも「妙高高原方面・車両通行止め」の告知看板は、国道から小谷温泉に入る分岐点に立てておくべきだろう』と言うとそれには答えずに去ったが、監視委員の2人は鎖を外して入ってもいいと言う。

当初の目的は信越古道の信州側の調査で、笹ヶ峰の杉野沢橋まで林道を18kmほど走り、そこから金山谷(真川)を遡って金山と焼山を結ぶ稜線との交差点に当たる富士見峠までの道を歩くつもりだった。
それを諦めて林道を4kmほど歩き、金山登山口から金山を目指すことにする。通行止めが分かっていればもう1時間早く出たものを・・。
8:05発。松尾川に沿って高度を上げる。林道周辺には白い花が目立ち、やがてサワグルミ,トチ,ブナの林が現れる。

1時間歩いて9:10に金山登山口に到達する。

ショウジョウバカマ/グルマソウか・・?

ミズバショウ/ユキザサ
北信,焼山と雨飾山の中間に位置する金山。1800〜2000m付近の山上にようやく春が来た。
雪を割って顔を出す、まだ赤い芽は多分ヤグルマソウだ。芽を出したばかりのミズバショウのあさみどり,少し前に雪が融けた辺りではショウジョウバカマが盛んに花をつけ、ユキザサは食べごろ・・。

登山口付近ではウワミズザクラが咲き、ヤグルマソウも花をつけていた。

下部では巨大化したミズバショウ。サラサドウダンも全開。

中腹にはユキザサ,ツバメオモトの花

雪渓付近ではシラネアオイ,サンカヨウ

尾根にはマイヅルソウ,ミツバオーレン,イワナシ等
そして

山頂付近はたっぷりの雪。 金山山頂まで30分を残してタイムリミット,天狗原山で引き返す。
今は閉ざされたこの場所にも、もうじき春がやって来る。その頃にもう一度来ることにしよう・・。

夏休みのキャンプで燻製づくりをやりたいので手伝ってもらえないか〜と言う要請が来た。
生憎平郡島のキャンプと重なっているので、スタッフの方に体験してもらい、独力でやってもらうことにした。
ベーコンに限らず肉の加工は気温が低くて細菌が繁殖しにくい冬場に行うことにしているので夏のベーコンづくりは初体験。使い捨ての手袋をして細菌の感染を防ぐのは勿論のこと、体温で肉の温度が上がるのを避けるためになるべく肉塊に直接触れないようにして短時間で塩漬けした。

塩35g,三温糖10g,ブラックペッパー10g,オールスパイス,セージ,シナモン,ナツメグ各少々。

バラ肉の表面にまんべんなくこすりつけ、フォークで突き刺してしっかり刷り込む。
冬場の作業では肉塊が冷えて固くしまり、特に脂肪の部分に塩がうまく乗らないので余った塩を厚化粧のようにこってり塗リつけてラップでくるむ。

夏場は脂肪が緩んで柔らかくなっているので塩の乗りがよく、きれいに摺り込むことができた。塩が足りないんじゃないかと思うくらいで、この点が冬の作業と大きく異なる。
ラップに包んだ肉塊は冷蔵庫内で1日1回上下をひっくり返しながら1週間かけて熟成させる。

18:00,出発。R415を南に下がって港最深部の貯木場を越え、七美と言う交差点から港岸に沿って西に進もうとした。自転車で家路を急ぐ女子高生に『伏木駅』はそちらでいいかと尋ねると『(伏木駅を)知らない』と言う。
『えぇッ!』と思ってもう一度地図を見直して初めて富山新港と小矢部川河口の位置を混同していたことに気づき愕然とする・・。
気づいた位置があまりにも悪く、伏木駅まで行くにはさらに港岸で15.7km,端折って国道を通っても14.5km,最寄りの小杉駅に戻るにしても6kmはあろうかと言う半端な場所で選択を迫られる事態となった。早く気づいていれば、射水からバスで富山駅に帰ると言う選択肢があったのだが・・。

射水市の新港から欲張って高岡市の氷見線伏木駅まで行こうと言うのはあまりにも無理な思いつきで、最後は七美の交差点から最寄りの小杉駅に向かうことになり、2時間歩いて20:07にようやく駅に着く。その道のりの長かったこと・・。
結局この日は38km歩き、しかも次回の出発点をハッキリ決められない中途半端な位置での中断,無駄歩きの幕切れとなった。
こうして締まらない結末を迎えたが、その思いつきと成り行き任せの無駄や挫折や何が起こるかわからない偶然性,知らないうちに38kmも歩いていたと言う意外性がむしろ面白かった。
伏木駅に届いて能登半島への足がかりをつけられなかったのは残念で、中途半端な位置で終わっただけに、今は1日も早く続きの1歩を踏み出したいと言う気持ちが強い。
最高に面白い旅だった。

2本煙突を真近に見る/こんな所にまでキジがいた

海老江港から富山新港をめざして直進。16:30,暑さに閉口して民家の塀にできたわずかな影で休む。目の前に小学校があり、その方向からキジの鳴く声が聴こえてきた。目を凝らすと学校の手前にある野球のグランドと道路の間の草地をキジ♂が悠然と歩いているのが見えた。どこまでもキジに縁がある。

16:40発,新港に向かう。おりしも目の前の造成地に高い橋脚を立てる工事が行われていた。それは新港をはさんで対岸の越の潟町とを結ぶ巨大な橋をつくる工事の一環と思われ、港の向こう側と思われる位置にも橋脚の影を望むことができた。さらに進んで新港に突き当たるとその全貌を見ることができる。

富山新港から伏木にかけての地形は複雑に入り組んでいる上に富山新港を伏木富山港とも言い、富山港ではないと言う意味の富山新港に対して新湊と言う地名があって新港の先には新湊漁港があり、さらにその先に庄川,小矢部川と言う2つの川の河口があったりして非常に分かりにくい。
にも関わらず目標とする伏木駅までの地図の読み込みが不充分で、地形や地名をしっかり把握していなかった。
氷見線の伏木駅は小矢部川の先なのだが、この時点では単純に富山新港を越えれば伏木駅はそのすぐ先だと思い込んでいた。それが迷走の原因になった。

対岸は目の前だ(西)/越の潟に向かう船

16:50,堀岡新明神と言う地区で港に出ると対岸の方向から強い風が吹いてきた。強風で波立つ海を見ながら港に沿って左折すると対岸の越の潟との間を往復する堀岡渡船発着場に出る。丁度越の潟に向かう船が出たところだった。渡船で対岸に渡ってしまえば早いがそう言う訳には行かない。

新港の奥(南)方向/堀岡発着場

富山新港は中央部で東西に分かれていてそれぞれが奥深くに入り込んでおり、東側は特に深くて1.7kmも先で海竜新町から南下したR415に突き当たるまで伸びている。従ってこの後は先ほど海竜新町から港まで歩いた分だけ並行して戻ることになる。新湊火発の2本煙突はその中にあるので煙突を中心にぐるりと廻ることにもなる。

写真の赤いラインは工事中の新港を跨ぐ道路。その起点は海竜新町・R415(左の黄色いライン)の南下点。港に沿ってそのラインまで戻る。※地図は上が南

17;20,2本煙突の真下を通過。17:50にR415に突き当たって10分の休憩。ここまで、道の駅・滑川から31km,神通川を渡ってからでも13kmあまり歩いていたが、ぐるっと廻って港の向こうに出れば伏木に着くものと、この時点ではまだ思っていた。

土砂降りの雨に湿度むんむんの蒸し暑い土日。トマトとカボチャがアッと言う間に伸び、タマネギは地上部が全部倒れて収穫期を知らせる。キヌサヤが盛んに実をつけ、グミが赤く色づき始めた。
野菜たちの大好きな高温多湿の季節・・! あまってら農園にやっと夏が来た。

ジャガイモの畑がイノシシに荒らされてあちこちで被害が出ている。昨年は収穫前の芋を根こそぎやられたが、今年は種芋が掘り返されたり、できた芋を片っ端から食べられたりして早々と収穫を諦めた人もいる。
あまってら農園でも種芋を掘り返されたが本体は健在で盛んに花を咲かせている。今のところそれ以上の被害はないが、早急に対策を講じなければ全部食べられてしまうのは目に見えている。
イノシシはまわりにトタンで塀を作れば入って来ないが、ムジナや鹿を含めた獣類全般に対する最も有効な手だてを講じるなら電柵を張り巡らせるしかなく、本気でそれを考える時期に来ている。物入りなことだ・・。

夏至 (げし) 6月21日 五月中 二至二分 (皐月:さつき) 太陽視黄90度
『陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以て也』(暦便覧より)
一年中で一番昼が長い時期であるが、日本の大部分は梅雨の時期であり、あまり実感されない。花しょうぶや紫陽花などの雨の似合う花が咲く季節である。
月と季節の暦より
二十四節気・夏至,6月21日 太陰太陽暦5月18日
昼が最も長く、夜が最も短い日。太陽が赤道から最も離れ、北半球では南中高度が最も高くなる。梅雨の長雨の最中。
七十二候
第一候:6月21日〜25日
乃東枯(ないとうかるる)
乃東(ないとうは夏枯草。ウツボ草とも言い、この草が枯れ始める頃の意であるが、日本のウツボ草は夏に枯れないので異種だと言われている。
第二候:6月26日〜7月1日
菖蒲華(しょうぶはなさく)
古く、アヤメ,アヤメグサと呼ばれたサトイモ科のショウブ(葉や根に芳香があり、邪気を払うとされた)の花が咲く。黄緑色の細かい花が棒状にかたまって咲く。
第三候:7月2日〜6日
半夏生(はんげしょうず)
薬草の半夏(カラスビシャク)が溝縁などの湿ったところに生える。昔はこの日までに田植えを済ませることになっていた。

松林の中のサイクルロードにマツの花粉

8:20に浜黒崎海岸に着き。キャンプ場を見たり清掃員の方と話したりして8:45に出発。クロマツの中のサイクルロードを歩いたり、時には林と浜の間の護岸堤の道を歩いたりして丁度1時間,諏訪川,琵琶川と言う2つの小川を越えて古志5丁目の町名表示板に到達。今川橋から2.2km地点のこの辺りが古志の松原と思われたがそれらしい目だった標識もなく、そのまま日方江と言う地区に入る。

越し方・滑川方面をふり返る/ここにもハマエンドウの花

どこまでも続く白砂の浜だが釣りを楽しむ人々の影もまばら・・。

背後から照りつける太陽が暑い。10:05,村川と言う名の3つ目の小川を越えた先にあずまや風の休憩所を見つけて日陰に逃げ込む。
浜では腕にタトゥを入れた5〜6人の若者達が声高に騒いでいて、彼らのものと思われるバーベキューの用具や食材がテーブルを占領していたが、構わず椅子にかけて休む,と言うより暑さ疲れに放心して40分もの間ぼんやりと過ごす。
10:45,戻って来た若者達と入れ替わって発ち、10分歩いてサイクルロード終点に到達。今川橋からの距離4.5km。

サイクルロードが終わる辺りから海岸が広くなり、パラグライダーの練習する人や常設のコートでビーチバレーに興じる集団等,浜での遊びも多様になってきた。
11:00,木陰に腰をおろして地図を見ながら今後の行程を検討する。
地図によると古志の松原はこの辺りを指すらしいが、ここにもそれらしい標識はなく結局分からず終いだった。いずれであってもすでに古志の松原に到達したことは明らかだが、その先の行程をどうするかハッキリとは決めていなかった。

はじめの計画では東富山駅に近い富山港を終点とするつもりだったが、あわよくば次の能登半島の旅への足がかりとして氷見線の伏木まで行けないものかとも考えていた。
その可能性を再検討しようとしたのだがあまりにも大雑把な地図で細かい所がよく分からない。時間的には少なくとも富山新港までは行けるのし、伏木までは決して無理ではない〜,とこの時は考えていた。

旅を終えてすでに1ヵ月半が過ぎ、モタモタしているうちに記憶が怪しくなってきた。こう言う時にデジカメの写真はメモ以上の記録力があって頼りになる。
だがたとえそれがなくても忘れられない光景と言うものはある。極言すればそう言う強いインパクトを脳に刻み込むことができればそれだけで充分であり、その他のことはどうでもいい瑣末なことに過ぎないと言ってもいいくらいだ。
常願寺川の土手を埋めつくしたハマダイコンの花の特大群落は今もはっきりと思い浮かべることができる,その忘れられない光景の1つだった。
8:20,常願寺川の土手に到達。水橋から堤防道路を歩いて20分,道の駅・滑川からは2時間で6.5km。体調が回復したのと荷物が軽いのとでここまでほどよいペースで来た。

河口を見ると常願寺川の泥水が沖にまで達して海の色とは違う層を成しているのがよくわかり、上市川辺りの沖合いに見えていた白く濁った帯の正体を確かめることができた。

河口,0km地点

河口から200mほど遡って県道1号線の今川橋を渡る。橋から上流の堤防もびっしりとハマダイコンの白い花に埋めつくされていた。
今川橋を渡るとそこから富山港に至るまでの長い長い松林にそって走る自転車道路が始まる。8:40に浜黒崎と言う名の海水浴・キャンプ場で最初の休憩をとる。
当初,目的地とした古志の松原はわずか2km先であり旅は大詰めを迎えた・・,筈であった。

滑川市荒俣付近のレンゲ畑
探し物を見つけた時点で時刻はまだ16時過ぎ,予定した地点に到達してはいたが、時間的にはまだ歩けるので富山市まで・・,と考えていた。だが午後から急に雲が広がり、やがて強い雨になったのでこの日は滑川止まりとして道の駅『ウェーブパークなめりかわ』に落ち着く。
思いがけず時間が出来たのでR8まで走って給油と買い出し,食事を済ませ、生地港近くの生地第一温泉まで戻って入浴。足の肉刺と左肩前側の皮膚の傷の手当をする。ゆっくり入浴したことで疲労が取れ心身の状態がよくなったせいか肉刺も傷もかなり癒えてきた
肩の皮膚は前日,ザックのベルトでこすれてベロッと剥げていたのに気づいてリムーブファーストと言うフィルムを張り、その上を絆創膏でカバーしていた。
このフィルムは傷口をピッタリ覆って空気との接触を完全に遮断する。そのまま剥がさないで置くと内側から皮膚が再生して傷が癒える。擦過創のような傷の場合,にじみ出てくる液をぬぐって皮膚を乾かすことに専念する人がいるがこれは間違いで、あの浸出液こそが新しい細胞の宝庫なのだ。それをフィルムで閉じ込めることによって再生を促すもので、実際回復が早く痛みも軽減される。

肉刺の場合は中の液がそれで肉刺の皮はフィルムに相当する。なので肉刺も潰さないのが正解である。ただし足の裏の場合は痛くて歩きにくい。彼の人は肉刺ができるのは靴のせいだと思って2万円の靴を買って見たが、靴の良し悪しには関係なく出来ると言い、肉刺が出来たら針を焼いて潰すといいと言った。多くの場合,潰さなくても歩いているうちに自然に潰れてしまう。
滑川の道の駅に戻る途中の魚津蜃気楼ロードの小公園で海を眺めて休むうちに眠ってしまい、朝まで仮眠する。
義歯紛失と雨のお陰で後半は骨休めとなった。

彼(日本一周)の人の話しを聞くことによって、自分が『ウォーキング』ではなく『旅』をしたくて歩き始めたのだと言うことが分かってきた。
旅は非日常ではあるが、生活の場を家から旅先に移しただけのことで、それ全体は『生活』であることに変わりはない。なので生活しながら歩くこと,即ち食と住に拘って歩きたい。
少なくとも家=テントを背負って歩き、すべての食事をコンビニ弁当で済ますのでなく、その土地土地で手に入るものを利用して自炊しながら歩きたい。
そう言う結論に達した時,最初に自分が考えた『縦走スタイル』は間違いではなく、むしろそのスタイルでなくてはいけないのだと気づく。問題は重さの加減であり、彼の言うように10Kg程度に抑えることが出来ればいいのだ。

テント(家)は夏場はなくてもいいかもしれない。アルプスでも夏はシュラフを持たずゴアのシュラフカバーで済ませている。だがシュラフカバーで地面に寝転がると言うのはいかにも不審者的で印象がよくない。なので1〜2人用のテントに替えるか、フレームを自立させてフライシートだけでテント代わりにする,あるいはツェルトかターフで済ませる等の方法を考えてみた。
テントとコッフェル,食器でかなりの軽量化が図れる,食料は持ち歩くのをやめてその都度買う,衣類は1回分の着替えでよしとする。夏なら洗ったものをそのまま着て歩く『着干し』と言うことも山ではよくやるし、競泳パンツを下着代わりにして川や水道で水浴びし、そのままズボンを履いて干すこともある。
軽量化は図るがウォーキングではないので時速5kmものスピードで歩きたくはない。4km/hでも早すぎるくらいだ。
大雑把な目標は立てるが『〇〇時まで』に『XXまで行く』と言うような目標を立てて自分を縛らない,海岸線行脚と決めたので海岸線に拘るが、往復1時間程度の寄り道を厭わず見るべきものは見る・・,等々。
徐々に自分の旅のスタイルがかたまってきた。

アルプス残照

レンブラント光線・有明山
西山に久々のレンブラント光線

刻々と変わる雲

光る水田

金の穂波

去年のトマトの支柱がそのまんま。横着してこれを動かさずに耕してみた。
狭いエリアに鍬を入れて耕すのは土が固いと無理だが、幸いにもシャベルでも掘り返せるほど柔らかいので楽々と耕せた。

支柱のまわりもしっかり耕して牛糞堆肥を入れる。1時間程度で耕運・施肥が終わり、10分で播種完了。
支柱を取り除いて耕すとその畝全体を全面的に耕すことになるので耕運の範囲,力の入れ方,堆肥の量等,すべてが2倍,3倍になり、支柱を解いて建て直す時間を入れると半日仕事になる。

横着して時間,労力,肥料ともに大助かり・・。横着バンザイ!

大町の農園にも牛糞堆肥2tが入ったので土づくりと利用区分の調整のために利用者が集まった。
今のところ、お散歩会のお母さん達が活発に動いてトマトやサツマイモの苗等を植えたりトウモロコシやダイコン,シュンキク等を種したりしている。
広い敷地には栗や胡桃の木陰があったり、ストーブの薪にするための木が積んであったり、芝生があったりで、お母さん方にいつもくっついて来る未就学の子ども達にとっては格好の遊び場。安心して遊ばせることができる。

ビニールハウスの骨を支柱代わりにしようという魂胆で、今は使われていない骨だけのハウスの中を小型管理機で耕し、牛糞堆肥をたっぷり入れる。
一輪車にてんこ盛りで25台分,約1t分をつぎ込んで管理機で混ぜ込む。

モロッコインゲンの種を蒔いて一段落。ひとしきり冷たい雨が降った後の空に鮮やかな虹がかかる。

野菜の生育が遅れている。例年に比べて発育が遅く、スクスクと育つはずのトマトもキュウリもカボチャもなかなか大きくならない。蒔いた種も発芽しない。
さっきまでカンカン照りで暑かったのに、ちょっと日が翳ると肌寒い。さわやかな風が吹いて心地よさに浸っているとじきに寒くなる。そんな日が多い。
田んぼの稲もぐんぐん生長しているとは思えない。このまま推移すると冷夏になるのではないかという気がする。
そんな中でも、草だけは思いっきり伸びている。

キヌサヤは帽子にいっぱい採れた。
タマネギは、地上部が倒れて収穫期を知らせてくれる。だが今年の出来はイマイチだ・・。赤タマは辛くないので生のままスライスして味付けモズクで和える。

サツマイモを植えたいのだが、畑を耕そうにもフキがもの凄い。刈払機で一掃すれば簡単で今まではそうしていたが、柔らかくて味のいいフキなのできれいに刈り取ってから耕すことにした。

草を刈るとヘビイチゴがでて来た。耕すとミミズだけでなく、セミの幼虫やイモムシ,コガネムシの幼虫,アリの巣等々,色んなものが出て来る。
夕方遅くまでかかってやっとサツマイモの苗50本を植える。次はモロッコの播種が待っている。

初採りのキヌサヤはその場で食べてみたが柔らかくて味は上々だった。生で食べると味がよく分かる。
収穫はわずだが、持ち帰って色よくゆでて頂いた。来週から出荷できそうだ。

サンカヨウ:茎の先端が大きい葉と小さい葉に分かれ、必ず小さい方の葉から花托が出て白い可憐な花をつける,と言う特徴がある。

ツバメオモト:植物体の大きさに個体差があり、大きく育って大きな花をつけるものや極小のものが見られる。

オオカメノキ:梅雨時の薄暗い林の中では目立つ存在。大馬鹿めの木ではない。

ツクバネソウ:葉はエンレイソウに似るがエンレイソウの3枚葉に対して4枚の葉が出て、その上にまっすぐ伸びた花托に地味な花をつけた後、ツクバネ(樹木)の種に似た実をつける。同じ仲間に6〜8枚の葉をつけるクルマバツクバネソウがある。
アカ(?)ヤシオツツジ:アカヤシオ,ムラサキヤシオ,シロヤシオなどがあり、アカヤシオは栃木県の県花。花びらの先端がミツバツツジのように尖らず丸いのが特徴。

マイヅルソウ:今は消えてしまったあのJALの鶴丸マークを連想させる葉脈。

チドリ:ハクサンチドリに似るが葉が違う。ノビネチドリの酷似するが花がノビネほど密でない。

ウワミズザクラ:大町市の市花。蕾や実を食べるとアーモンドの味がする。塩漬けしたものをアンニンゴと称して賞味する。

タネツケバナの仲間:本来の植物ではなく、多分,人の衣
服や靴等にくっついて移入したものと思われる。

ツタウルシ:最も毒性の強いウルシで汁が皮膚につくとひどいかぶれの症状を呈する。どんな人でもかぶれ、人によっては治癒に半年もかかる場合がある。

この巨木を見よ!・・・,クロベ(ネズコ)の巨木とその上部

森くら『千年の森自然学校』の黒部ダム周辺ネイチャーガイド研修に招かれて30数年ぶりに黒部ダムを訪れる。
ダムの堰堤を渡り、遊歩道に向かう随道を抜けてから約1.2km先の展望休憩所まで歩きながら、樹木や植物を観察・鑑賞しようと言う企画で、一番の目当ては休憩所の先にあるクロベ(ネズコ)の大木だとのことで、上の4枚がその大クロベ。

岩を抱く根っ子
根回りが特に大きいのは根っ子に岩や倒木を抱き込んでいるからだ。大木が倒れて更新する場合,地上には無数の種が落ちて新芽が出ることは出るが、多くの場合,土壌中の細菌などの影響で育たない。この点,岩や倒木の上に芽生えたものは細菌などの影響を免れるので成長を続けることが出来ると考えられているそうだ。

キノコが樹木を蝕む/芯が枯れて空洞化したブナ/それでも生きている

14:00下山開始。50mほど下った所から雪渓をまっすぐ200mほど下る。先行していた中高年男性3人がアイゼンを装着し始めたので先にツボ足で下る。
100mほど下ったところで後続メンバーの様子を伺ったが、追ってくる気配がないので20分あまり待つ。

その間に中高年3人パーティーがなれない足取りで下って行き、その後に何と男女4人の若者グループが尻セードで下りてきた。見ればアップシューズである。これでは歩けないから雨具をはいて滑って下りて来たと言う。
自分も滑って降りることを考えたが、ズボンが破れそうでちょっとビビッた。グリセードするのもピッケルを出すのが面倒だったし・・。

その斜面を女の子達は『こわい こわい』と言いつつキャッキャとはしゃぎながら楽しんで滑って行く。恐いもの知らずと言うか、若さとはスゴもんだと思った。

14:35まで待ってようやく仲間達が雪渓を下り始めて近くまで来たのを見届け、更に100m下る。そこからは登山道となり、100m近く下って再び沢の雪渓に出ると下から名前を呼ばれる。15:00,バナナ持参で出迎えてくれたじゅんちゃに合流。10分後には全員が揃う。

15:20出発。こちらにもニリンソウの大群落があり、サルが戯れるのを見たりしながらゆっくり下って15:45,上高地のメイン通りに出る。
上高地と言う所は自分のような泥臭い向きには居心地の悪い所で、こう言う機会でもなければわざわざ来る所ではない。
さらに1時間歩いて16:40,TX乗り場着。TX2台に分乗して安曇支所に向かい、せせらぎの湯で汗を落として帰る。全行程11時間丁度。

13:35着。岩魚止小屋から昼食休憩を挟んで3時間20分かかった。

右端の一番高いのが前穂,その左に明神岳?峰〜?峰,中央左の白い雪のあるところが奥穂,左に向けてロバの耳,ジャンダルム,2枚目、天狗岩,間ノ岳,西穂と続く。

徳本峠小屋

展望台から

アザミの蒸しパンをつくる。

アザミの葉をゆでて

牛乳を加えてミキサーにかけるかすり鉢で摺り、ドロドロにする。

生地をつくる。
薄力粉500g 砂糖100g 卵2個 バター80g 塩少々 ベーキングパウダー大さじ2 を混ぜ合わせて捏ねる。
生地に、アザミを摺ったものを加えてよく混ぜ、蒸し器で蒸す。

季節はどんどん過ぎて行き、まさに光陰矢の如し。太陽視黄経75度,二十四節気『芒種』。
『芒(のぎ)ある穀類、稼種する時也』(暦便覧より)
稲の穂先のように芒(とげのようなもの)のある穀物の種まきをする頃という意味であるが、現在の種まきは大分早まっている。西日本では梅雨に入る頃。
月と季節の暦では・・・。
芒種(5月2日〜5月17日)
稲や麦などの禾(のぎ=花の外殻の針状の突起)のある 穀物の種を蒔く頃。昔田植えの目安とした日。
第一候 蟷螂生(とうろうしょうず)
この頃,カマキリが生まれる。生まれたばかりのカマキリは小さくてかわいい。
第二候 腐草為蛍(ふそうほたるとなる)
川辺でホタルが飛び始める。昔の人は腐った草がホタルに変わると考えた。
第三候 梅始黄(うめはじめてきなり)
梅の実が黄色に色づき始めるころ。

伸び放題に伸びたヒノキ 左は庭側 右は庭外から
生垣と植木の刈り込み作業5日目。東西南北・四方をぐるりと囲んだ生垣の刈り込みは4日かかって終了。これで終わるつもりだったが、かなりの高さに達しているヒノキ,サルスベリ,八重ザクラ,マツの剪定を頼まれた。
剪定の知識・技術はないのでお断りしたが、伸び放題で高くなって困っているのでとにかく切って欲しいとのこと。技術はないが『高上がり』だけは得意なので『登って切るだけなら・・』と言うことでお引き受けする羽目になった。

『丸坊主にしてもいいから・・』などと言われてもそう言う訳には行かず、中途半端に切られた枝を切り直したり、枯れた枝を処理して風通しがよくなった。
右側にある枝はヒノキの枝ではなく、向こう隣の家の栗の木
一応完成。落とした枝葉は残した枝の数倍。植木の刈り込みや手入れは切ることより、落とした枝や葉の処理が大仕事。農園まで運んで積み上げ、葉は畑や山林から出る雑木と共に3〜4年かけて腐葉土にする。それが山林と農園の有機的つながりだと思っている。

木漏れ日の道/クルマバツクバネソウ

二俣には管理施設とトイレ,ベンチ,ルート案内板があリ、主のいない小さなテントが1つあった。先行していた3人の女性パーティーにここで追いつく。
10分休んで7:45発。二俣は島々谷川が北沢と南沢に分かれる分岐点で徳本峠へは南沢を辿る。ここからは山道らしい細道になるが、沢のそばから大きく離れることはなくわずかな登りである。

右岸高巻き
右岸の道は一度沢を高巻くように離れてすぐまた沢に戻り、600mほど先で流失した橋の少し上に設けられた木の橋を渡って左岸に移る(8:00)。後続の2人づれの釣り人がここで入渓するのをチラリと見てそのまま進むこと更に600mで再度橋を渡って右岸に戻る(8:10)。

秀綱奥方の遺跡
1時間近く歩いた時,右手の沢で釣りをしている人を見かける。丁度1尾釣り上げて野締めしているところだったのでそばまで行って見せてもらった。27cmくらいのイワナで、同じような型を4本揃えて満足そうだ。『二俣のテントの方ですか?』と聞くとそうだと言った。
道に戻ると先頭が立ち止まっていてそこに『二俣から2.6km/岩魚止め小屋まで2.6km』の標識とベンチがあった。丁度1時間歩いたので10分の休憩をとる。
二俣までの3.5km/hが2.6km/hに落ちている分だけ登りがきつくなってはいるが依然として林道歩きのペースである。
8:53発。標高1000m付近の沢沿いでしかも上をカツラやトチなどの広葉樹に覆われた涼しくて気持ちのいい道で快適な歩きとなる。足元に見られるのはクルマバソウ,エンレイソウ,タガソデソウ(あるいはオオヤマフスマ?)等の白を基調とした花々やミズナやカニコウモリ等々,ヨブスマソウを探しながら歩いたがよく似た草はあるものの同定に至らない。

9:00,右手の沢に雪が溜まってその下を沢水が流れているのを見る。碧い水が淵をなしてほとばしる様に皆立ち止まる。若々しい木々の緑に囲まれて木漏れ日の中を歩くのは何とも清々しい。

花木橋
渓幅が次第に狭くなると小滝が多くなってくる。600m歩いて左岸に渡り、更に400m先でしっかりしたつくりの花木橋を渡って右岸に戻る。そこから先は渓畦に設けられた木道を歩くが、ぬれた木道は滑りやすい。

木道は滑りやすい/石灰窯跡

苔むす木道
9:35,花木の石灰窯跡を通過。この先も渓流沿いの道が続き、休憩点から1時間が経過したが小屋までは休みたくなかったので先頭に出て強引に引っ張リ、10:00に岩魚止め小屋前の橋に着く。再び先行女性パーティーに追いつく。

この橋を渡った先に小屋がある。
出発点から岩魚止小屋までを4時間と見て10:00着と読んでいたのでここまではほぼ予定通りだが、ここから先が標高差900m近い山登りで予想以上の苦戦となる。
日本画家,Tomの軌跡
開墾日記のTomさんは日本画家。今年から小学校で絵を教えながら田舎暮らしを始めた。
小学校生に刺激を受けて!・・・,作品?! 一つ完成です。
日本画制作滞ってます。
キャンバスにというよりも今は畑に絵を描いている感じです。
今日は雨!とても潤ってます!

サンカヨウの大群落/徳本峠にて
前日の悪天候から一転して抜けるような青空。当初の参加予定者が1人入れ替わって7人で改めて徳本峠越えに向かう。
5:30に出発点の松本市役所安曇支所集合。支所の駐車場はほぼ満杯で、これは前日の雨にもかかわらず敢行して上高地に宿泊している人達の車と思われ、我が『境界線』メンバーのじゅんちゃもその中にいて今日のウエストン祭の世話係をしながら私達の到着を待ってくれることになっている。

5:40出発。他に3人連れの女性パーティーが2組と男女のペア,男女4人の若者パーティー各1組と、釣りの2名が相前後してほぼ同時刻に出る。
『徳本峠』入り口の看板を見送って雨で増水気味の島々谷川右岸の道を進み、5:12駐車場ゲート通過。1.4km歩いて橋を渡り左岸に移る。

広い林道/上空は青空

しっかりしているように見えた道も上流へと進むにつれて、06年7月の豪雨で至るところに決壊,崩落箇所があることが分かる。修復がなされているのはごく下流の一部だけで、上流では決壊部分に出会う度に河原に下りたり仮の通路を歩かされ、危険な場所もかなりあって慎重を要する。

崩落場所の上がり降りを繰り返し、支流の嵩沢を越えて2つの橋を渡り、左岸から右岸へ,右岸から左岸へと目まぐるしく移動しながらおよそ3.6km,丁度1時間歩いて砂防ダムの点検路のある広場で10分の休憩。朝が早くて朝食を食べていない人もあり、各自思い思いに腹に入れる。

6:50発。しばらくは左岸のしっかりした道が続くが、山側は地図上では崖の印しの連続で随所に雪崩れの跡や落石が見られる。大きな岩が無数に落ちている場所もあり、右手を警戒しながら歩く。所々に水溜りがあって、その中に夥しい数のオタマジャクシがいるのが見られた。ある者はモリアオガエルのオタマジャクシだろうと言い、別の人はサンショウウオではないか・・,などと言う。

オタマジャクシ・・・何の?/二股へ

6km地点で右岸に渡り、400mほど歩くと橋があって右手にトンネルが見える。橋は渡らず、『左二股』の標識に従って100m進み、7:35,二股の休憩所に着く。

二股