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プロフィール

  • ID: 1187
  • ハンドルネーム: 木偶野呂馬
  • 性別: 男
  • 年齢: 64
  • 住所: 長野県 松本市
  • 所属クラブ:
  • 登録日: 2007年06月22日
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私の山行記録 新着

2008年06月28日
焼山 [ 2400.30m 妙高山・戸隠山周辺(新潟県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年03月09日
天狗岳 [ 2645.80m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年02月17日
聖山 [ 1447.15m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)

以前の山行記録、予定は下記から

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道草


 草笛を吹きながら歩いていると、峠の手前で早くもアケビの花が咲いているのを発見。そう言えば享年11月に来た時にはまだ熟した実がぶら下がっていた。 さらにその足元にはタラの芽まで出ていた。
 安曇野に比べると花は1ヶ月も早く、実は2ヶ月近く遅い・・・,これはどう言うことなんだろう。

 ここで静岡地方に伝わるアケビの草花遊びを紹介。

 アケビは雌雄同種の雌雄異花,つまり同じ株に雄花と雌花がある。写真の雄しべがミカンの房状についているのは雄花で、右のバナナのような形をした雌しべが6個〜7個ついているのが雌花。よく見るとその先端がぬれて光っているのがわかるがこれは蜜ではない。
 アケビの花には蜜はなく、雌しべは雄しべに擬態して花粉を目当てに飛んでくるハナバチ類を騙して受粉していると考えられている。
 が、そんなことはこの際どうでもよく・・・,
 
草花遊び〜静岡県


 アケビの雌花を採り、写真のように雌しべだけをバラバラにして手のひらに乗せ、右手でこぶしをつくって左手の手のひらを軽くたたく。
 『ジジババ寝てろ 小僧は起きて火を燃やせ〜』と繰り返し囃しながら紙相撲のようにトントンとたたき続けると・・・,

2 

 手のひらを軽くたたき続けると、横になっていた雌しべの中から写真のように先端を下にして立ち上がるものが出てくる。
 いつまでたっても起きない『ジジババ』は好きなだけ『寝ていろ!』,勢いよく立ち上がった『小僧』は『元気に火を燃やそう〜』,と言うわけだ。初めて知った遊びだがユニークで囃し歌もおもしろい。
 雌しべの先端には粘液があり、トントンとたたく振動で踊っているうちに先端が下になって手のひらにくっつき、立ち上がった状態になる。この遊びは、このようなアケビの花の性質を利用した子どもの遊びらしい。 

 その後ものんびりと道草を食いながら1時間あまりかかって港へ帰る。

 ウズ/超渋いグミ 


     オトメツバキ/峠から町並みを見る

 


2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

浜の植物


 ヤブツバキ/ハマエンドウ
   
 浜にはハマダイコン,ハマエンドウ,ツルナが多く、またツワブキも艶やかな葉を茂らせている。
 昨年はツルナを汁の実に、ハマダイコンは葉を刻んでダイコン菜飯にした。ハマエンドウはお浸しに、ツワブキは佃煮風のキャラブキに出来る。ツバキの花は天ぷらになるしジャムにしてもよい。
    ハマダイコン/ツルナ


 イタドリがあった。太くて丸い茎をポカンと折れるところで折り、皮を剥いて食べる。渋くて酸っぱいが懐かしい味。山菜として塩漬けしたり、炒めて食べたりするところもある。
 yukihoはイタドリが気に入って崖を攀じ登る。

 イタドリを食べる/崖を登って採る


 五十谷三島から東港まで、途中で道草を食いながらゆっくり歩いて帰った。五十谷には牛を飼う牧場があり、ミカン畑がある。


 峠の手前で夕陽を見る。
2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

イソギンチャクを食う

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 昨年11月以来の五十谷三島。今回も磯漁りを楽しみにやってきたが、イボニシやヨメガカサ等の貝類やフジツボは小型のものばかりだった。カメノテは岩にビッシリ張りついているのでいくらでも獲れる。

 今回目についたのはイソギンチャクで、きれいな緑色の小型のものが沢山見られた。触手を広げているとなかなか美しい。これを何とか獲ろうとやってみたがなかなか獲れないものだ。


 岩の縁にあるものは根が岩の下のかなり奥にあるのでまず指が届かない。砂の上にあるものを狙って掘って見ても下には石ころがあって指が入る隙間がなく、無理をすると指が痛くなる。それでも何とか5〜6個獲れた。岩から引き剥がしたイソギンチャクはビワの実のような形でホヤに近いと思った。


 根元の部分を切り取って食ってみたが、砂がじゃりじゃりして食べにくく味が分からなかった。しかし、持ち帰って茹でて見ると結構いけると言う感想で、『それだけはご勘弁を』と言っていた幸治さんや『こんなものが食えるのか・・?』と言っていたたかさんまでが食べて、私の方には廻ってこなかった

2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

島で遊ぶ



 五十谷三島の三島とは、沖合いに向かって連なって突き出た3つの島ことで、その第1の島と本島とはコンクリートの道で結ばれている。その道を渡り、アオサなどの海草でヌルヌルする岩を伝って3島の先まで行ってみた。

 3つ目の島の先端/島のてっぺんにある祠

 潮の引いた岩場でフノリと言う海草を獲っている人がいた。『どうやって食べるのですか』と聞くと『いや、そのノリでなく、襖などを張る時に使う糊をつくるんだ』と言われた。側で夫人が『あッ! でも味噌汁に入れて食べられるのよ』と言ってくれた。
 沢山あるアオサも食べられるそうだ。『アオサは紙みたいにペラペラで美味しくないでしょう・・』と言うと『それとは種類が違うんだ。なかなかいい味だよ』と言った。
 
                                           
2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | 2 コメント | No Trackbacks |

赤花のアセビ,そして旧友


 宮島の春を象徴するものはアセビ、ヤフツバキ、ヒサカキの臭いである。
 子ども達が水族館にいる間に駒ヶ林に登って来ようと千畳敷を出た所に赤い花のアセビがあった。それも今回の目当ての1つだったのだが、もっと濃い色のものがあるはずだと探しながら歩く。

 時間が押していたのでロープウエイで上がって駆け下ろうとその道を急いでいてふと高校時代の友人の店を思いだし、訪ね当ててその店に寄る。


 特に親しいと言う間柄ではなかったが、普通なら卒業して45年も経てば消息が分からなくて当たり前の同級生に、宮島と言う特別の島に残って宮島彫りと言う伝統工芸の最後の継承者となったと言う特殊性の故に、その気になれば会えると言う条件が突然の訪問を思いつかせたのだろう。


 彼がそこで彫り物を生業としていることを知ったのも4年前のこの旅行の時で、その時は時間がなくて二言、三言話しただけだったので気になっていたと言うこともあったし、宮島彫りにも興味があった。


 2時間ほどの滞在で、彼の高校時代当時から今日に至るまでの動向や伝統工芸を受け継ぐに至った心境と共に思いがけない友人の消息まで教わることができ、また物故した旧友の名に絶句したりもした。
 総白髪で当時に比べると顔がふっくらとしているが、頷くように小首を縦に振りながら肩を揺すり上げ、ちょっと居丈高に脅すようにして話すしぐさが少しも変わっていないのが妙におかしくまた懐かしかった。

 すっかり遅くなったので山に登るのは止め、廿日市市の『愉快腹章』氏を訪ねることにして大急ぎで桟橋に戻る。途中の道で念願の真っ赤なアセビの花を見かけて写真をとる。


2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

宮島・千畳敷



3月27日(木)
 やや遅めに起きてゆっくりの朝食後、車で宮島口へ。島に渡ると2人はすぐに水族館に飛んで行ったっきり閉館まで出てくる気配なく、じっと待ってはいられないのでブラブラと島を散策。子どもの頃に一度だけ行ったことのある千畳敷に寄って見た。



 千畳敷は広さが千畳もあると言う大きな板敷の建物で、実際には畳870枚くらいの広さだが、現在の畳だと1200枚は敷けるそうだ。
 板の間に柱があるだけのシンプルなつくりがいいのと、その分厚い板の所々が欠けていたりする部分に別の板を填め込んで修理してある所が子ども心にも面白く感じられた印象があって、いい機会だったので50年ぶりに上がって見た。
 その修理跡を探してみると魚の形をしたものや瓢箪型、矢羽を型どったもの等、遊び心がちりばめられていて楽しかった。



 天井の絵馬の写真を熱心に撮っていた外人女性が板ばかり撮しているのに気づいて近寄って来たので指差して教えると自分でも探して盛んにシャッターを切ったり、『come here』と私を呼んで自分が見つけた形を見せたりした。
 


 千畳敷を出るとすぐ側で赤い花のアセビを見つけた。
2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

線路脇で火災,全面ストップ

 
京都を定刻に出た電車が西王子駅で停車。線路脇で火災が起こったために全線で運転見合わせとなる。すでに50分あまりが経過。

 13:40運転再開。50分の遅れ。姫路発15:05の待ち時間が49分なので待ってくれている時間差ではあるがビミョー。

 結局姫路駅に着いたのは64分遅れの15:20。15:05の赤穂行きは既に発車した後だったので、次の15:35に乗車。相生着15:55で、反対のホームに15:56発の三原行きが待っていた。
 遅れは30分に縮小したが、広島の到着・乗り換え時刻等が不明。五日市には20:30頃着の見込み・・。

 この先の山陽路は夕日に向かってひた走るところだが今日は雲が厚く時折小雨が窓をぬらす。そして今年も寒い!
 まもなく5時。携帯電話のバッテリーが切れて連絡不能となる。

 三原着18:38。同駅発18:47。広島着19:59,同駅発20:03。五日市着は20:16で当初の予定より30分の遅れですんだ。
 名古屋駅で1本後の11:00に乗っていたらもっと遅くなっていたことは確かで、3分の待ち時間で10:30に乗れたことが幸いした。
  
2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

春休み・各駅停車旅・・・瀬戸内・宮島&平郡島へ


 3月26日(水)
 穂高駅6:00発。中萱駅でmasaharu,yukho兄妹が乗り込む。中萱駅は無人駅なので松本で切符にスタンプしてもらって中津川行きの電車に乘る。
 6:37発,中津川着8:44。名古屋行きのセントラルライナーは乗車整理券がいるので次の9:13発快速名古屋行きに乘る。
 名古屋着は10:27。10:30の大垣行きには3分しかないので次の11:00発大垣行きに乘るつもりでゆっくり5番線に移動したら目の前に10:30発がまだいた。ホームが隣だと3分でも充分なんだ!
 これで行くと1本早い米原発11:52の姫路行きに乗ることが出来る。尤も姫路から先は次の電車で行っても同じ15:05発の相生乗り換え糸崎行きとなる。
 つまり姫路での待ち時間が30分長く49分となるだけのこと。以前は1時間あったので姫路城に行ったりしたが慌ただしい。姫路城を入れるなら広島着をもう1時間遅らせる必要がある。
 と、まあここまでは順調。

 計画は明27日平和公園,29日宮島としていのだが、平和公園のボランティアガイドさんがいっぱいで空きがなくガイドを頼むことができなかった。2人は2年連続で見学しているので平和公園をカットし、平郡島に28日の朝1番で行って29日の朝1番で帰ることになっているのを夕方の便で帰ることにしてもいいかな・・と考えている。

 兄妹の楽しみは1にも2にも宮島の水族館で、明日にでも行きたそう。

2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

平郡島にて


      

 3月28日10:10分平郡島着。卜部さんと松川さんのお出迎えを受けてすぐに卜部さんのお宅に案内される。
 卜部さんのお家は通りに面した大きな建物。細い通路を通って中庭に入るとそこは50平米ほどの空間で、それを囲むように四方に建物があると言う変わったつくりになっている。一番奥(西)が面屋で、向かって右手(北)と道路に面した側(東)に離れがあり、南側には風呂がある。

 卜部さんら3兄弟は、それぞれが別々の建物に住みながら素潜り漁をしてお互いに助けあって暮らしているそうで、弟さん達は目下出漁中,まもなく帰ってくるだろうとのこと。
 中庭の一画の雨覆いのある通路が調理場になっていてそこでは大型の魚を捌ける大きな俎板や冷蔵庫、冷凍庫が据えつけられている。大勢の客が来た時には台所では間に合わないのだそうだ。


 軒にはイシダイの干物が吊してある。刺身にする部分を削ぎ取った後の頭と中骨、皮を干して飾りにしたもの。同様のものは戸外にもあり、こちらは60cmを越えるコブダイだった。
 
 調理場/大アナゴ
               
 ザッと見せてもらい、荷を置いて釣りに出かける。

2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

平郡島へ


 3月28日5時起床。6:15発。五日市駅にてtomokoさんと合流。電車が10分遅れてヒヤヒヤする。山陽道で玖珂まで飛んで8:10柳井港着。
 『瀬戸内獲れたて岳じゃが情報』の岳君と合流。8:30発平郡航路『へぐり』に乗船。まもなく平郡東港に着く。


2008年03月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

安曇野の山里を歩く・・・1人だけのピースウォーク・1



 20日に予定していた春分祭・ピースウォークを雨で流したので、改めてやりなおすことにとした。春分の日なら参加できた子ども達や仲間達もこの日は都合が悪かったり風邪引きだったりで1人だけで歩くことになったが、元々1人で始めたことなので人数は問題ではない。


 穂高駅発4:15。思えばこの15分の遅れと大いなる思い込み勘違いが災いして日の出を見逃す羽目になるのだが、当初はそれに気づくべくも無く余裕の足取りで駅を後にする。
 北斗七星に向かってまっすぐ歩き、碌山美術館に向かう踏み切りを逆に右折。R147を横切り穂高川にかかる常盤橋を渡って東進する。
 4:50,高瀬川にかかる安曇橋に着く。5分かかって橋を渡り、『安曇節』の碑の写真を撮る。『槍でわかれた梓と高瀬、めぐりあうのが押野崎』と刻まれたこの碑の存在は意外と知られていない。
 ふり返ると常念岳の稜線が黒く沈み、下弦前の月を山の端に呑み込もうとしていた。


 橋を渡りきって『一般車両進入禁止』の土手沿いの道に入り、5分ほど下って犀川との合流点に達すると急に冷たい川風が吹いてきて身震いさせられ、ヤッケのフードを被る。月が没した頃からあたりが白み始めていた。
 5:15,駅から丁度1時間で犀川橋の西詰めに着く。5分で渡ってR19の陸橋を渡り、さらにJRの線路を横切る頃から少し明るくなり、常念岳がほの白く浮かび上がってきた。


 時刻5:22,少し明るすぎはしないか,と思い、ここへ来てようやく日の出の時刻を間違えていたことに気づく。 そうだ・・! 日の出は6:10頃だった。何を勘違いしたのか、それを1時間も遅く読み違えていた・・。そう思う間にもどんどんと周辺が明るくなって行く。
 あまりに桁違いの間違いに呆れながらすっかり明るくなった道を登山口へと急ぎ、5:50,長峰荘に着く。
2008年03月25日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

霧訪山・後



 12:35発,下山開始。北面は雪が多くアップシューズでの下りではえらい目に遭った。10分で稜線からの下りに入る。道はここで急勾配の男坂と幾分緩やかな女坂に分岐する。右手の急斜面を選んで下降。滑ってどうしようもないので林間の雪深い場所を敢えて選びズブズブと膝下まで埋まりながら一気に下る。


 10分で大芝山方面の道を捨てて左折,谷筋を少し下ってから先行者の踏み跡を追って右手の小山をトラバースする。ここまですべりに滑って小枝や雪でむき出しの腕に無数の引っかき傷をつくりながらようやく雪のないところまで下る。
 途中で先行の2人の女性に道を譲ってもらって小走りで下り、13:02,鉄塔を通過。13:13下山。


 最後の鉄塔
 堅石(郷原)工業団地付近からこ鉄塔が見えていた。

 登山口は河原で、その流れの下流は堰き止められて小さなため池となっている。碧い水が美しい。『たまらずの池』と名づけられたその堰堤の法面に植栽されたフクジュソウがおりしも満開だが、碁盤の目のようにキチンと並べて植えられたフクジュソウには感慨が沸かない。

 
 フクジュソウからカタクリ,シラネアオイ,ミズバショウまで植栽流行りである。先程の分岐点を女坂の方に下るとカタクリの群落にぶつかるそうだが、このカタクリも植栽で天然のものとは遺伝子が異なるらしい。
 元々あったところに元々あった遺伝子のものを植えるのならともかく、どこの産か分からないものをやたらと山の中に植栽するのはいかがなものかと、花を愛でる前にそちらが気になってしまう。
 因みに園芸種として売られているものはドイツ産のものがほとんどだそうだ。

 この後,善知鳥峠に戻って一部が下車し、登山口に置いた車を回収した後,平出遺跡を見学して解散する。
  
2008年03月24日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

フキミソづくり・・・大好評!


 フキノトウを刻む/徹底的に刻んで粉状にする

 大町市ヴェルヴィルの彦さんから教わったフキミソをつくってみた。
 フキノトウ200gは刻んでさらに刻んで粉状になるまで徹底的に刻む。彦さんには「ペースト状になるまで」と言われたが、そこまではとても出来ない!


 鍋にサラダオイル大さじ2を引き、刻んだフキノトウ(200g)にフキノトウの量の2倍の味噌(400g),半量の砂糖(100g),5%の無塩バター(10g)を加え、炒めてよくなじませる。


 並行して瓶詰め用の瓶を約10分煮沸消毒。両方が熱いうちに瓶に詰め、堅く蓋をする。こうすると両者が冷えていくにしたがって蓋が固く締まり、密閉される。
 常温で半年は大丈夫だそうだ。


2008年03月24日 by 木偶野呂馬 | General | 2 コメント | No Trackbacks |

霧訪山・前



 『境界線』3月山行は『霧訪山ハイキングと小野神社,善知鳥峠,平出遺跡めぐり』

 霧が訪れる山と書く響きのよい名の霧訪山は、古くから雨乞いの山として崇められている。戦国時代ののろし台があった山だけに北ア,中央,南ア,八ヶ岳方面や松本平の見晴らしがよい。

 小野神社/矢彦神社の御柱

 麓の小野神社との関係が深く、雨乞いの時に武田勝頼が寄進した釣鐘を山頂に引き上げて一気に落としたと言われている。小野神社の社叢は憑(たのめ)の森と言い、県の天然記念物で18800の自然林に200種類の植物が自生。
 近くの善知鳥峠は天竜水系と犀川水系の分水嶺。善知鳥(ウトウ=チドリ目ウミスズメ科)は北方の海鳥。



 山行記録
 霧訪山の登山路は南側の小野神社から登るコースと北側の下西条からの2つがある。今回は小野から登って下西条に下るために車を下西条に2台置いてから小野登山口に移動する。
 10:10発。登山口を示す賑々しい横断幕の標識からいきなり鉄塔巡視路の階段登りとなる。霧訪山はマツタケを産する山で、登山道には沿ってロープが張りめぐらされ、登山道から1歩たりとも山に入らないようにと言う脅しめいた看板が随所にあって物々しい。実際に登山道でマツタケを見つけた人がいると言う話しもあった。
 天候がよくすぐに暑くなる。10:35かっとり城址と言う標識だけの城跡に着いて10分の休憩。


 10分休んで10:45発。道の両側の立ち木には木の名前を書いた札がかけられているが、それがみな漢字で書かれていてふり仮名がないと読めないようなものばかりだった。例えばソヨゴは『冬青』,リョウブは『令法』,コバノトネリコの『小葉〇〇』は漢字は見つからなかった。


 次第に雪混じりの道となり、アップシューズでは滑って歩きにくくなる。


 11:23登頂。あまり広くない山頂には数人の登山者がいて思い思いに展望を楽しんでいた。一点の雲も無く晴れ渡り最高の眺望。
 霧訪山は標高1305mと決して高くはないが周囲に遮るものがなく、文字通り360度の大展望に恵まれた山で、霧が訪れる山と言う名前のよさとも相まって人気が高い。
 初対面同士が和気藹々ムードであちこちを指差して山座同定に余念がない様子を見るとそれが頷ける。
 珍しく山頂で1時間あまりを過ごし、ゆっくりと弁当を食べる。
 
 
2008年03月24日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ガッテン式体重管理・10(0803・4・0321)


 Aさんの第7〜10週
 第10週目を終えたAさんの記録。低目で安定しているが最後に少し上がってやや不満そう。心配するほどのことではない。


 木偶の第7〜10週
 木偶の第10週も低めで安定し、グリーンのゾーンに肉薄しているが、週末に登山と20kmのピースウォークが入っていて、その時はしっかり食べるつもりなので上がるはずだと思っている。
2008年03月22日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

イワナ・ヤマメ談議

 再び魚の話しに戻り、イワナとヤマメはどちらがうまいかという話しになった。
 小形,中本等と3人で東北の山を2週間歩いた時、焼石連峰の縦走を終えて夏油温泉に下り、そこから一関に向かうクシ−の中で運転手とその話しになったことがあった。その時運転手が、少しだけ食べるのならヤマメがうまい。けれど沢山食べるならイワナだと言った。イワナの味は飽きが来ないというのだ。私はその考え方が分かる気がした。
 それとは少し違うかもしれないが、私達が山で釣った魚を焼く時、すぐ食べるのならジュウジュウと油が垂れるくらいに焼いたところで食べる。この食べ方ではヤマメの方が断然うまい。けれど、焼いた魚を持ち歩く場合はおき火で水分も油もなくなるまで完全に焼き枯らして新聞紙に包む。こうすると夏でも3〜4日はもつのだ。こういう焼き方をするとイワナの方がうまい。
 薫製をつくるとヤマメはイリコみたいになってパサパサして旨みがないのに対してイワナは噛むほどに味が出るようになる。同様に焼くとまずいニジマスも薫製にするとうまくなる。
 ジュ−シ−に焼いたヤマメはうまいが一度に沢山は食べられない。それに対して、焼き枯らしたイワナはいくらでも食べられる。タクシ−の運転手が言ったのはそう言うこはないだろうか。主人も『イワナの方が味があるな』と言った。
 これはしかし、それぞれの魚に適した食べ方の違いを言っているのであって、どちらが旨いということの答えではない。どちらが旨いかという問題は、どちらが好きかということに関わっていて、つまるところその人の好みに帰するのだろう。
 小形は黙っていた(彼は必ずヤマメを先に食べる)が、彼の目は『どっちだっていい。まずは食べる魚を目の前まで持って(釣って)来ることが先決なのだ。』と言っていた。釣ってきた者の余裕であろうか。イワナは焼き枯らして明日食べることにする。
 こうして大平宿の夜は、予期せぬプレミアを伴って更けていった。

 絶対無音
 『旅館ではないから特別なことはできないよ。同じものを食べてもらうよ』と言って、出される料理は朴訥で飾り気のない遠慮のいらないものばかりで、それをまるで家族の一員でもあるかのように好き勝手にわいわい喋りながら食べて飲んで、眠くなったらそのまま寝てしまっもいいような居心地のよさ。
 その上に『よかったらここは30人くらいは泊まれるから使っていいよ』,『私達は毎週金曜日から日曜日まで来てるから寄って下さい。電話してからでもいいし、パッと来てもいいよ』とまで言ってもらった。小形も私もここがすっかり気にいってしまった。
 特筆すべきことは、私達に対するもてなしが客のための特別の演出ではなく、その人達のそこでの生活のありようそのものであると言うことである。それは私達を家族同然に迎え入れると言うことに他ならない。

 尽きない話しが何かの拍子に一瞬途切れ、座が静まり返る時がある。その時、誰もがじっと火を見つめ、静寂が人々の心を一つにつなぐ。誰もがこの夜の出会いを忘れまいと思う。そういう時に誰かがアクビをしたりすると、それを潮に『もう休もうか』となり、楽しかった団らんも心を後に残しながら終わりを迎える。大平宿での思わぬ出会いのぬくもりを心に刻み込んで床に就く。
 静寂とは必ずしも音のない世界ではない。かすかな葉擦れの音とか、柱がきしむ音、時おり屋根をたたく木の実,虫の音,正体不明の音・・等々,そういう純粋な音がかえって静寂の深さをきわだたせる場合がある。けれど、この夜の大平宿はどこまでも無音であった。




2008年03月21日 by 木偶野呂馬 | General | 2 コメント | No Trackbacks |

炉辺談話はずむ

 鍋がグツグツ煮え、夫人がそれに味噌で味をつけてから、次に大皿たっぷりのワラビと山盛りの漬物を出してくれた。私がワラビのとろろのことを話すと夫婦は、『それは知らなかった。今度やってみる』と言い、さらに私が『ウワバミソウも根っこの部分をよく洗ってたたいてとろろにするとうまい』と言うと『ウワバミソウは知らない』と言うので『ミズナのことだ』と言うと『それならここの沢にいっぱいある』と言った。
 私達が沢で使うのは、たいていこのミズナかフキで、なければサワアザミ。油で炒めてしょうゆで味をつけるだけだが、あるとないとでは食事の内容がうんと違うのでフライパンと油,醤油は欠かせないのだ〜,等と話しているところへ小形が22〜23cmくらいのイワナを2尾釣って帰ってきた。そこから釣りの話しになる。
 主人は釣りはやらないがイワナはよく捕ったと言った。その捕り方は無理捕りと言うやつで紹介を憚られる。海でも川でも漁は楽しいが、私達は無理捕りはしないし、イワナ,ヤマメに関してはあくまでも釣りでなくてはならないと考えている。
 小形が風呂から上がってきたところで焼肉が始まったが、私は肉より大根葉とワラビ専門で、大皿にたっぷりあったのをほとんど1人で頂いた。

 所沢氏の『知人がマイタケを見つけてそれを民宿に持ち込んだら宿代を只にしてくれたのだが、別の所でその話しをしたら「馬鹿なことをした。3万円ものだ」と言われた〜』と言う話しからキノコの話しになった。
 小形がトンビマイタケの話しを出すと、主人はシロマイタケの話しをした。私はブナハリタケが好きなのだが主人はそれは知らないと言い、ムキタケのことも知らないと言った。キノコは土地によって採れる種類も好みも異なる傾向が強いからか,なかなか話しが噛み合わず、いささか盛り上がりに欠けた。

2008年03月21日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

大根サラダは縦に削るべし


 薄く削った大根,小さく潰したキュウリ,ワカメ,ブロッコリーのスプラウトに市販のトロロメカブを加えてでぬめりを出し、ごま油少々と醤油少々に七味トウガラシをたっぷりかけて混ぜる。好みでチリメンジャコ,サクラエビ,蒸しホタテをほぐしたものなどを混ぜ込む。これにビタミン大根のすりおろしをかけてポン酢で味を調える。
 仕上げにフキノトウの蕾をほぐして振りかけてみたらいいアクセントになった。甚だよし。


 これまで大根の皮を剥く時は輪切りにして包丁で厚めに剥いていた。これを横に千切りにしてアブラゲと一緒にキンピラ風に炒めてから煮る。葉っぱがあればそれも刻んで入れる。これが私の大好物・・,超安上がりだ。
 ビール漬け用の大根は長いままを2つないし4つ割にするのでピーラーで縦に皮を剥く。その皮をアブラゲと炒め煮したらこれまでにない食感を得た。

 それにヒントを得て大根サラダをピーラーで削ってみた。 
 味は同じだが、横の千切りにするとシャリシャリ感はあるが味がなじみにくい。ところが縦に削るとヌルッとした感触でドレッシングとのなじみが非常にいい。切り方一つでこうも違うものかとややオドロキ。
 新発見,大根サラダは縦に削るべし!
2008年03月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

投宿

 塒
 先ほどちらりと見えた学校の校舎らしい建物とその奥の炊事棟を見にいく。建物は飯田市教育委員会管理の建物で、屋根つきの立派な炊事棟は相当の人数が一度に利用できるほど広く、水道をひねると水が出た。
 『使用する場合は○○へ連絡せよ』との標示に従って、飯田市教委へ電話して炊事施設だけ借りようと思い、1台だけある公衆電話の方へ行こうとすると、小形が、『入口の家は民宿ではないけど泊めてくれるらしい。宿泊者が1人いて「1人より仲間がいた方がいいから泊めてもらってはどうか,多分泊めてくれるはずだ」と言っている』と耳よりな情報を掴んできた。いくらで泊めてもらえるのかが心配だったが、たまにはのんびりしたい気もしたのでその話に乗ることにした。
 
 玄関を入ると広い三和土に続く大きな板の間があり、そこから右手奥に広い台所と並んで自在鉤に大ぶりのヤカンがかかった囲炉裏があって、囲炉裏には何本かの薪が燃えていた。真夏だというのにその火は少しも暑さを感じさせなかった。
 囲炉裏のある部屋は西側の道路沿いと南側に窓があり、北側は玄関との間に仕切りがあって、そこがこの家の主の居場所らしく、風呂から上がったばかりの主人が長々とうつ伏せに寝たまま『腰が悪いのでこんな格好で失礼する』と言った。
 夫人は『旅館ではないので特別なものはできないのよ。うちで食べるのと同じものを食べてもらってるのよ』と言った。『その方がよっぽどいい。何だって食べますよ。一緒に話しを聞かせてもらいながら食べるのが一番だ』と言うと、『こんなもんだよ』と言いながら大根の葉とアブラゲを煮たものを見せ、『お父さん,ちょっとお願いネ』と言って、主人が自在鉤のヤカンを下ろしすのと入れ替えに大きな鍋をかけたながら『お風呂に入って下さい』と言った。

 クマザサ茶
 風呂は4〜5人がゆったり入れる大きさで、民宿ではないといいながら明らかに客を迎えることを意識したつくりだ。風呂から上がるとたぎった鍋にカボチャや野菜を入れるところだった。
 先客は所沢の人で、埼玉県岳連の上の方の人らしく、7月20日に龍飛を発ってあちこちの山を登り、今日ここに着いたところだと言った。
 7月20日と言えば小形と私が谷川岳で落ち合って破間川に入った日で、その時私達が登ろうとした守門岳にも栃尾市の方から登ったと言い、今月の20日まで旅を続けると言う。  『豪勢な旅ですネ』と言うと、『若い時、死に物狂いで働いたもの・・』と言った。龍飛の階段のある国道の話しから、大きなプロペラの風力発電の話し,太宰治の「津軽」の話しにおよんだ。
 私は大根葉やコマツナ等の葉菜類とアブラゲの煮ものが好きなので、夫人が出してくれたビ−ルを一口だけ飲んで、専ら大根葉を食べた。
 所沢氏がヤカンを指して『クマザサのお茶だそうだけど飲んで見ますか』と言ってビ−ルのグラスに注いでくれた。すかさず主人が『これで血圧が下がったんだ』と言い、夫人も『本当にこれで下がったのよ』と言った。
 それはお茶といういより白っぽい白湯のようで、飲むととろっとして甘みがあり、子どもの頃によく飲まされた重湯の味に似ていた。『クマザサをどうやるんですか』と聞くと、夫人が『何もしないのよ。生の葉をそのまま入れるのよ』と言い、ヤカンの蓋を開けて見せてくれた。中にはクマザサがぎっしり詰まっていた。『こんなにいっぱい入れるんですか』と言うと、主は『山にいくらでもあるでよ』と言う。
 『クマに聞いて見ようかしら・・』と言うアレだが、生半可でないその使い方に、山で暮らす者の真骨頂を見た気がした。
 わずかなクマザサ(?)から抽出したわずかなエキス(?)なるものに、もっともらしい効能書きを書いて売ったり買わされたり・・・,人々の健康に対する不安には限りがないが、『クマに聞く』までもない,山で暮らす先人に聞けばいいのだ。

2008年03月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

春分・・・3月20日,太陰太陽暦2月13日


 春分 (しゅんぶん) 3月21日頃 二月中 二至二分 (如月:きさらぎ)  太陽視黄経 0度
 『日天の中を行て昼夜等分の時也(暦便覧)』
 この日をはさんで前後7日間が彼岸。花冷えや寒の戻りがあるので暖かいと言っても油断は禁物。昼夜の長さがほぼ同じ頃であり、この後は昼の時間が長くなって行く。

 月と季節の暦より
 『春分』・・・太陰太陽暦2月13日〜2月27日(西暦3月20日〜4月3日)
第1候:3月20日〜24日
 『雀始巣』』 すずめはじめてすくう。このころスズメが番いになって巣をつくり始める。
第2候:3月25日〜29日
 『桜始開』 さくらはじめてひらく。日一日と桜の蕾がふくらんで、やっと咲き始めるころ。
第3候:3月30日〜4月3日
 『雷乃発声』 らいすなわちこえをはっす。このころはじめて雷の音が聞こえる。春雷と言う。

 本日の春分祭・ピースウォークは中止。 
2008年03月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

廃村の宿場跡

 大平高原キャンプ場などの標識を見送って10分ほどで大平宿に入る。宿の入口近くには土産物屋があり、道を挟んでその反対側に民宿かと思わせる大きめの総2階建ての家があって、その前の広い駐車場に車が2台あった。
 その先から左奥に向かって車留めのある道があり、奥には古い学校の校舎のような建物,さらにその奥に大きな屋根つきのキャンプ場の炊事棟が見えた。車留めの先には大平宿利用者専用の駐車場があり、道はそこで左に直角に曲がるのだが、直進する道もあった。
 直進する道は車両進入禁止で、入口の左側に古い旅篭のような建物があり、同じような建物がその奥にもいくつか見えた。
 進路に沿って左折すると左側に“中央アルプス縦走路入口”という標識があって舗装された道が林の奥に伸びている。右手に“水道屋”と書かれた旅篭風の建物があり、小川にかかる橋を渡ると“三河屋”という建物があった。
 そこを通り抜けると道が上り坂になってそこから先にはもう何もない感じだった。つまりそこで大平宿は終わりなのだ。「えっ! もう終わりなの!」と驚く。最初の家からそこまで200mあるかないかなのだ。
 引き返して三河屋の前にある張り紙を見ると“三河屋”という屋号や“平入りづくり”という標示と共に“この家を利用したい方は○○に電話して予約して下さい”という案内があり、飯田市内の電話番号が書いてあった。

 保存された宿場
 先ほどの交差点まで戻って車を停め、宿場の中を歩いてみると200m程の道の両側に“からまつ屋”から始まって“つつみ荘”“紙屋”“下紙屋”“深見荘”“大蔵屋”“八丁屋”等、大小10戸あまりの宿屋が並んでいて、それぞれに屋号と“平入りづくり”か“切妻づくり”かの区別が標示してあった。
 ほぼ中間地点にはトイレやまき小屋なるものがあり、お月見広場と呼ばれる空き地の手前には庚申塚と斎藤茂吉の歌碑があった。
 これらの建物は、そのほとんどが江戸時代の建物で、別の場所から移築されたものではなく、当時のままの姿で保存されているものらしかった。建物は古く、使うには不便が予想されるが、その不便さをむしろよしとする人達が好んで利用しているようだ。
 何もない宿場町のぬけがらのような所であるが、ただそのたたずまいを愛し、泊まって喋って旧交を温める人あり、高原の林の中でハイキングやキャンプを楽しむ人あり、斎藤茂吉が愛したアララギの里を中心とした文学散歩に訪れる人あり、またそこを拠点に木曽路を歩くもよし、中央アルプスの登山基地として摺古木山や木曽駒ケ岳に登るもよし、自分達の研修会を開くもよしと、どのような使い方もできる所ということらしい。
 こうして、歴史あるこの建物群と往時を偲ばせる静かな宿場町の雰囲気を愛することを旨とする人々に好意的に使われることによって、利用しながら保存すると言うのが大平宿の意義なのだろう。
 その主旨はよく分かるが、床は大丈夫なのだろうか? 屋根は漏らないのだろうか? と言う心配を払拭できないあやうさもある。子ども達は元気がいい。ついどんどんと騒いで床が抜けたりして、修理費を請求されるかも知れない。一度使ってみないと何とも言えない気がする。
 一番奥の家から道路に沿って見取り図を書きながら入口まで来ると、そこには見取り図と宿泊申し込み書のついた立派なチラシが置いてあった。わざわざメモすることはなかったわけだが、これで一通り大平宿のアウトラインが掴めた。あとは今夜の塒を探すだけとなる。




2008年03月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

『暁光・大平峠』

 1998年8月10日
 あまり見通しのきかない、細く曲がりくねった道を2kmほど登ると大平峠に着く。峠には歌人斎藤茂吉が大平峠を越えて飯田に向かった時に、自分が主宰した歌集「アララギ」と同じ名前のあららぎという名の里を望んで感嘆し、後に『大平峠』と題して詠んだ17首の歌を歌集『暁紅』に収めたいきさつと、その中の代表的な歌が数首記された碑があった。以下はその碑文。
 「近代詩歌の最高峰と言われる斎藤茂吉が、木曽福島,王滝の旅を終えて三留野宿ゆた旅館に一泊し、飯田に於けるアララギ歌会に出席するために秋深まるこの峠を越えたのは昭和11年10月18日であった。
 この時、紅葉する大自然の壮大な美にうたれてつくった17首の歌が『大平峠』と題されて歌集『暁紅』に収められている。
 『大平の峠に立てば天遠く 穂高のすそに雲しづまりぬ』
 『目のまへをそびゆる山に紅の かたまりいくつ清けくなりつ』
 『ここにして 黄にとほりたる もみぢ斑(ふ)の檜山を見れば言絶えにけり』
 あららぎの里を望み、その地名に茂吉が編集・発行者として精魂を傾けた歌誌アララギの名を重ねた深い思いが詠われている。

 『ふもとには あららぎといふ村ありて 吾に哀しき名をぞとどむる』」
 1台の車が停まっている他に行き交う車もない。ひっそりと静かなたたずまいの峠から北東方向,木の間越しに集落が見える。それがあららぎの里なのだろうか。碑文を手帳に書き写して大平宿に向かう。

2008年03月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

金木戸沢を覗く〜99・8,赤木沢から大平宿へ

 1999年8月10日
 9時のバスで立山駅から富山を経由して広島に帰る中本と別れて東谷の道を金木戸沢に向かう。ゲ−トの先のトンネルを出たところで正面に加賀白山を見る。あまりの迫力に思わず見とれてしまいかねない危ない場所だ。
 金木戸沢の下流部は双六谷と言う。沢沿いに3kmほど走ると林道の終点で、そこに2台の車が停めてあり、1台のワゴンには東京の某山岳会の2人パ−ティ−による4泊5日の周到な双六谷遡行計画書が、表から見えるように張りつけてあった。なるほど、こうしておけば何かのときに他者にも行動がわかり手が打てるわけだ。
 金木戸沢の情報は京都労山(勤労者山岳連盟)の自然保護部長で私と親交があるS氏から小形宛にファックスを送ってもらい、それを小形がコピ−してきた。その情報は大阪わらじの会の茂木完治・吉岡章両氏が著した『沢登り読本』によるもので、大阪わらじの会の創始者・初代代表で、労山の『山と仲間Books ・沢登りの勧め』の著者でもある中庄谷直氏の文に誘われて小形と2人で破間川遡行を企てたと言ういきさつがあった。権威のある会で信頼できる情報である。
 入渓点は8kmも先で、沢に入るにはそこまで林道を歩かなくてはならない。行けば帰る気になれない距離で前進あるのみになるが、この後私達には大平宿を尋ね、木曽駒ケ岳に登るという目的があった。
 小形のタイムリミットは14日中に帰広である。2泊で黒部乗越に抜けて13日中に昨日(9日)と同じコ−スを辿って、あるいは弓折岳か抜戸岳経由で新穂高に下りてここまで戻ってくるのは無理があるので見送って大平へ向かうことにする。

 風呂に入りたかった。R158から白骨温泉を通って奈川温泉に抜ける“上高地・乗鞍線”というス−パ−林道は夜間通行禁止で通れず、やむなく県道26号から奈川温泉に入る。何が何でも温泉に入ろうと決めて奈川で日帰り入浴の温泉宿を探したが、時間が遅いからと軒並み断られた。
 温泉の入口近くに民宿があった。釣りと温泉に関しては絶対に諦めない小形が、ダメもとでと持ち前の粘りを発揮して頼み込んでOKをとってきた。
 露天風呂の薄暗い裸電球の光が闇にのみ込まれるその向こうから渓流の音が聞こえる静かな山合いのひなびた一軒宿だった。何年か前,登山の終わりに入った岩手山麓の温泉に似た感じがしたが、その時登った温泉と山の名が思い出せない。
 思いがけず入浴できて後はねぐらを探すだけとなる。6km走って野麦峠方面と木曽福島方面の分岐点を右折し、2〜3km走った所でキャンプ場と書いた釣り掘りを見つけてその駐車場を借りる。

 8月111日(水)
 4時半起き。6:00発。同30,野麦峠。小雨。お助け小屋を復元したものや茶屋,資料館などがあったが時間的にまだ無人。特に注意を惹かれるものはなかったが、旧野麦街道を歩くコ−スに興味を持った。高山から岡谷まで、工女達が歩いた足跡を辿って雪の野麦街道を歩いてみたいと思う。
 高根村でR367,木曽街道に入り、日和田高原から開田高原を経て木曽福島に向かう。木曽福島からはR19に入り、南木曾から妻籠宿を抜けて木地師の里に着く。薬師岳で会った三河のOさん達から勧められた所だったので立ち寄って木の器や工芸品を見学する。
 圧巻は直径1m50cmの大盆である。木の香りには、鼻の奥をツンと通り抜けて、頭の中の余分な雑念を追い出し、すっきりさせてくれるような作用がある。さっぱりした気分で大平宿に向かう。


 
2008年03月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ラストキムチ


 いつも日程が合わなくてまだ一緒につくったことのないMike一家と今期最後のキムチづくり。時間があまり取れないので、タレだけつくってハクサイ漬けはお家でやってもらうことにした。今シーズンはハクサイが高くて1株500円もするが、まあ仕方ないか・・。


 Masaharuは大根,ニンジンの千切り,Yukihoはリンゴ,ショウガ,ニンニクのすりおろし・・,日頃から台所で手伝っているらしく手際がよく、母子3人協力して1時間あまりで終わり。

  アミの塩辛,カタクチイワシの塩辛エキスと中辛中引きのトウガラシがもう2セット分残っている。出来れば使い切ってしまいたいが、暖かくなるとどうでもよくなってしまう。

2008年03月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ビール漬け


 大根5kg/塩1合


 
 塩をこすりつけて/砂糖600g,酢1合,からし100g


 
 ビールを投入し、重石をして終わり 
2008年03月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

蕗ボコ,ボコボコ


 蕗ボコ,ボコボコ・・・,いい色だ!

 採っても採ってもきりがない,130個。明日になればもっと出てくる。

 蕗味噌・・・大町・ヴェルヴィルの彦さんのオリジナルレシピ
材料
 フキノトウ100g/味噌200g/砂糖50g/無塩バター5g
 サラダ油大さじ2
つくり方
 フキノトウは小さく刻む・・・、ペーストになるくらい徹底的に刻む
 鍋にサラダ油とバターを引き、刻んだフキノトウを炒めて砂糖,味噌を入れ、さらに炒める。なじんだら出来上がり。


 継ぎはぎだらけのハウス

 やっと伸びてきたホウレンソウとルッコラ

2008年03月18日 by 木偶野呂馬 | General | 4 コメント | No Trackbacks |

再び平郡島へ!


 五十谷三島


 春休みの電車旅行では広島からさらに平郡島まで足を伸ばすことにした。本来ならこの海岸にテントを張りたいのだが、時間が限られているので今回は港近くの漁師さんのお宅に泊めてもらうことになり『海の幸でご馳走しますよ』と有りがたいお言葉を頂く。


 フェリーに乗って/島に渡り
   
           


 こんな魚を

 その場で食べたり/煮つけたり




 カメノテやフジツボ等の/貝を拾ったり



 海に沈む夕日を見て/物思いしたり


 
 島の人達と交流し/海・島・人と触れ合うのだ! 

2008年03月18日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

白馬三山縦走・・・夏の冒険学校アルプス登山教室,今年も!


 昨年の第1回に続いて今年もアルプス冒険学校を行います。
 コースは北アルプス・白馬岳〜白馬三山縦走。


日程&行程:
7月25日(金):大町市森のくらしの郷に集結・オリエンテーション・買出し,幕営またはツリーハウス泊
7月26日(土):栂池〜白馬大池,幕営
7月27日(日):大池〜白馬三山縦走〜天狗平幕営
7月28日(月):天狗平〜鑓温泉〜猿倉〜森くら,幕営またはツリーハウス泊
7月29日(火):お別れ会〜解散  ※28日解散可

募集対象・人員:小学3年生〜中学・高校生 8〜10名(テント3張りまで)
※スタッフ募集:4名〜荷重,男性25〜30kg 女性10〜15kg
 自費参加(食費一部補助)



 白馬三山幕営縦走の次は裏銀座〜雲の平幕営縦走を目指します。
2008年03月18日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ザゼンソウ咲く


 都会の道路のすぐ側

 ザゼンソウが

  清冽な流れの側で咲き始めた。

 

 ほとんどの花はまだうつむき加減であったり

 向こうを向いて恥ずかしげだ