プロフィール

  • ID: 1187
  • ハンドルネーム: 木偶野呂馬
  • 性別: 男
  • 年齢: 66
  • 住所: 長野県 松本市
  • 所属クラブ:
  • 登録日: 2007年06月22日
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私の山行記録 新着

2008年06月28日
焼山 [ 2400.30m 妙高山・戸隠山周辺(新潟県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年03月09日
天狗岳 [ 2645.80m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年02月17日
聖山 [ 1447.15m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)

以前の山行記録、予定は下記から

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ガッテン式体重管理・3(08013)

 
 Aさんの第1〜3週
 第3週を終えたAさんの体重のデーターが送られて来た。グラフを見ると中頃に激変があったらしい。27日から体重が下がり始めて翌28日には目標値に対して+1.0を切り、さらにその翌日29日には夜の体重が朝より下がって+0.5に、そして30日には+0.1にまで落ち込んでいる。


 Aさんの3週目
 書き込みを見て事情を聞くと、職場の施設で風邪が流行っていてその対策に追われて不眠不休となり、遂には自分も風邪にかかって食欲がなくろくに食べていないと言うことらしい。つまりこれは異常事態であるから喜べることではなく、当面は体力の回復に努めるべきである。幸い30日の夜からは食べられるようになり、元に戻りつつある。
 本人は一気に落としたいと言う意識が強くて第2週から第3週前半の推移が気に入らないらしいが、始めにどんどんと下がった反動かもしれないので気長に構えるように伝えた。


 Bの第1〜3週
 B(木偶)のグラフはゆっくり下がる傾向が続いているが、この10日間に3つばかり特徴的なことがあった。
1)20日は真冬日の寒い日だった。善光寺街道ウォークの日だったので早朝6時台にしっかり食べて出て、昼も土方弁当でたっぷり食べたが夕方には腹が減っていた。しかし夜はほどほどにした。昼間しっかり食べても消費しているのが分かる。
2)その翌日からは家にこもって書き物をしていたので朝と昼は普通に食べて夜を控えめにするという流れに沿った食べ方をしていたのだが、23日,24日と午前中,空腹に襲われて体が震えると言う『ガス欠』状態が起こった。
 多分,自分では普通に食べているつもりでも無意識に抑制が働いているのではないかと思うが、頭を使う時にも糖分は必要だと言うことかも知れないし、本当のガス欠ではなくて、体が『抑制』に対して反抗して『飢餓感』を演出しているのかもしれないとも思った。
 つまり大脳による『抑制』と生命維持装置の飢餓に対する『警戒』との葛藤ではないかと・・。糖分でなく沢庵をポリポリ食べてみたらとりあえず空腹感と震えが収まったところを見ると本当のガス欠とは思えない。


 Bの3週目
3)26日に雪山の偵察で王ヶ頭コースの下から3分の2の辺りまで登り、翌27日には王ヶ頭・王ヶ鼻に登って台上を縦断し、百曲りから下る全長10kmの雪山ハイキングを行った。  両日ともしっかり食べたが体重は下がっていたので、よく食べてよく動いたことに気をよくしていたと思う。この傾向は翌日,翌々日も続いて30日には目標に対して+1.2と、これまでの最低ラインに到達した。
 この急激な下降の時に空腹感,飢餓感があったかというとまったくなかったし、特に押さえたという意識もない。そこが分からなくて面白いところだ。また怖いところかもしれない。
 尤も30日の夜にはちゃんと取り戻していて、しかも31日の朝は第2週目からのゆっくりした下降の範囲内をキープしている。
 以上はもちろん素人考えだが、体(私ではなく)というものは賢いものだと思う。

 訂正 前回,1日の始めと終わりの体重の幅の大きさが、その日に食べた量と消費・排出した量の差であるかのような書き方をしたのは間違いで、自分のように2時に寝て6時に起きる場合は当然幅が小さくなる。それを知るためには食後と食前,および就寝前後のデータを比較しなければならない。
    
2008年01月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

学びつつ歩く歴史の道,村井宿(2)


 今回はここまで

 本陣を過ぎると街道は斜上して一旦国道19号線に合流し、松本市平田から再び市街地を通って松本宿へと向かう。今回はその街道が斜めに折れる地点までとして全員で記念撮影の後,平田駅まで歩いて帰ると言う2人の参加者を見送って本隊は村井駅へ向かう。
 

 ぶり場/市神

 街道からはずれて駅に戻る途中の共同墓地付近にある『ぶり(鰤)場』。かつては交通の要衝であり、市場の跡とも伝えられるぶり場には、能登の鰤が飛騨を経て運ばれ、明治中ごろまでは市が開かれてて『市神様』も祭られていたと言う。

 ぶり場から篠ノ井線を渡って小屋地区にまわれば、小屋の道祖神,龍泉寺の五百羅漢,都波岐神社,四ヶ村用水の四ヶ堰,平田学校跡等々の見所が集中していて興味は尽きないところだが、今回はそこまでの時間がなく、篠ノ井線の線路に沿ってゆっくり歩き、16:00の電車に乗るには充分な時間を残して村井駅に着く。



 Tさんは電車が来るまでおつき合い下さり、最後まで背筋をピッと伸ばしで私達を見送って下さった。その地域をよく知る地元の方に勝る案内はなく、最適の方の案内を頂いて多くのことを学ぶことが出来、感謝にたえない。
                              終わり
2008年01月31日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・22日〜?日目〜完成!


 中柱に絡んでいたサザンカは移植せずうまく柱を立てることが出来た。絶妙の位置取り。
 今後は幼児の転落防止の柵を兼ねた手すりをつける作業に移るが、どのようなものにするか依頼主の案が決まってないので相談しながら進めることになる。


 フェンス・手すりは凝ったものにしたいのだが、幼児の転落防止を優先させてとりあえず10〜11cm間隔の格子づくりにする。高さは80cm。グリーンのステインで落ち着いた雰囲気が出せたように思う。


 扉をつける部分が5ヶ所もあってなかなか進まないが、メインになる西側出入り口の扉を含めて3つの扉がやっと出来た。鍵をどうするか思案中だが、閂がおもしろいのではないかと思っている。


 5ヶ所ある扉のうちのメインの扉は普通の鍵。

 これは柱にコの字型の止め具を上向きに取りつけ、扉の開閉を止める棒を横に差し渡すだけの簡単なもの。止め棒式とでも言おうか・・。 『棒を置く場所に困る〜』と言われそう。


 かんぬきを売っていたので使ってみたが、奥の閂と柱の間が短いので外れるかもしれない。おりを見て奥の柱に棒が入る四角い穴を彫ることにする。
 メインの扉以外はあまり使わないので、フェンスで固定するよりは開閉できる方がいいと言う程度のもの。


 人間で言えば90才くらいの老犬がいる。狭苦しい感じになるがそのスペースには一応囲いをした。途中でステインがなくなってしまったが、とりあえず白木のままつくって後で塗ることにする。
 犬はこのスペースから母屋と別棟との通路を通って自由に行き来することが出来るようになっているが、階段を登るのに苦労するらしく、今のところあまり寄りつかないとのことだ。そのうち物置になってしまいそう。

 広々としたデッキだったが、全体をフェンスで囲うとやはり窮屈な感じは否めない。

 3月24日完成! 1月16日の着工以来,2ヶ月あまりかかって完成。『長年の夢がかなった』と施主さんには喜ばれた。
                             終わり
 
2008年01月30日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・21日目〜プロに見てもらった!


 先日,小月さんがデッキを見に来てプロの目から2点だけ問題点を指摘してくれた。その1つ東西の柱をつなぐ桁の強度の問題。桁は75mmの角材で長さは3mあまり。この上に屋根が乗っているのだが、60cm以上の積雪があると少し弱いので補強を入れるようにと言われた。


 補強
 そこで2×6材を縦に使って桁の前面に張りつけることにした。桁の上っ面を揃えるために登り桁を受けている部分を鑿で削り落とさなければならず、かなり面倒な作業だったがこれで安心だ。 
 もう一つは、塩ビの屋根板を垂木の端からもう30cmほど出せばよかったと言う指摘だった。これはもうやり直せないのでこのままにする。


 明日,母屋側の桁にも同じような補強を入れると骨格部分の作業が終わり、あとは手すりを取りつけるだけとなる。1月16日の作業開始以来,ここまで6週間。
2008年01月29日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

山行記録〜王ヶ鼻・王ヶ頭・・・2008年1月27日


 目標点・王ヶ頭/カラマツ林を行く

 ハンドルを握る手が冷たくしびれて痛い。無風快晴,朝の気温は前日,前々日からさらに下がって−14℃。  三城牧場の登山口を7:40出発,はじめからアイゼンを履いて歩き始める。10分でカラマツの樹林帯に入り、小刻みに先頭を交代しながらゆっくり登る。風がないので20分歩けば厚着をしている人は1枚脱ぐことになる。
 8:22林道着。オーバーヤッケをザックにしまい込む。同37,林道終点の第1標識から登山道に入る。傾斜がきつくなるが、5分で2つ目の指導標を見てさらにひと登りでキツツキの館に着く。意外なことに戸は自由に開けて入ることが出来、中もきれいに片づいていて現役の小屋らしかった。

 キツツキの館で/ひと休み


 9:00出発。シラビソの林を左にトラバースし、前日の到達点よりやや上部の1800mを越えた辺りで小休止して乗鞍,御岳,中・南ア方面の展望を楽しむ。
    鹿か・・?/展望を楽しむ


 そこから今度は逆に右に斜上する長い直線を登って石切り場からの道を合わせる。樹高がどんどん縮んで50cmにも満たない苗木のようなカラマツが現れようになると、そこは王ヶ頭のアンテナ群の直下である。
 10:07,王ヶ頭のすぐ下で王ヶ鼻に向かうトレースを追って左折,10分で林道に出る。林道は王ヶ鼻のアンテナまで伸びており、そこから200mの散策路を辿って10:41,王ヶ鼻に着く。

 王ヶ鼻にて/三城を見下ろす 


 王ヶ鼻は美ヶ原の台上から松本平に向けて、まさに鼻のように突き出た小ピークで、北アルプスを望む絶好の展望台になっている。王ヶ頭ホテルが松本市内から送迎バスで客を運んでくれるので冬でも訪れる人が多いが、歩いて登ってくる登山者は十指に満たないものと思われる。
 風がなく天気がいいので展望を楽しみながら弁当を食べ、11:15発,王ヶ頭に向かう。11:40王ヶ頭着。写真を撮ってすぐに塩くれ場に向かう。
    大門沢の頭を/台上から見る


 広大な原には柵に囲まれた遊歩道が延々と伸びていて、はるか先に塩くれ場の看板とトイレがぽつんと見えており、美しの塔さらにその先である。夏場は入ることの出来ない美ヶ原牧場の柵の中にもスノーシューやスキーで歩いた跡があり、また何人かの人達が歩いている姿も見られる。
    陽光眩しく/浅間山(1月5日


 正午を過ぎて浅間山や志賀高原から妙高・日本海方面の山に雲がかかり始めたが、行く手の正面から照りつける太陽は眩しく熱いほどで、氷点下と言えども歩いている限り寒さは感じられない。
 12:20,塩くれ場手前の倉庫で休憩の後、柵を越えてショートカットし百曲コースに入る。12:37茶臼山分岐,同46,百曲『広木場へ1.0km』の指導標通過。ここから細かいジグザグを繰り返しながらどんどんと下る。南西方向に下るので陽光をまともに浴びて額が暑く、雪面の照り返しが目に痛い。
 13:16広木場着。指導標から30分で降りた。『水神の森・広木場園』は美ヶ原県民の森キャンプ場の一番奥に当たり、茶臼山から下って来る道との出合いでもある。

 水神の森


 13:30発。小さな沢沿いの道を急ぎ足で下る途中,ふいにパラパラッと音がしてカラ類の巡回に囲まれる。現れたのはシジュウカラ,エナガ,ヒガラ,ハシブトガラ等,中でもエナガのしぐさが愛らしくしばらくはせわしなく動きまわる姿に見とれる。
 13:47登山口着,アイゼンを外すと幾分靴の締めつけが和らぐ。王ヶ頭コースの登山口へは車道を歩いて20分で14:10着。

 百曲り登山口/ヤドリギ


目的地:美ヶ原,王ヶ頭・王ヶ鼻
コース:三城牧場⇒王ヶ頭コース⇒王ヶ鼻⇒王ヶ頭⇒塩くれ場⇒百曲りコース⇒広木場⇒三城牧場 
参加者:土岐,谷地,古志郎,木偶
コースタイム:6:20スワンガーデン6:30⇒7:20三城牧場7:40⇒8:22林道8:26⇒8:37堰堤第1標識(通過)⇒8:42第2標識(通過)⇒8:50キツツキ館9:00⇒9:28『1800m地点』9:33⇒9:47石切コース分岐(通過)⇒10:07王ヶ頭直下(左折)⇒10:17林道⇒10:41王ヶ鼻・昼食11:15⇒11:40王ヶ頭11:46⇒12:20塩くれ場倉庫11:25⇒(ショートカット)⇒12:37茶臼山分岐⇒12:46百曲りコース指導標(広木場へ1.0km)⇒13:16広木場13:30⇒13:47登山口13:50⇒14:10三城牧場14:30⇒浅間温泉・みやま荘・入浴後スワンガーデンへ


2008年01月29日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・20日目〜屋根張り出し

 屋根を伸ばす

 西端の屋根板が1枚分足りなくなって買い足したのをそのままにしている間に2度ばかり雨が降り、その結果,この1枚分を張っただけではデッキに雨が降り込んでぬれるのを防げないことが分かった。そこでさらにもう1枚張ることにして、下地を支える桁を1.2mほど伸ばすことにする。
 支える柱がない空間に1.2mの腕を伸ばしてその上に324cmの2×4SPF材2本と1×4SPF材1本,1mの垂木10本,360cmの屋根板2枚を乗せるのだからかなり無理がある。
 
 重そう

 桁の前面に2×6材を垂れ壁のように使って補強し、それに腕を取りつける。前側はガレージの屋根の上なので作業しにくく、ついにはその屋根に上がって作業した。慎重に乗ったものの屋根を壊しそうでビクビクする。

 何とかなった!

 屋根を張れば万全。最後に垂木の端を切り揃えて1×4材を取りつける予定だが、梯子をかけるところがない場所があって難しい作業になりそう。

 頼もしい太腕

 ガレージの上に1.2mの腕が突き出ていて、この上に下地と波板が乗っているので若干右下がりにならざるを得ないが、見た目には殆んど気にならない程度。

 バッチリ

 下地の垂木の末端に1×4材を入れて屋根が完成。従来より波板2枚分張り出したので雨にぬれる心配がなくなった。
2008年01月29日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・18・19日目〜床張り完了,つながった!


 一部だけだがようやくつながった。束の高さにばらつきがあると床と根太の間に隙間が出来て床が軋む,いわゆる『鳴く』と言う現象が起こる原因になる。それが一番の心配だったが、今のところ無事。凹凸感やがたつき,揺れもない。



 あと少し

 床が美しい色に仕上がった。柱の色と逆の方がよかったとも思ったが、仕上がって見ると断然この方がよかったと思う。


 一段低くしたこげ茶の部分はこの家の愛犬マロ(♀18才)の居場所。奥に続いているのは2つの建物の間の通路で幅は約90cm。犬はここを通って表まで自由に行き来できるようにしたが、老犬で段差が大きいと上がり降りが出来にくいらしいのでもう一つステップが要りそうだ。
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2008年01月28日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

初体験〜無風・快晴・大展望の美ヶ原へ・・・雪山へのアプローチ



 雪山へのアプローチ・・・,雪山3年目の土岐さん,初体験谷地さん,古志郎さん,美ヶ原,王ヶ鼻に見事登頂!
 朝から快晴,山頂は無風,360度の大展望に大満足。

 この日は富士山が大きかった

 松本平の扇状地形がよく分かる。その向こうに乗鞍岳

  
 土岐さんは2006年元日の茶臼山(2006m)が初体験で、その年3月にに夫君と一緒に八ヶ岳東天狗岳に登った。去年は夫婦で黒百合辺りまで写真を撮りに行ったらしい。
 谷地さんと古志郎さんは昨年初めてスノーシューを体験。今年の元日にはちょっとだけ雪のある虚空蔵山に登り、今回,初めて雪の美ヶ原に到達した。

   
 この朝,安曇野は−14℃。そんな寒い日が3日続いたがその間晴れっぱなしで、この日は抜けるような青空だった。

 それでも歩き始めるとじきに暑くなってくる。台上は強い風が予想されるので、体熱を逃がしながら汗をかかないようゆっくり登る。

 青空に映えるこのアンテナを目指して登ってきた 

 王ヶ頭石仏群

 中央アルプスを背景に


 南アルプス遠望

 北アルプス観望最前線
 
 美ヶ原は北アルプスの銀嶺を望む最前線。王ヶ頭ホテルが松本から送迎バスを走らせているので、沢山の観光客が2000mからの大展望を求めて上がって来る。
 散策する人,写真を摂る人,スノーシューの人,スキーで歩く人,ソリで遊ぶ子ども・・・,等々


 果てしなく遠いように見える台上の雪原をこれから横切って塩くれ場に向かう。前方には八ヶ岳
 終日晴れて暑いほどだった。塩くれ場から百曲りを下るコースは西向きで、額に太陽の直射を浴びながら下ると日焼け・雪焼けしていた。
 『よかった!』,『大満足!』 を連発して山行を終える。

 『降り来てまたなつかしく 見上げたり 我を呼ぶごとし ・・・・』吉井勇


 このコースは入門コースとして最適であることが分かった。次は東天狗岳へとジャンプ!



2008年01月27日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・15・16・17日目〜床下塗装&床張り


 多少の防腐効果を期待して防腐剤の代わりにステインを塗る。4時間かかった。


 床はライト・オーク
 床材の色はライトオークにした。デッキにはちょっともったいないくらいのとてもきれいな色だ。
 手前側はガレージのアクリル板(ブロンズ)の光を透しているので実際より濃く見えており、奥の明るい部分が本当の色。
 効率よく,かつ均一にするために並べて塗った。半日置いて裏側を塗る。


 床張り開始。ようやく漕ぎ着けた。母屋の掃きだし側から9mmの隙間をあけながら張る。
 気分良し。 



2008年01月27日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

車でスケート


 桜清水は通行止め

 強引に登ってきたが

 ちょっとやばいかも

 やっぱ引き返す

 尻を振って半ば滑りながら下る。

    対向車なし

 緊急避難所あり

2008年01月26日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

偵察


 王ヶ頭アンテナ群/堰堤から台上を望む
 
 新雪が降ったので、明日の美ヶ原,王ヶ頭・王ヶ鼻雪山ハイキングに向けて雪の状態の偵察に行って来た。
 13:18発。前回(1月5日)と同じコースで、積雪は元の雪の上に30cmほど新雪が降り積もっており、踏み跡は見られないがラッセルと言うほどではない。
 大門沢沿いの道からすぐにカラマツの樹林帯に入る。この樹林帯の道は意外と長くて林道に突き当たるまでに30分もかかったが、前回はその記憶がない。
 暑くなり、オーバーヤッケ,オーバー手袋を脱ぐ。(13:48着,同53発)


 キツネ?/鉢伏山を望む

 林道に出て右折し、キツネの足跡を追うように歩いて10分で大門沢の堰堤に着く。そこが林道の終点で『王ヶ頭⇒』の標識があり、そこから山道に入る(14:10)が、5分歩くともう1つ標識が現れそこからが岩混じりの山道となる(14:15)。



 岩場に入って少し雪が多くなり、時々滑ってスカを食うようになる。14:20,キツツキの館(廃小屋)に着き、ここで昼食。
 食後アイゼンをつけて14:55出発。タイムリミットを15:30として行けるところまで行くことにする。


 キツツキの館のすぐ上に『王ヶ頭まで1.6km』の標識があり、そこからはシラビソの樹林帯となって道は1800mの等高線に沿って左へ左へと巻いて行き大きな崩落跡に突き当たってそこからジグザグを切って登って行く。


 ここまで来る山頂は近く、王ヶ頭のアンテナが間近に見え、また南アルプスの甲斐駒,仙丈岳や中央アルプスの木曽駒ヶ岳も遠望できるようになる。
 
 15:25となり、引き返そうと立ち止まった時に上から2人の男性がスノーシューで降りてきたので樹林帯からの上の雪の様子を聞き、そこで下見を打ち切って下山する(15:28)。
 15:38小屋通過,15:45林道へ。15:56カラマツ林,16:13下山。
2008年01月26日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・13・14日目〜床下地をつくる


 いよいよ床を張るための準備,下地づくりにかかる。
 簡易な建物なので基礎と土台はなく、ピンコロ(沓)に束を建ててその上に大引きを棟と並行に入れる。大引きは75mm角材を使うが、柱と柱の間には大引きではなく2×4を使い、基礎石(沓)に乗せて柱に木材で固定する。


 母屋の掃きだしの外のコンクリート部分に75mm角材を置き、これに根太をかける。根太の上には床材が来るので根太の上面を水平に保つべく角材を鑿で削って(木欠き)はめ込む。
 大引きの間隔は85cm,根太の間隔は50cmとした。


 2×4SPF材,75mm角材,ピンコロ等,すべての材料が足りないので今日はここまで。
 先日の買出しで2×4SPF材のまっすぐなものを選ぶべくおよそ80本の材を1本1本調べたところ、使えそうなものがわずか3本しかなかった。次の入荷を待っているところだが、何時入るかまったく不透明。
 床材も2×4を使うつもりだったが、質がよくないので2×6を使うことにしようと思っている。
 下地が入ると歩きにくくなる。


 根太に使う2×4(ツーバイフォー)がやっと入荷したのでまっすぐで木目のきれいなものを選んで購入した。
 2×4は39mm×89mmで12フィート(約360cm)が578円。
 床に張る予定の2×6(ツーバイシックス)は39mm×135mmで12フィートが1180円。幅は2×4の1.5倍なのに値段は2倍以上で割高だが、木地がきれいで強度がある。


 2×6は2×4より強度があり、仕上げも丁寧なので頑丈できれいな床になりそうだ。


 床下地ほぼ完成。大引きと根太の交点,20ヶ所に束を立てる。これだけで1日半かかった。 
 明日は塗料を塗る。床材は先に塗料を塗ってから張ることにする。
2008年01月26日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・12日目〜建てる前に塗るべし


 建ててから塗るか,建てる前に塗るか・・・, 
 横にした状態で塗るので脚立の上で不安定な姿勢での作業がなく、また、塗りにくい場所を苦労して塗ることもなく作業が楽,同じ濃度で均一に塗れるので塗りむらがない,ボタ落ちや他の構造物に塗料がつく等,周囲を汚す心配がない・・・等々,建てる前の材の時に予め塗っておく方が断然いいに決まっている。

 プロならそうするし、何回もつくるのならそうやると思うが、素人だからあえてそうしたくないと言う面がある。
 結果的に塗りむらが出て何回も塗りなおすので当初の予定より濃くなったし、周辺の建物を汚した。入り組んだ部分や手の届きにくい部分を塗るのに苦労した。だがそれが楽しい。形が出来てから色を塗るのが素人にとっての自然の流れと言うものだろう。

 二度塗り,三度塗りと塗り重ねて次第に色が濃くなる。ただひたすら塗るだけ。


 雪降りつむ。

 2月1日,帰ると明科にもうっすらと雪が積もっていたのでデッキの屋根の様子を見に行く。
 雪を背負うとさすがに暗くなるが、これから先,屋根の下で作業が出来るのがいい。

2008年01月25日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

学びつつ歩く歴史の道,村井宿(1)


 若山喜志子歌碑
 『四ヶ村せんげ きょうも流れているづらか みなみ長者原屋敷は 夢のまた夢』/村井宿高札場

 Tさんは県と市の文化財保護協議会等に属され、また地元芳川の史談会と言う歴史愛好家の集まりの会長さんでもあって村井宿の隅から隅までを熟知しておられる方で背筋がピンと伸びた矍鑠たる御年84才。
 村井学校跡から高札場跡,神明宮と案内して頂板後、脇本陣で問屋でもあった山村家を訪ねる。



 宿の本屋敷と言われる家屋は間口は6間ほどだが、奥行きはどこまでも長く20〜30間(36〜54m)もあるのが宿の特徴である。
 この細長い小路に沿った長い土塀(右手)は、脇本陣で問屋でもあった山村家で、現在は山村小児科医院となっている。当主の山村泰彦氏は短歌誌『朝霧』の主宰で、大きな庭の一画には稲荷明神と氏の歌碑がある。


 長い小路を通り抜けて突き当りを左折すると小路を挟んだ右が常照寺で、左側に明治天皇の御小休所がある。現在は蝶ヶ岳ヒュッテと大滝山荘を経営する方の居所・連絡事務所となっている。
 街道に戻ると本陣の前に出る。建物は元のままの大きな屋敷だが居者は本陣とは無縁。                               続く

2008年01月25日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

40kgの雪山ボッカ体験,不発!



 40kgの機材をどうやって運ぶか・・,背負子に乗せて2人で交代で運ぶしかあるまいと言う相談をして帰途に就いたが、その後,トモさんから連絡があって現地へのは機材運びはなくなり、技術者を案内するだけに変更になったとかでお役ごめんとなる。
 かくして40kgの雪山ボッカ体験は不発に終わった。35kgまでなら経験はあるが、それは20代の頃の話しで、それより5kgも重く分割できない1個の荷を背負ってあの斜面を登れるかどうか・・,何としてもやってみたかった・・。残念!
 またの機会を待つ。

2008年01月25日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

突然のラッセル


 昼前に森くら支配人のトモさんから『小熊山の南の1079mピークにあるアンテナまで、重さ40kgの機材を運ぶ仕事が入ったんだけど、とりあえずルート工作をしたいので手伝って』くれないかと言う電話が入り、急遽大町へ走った。
小熊山アンテナ
小熊山アンテナ
 赤ピンの先がアンテナのある1079mのピーク。地図下方の、道が逆V字になっている所からすぐ右手の尾根に這い上がって直登する。

 アンテナまでは北側から林道が通じていて、そこをスノーモビルで運んで欲しいと言う要請だったのだが、この道は急斜面を削ってつけられた道で上の斜面から雪が落ちてくる恐れがある。そこで、傾斜が緩くて距離の短いルートを地図上で探し、南側の尾根を検討した。
 ルートは標高差250m余りで距離は約1.5km。積雪は60〜70cm程度で、昨夜から降り積もった新雪が30cm余りあるが、全体が小潅木ないし植樹林の緩やかな尾根なので雪崩れの心配がなく、ラッセルもたいしたことはなさそうなので身支度して14:40出発となる。


 トモさんはワカンを履いて谷を詰めてから尾根に上がり、自分はすぐに右手の尾根に向かう。面倒なのと取りつきが急斜面なのとでつぼ足で登る。この尾根は南面が禿げているのが下からよく見える場所で、トモさんによると絶好の撮影ポイントだとのこと。
 いきなりの急登となる。新雪の下に少し凍った雪が30cmほどありその下の落ち葉混じりの地面が凍っているので、蹴りこめず滑る。40kgを背負って登るならアイゼンがいる。ピッケルを両手で眼前の斜面に突き立てて体を引っ張り上げる。
 一気に100mほど上がって崖の上に出たが、絶景と言われても覗き込む気はしないところだ。
 幾分緩くなった斜面を小潅木を分けて更に登り、15:20に谷を詰めて上がって来たトモさんと合流。

 そこからは緩やかな尾根を高みを目指して進むだけの分かりやすい登りとなるが薮がうるさく、『雪山で薮漕ぎするとは思わなかった』等と軽口をたたきながら進む。
 尾根上は40〜50cmのラッセルとなり、20分で電波反射板を発見するも周りに目指すアンテナ群が見当たらず更に前進。すでに16:00をまわっていたのでリミットを16:30と決める。
 相変わらず潅木を掻き分けながらのだらだらした登りが膝上までのラッセルとなり、息が切れて時計も気になり始めた頃、5本のアンテナのある目的の場所に到達(16:20)。
 明るいうちにとすぐに引き返す。


 16:25発。トレースをしっかりしたものにするため同じ道を戻る。15分で反射板を通過。16:50,合流点からトモさんが登ってきた尾根を下る。こちらの斜面は雪が滑りやすく、何度も転んで尾骶骨をしたたか打ったりしながら最後は尻セードで谷に滑り降りる。17:05下山。

 突然降って沸いたような薮山のラッセルで汗をかき、久々にいい気分だ。
2008年01月24日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

善光寺街道ウォーク,第1行程〜郷原宿・村井宿


 郷原宿へ/島木赤彦下宿跡 

 分去れの常夜灯から中原の一里塚跡を経て郷原の入り口に当たるコンビニで小休止し、11:35に郷原宿の桔梗山郷福寺に着く。この間5.3kmを1時間10分で歩く。途中の信号に取りつけられた温度計は−4℃で、その後も上がった感じはなく、この日は終日零度以下の真冬日だったと思われる。
 境内を借りて弁当を食べたが、寒いので早々に出発。郷原宿も見所は多いが、事前調査が出来なかったのでここは素通りして12:50に短歌館に着く。

 短歌館はコンサートのある日で、床暖房の効いた部屋でくつろぎながら暖かい甘酒とお茶を頂くことができると言う常にはない趣向になっており、そこで人心地を取り戻してからゆっくり館内を見学する。子どもが無料と言うのが嬉しい。


 13:30発,次の村井宿までは約3kmを歩いて14:15に合流。案内して頂くことになっているTさんは寒空の下,R19の広丘との境で、温かいコーヒーと煎餅を用意して待って下さっていて、開口一番『街道を歩きに来る人は沢山いるが、この時期に歩くのはあんた方が初めてだ』と言われた。まったくだ・・。
2008年01月23日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ガッテン式体重管理・2(08012)


 A・14日目
 体重管理を再開したきっかけは『メタボが気になるので落としたい』と言う山仲間のAさんに勧めたことで、記録表(グラフ)をつくったついでに自分もつき合うことにした。そのAさんから時々送られてくるデーターを書き込んだのが上のグラフ。下は自分のその後。
 これを見るとAさんのグラフは着実に右肩下がりになっているのが分かるが、始めの1週間はちょっと張り切りすぎている感じがする。言い訳け欄には、18,19日と2日連続で新年会があったと書かれており、18日にはグンと上がっているが、19日には意識的に抑制して元に戻しているように思われる。
 全体として薄いオレンジのゾーンからブルーのゾーンに入って来ているのと、1日の中の増減の幅が小さくなってきているのがわかるが、Bのグラフと比べるとちょっとペースが速すぎるのと、押さえすぎている感じがするのが気になる。
 やり方が分かってきたのだと思うが、まだ気負いが感じられる。下げよう下げようと思わなくても、特別のことがない限り、大きくは上がらなくなっていることを評価すべきなのだ。

 B・13日目
 一方のBのグラフをどう見るか・・。11日の+4.0,12日の+3.2は放任時代の名残りで、こちらもグラフをつけ始めた途端に抑制が効き始めて3日目以降,上が+3を越えなくなっている。その後の推移を横ばいと見るか、下がっていると見るか、分かれるかもしれないが、非常にゆっくりしたペースで下がっていると自分に都合よく解釈するのが正しい。なぜなら,そう思うことで大脳が喜んで傾向に拍車がかかるからだ。
 さらに都合よく解釈するなら、自分の場合は3日目ですでに流れをつくることに成功していると言える。なのでこのまま監視を続ければ1年後には確実に3kg以上は落せるはずだ。一度経験しているからそう言えるのだが、そう思うと記録を取るのが面倒になると言う悪い癖が出そう・・。まあしかし、せっかくの流れを無駄にしないよう,当分は監視を続けてみようと思う。
 今,自分が心がけていることは『上を大きく突出させない』ことであって、『下をもっと下げたい』と思っていないと言えば嘘になるが、そのうちポンと下がる時が来ると信じているのであまり気にしてはいない。
 欲を言うと一日の中の揺れ幅をもう少し大きくしながら全体として下がってくれると嬉しい。つまり沢山食べて沢山消費,または排出すると言うことだ。
 と言うことで、しっかり食べてしっかり動かなくてハッ!

 幸いなことに大雪となったのでせっせと雪掻き。



2008年01月23日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ガッテン式体重管理あれこれ・2


 唐花見湿原(07,1,22)

 たまたま郷里に帰っていたある日,広島での所属山岳会の仲間達と宮島の弥山と言う500mそこそこの山に登ることになり、普段通りに食事をして登り始めたのだが、山頂のはるか手前で突然動けなくなった・・,と言うことがあった。
 はじめは、まだ腹が減る時間でもないのに妙に腹に力が入らないなぁという感じがして、やがて急速に全身の力が抜け、次にガクガクと体が震えて遂には立っていることさえ出来なくなる・・,それはガソリンの切れた車が突然,まったく動かなくなってしまうのと同じ、明らかにガス欠と思われた。(低血糖と言うのかな・・?)

 とりあえずは周りにいた人に飴玉をもらってその場を凌いだが、朝食は普段通りに摂ったし、山は何度も登ったことのある低山なのに『何で・・?』と不思議でならなかった。
 多分それは『普段通り』に食べたつもりの『普段通り』は減量モードの中の普段通りであって、登山をするのに必要なカロリーを摂れていなかったと言うことで、つまりその日は『普段以上』でなくてはならなかったと言うことなのだろうと思う。
 逆に言えば例え低山であっても登山と言う活動は相当ハードな運動だと言うことだ。軽い日帰りのハイキングでもその消費エネルギー量はフルマラソンに匹敵すると言うが、それは本当かもしれない。


 2年近く体重の監視を続けて右肩下がりのグラフに魅入られた大脳は、日常生活には支障ない程度に着実に食欲をコントロールしてくれていたようだが、しかしその抑制は、わずか500mほどの山に登ることも出来ない程厳しいものでもあったと言うことなのだろうか・・? 学者ではないからそれ以上のことは分からないが、このことがあってからそれ以上体重に気を遣うことをやめた。
 その時点ですでに−7kgに達していて、それでも一般的に言われる標準体重より多かったが、それ以上の減量は必要ないと思ったのだ。
 こんな風に管理できるようになってくると、下げたいと願えば下がるし、横ばいでいいと思えば横ばいが続くようになる。ベストと思った値で横ばいが続くように監視するのが理想だが、そうなると記録を取るのも面倒になってそれもやめた。


 その2年の間にリバウンドがあったかと言われるとそれは何とも言えない。そもそも節食していると思うほど節食している訳ではなく、食べたいものを食べ、時には大食したり脂っこいものも食べたりしながら、グラフが下がっていくのを面白がっていただけなのでストレスはない。
 しかし、2年かけて下がった体重は、放任すれば2年かかって元に戻るのも事実で、それをリバウンドと言うならあると言うことになる。尤もそれは全然管理していなかった時の状態に戻っただけのことだ。 続く
 
 大町・中山キャンプ場                                                   
2008年01月23日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

学びつつ歩く歴史の道,洗馬宿(4)・・・分去れ


 道標
 街道と県道の分岐点には写真のような道標がある。道が2分していて『右中山道』となっているが、これは真の分岐点ではなく、短絡線(右に見えている道路)をつくった時に、道標を街道の分岐点からここへ移動したもの。本来の中山道と善光寺街道の分岐点はもう少し先にあって常夜灯が置かれている。

 分 去れの常夜灯
 街道の分岐点を分去れ(わかされ)と言い、ここは中山道と善光寺西街道(北国脇往還)との分岐点に当たる。
 中山道と善光寺街道の分去れは2つあって、こちらは西の分去れ。もう一つは北国街道(善光寺街道)との分岐点に当たる『追分の分去れ』(R18)で、そちらにも立派な常夜灯がある。 

  
 中山道は右に分岐して坂道を登り塩尻宿へと向かう。その小さな坂道を上がりきったところにかつて『肘懸松』と言う銘木があった。
 細川幽斎が木曽路を通行したときに『肘懸けて しばし憩える松陰に たもと涼しく通う川風』と詠んだと伝えられ、また、2代将軍徳川秀忠上洛の際,肘を懸けて休んだために『肘松』と呼ばれるようになったとも伝えられる赤松は、昭和14年に枯死寸前となり伐採された。現在ある黒松は無縁。


 興味深い話しを聞きながら楽しくゆったり歩いて1時間半。洗馬宿はここで終わり、案内をして下さった歴史同好会のお二人とともに記念撮影をして暇を乞い、次に向かう。
 丁寧に案内して頂いたので予定より30分の遅れとなったが、次の郷原宿までは単調な1本道であり、また天気はいいのだが気温が一向に上がらない寒い日なので、ひたすら歩くしかなく、休憩点の郷原のコンビ二に着くまでに30分の遅れを一気に取り戻すことができた。


2008年01月22日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

学びつつ歩く歴史の道,洗馬宿(3)・・・あふたの清水


 広重の絵/あふたの清水からの風景

 『洗馬』の図は広重の中山道六十九次の中でも最高傑作とも言われる。その絵を描いた場所ではないかと言う人もある『あふたの清水』だが、絵と実際の風景の間につじつまの合わない点があって異論もあるらしい。
 右の写真は北北東方向の風景で、遠景に鹿島槍,爺ヶ岳が望まれる。たしかにいい景色ではあるが、問題は描かれている月の位置で、この方向から月が上がって来ることはあり得ないらしい。
 しかし、広重は画家であるからこの位置から望む風景に月を配したとしてもおかしくはないとも言える。月の位置よりも川幅が絵よりも狭いことの方が気になる。
 Nさんによると、絶景と言う点ではここよりも更にそれらしい雰囲気で望める場所があると言う。それが下の写真で、前の写真とほぼ同じ場所を南側から望んでいるので方向は北北西〜北西となり月とは更に縁遠くなるが、景観は素晴らしい。左端の森の前の崖があふたの清水。


 あふたの清水は『太田の清水』とも『邂逅の清水』とも書く。『邂逅』としたのは、木曽義仲挙兵の際,木曽から出てきた義仲と今井から出てきた今井兼平主従がこの場所で邂逅したと言う伝聞によるものであるが、Uさんはこのような辺鄙な場所で会うと言うのは説得力に欠けるのではないかと言う。
 ※太田は地名
 また、この時,兼平が義仲の疲れた馬を洗うとたちまち元気を取り戻したと言うところから『洗馬』と言うようになったと言われる。
 ところが、平安時代中期の藤原実資(さねすけ)の日記『小右記』の長和3(1014)年の記事に、『洗馬の牧』の牧司忠明朝臣が駒,牛などを貢物として納めたことが出てくる。この洗馬の牧は朝日村と芦ノ田、小曽部等にあった牧場と言われている。
 木曾義仲,兼平主従が邂逅したのは治承4(1180)年なので、それより200年も前にすでに『洗馬』の名が出ているのである。
 一説には、谷の入り口などで奥にかけて狭まっていく地形(狭間、狭場)に由来するのではという考えもあり、自分としては『狭まる』⇒『せば』が直截で分かりやすい気がする。





2008年01月21日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

学びつつ歩く歴史の道,洗馬宿(2)・・・歴史同好会の人々


 脇本陣の隣にある貫目改所跡。この宿に置かれた荷物貫目改所とは、街道を通過する公用荷駄の重さを調べる検問所のことで、中山道では板橋宿と追分宿とここの3ヶ所に設けられたとあり、伝馬役に加重な負担がかからないようにするために規定を超えた荷物には割り増し金を課したのだそうだ。

 歴史同好会の人達は、数少ない資料を手がかりに歴史的な出来事や伝聞の痕跡を丹念に調べて検証,検討し、あるいは埋もれた地域の歴史を掘り起こして、未解明な部分や疑問点について、生活者としての感覚で考証を加えるなどして、歴史の真実を探ろうとしている人達でであるように見受けられる。
 学者や研究者が100回通ったとしても、毎日そこで生活している人の感覚には到底及ばないのが道理で、史実とされる歴史的なできごとや伝聞等をただ表面的になぞるのでなく、同好会の方達の案内によって、そこに生活する人ならではの解釈・解説に導かれながら辿ることが出来たのは何よりの収穫であった。

 『同好会』と言う名称が示すように、それによって何かの事業を起こしたり、直接町起こしに結びつけようと言うのではなく、ただ単にそれが楽しくてやっている人達 郷土への誇りや愛着と言うものは、このような活動を通して培われるものであろうと思う。
 『同好会』と言う名称が示すように、それによって何かの事業を起こしたり、直接町起こしに結びつけようと言うのではなく、ただ単にそれが楽しくてやっている人達なのだと思う。
 郷土への誇りや愛着と言うものはこのような活動を通して培われるものではないだろうか・・。


 洗馬学校跡地の碑/洗馬学校見取り図

  
2008年01月21日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

学びつつ歩く歴史の道,洗馬宿(1)・・・,街道歩きの楽しさを堪能

 善光寺街道ウォーク,第1行程。洗馬宿から村井宿へ。小学生2名を含む参加者12名は、地元の歴史同好会の方の案内を得て洗馬宿の端から端までをくまなく巡り歩いた。
 
 言成(いいなり)地蔵
 どんな願いも聞いてくれると言ういいなり地蔵だが、唯一つだけここを通る旅人は必ずお参りして行かなければならないと言う約束ごとがあり、その際,馬で通る人は下馬してお参りすべしと言うのが決まりであった。
 ある時,それを面倒がる武士が馬に跨ったまま坂を下って行ったところ、途中で落馬して大怪我をした・・,との言い伝えがある。


 その言い伝えには実は別の意味があるのではないか・・,と案内をして下さったUさん。言成地蔵のある場所から、街道は急な下り道に差しかかる。馬で下るには危険な崖であるところから、下馬して歩いて通るようにと戒めるべきところをストレートにそう表現するのでなく、お地蔵様に敬意を払うと言う形で下馬を勧めると言う昔の人の賢さではないか・・,と。


 言成地蔵のある新福寺跡には無数の無縁仏が祀られていた。この無縁仏と言うものは、行き倒れた人を心ある人がたまたま手厚く葬ったと言うような単なる善意の遺物ではなく、発見者には旅人が所有している手形を元に届け出ることが義務づけられ、役所の許可のもとにつくられたもので、当然ながら出身地にも知らされていたのだそうだ。


 洗馬宿は南北に細長く宿全体はやや東側に傾いているが、この水路は人工の宿場用水で、自然の傾斜に逆らって東から西に流れている。
 宿場用水は奈良井側の水を上流から引き込んだものではなく西側の山から引いた用水で、街道の西側をJRの線路に沿ってそのまま南進する1本と、途中で枝分かれして街道を横切り、街道の東側を走って宿の南端で直角に曲がって街道に戻る1本がある。
 この水路は東から西に戻る用水なので流れが逆になっている。

 このようにして、単なる案内パンフではうかがい知ることの出来ない史実や伝聞を独自の解釈をもまじえながら案内して頂いた。


2008年01月20日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | 1 Trackback |

ガッテン式体重管理あれこれ


 体重を記録し始めると、はじめの3日くらいは凸凹していたがそのうち少しづつ下がり始めて2ヶ月で2kgくらい下がった。それは『えっ! そんなにTV通りに行っていいの?』と言うくらい小野文恵アナの言う通りになった。
 まあそれくらいは誰でも下がるのだろうと思いつつ、しかしこれまで考えても見なかったライン(−3あるいはー4)が見えてきたことにちょっと目を瞠らされた気がした。

 そもそも体重をたとえ1kgでも下げるのは至難のことで、ましてや体脂肪を減らすなんてことは絶望的な目標だ思っていたので体重の変化(増加)は見ないことにしていたのだが、実際に記録してみるとそう簡単に減るものではないけれど無茶苦茶に増えるものでもなく、定点観測的に同じポイントでの計測値を比べてみるとその日の食事(入り)と身体諸活動(出)の関係を見事に反映しながら推移していくことが分かってきて面白くなってきた。

 そこで1日の初めと終わりに加えて毎食前と後の計7回測ってグラフを書いてみた。尤も昼食の前後は測れないことがあるがそれは気にしない。そんなことをしていると、自分が1回の食事でどれくらいの量を食べているかとか、排尿,排便によってどれくらい減るかなどということが分かってくるようになる。
 また、こんな風に体重を監視(まだ管理とまでは言えない)していると、ある日無茶食いをしてみたり、逆に1日極端に少食にしてみたり・・,と言う風に色々な実験をしてみたくなり、実際にやってみるとそれが忠実にグラフに表れて来るのでそれが面白くなってきた。もちろんそうならない時もある。
 そのまま順調(?)に下がり続けるかどうかは別として、少なくとも監視を続けている限りはそれ以上上がらないようにすることは出来ると言う自信は出来た。

 ところが、2kgまでは簡単に減ったとしてもそこから先はそう簡単には減らないだろうと言う予想に反して、その後も上がり下がりを繰り返したり、長い(逆)高原状態が続いたりしながらも全体としてグラフは右肩下がりを維持したのだった。尤も下がり方はきわめて緩やかで、その幅は平均すれば2〜3ヶ月で1kg程度である。だが1年後には遂に大台(ー5kg)を切ったのだ。
 ここまで順調(?)に来ると『ちょっと待てよ・・』と思わない訳にはいかない。(続)

2008年01月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

除伐


 萌芽丸2年のニセアカシア


 山の畑は長い間ニセアカシアに占領されていたのを再開墾したもので、未だ抜根できていない所が半分くらいある。当然ながらそこは耕作できないので放置するとニセアカシアの切り株から萌芽が出てあっという間に原野化する。
 なので耕地化するまでは毎年,萌芽を切り取らないといけないのだが、それを2年間怠ったものだからすっかり大きくなって5mを越えるまでになってしまったものもある。これ以上放置できないのでドカ雪が来る前に切ることにした。
 


 ニセアカシアの鋭い棘は始末が悪くいつも煩わされる。充分に気をつけていても腕や顔を引っかいてしまい、顔中,傷だらけになったりするし、手指に刺さった棘の先端が皮膚の中に残ると取り除くのは容易でない。


 除伐が済んだら根っこを掘って、少しでも耕地を増やしたい。
2008年01月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・9・10・11日目


 下地完成
 2階から見た屋根の下地。我ながらうまく行った。先に塗料を塗って奥からタキロンの屋根を取りつける。


 屋根を張る
 今夜から明日にかけて雨が降るおそれがあると言う予報なので一部分だけでも屋根を張りたかった。
 屋根を張ってからでは塗りにくくなる部分に先に塗料を塗る。塗料は水性ステイン,色はオーク。はじめ,ステインと水の割合を2対1にして見たら少し薄すぎるようだったので途中から3対1に変える。薄いのは二度塗りすればいいのではじめから濃く塗るよりはいい。
 足場の悪い屋根の上で、木材のすべての面にくまなく塗る。落ちないように,足を踏み間違えないように,塗り残しがないように,ボタ落ちさせないように,塗りむらなく,また液垂れの跡がつかないよう均一に,缶をひっくり返さないように,衣服につけないように・・・等々,ミスをしないように!
 午後から風が出てきて急に寒くなる。寒いのは平気だが屋根板が風に煽られるのが恐い。


 筋違い!?
 塗っては張り〜を繰り返し、一番奥から決まりをつけながら9尺のタキロンを4枚張る。最後は暗闇での手探り仕事。どうやら雨はなさそうだ。
 作業中は何ともなかったが、降りてしばらくすると右のわき腹の筋肉が妙に痛いのに気づいた。軒先を覗き込んで塗る時など,無理な姿勢を強いられるので筋を違えたのかもしれない。
 
10日目

 半日仕事
 今日は午前中だけの作業。昨夜,少しだけ雨が降ったようで屋根がぬれていた。ステインを塗るのに時間がかかり、屋根を仕上げるには至らなかったが、残すところ2枚分だけとなった。
 ただ、屋根を取りつけて見ると広さの割りに低く、色をブロンズにしたせいもあって少し暗く重い感じになった。透明にすべきだったかもしれない。

 11日目

 屋根完成
 屋根張りがほぼ完成した。ほぼと言うのは、1枚足りなくて端っこが未了となっているため。屋根はひとまずこれで終わり、屋根下の材から下に向かってステインを塗る。


 塗装
 はじめに塗ったステインは薄かったり塗りむらがあったりするので、もう一度塗りなおすくらいのつもりでとりかかる必要がある。
 ボタ落ちしないように慎重に塗っても落ちない保障はないので、上部の塗料を塗り終えてから床の造作に入る。

2008年01月19日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ガッテン式体重管理再開・1(08011)


 雪山に向けてちょっと体をしぼらなくては・・,と言うことでNHKの『ガッテン式・体重管理法』を再開した。この方法だと3食きちんと食べながら確実に体重を管理できる。前回は2年がかりで7kg近く落してちょっと『落としすぎかな・・』と言う気がしたのと、いつでも落せると言う自信が出来たのとで、そこそこのところでやめた。
 そのやめた時点の体重は、いわゆる『標準体重』と言う値より多かったが、『これ以上は落すと25kg以上は担げなくなるだろう』と言う実感があった。そのまま続けていればもっと落とせたかもしれないが、体力も落ちただろうと思う。 
 健康診断などで示される標準値は普通の生活をする場合の指標に過ぎず、激しい労働やハードな運動をしている人の値は当然違ってくるはずだから、どれくらいの体重が自分にとっていいのかと言う値は、日常の運動量との関係から自分でその値を見つけ出すしかないと思う。
 結論的には山歩きと山林での作業を続けている限り、体重をあまり気にする必要はない。だが、これから先,畑仕事や山歩きをせず、家の中でぐうたらしているのであればもっと落すべきであり、その場合はかなり困難を伴うだろうと言う気がする。
 運動不足になりがちな冬もしかり。なので積極的に雪のフィールドに飛び出していかなくてはッ! と言う話し・・。
2008年01月18日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

雄大なアルプスを眺めながらスノーシューイング!!!〜2月10日・栂池自然園


 『境界線』2月山行・・・スノーシュー&歩くスキー・ハイク
 栂池自然園(1990m)・・・白馬三山を真近に望む静寂な雪原


 乗鞍高原のサルオガセ

■栂池自然園は、夏から秋は高山植物、紅葉、無雪期のハイキングでにぎわう。この時季は栂池スキー場はにぎわうが、自然園まで足をのばすと静寂な大自然が満喫できる。しかし歩行時間も長く標高も高いので慎重な行動が必要である。
■栂池高原スキー場のゴンドラリフトで栂の森まで一気に上がる。
■そこから雪に埋もれた車道を自然園まで歩く。約2時間で栂池自然園に到着。
■天気が良ければ白馬三山が眼前に迫る大展望を楽しむことができる。帰りは往路をゴンドラリフトで戻り温泉につかり帰宅。
■風雪が厳しかったり、ガスが出ている時は引き返すことにする。


■日 時
2008年2月10日(日)積雪量が多い場合や新雪が多量に降った場合は中止


■コース
松川道の駅→栂池高原駅→ゴンドラ(イブ往復2,500円)→栂の森駅→栂池自然園(徒歩)→栂の森駅ゴンドラ(イブ)→栂池高原駅→松川道の駅
※前日にMとYが栂池に入っているので朝、栂の森駅に迎えに行く。

■ コースタイム
5:30松川道の駅5:40⇒7:40栂池高原駅8:00(ゴンドラ)⇒8:30栂の森駅⇒(スノーシュー・ハイク)11:00栂池自然園13:00⇒15:00栂池高原駅(ゴンドラ)⇒15:30栂の森駅(温泉入浴)⇒ 19:00松川道の駅


■服装・装備
上着・長袖シャツ、ヤッケ、オーバーヤッケ、ズボン、オーバーズボン、・下着類、保温着、(ウールのセーター以上)雨具、登山靴(防水)、スパッツ、手袋、予備手袋、目出帽、耳当て、帽子、(入浴の支度・・・車に乗せておく)
※保温着、防寒着の用意には万全を期すこと。セーターだけでは防寒不十分・ヤッケでは保温不十分 
※ゴアテックスの雨具はオーバーヤッケ、オーバーズボンの代用になる。

■持ち物
ザック,ザックカバー,弁当,水筒1.5リットル程度(温かい飲み物がよい),非常食,ビニール袋,タオル,その他(ハンカチ,ティッシュ,磁石,地図,時計,現金,ヘッドランプ,その他は必要に応じて)

■参加資格・条件
普通の荷物を背負って6時間近い歩行

■交通費は会規定による。

※スノーシューをお持ちで無い方は申し出ください。
 
 真木集落(映画『楢山節考』の撮影地)から白馬三山を望む

2008年01月18日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・7・8日目


 未確定部分
 ベランダの向こうの端から別棟の壁までの1.3mの部分にはまだ柱が立ててないので下地材が取りつけられない。柱は75mm角材を使うが、基礎石は羽子板つきを使いたいので明日買い出し。
 このような細かい部分の造作でこの日はあまり進まなかった。


 手直し
 屋根の西側の端をデッキの床の位置より70cmほど余計に突き出すように手直ししたが、下地を受け止める角材を継ぎ足してその上に下地の材を取りつけると、その重みで角材が下がってしまった。そこで一旦取りつけた下地材を全部はずして角材全体を西側に70cmほどずらすことにした。この作業に時間を食って西端の下地材1本の取りつけを残して終了。
 幸い好天が続いているが次の雪が来る前に屋根を取りつけたい。明日中に塗装を済ませたい。 


 通路部分を決める
 母屋と別棟の間の幅1.3mの通路にもう2本柱を建てて奥の未確定部分を決める。これで屋根の下地の縦材を全部取りつけることが出来た。
 この上に横桟を入れれば下地が完成する。 


 下地ほぼ完成
 屋根を打ちつけるための横桟。42cm間隔で7本入れる。下地にステインをぬれば屋根を取りつけることが出来る。今日も好天で助かった。 
2008年01月18日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

訪問者あり

 

 ウサギも食べ物がなくて大変なんだろうけど、畑にはタマネギしかないのでお生憎様。ダイコンを少し残しておいてやればよかったかな・・。まあ、野生なら自分で何とかし給へ!



 暖かいハウスの中で、ホウレンソウはゆっくり育つ。


 掘り出したダイコンとうずら豆で今夜は煮込め。一晩お湯に浸して柔らかくしておいたうずら豆の煮汁で、ニンジン,コンニャク,厚揚げ,高野豆腐と一緒に炊く。

 今日は爺,鹿島,五竜がスッキリ。(15日)

2008年01月17日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・6日目


 あれれ・・・!?
 梁を渡して北側と南側の柱をそれぞれつなぎ終わり、軒側の柱に長い角材を乗せて固定すると骨組みが完成するはず・・・!?
 軒側の桁を1本につないで柱に乗せると、中間の柱の上の面は揃っているのに受け口に隙間が出来た。10mmほど余計に彫ってしまったらしい。道理で中の梁だけが外下がりになっている気がしたはずだ。
 昨日の経験に習いまたまた詰め物をしてご勘弁・・・って,ちょっとお粗末。(恥ずかしいので写真なし)


 骨組み完成
 隙間を埋めると3本の梁の上面がきれいに揃った。その上に長い角材を乗せてしっかり固定する。今度はうまく行って骨組みが完成。
 ガレージの屋根が2cmほど重なってしまったのでその分だけ鑿で削る。


 足元もしっかり
 上が決まったので足元を固定するため、12mmロングドリルでボルト穴を抜く。

 
 足元よし!
 がっちり固定する。


 屋根の下地づくり
 脚立を梯子にして後と前の桁に溝を彫り、この上に2×4のSPF材を縦に乗せる。


 どんどん
 45cm間隔でSPF材を固定して行く。軒を30cmほど出す。30cmは短すぎた。せめて50cmくらいは出すべきだった。 


 見えてきた!
 ようやく全体の形が見えてきた。 
2008年01月17日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・5日目


 連結部を彫る
 柱(105北東)の上部に梁を受ける連結用の穴を穿つ。
 鑿を使う時,その木材をまたいで座るのでなく、どちらか一方に横座りになって作業しなければいけないと親方に教えられた。万一,刃物が滑った時,足を開いていると内股を傷つけることがあるが、こうして座れば腰の後側に流れるだけで傷つける心配がないからだ。


 加工
 外側の柱(105南東)の頭。母屋側の柱(105北東)からの75mm角材と隣の柱(105南中)からの75mm角材を受ける。


 間違えた!
 柱の溝の深さを間違えて12mmほど余計に彫ってしまった。詰めものをしてご勘弁。 見えない部分でよかった!
 

 ぴったり
 こっちはうまく行った!


 まあ 何とか・・, 
 東側の別棟側の柱と梁が何とかつながった。


 立ったまま彫る
 西側の母屋側の柱はすでに固定してしまったので、立ったままの状態で溝を掘る。ここは一方向だけなので難しくはないが、まっすぐ彫っているつもりでも、奥へ行くほど狭くなって行くものらしい。


 受け口
 外側(105南西)の柱の頭はこんな形になった。『何だい? そりゃあ』と言われそうだが、そこは素人の強み!


 やっぱり・・,
 反対側からたたき込んだが、奥が狭かったらしくなかなか入らない。そろそろ夕陽色。


 終わりよければ・・!
 びくともしなくなった。終わりよきをもってよしとする。本日ここまで。
 
 
2008年01月16日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・3・4日目


 4本目の柱(105南西)は何も手がかりのないところにポツンと立てなくてはならない。位置の確定と基礎石の水平出しに手間を食ったが何とか立てるに至った。元々が花壇で土が軟らかいので基礎石の下コンクリートブロックを敷いたが、本来ならコンクリートで固めたいところだ。
 上部を105北西と杉板でつないで止め、ロープを巻きつけてガレージの柱に固定しておく。
 この柱と向こうの壁に沿った柱との間にもう1本(105南中)立てる。その柱はヴェランダの角柱に取りつけた角材(75東)に正対する位置に当たる。


 デッキをつくるスペースも花壇で、チューリップや水仙の芽が出かけていたので踏みつけるにしのびなく、掘りあげて植え替える。
 この時期に植え替えるのも不憫な話しだが、今年は異常なくらい暖冬なので大丈夫かもしれない。


 5本目の柱(105南中)を立てる。ここも下が柔らかいので下にブロックを埋めた。コンクリートで固めようか・・・,迷っている。
 椿の木がじゃまだが、植え替えるには時期が悪いので根のまわりを切って根回ししておくだけにする。
 レーザービームの電池が切れて水平・垂直出しが出来なくなり、水平器と錘を使う。


 柱が揃ったら屋根の勾配を決めて南側の柱の頭を詰めなければならない。施主さんに見てもらって勾配を決め、1本目(105南東)を切った段階になって気が変わった。南北の柱を75mmの角材でしっかりつなぐことにする。
 すでに短く切りすぎた後で105mmが1本無駄になるが、他に使い道があるので角材を替えてやり直す。


 75mm角材5本,2×4SPF材(とりあえず)10本,ボルト・ナット,座金,水平出しレーザービームの電池等の買出し。まっすぐな角材,わずか5本を選ぶのに1時間もかかった。
 明日は屋根の下地を取りつけたい。
2008年01月15日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

善光寺街道ウォーク,第1行程〜洗馬宿から村井宿へ〜1月27日(日)・・・里山楽会・境界線 1月行事


 中山道六十九次・洗馬宿図(第三十一次)


日時;08年1月20日(日) 雨天無期延期
コース;JR中央西線・洗馬駅 ⇒ 洗馬宿 ⇒ 郷原宿 ⇒ 村井宿 ⇒ 村井駅
コースタイム&里程;
8:20集合洗馬駅8:30 ⇒ 地蔵山新福寺跡 ⇒ 脇本陣・本陣
⇒ あうたの清水 ⇒ 分去れ・肘懸松 9:30
⇒ 10:20中原の一里塚(ここまで4.0km)
⇒ 10:40堅石交差点(5.7)11:00
⇒ 11:20郷原宿・郷福寺・昼食(6.3)12:00
⇒ 13:00短歌館・歌碑公園(8.6)13:30
⇒ 14:30村井宿(神明宮11.6 ⇒ 口留番所
⇒ 本陣・脇本陣)⇒ 15:50村井駅(12.3)解散/16:00(乗車)


 郷福寺境内にて

現地案内;当日は、洗馬宿と村井宿で、現地の歴史・文化財等に詳しい方の同行・案内あり。

集合;場所,JR中央西線・洗馬駅/時刻 8:20
解散;場所,JR篠ノ井線・村井駅/時刻15:50頃(見込み)

往路電車時刻表
A;明科7:16 ⇒ 7:22田沢7:22 ⇒ 7:30松本7:37
⇒ 7:39南松本7:40 ⇒ 7:42平田7:43 ⇒ 7:45村井7:45
⇒ 7:48広丘7:49 ⇒ 7:52塩尻 ⇒ Bへ乗り換え

B;松本7:42 ⇒ 7:45南松本7:46 ⇒ 7:48平田7:48
⇒ 7:51村井7:51 ⇒ 7:54広丘7:55 ⇒ 7:59塩尻8:10 ⇒ 8:13洗馬 ※塩尻駅乗り換えなし


 短歌館・石庭

復路電車時刻表
C;村井16:00 ⇒ 16:02平田16:03 ⇒ 16:05南松本16:06
⇒ 16:09松本16:13 ⇒ 16:25田沢16:26 ⇒ 16:32明科

D;村井16:47 ⇒ 16:49平田16:49 ⇒ 16:52南松本16:52
⇒ 16:56松本17:17 ⇒ 17:24田沢17:25 ⇒ 17:30明科
※当日の時間経過によってはこちらになる場合あり。

服装;ハイキングに適した服装で保温・防寒をしっかりと/帽子/手袋/ハイキング用の靴・靴下/雨具必携

持ち物;ザック&ザック・カバー/弁当/テルモス&温かい飲み物(1.5リットル程度)/その他,必要品

参加費;会員 無料  非会員:200円
入館料等:短歌館300円(希望者)

備考;当日,短歌館にて『短歌の里コンサート』が行われ、入館料で鑑賞できます。途中退席可。
演奏:ピアノ演奏〜木内 栄さん ギター弾き語り〜二村昭美さん
時間は、13:30〜15:00(時間通りに進めば30分くらい鑑賞可。静かに退席すればよい) 


 村井駅

2008年01月14日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

街道の下見・・・村井宿

 ふるさとの 信濃を遠み秋草の りんだうの花は 摘むによしなし

 村井駅前・若山喜志子歌碑
 

 短歌館・歌碑公園を後にして街道を進むと、道は篠ノ井線を渡り、一旦R19に出て高速道路の下を通り、再び国道を離れて旧道に入る。この間約2.5km。
 ここから地元・芳川史談会(歴史愛好家の会)会長のTさんに村井宿を案内して頂くことになった。Tさんは県の文化財保護協会や市の文化財協議会に属して、歴史研究と文化財の保護に携わっておられる方で、06年4月15日の街道調査隊の際にも案内して頂いている。


 村井神明宮/村井宿高札場跡


 村井宿・旧道に入って500mほど歩くと村井学校跡,神明宮,村井宿高札場跡に至る。その先に駅に向かう通りがあり、左折して200mで村井駅であるが、ここは
一旦通過して、常照寺,本陣,脇本陣等,村井宿の中心部を案内して頂いてから終点の村井駅に戻って第1行程を終える。第1行程の距離は約12km。
 当日,村井駅発16:00(明科16:32)の下り電車に間に合わない場合は16:47(明科17:30)となる。


2008年01月14日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

山のあしおと小学校,第3期(1〜3月)活動計画

 山のあしおと小学校,1〜3月活動計画(関連『境界線』・『森くら』)


1月12(土):『山のあしおと』例会
1月19(土):森くら『北アルプス・白銀の森,ネィチャー・ツァー』
1月20(日):『境界線』月例行事・・・善光寺街道ウォーク〜第1行程・洗馬宿から村井宿へ
1月26(土):『境界線』雪山へのアプローチ・・・美ヶ原,王ヶ頭・王ヶ鼻登山
1月27(日):キムチ教室




2月 2(土):冬のキャンプとスキー
2月 3(日): 同 2日目
2月 9(土):『境界線』雪山登山・・・栂池自然園〜白馬大池ピストン
       森くら『親子キャンプ』
2月10(日):『境界線』月例行事・・・栂池自然園,スノーシュー体験
2月16(土): 例会
2月17(日):善光寺街道ウォーク・・・聖高原から姨捨駅へ 
2月23(土):『境界線』八ヶ岳・赤岳
2月24(日): 同
森くら『雪のネイチャー・ツァー』


 ナイトハイキング/長峰山,日の出


3月 1(土):『境界線』八ヶ岳・赤岳(予備日)
3月 2(日): 同
3月 8(土):東山尾根歩き・・・池田・クラフトパーク〜継子落し・夢農場
3月 9(日):『境界線』月例山行
3月15(土): 同・予備日
3月16(日): 同・予備日
3月20(祝):ピースウォーク・・・穂高駅から光城山経由,長峰山へ
3月21(金):『境界線』尾瀬スキー・ハイク
3月22(土): 同
3月23(日): 同


 07,電車旅


3月26(水):『山のあしおと』各駅停車旅(3〜4日間9 
3月27(木): 同
3月28(金): 同
3月29(土): 同
3月30(日): 同
3月31(月9; 同


2008年01月13日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

子ども達がつくる冬のイベント・・・キャンプ&スキー

 

 久々に子ども達が集まって『例会』を行い、冬季の活動の計画を話し合った。集まった子ども達は3家族4名。一昨年の夏のキャンプの話し合い以来,実に1年半ぶりに話し合いの『例会』が成立して冬キャンプをやろうと言うことになり、さっそく場所,日程,服装,持ち物,共同装備,食事の計画,搬送計画,予算,レンタルスキーの料金調べ等々を開始。また、仲間を増やすために友達に配る計画書(実施要項)づくりにも着手した。



 子ども達自らが作る行事と言うのは理想だが、毎回それを追求するのは無理があり、普段は年度始めか、各学期始めに示した大雑把な計画に従ってその都度参加者を募集している。
 小さな会のほんの数名の会員達であっても、子ども達はそれぞれに家庭や地域での様々なつながりの中にいるので全員が揃うことはほとんどなく、今回のように複数の家庭から子ども達が集まって例会を持ち、何かを企画できるということ自体が稀有のことなのだが、千載一遇とも言えるこのチャンスを生かして計画の骨子を作るところまで一気に進めることができた。

 子ども達はインターネットや電話等で行く先のスキー場のレンタル料金だけでなく、リフトの料金等,昨日の話し合いで抜けていた点まで調べているようで、時々相談や報告の電話が入って来る。 



 主力メンバーの2人が6年生で、このキャンプをやり終えたら春休みの電車旅を計画することになっているが、各駅停車・広島への電車旅が2年続いたので今年は場所を変えようという意見と、広島がいいと言う意見が出ているようだ。

 2年前には6年生の3人が『卒業旅行』と称して子ども達だけで勝手に計画を立て、週末3連休パスを使って札幌まで行ったりしているので、それもありかも・・。
 週末3連休パスは子どもは4000円(当時)で急行・特急乗り放題だが、おとなは28000円もかかるので『オレはつき合えないよ,行くなら勝手に行って来な!』と言ってある。
 どっちであっても楽しみなことだ!

  05年3月・宮島/06年3月・平和公園
※現在は『三連休パス』となっており、今年度利用できるのは2月9日〜11日のみで、小児5000円,中高校生14000円,おとな26000円。
※現在,これに最も近いのは土日パスで、3000円,6000円,18000円。範囲は松本・塩尻,八王子・東京ライン,及び伊豆伊東,房総館山以北,酒田,古川,石巻のラインまで。3日以上に及ぶ場合は青春18切符との併用となる。
2008年01月13日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

『千年の森の登山ブログ』・登山SNS『森くら囲炉裏談議』もよろしく!


 『千年の森の登山ブログ』とSNS『森くら囲炉裏談議』を管理している『千年の森』の管理人=『木偶野呂馬』なのだが、『千年の森の登山ブログ』とSNS『森くら囲炉裏談議』で紹介している記事と写真は、『森のくらしの郷』のHPと『森くら囲炉裏端』と言うブログから引用したものであって、木偶野呂馬が直接関与している活動や行事ではないので、その点をご理解頂きたい。 


 
  『千年の森〜森のくらしの郷』と『山のあしおと小学校』は、相互協力関係にある友好団体で、お互いに双方の企画に参加したり、子ども達対象のイベントを共催しようと提携を強めているところであるが、会の規模は全然違っていて、『森くら』の方は指導スタッフも施設やフィールドの規模も豊富で、常時十数人から数十人の子ども達を集め、保護者をふくむ大人の協力態勢をとることも出来る大所帯であるのに対して、『山のあしおと〜』は、言うことは大きくも実態は数人の子ども会員を持つだけの弱小の会に過ぎない。
 なので、相互協力とは名ばかりで、こちらがあちら様に乗っかっていると言うのが実情だ。


 それでも、子ども達が自らの頭と体をつかって生き生き,ワクワクと力いっぱい冒険したり遊んだり、仕事や生活の業を身につけたりする場を提供すると言う目的に共通点があり、また、それぞれにない特性を持っている面もあるので、相互に補い合ったり共同できる部分で協力し合って連携を強めて行こうとしているところである。
 どちらも全国の子ども達を対象にして、多様な活動内容と様々な形の参加を可能にしていく取り組みを進めようとしているところだ。
 このような子ども達対象の冒険活動をより発展させる立場から、『森のくらしの郷』が取り組んでいる活動を広く知って頂くために、『千年の森の登山ブログ』と登山SNA『森くら囲炉裏談議』を立ち上げた次第。
 多くの方々のご理解,ご支援を願っている。


 なお、森のくらしの郷のHPとブログ『森くら囲炉裏端』には、ブログ『山のあしおと小学校』のブックマークから直接アクセスすることも出来るので、そちらもぜひご覧頂きたい。

 若きスタッフ,syoukunn(左)とokkunn
2008年01月13日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

街道の下見・・・塩尻短歌館・歌碑公園・2



 募集作品

 同年の友の婚礼に招かれし 知恵遅き子のネクタイ結ぶ

 
 ペルセウス座流星群んp星流れ 遠き過去世の水音きこゆ


 児が描きし 路地の地面の蛸入道 逃れるごとく 雨に消えゆく


 泣かす子も 泣かされる子も平等に 叱りつつゆく 夕焼けの道


 声かけて 恥部洗うとき微かなる 表情もちて 媼恥じらう




 1月20日にはコンサートがあり、入館料(300円)で聴くことができるそうだが、途中で静かに退席してもいいとの了解を得て来た。当日は演奏は木内栄さんのピアノ。

2008年01月12日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

街道の下見・・・塩尻短歌館・歌碑公園・1


 塩尻短歌館/歌碑公園


 広丘出身の歌人には、太田瑞穂,太田青丘,若山喜志子,潮みどりらがあり、そのゆかりの四賀光子,若山牧水,島木赤彦,窪田空穂らがいた。


 若山牧水,喜志子の歌

 若き日,これらの歌人は明治期の短歌革新の息吹を受け、お互いに競い合い、磨き合い、そのえにしを大切にしながら仲間を育てた。


 鉦ならし 信濃の国を行きゆかば 在りしながらの母見るらむか 空穂

 信州には近代短歌の三大山脈があると言われ、それは太田瑞穂の『潮音』,島木赤彦の『アララギ』,窪田空穂の『国民文学』を指した。



 そして塩尻・広丘を『近代短歌青春の地』,『短歌と出会える街』の中核と呼ぶ人もいる。
 広丘は『短歌のふるさと』と呼ぶにふさわしい街なのである。
 (短歌館発行『短歌のふるさと』vol25)



2008年01月12日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

街道の下見・・・郷原宿


 仲原の一里塚/郷福寺


 洗馬の分去れを出ると、田園の中の長い1本道が続く。中原の一里塚,堅石の道標を経て郷原宿に至るまでのこの約6kmの区間は単調な道である。
 郷原宿には桔梗山・郷福寺という絢爛豪華本堂を持つお寺がある。大工棟梁は諏訪の宮大工,立川和四郎の弟子,斉藤常吉。
 お寺を訪問して当日、休憩させて頂くことを了解して頂いた。本堂は見せてもらえるそうだが『その日に家人がいれば〜』とのこと。
 郷原宿の案内は後日,地元の歴史同好会の方にお願いする予定。


 郷原街道をさらに進んで広丘小学校にさしかかる辺りから街道を離れて『短歌のふるさと』広丘を象徴する短歌館・歌碑公園に向かう。

2008年01月12日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・2日目


 母屋の東側にある別棟の西の壁面に沿って105mm×105mmの角材(105北東,105南東)を立てて仮止めする。当然ながら母屋側(北東)の柱はヴェランダの柱に抱かせた75東と75西の延長線上に来る。柱と柱の間隔(中心)は210cm。


 柱材は上部に加工を施すためにもう一度倒す必要があるので、とりあえず羽子板つきの基礎石に木ネジで仮止め。加工が終わったらはボルト・ナットで締める。


 ぶっつけ本番の現場主義なので途中で気づいてやり直すことしばしば。前日,上に乗せた角材(桁)の位置を18cmも下げなくてはならなくなり、脚立の上で切ったり鑿でえぐって下げる。しかも計算ミスで1度ならず2度までも。上に残った不細工なものを切り落とすまでは失敗の痕跡を晒す。
 脚立の天板の上に上がって作業し、バランスを崩して転落する事故は多く、死亡事故も結構あるので親方についている時は絶対に出来ないのだが、そう言う制約がなければついやってしまう。と言うよりやらざるを得ない。本来なら2つの脚立を並べて足場板を差し渡し、その上で作業をするのだが、俄か大工にそのような用具のゆとりはないからだ。
 4つの脚がぴったり地面を掴んでいればいいのだが、1つの脚がほんの1cm浮いていても、上にいるとその浮き足による揺れ幅は大きいので何度もバランスを崩しそうになる。


 ヴェランダの柱の角パイプに取りつけた75mmの角材は補助的なものなので、母屋側の西側に105mmの柱(105北西)をもう1本立てる。
 別棟に沿って立てた柱(105北東)との間隔は440cm。
2008年01月12日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

街道の下見・・・洗馬宿



 街道ウォークを計画するに当たって、洗馬宿,村井宿,それぞれの地区で歴史研究をしておられる方々を訪ねて、見所を教えてもらいに行って来た。


 洗馬駅前の案内板/数少ない中央西線の電車

 洗馬宿では歴史同好会の会長であるNさんに洗馬宿の町並みや歴史について教えてもらった。
 木曽義仲が馬を洗ったところからつけられたという洗馬と言う地名の真偽や、宿の成り立ちと往年の賑わい,義民左源太のこと,中央線開通に伴う衰退と度重なる大火による被害と復興の歴史,浮世絵に描かれた場所の特定の話題等々,興味深いお話しを伺った。
 主な見所は、分去れの常夜灯,肘懸松,新福寺の地蔵,本陣,脇本陣跡,あふたの清水,義民丸山左源太の生家跡などである。

 線路に沿って用水が延びている

 洗馬は小さな宿で端から端まで歩いてもいくらもなく、駅はそのほぼ中央にある。街道を挟んで2本の宿場用水が設けられ、その1本は中央線の線路沿っているので駅からその水路に沿って本山宿方面に向けて宿の外れの地蔵山新福寺跡まで歩き、そこから街道に出て途中で奈良井川沿いのあうたの清水に寄り、街道に戻って分去れと肘懸松を見てから郷原宿に向かう〜,というコース取りを教わる。当日は同好会の方達も一緒に廻って頂けることになった。

 右『中山道』 左『これより善光寺街道』と書かれた分去れの道標と常夜灯
2008年01月12日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・1日目


 この空間に4.5m×2mのデッキをつくる
 (2006年1月16日)

 母屋の南側の空間にデッキをつくって、東側にある別棟と自由に行き来できるようにして欲しいと言う依頼をを受けて作業を開始。
 資金不足で中断している山林のツリーハウスづくりの参考にもなりそうで願ってもない仕事だ。


 母屋の南側にくっついているヴェランダの柱が75mm角の金属パイプなので、これに75mmの角材を抱かせることにした。
 このヴェランダの柱を利用する。(75東,75西)


 パイプと角材の連結をどうするか・・・。ドリルで両者を貫いてボルトで締めれば一番だが、角パイプに9mmもの穴を空けるのは避けたいのでこの方法は没。次にL字かT字の連結金具で固定することを考えたが、ネジ穴の一方が金属用で一方が木材用と都合よくできたものがなく、角材を止めるにはネジ穴が小さすぎた。金属ドリルでネジ穴を広げることも考えたが手間がかかりすぎる。


 最後にタッピングで木材を貫いてパイプにねじ込む方法を考えた。ただしタッピングは一番長いもので45mmしかない。そこで木材に12mmのドリルで深さ50mmの穴を空け、そこから座金を効かせたタッピングで切り込むことにした。
 計算通りに行けば、角材25mmを通して金属パイプに20mmほどねじ込むことが出来ることになる。何回か実験を繰り返した結果,角材のドリル穴の深さは55mmになった。
 やっかいなことにタッピングのネジは頭が柔らかくてすぐに潰れてしまう。生憎インパクトを持ち合わせず、普通の充電ドリルしかないのでやり直しが利かず、最初に取りかかった方は必ずしもぴったりとは行かなかったが、2本目はきれいに縫いつける事が出来た。
 (写真は75西) 


 角パイプに抱かせた75mmの角材(75東,西)の上に75mmの角材(桁)を乗せる。角材の一方の端をロープで受け口付近に縛って宙吊りにする。反対側の端を受け口に固定した後,ロープで縛っておいた方を固定して第一段階終了。
 
2008年01月11日 by 木偶野呂馬 | General | 2 コメント | No Trackbacks |

ネット中毒かしらん・・・?


 硫黄岳避難小屋に潜り込んでビバーク〜1991,12,31

 みんなの登山ブログに記事を書こうとしても、PCがなかなか機敏に反応してくれず、30分程度で書ける内容の記事に半日費やした挙句、終いには業を煮やして投げ出す〜,と言うことが最近あった。
 こう言う時はイライラして、時には機械に当たったり、大声で喚いたりすることさえある。周りに誰かいればたまったものではあるまいと思う。


 『何で半日もイライラとストレスを増幅させながら無駄な時間を費やしてしまったのだろう』と思うのは後からのことで、その時は何とかしようと必死になってのめり込んでしまっている・・。そこがネットの怖いところなのかもしれない。
 PCの性能がよくなると、こちらの思い通りに『パッパッ』と反応してすばやく画面が転換し、思い通りに着々と編集が進んで、最後に気持ちよく『ポン』とキーを叩いて記事が出来上がる・・,と言うシナリオが頭の中に出来て、その通りに進まないと『許せなく』なってしまう。
 調子のいい時には実際そのようにことが進むことがあるので、一度そう言う風にうまく行くと、それが基準になっていつの間にかそこから物事を評価するようになっている。多分,そんな時は自分が機械を支配している気分で、PCをうまく使いこなしていると思っているのだろうと思う。
 怖いのはそんな風に要求がエスカレートしている自分に気がつかないで、『いつの間にか・・』そうなっているというところなのだろう。


 機械を相手に自分の思い通りにことが運ばないことにイライラし、腹を立てるなんてのは冷静に考えて見れば愚の骨頂である。しかし実際場面ではそうなってしまいがちである。これもネット中毒の一つかもしれないと思う。
 もし相手が人間であったら、こんな風に思い通りに他人を動かすことは出来ないのが当たり前で、そう考えること自体が傲慢であることは自明であるのに、機械に対しては随分『傲慢』になってしまっている自分がいる。
 ネットの動きが重くなるのは、そう言う傲慢さに対する機械の反逆である・・,等と、機械を人格化する気はないが、何かに向かって盲目的にエスカレートしている自分は、機械を支配しているつもりで実は逆に支配されているのではないかと言う気はしており、それに気づかされるいい機会にはなったように思う。
 ネットの動きが重くなったら即座にネットから離れることだ・・・,ナンテ、ここまでは調子よくパッパッと進んで来て、本日絶好調!


 赤岳山頂にて 1991,12,31
2008年01月10日 by 木偶野呂馬 | General | 2 コメント | No Trackbacks |

自主・公開・機会均等・・・毎月欠かさず例会,まもなく発足2周年


 里山楽会『境界線』の準備会を行ったのが2006年1月。正式発足は3月だが、発足を前に『まず集まって登ろう』と最初の登山を行ったのが2月11日の『光城山〜長峰山トレッキング』で、まもなく3年目を迎える。
 わずか15名の小さな山の会だが、この間,毎月欠かさず例会を行い、話し合いで月例の山行や行事を決めて実行してきた。


 例会の前半を会員の1ヶ月間の登山,その他の動静を報告してお互いの活動状況を把握したり、情報を交換する場に充てている。これが結構楽しくて盛り上がるのだが、月1回の例会でその月の山行を決めているので、どの日にどの山に登るかがを決めるのに時間を食い、地図や充分な資料ヶないままにやバタバタと決めるパターンが多い。
 08年はこの点を改善すべく例会前に事務局会議を持ち、会員からの積極的な提案がない場合に備えてあらかじめいくつかの案を用意したり、中・長期的な見通しを持った方針を打ち出すことにした。


 これまで敢えてそれをしなかったのは、会員の希望による山行を重視するために事務局はあまり前面に出ず、会議の運営や計画立案の補佐,通信・事務連絡に徹しようと言う意味があったからであるが、『安全で楽しい登山の普及』と言う会の目標に照らして見ると、登山における安全思想の徹底を基本にしつつ、活動領域の拡大,技術の向上を目指す上でそれでは不充分であり、事務局がもっと積極的に問題を提起して行く必要があると考えたからである。


 ただし、事務局が独断・専行に陥らないために、また、会員の積極的な関与を進めるために、拡大事務局会議として誰もが参加できるようにした。
 その月の例会でその月の山行の候補を出されても、それを実現するためには詳細計画を事務局がつくって後日FAXで流すと言う請負主義になりかねず、会員は思いつきを言うだけに終わってしまいやすい。


 『積極的』と言う意味を単に希望を述べるところからもう一歩進めて、事前の拡大事務局会議に出てきて発言し、実施計画を次の例会当日までにつくって提案して下さい,出来ればその山行のCLをやって下さい,と言う仕組みである。
 だからと言って例会当日、何の資料もなしに思いつき的に希望を出すことを妨げるものではない。ただ、当月に実施できるとは限りませんよ〜,と言うことであって、出された希望については必ず次の事務局会議で検討することが保障される。


 例会での話し合いの結果,1月の月例行事は『善光寺街道ウォーキング・第1行程〜洗馬宿から村井宿へ』となり、2月の発足2周年記念行事は『スノーシューで栂池高原へ〜』となった。また雪山へのアプローチとして『美ヶ原,王ヶ頭・王ヶ鼻登山』の案が通って初心者が雪山に1歩踏み出す機会を設定することができた。
 今後も自主・公開・機会均等の原則を守って運営し、活発な活動を展開したいと願っている。
2008年01月10日 by 木偶野呂馬 | General | 2 コメント | No Trackbacks |

洗馬宿から村井縮へ〜善光寺街道ウォーク・第1行程〜1月20日・・・『境界線』・1,2月行事決まる

 『境界線』1月例会(1月8日)で決定,1,2月の活動

1月20日(日)
 『善光寺街道』ウォーク・第1行程・・・洗馬宿から村井宿へ


 洗馬駅 ⇒ あうた(おうた)の清水 ⇒ 分去れ・常夜灯
⇒ 一里塚 ⇒ 郷原宿・郷福寺 


 邂逅(あうた)の清水/分去れ

 
  ⇒ 短歌館・歌碑公園⇒ 神明宮 ⇒ 村井宿



1月27日(日)
 雪山へのアプローチ・・・美ヶ原,王ヶ頭・王ヶ鼻へ 



2月10日(日)
 スノーシューで歩く栂池自然園・・・

 07年乗鞍岳/歩くスキーも

2008年01月09日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

下山


 写真上は登る時に見上げた美ヶ原の南端のピークで2つの小ピークの向こう側が百曲り。左側のスリバチ状の壁は大門沢の上部に当たる/写真下は百曲りへの降り口で上の写真の向こう側,つまり西面に当たる

 
 下山路に入った途端に風がなくなり、午後の陽射しが照りつけてきて暑くなったので目出帽とオーバーヤッケを脱ぐ。
 百曲りは名前に違わぬジグザクの連続で、小刻みな屈曲を繰り返しながらどんどんと下る。途中で離れてしまったので5
分ほど休んでじゅんちゃを待っていると、『この下りでアイゼンを着けた』と言いながら降りてきた。なるほどそれも有りか・・,しかし雪が緩んで滑りやすくなってきたので、ここは踵の滑りを利用しながら降りた方が速い。


 広木場・水神の森/雪帽子

 あっという間に樹林帯まで下り、13:37,広木場に着く。
 13:45発。三城牧場まで2.6kmとの標識があるがそんなにあったかな・・と首かしげながら沢沿いに下ると15分で登山口に出る。そこから車を置いた所まで車道を歩いて14:20に車を置いた三城牧場に戻る。

 百曲り登山口/キャンプ場入り口

 実は道から振り仰ぐと王ヶ頭はすぐ間近に見えている。距離も高度さもほどほどなのだ。そんなわけで今回は自分の重い尻を蹴飛ばす意味だけでなく、今期の『境界線』の雪山入門前段階の雪のある山へのアプローチの下見を兼ねていたのでもあった。結論から言うと天気さえよければ最適のコースである。

 すぐそこに/ヤドリギ

2008年01月07日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

美ヶ原・雪原の台上を歩く


 美ヶ原中央部平原/美ヶ原北端部

 帰りは来た道をただ下るのではつまらないし、時間も充分にあるので美ヶ原を縦断して百曲りコースから三城牧場に下ろうということになって12:15に出発。雪上車に固められた道を歩いて塩くれ場に向かう。
 はるか先に塩くれ場のトイレがあり、少し離れて美しの塔がぽつんと立っていてその向こうに山本小屋の屋根が見えている。そこまでの道の両脇に設けられた柵が延々と続いている他は何もなく、ただただ広いだけの雪原である。そのうんざりするほどの長さも、左手東方の浅間山,ほぼ南方正面の八ヶ岳,右手美ヶ原の南端の崖の頭越しに覗く2006mの茶臼山,そのさらに向こうの南アや中央アルプス・・と、信州から見えるほぼすべての銀嶺を独占して眺める快感の前には物足らないほどの距離でしかなく、途中ですれ違ったこの日ただ1人の登山者と言葉を交わしたりしながら贅を惜しむ思いのうちに塩くれ場に着く。



 この日は2つの道具をテストするつもりだった。1つは十数年前に使ったまましまいこんでいたプラブーツで、もう1つはそのブーツへのアイゼンの装着である。
 プラブーツは1990年代のもので、その頃はプラブーツの突然破壊と言う問題が頻発し、壊れたブーツにアイゼンをシュリンゲでぐるぐる巻きにして氷雪の岩場から生還したなどと言う物騒な事故があったりして国会でも取り上げられたことがあった時代の、言わば前世紀の遺物みたいなものなので使用するのに不安があったのだ。

 紫外線に弱いプラスチックであるので乾燥した冷暗所に保管してきたとは言え、いきなりアルプスで履く気にはなれず、一昨年5月の白馬岳では使えなかった。今回はもし壊れたら、その時点でインナーブーツだけで下るつもりで履いてみたが何の支障もなかった。
 アイゼンの方は使うほどの場面がなくつぼ足でここまで来てしまったが、雪原で装着してテストしておくべきだったと後悔した。何のために持ってきただか・・。

 12:50,塩くれ場の案内板から山本小屋方面への道を分けて下山路に入る。

 百曲りコースへ


2008年01月07日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

王ヶ頭から王ヶ鼻へ


 登頂/三角点

 途中で石切り場からの登山道を合わせ、ジグザグを小1時間かけて登る。白く輝くアンテナは実際より近くに見える。頂上直下付近から吹きさらしとなる。
 10:26登頂。じっとしていられない寒さでオーバーヤッケと目出帽を着ける。
 王ヶ頭の山頂には王ヶ頭ホテルに宿泊している客がいて次々とやってくる。彼らは王ヶ頭ホテルの送迎バスで駒越林道を経由して上がって来るのだ。
 写真を撮って王ヶ鼻へ向かおうとしていると若い女性客に『どこへ行かれるんですか?』と聞かれたので『王ヶ鼻へ』と応えると怪訝な顔をしていた。美ヶ原はメジャーでも王ヶ鼻はマイナーなのだろう。かく言う自分も名前を知っている程度に過ぎず、2008年にかこつけた登山でなければ振り向きもしなかったかもしれない。

 北アルプス方面

 10:35発,アンテナの側を通って駒越林道に下り、林道を歩いて王ヶ鼻へ向かう。林道にはいくつかのグループがスノーシューで歩いていたり写真を撮ったりしていたが、登山者は殆どいないようだ。
 林道から分かれて王ヶ鼻へ向かい、王ヶ鼻のアンテナからさらに王ヶ鼻のピークを目指し11:00着。

 王ヶ鼻にて/山頂石仏群
 
 茶臼山 


 山頂からの展望はまさに360度を欲しいままである。即ち,北西から北北西にかけて穂高,槍,常念,燕,蓮華,爺,鹿島,五竜,白馬三山の北アルプス。西から南にかけて乗鞍,御岳,中央アルプス,南南東に甲斐駒,北,仙丈岳を擁する南アルプス,南東に富士山と八ヶ岳,秩父山塊を隔てて東北東から北東にかけて浅間山,四阿山,志賀高原,北北東から北にかけて火打,妙高,焼山,雨飾山等々・・。

 展望もさることながら、山頂にある石仏群にも目を奪われる。苔むした仏達の顔がいいのだ。




 11:15,王ヶ鼻を後にして王ヶ頭へ戻る。11:50着。ホテルのベンチを借りて昼食を摂る。                                               続く 
2008年01月06日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

好天・・,王ヶ鼻,大展望やよし!

   2008m・王ヶ鼻/2034・王ヶ頭



 槍・穂・常念方面/八ヶ岳・富士方面


 三城牧場入り口の三城荘付近に車を停めて王ヶ頭のダイレクトコースから登る。7:55発。大門沢に沿ってまっすぐ登る。風がなくじきに暑くなり、立ち止まってオーバーヤッケを脱ぐ(8:25)。沢音を聞きながらカラマツ林の急登を直上すると林道に突き当たり(8:35)、10分ほど林道を歩くと砂防ダムに出て、そこから左折して再び山道に入る(8:45)。

 三城⇔王ヶ頭/キツツキの館

 岩まじりの道をジグザグに歩いて15分で壁に無数のキツツキの穴がある,今は使われていない山小屋を通過。そこから道が左に曲がってシラビソ,コメツガの林の中をトラバース気味に進む。

 南アルプス方面/御岳

    乗鞍岳

 大岩が多く歩きにくくなる辺りから再び急斜面をジグザグに登る道となると南南東方向に南アルプスの甲斐駒,仙丈岳,南南西方向に雪を纏った御岳が競りあがって来て、さらに登ると乗鞍岳が現れる。きれいに晴れていて、頂上からの素晴らしい展望が約束される予感。
 9:25小休止。見上げると王ヶ頭の2本のアンテナが見える。南望すると目の前の鉢伏山の向こうに中央アルプスが見えてきた。

 王ヶ頭のアンテナ/中央アルプス


 10分の休憩後出発。ジグザグの急登となり、次々と競りあがってくる山々を見ながら登るのは楽しくてたまらない。
 王ヶ頭のアンテナ群が間近にせまり、逆に三城牧場の全体が俯瞰できるようになる。写真を撮りながらゆっくり登る。絶好の展望日和となった。

 アンテナ群/三城牧場

                            続く



2008年01月05日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

新ブログ『千年の森』&新コミュニティー『森くら囲炉裏端』を開設


 新設『千年の森の登山ブログ』のプロフィール写真

 森のくらしの郷との連携強化のため、新たに新ブログ『千年の森』を立ち上げた。また、木偶野呂馬が管理していたコミュニティー『千年の森』を廃止し、同じ内容で『森くら囲炉裏談議』を新設した。

 新コミュニティー『森くら囲炉裏談議』のプロフィール写真

 1人で複数のブログを管理するのは不可能かと思っていたが、複数のPCがあれば可能であることが分かった。あるいはPCでなくても携帯電話でもいいのだが、携帯からのブログの投稿がうまく行かないのでPCを使うことにした。
 他のPCからもログインできるかと言う点が懸念されたが、何ら問題なかった。ただし、一方のブログにログインしたまま他のブログにログインすることは出来ないので、一旦ログアウトしてもう一方のPCアドレスとパスワードを入力してログインしなければならない。こうすれば1台のPCで複数のブログを管理できる。要するに複数のブログを開設するには複数のPC,または携帯が必要だが、一旦立ち上げれば、その管理は1台のPCで可能だと言うことだ。
※もし1台のPCに複数のアドレスを設けることが出来るなら1台のPCで可能なわけだが、そこまでPCのことを知らないのでこれ以上のことは自分には分からない。

 考え方を変えれば複数のブロガーが、ログインに必要な情報を相互に交換しておけば、相手のブログに直接入って記事を書くことができると言うことだ。


 次にSNSの方はどうかと言うと、こちらも相互ログインは可能で、ログインの際に一方からログアウトする必要があるのはブログと同じである。


 なぜこんな面倒なことをするかと言われると一口では答えにくいが、要するに『森のくらしの郷』の活動内容を載せたHPとブログの内容を『みんなの登山ブログ』と『登山SNS』に紹介したいからに他ならない。両方とも外部のHP,ブログであるからそれを『登山ブログ』に変えるのは難しいので、『登山ブログ』内にブログを新設して、既存の『森くら』のHP,ブログの中身を反映させたり、リンクさせようと言うわけである。
 森くらのブログは複数の人が直接ログインして記事を書けるようになっていて、自分もその1人なので『森くら』のブログの別働隊を『みんなの登山ブログ』&『登山SNS』内につくったと言うことだ。

 森の支配人,トモさんとスタッフのオックン
2008年01月04日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

北斗仰ぐも 雪の空

 4日午前3時。四分儀座流星群極大の12時間前である。この流星群はピークが鋭いので観測可能な時間の幅が少なく、チャンスは今未明しかない。
 犀川の土手に車を停めて窓を開け、北の空を1時間ばかり眺めてみようと思って外に出ると、フロントにうっすらと雪が積もっていた。
 天頂から西の空は晴れて冬の大三角形が大きく傾き,双子座と御者座の間に最接近を過ぎた火星が明るく見えているが、肝心の北の空は何も見えない。
 1時間後にもう一度外に出て北の空が曇っていたら諦めるしかない。月もなく絶好の機会だと言うのに・・,残念。

 身震いつ 北斗仰ぐも 雪の空

 4時30分,状況は変わらず断念。空が幾分白む。
2008年01月04日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

王ヶ鼻へ


2006銀嶺/2006百曲がり 


 シーズン最初の山行はアイゼンとピッケルをを引っ張り出すまでが億劫だとか、穴のあいた手袋を買い換えるのに金がかかるとか・・,そんな下らない理由で悪天候の予想をいいことに王ヶ鼻を見送った。
 虚空蔵山も光城山もそれなりによかったのだが虚空蔵山も光城山もそれなりによかったのだが何だかスッキリしない。
 やっぱり登らネバッ!
王ヶ頭へ

  
日時:2008年1月5日(土) 予備日6日(日)

コース:三城牧場から百曲コースで台上に出て王ヶ頭経由,王が鼻へ。王ヶ頭林道から下山,もしくわ王ヶ頭林道ピストン 

集合:三城牧場,午前3時30分、4時出発,山頂には6時過ぎ着の予定。
 
服装・装備:冬用上着,セーター(ウール),ヤッケ,オーバーヤッケ,冬用登山ズボン,オーバーズボン,手袋(ウールまたはスキー用),オーバー手袋,目出帽(耳当てつき),登山靴(革またはプラスチック),靴下,サングラス 
 
持ち物:ザック,ピッケル,アイゼン(10〜12本爪),スパッツ,テルモスと飲み物,コッフェル,食器,ガスコンロ+ガスカートリッジ,ヘッドランプ+電池,行動食,非常食,カメラ+フィルム,筆記具+ノート,ビニール袋,他
 
リーダー:じゅんちゃ
 
備考:山上で温かい飲み物をつくる予定。
   下山後扉温泉で入浴可。


 写真はすべて2006年1月1日,茶臼山
2008年01月03日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

光城山


光城山1 

 光城山に登るにはいくつかのコースがあるが、最もポピュラーなのは西南西の方向から直上するコースで、距離は短いが緩むことのない連続登りで相当きつい。
 この斜面に、今の時期は裸電球が並んで白鳥を描いているが、白鳥の北帰行の後にはコースに沿って植えられた桜並木に裸電球が並んで山頂に至るので安曇野では目立っている。尤もは白鳥はどう見てもアヒルに見えると言う人が多い。

 このコースを朝の散歩コースとして毎日登っていると言う地元の人が多いのに驚かされる。散歩なので早朝が多く、私達が時たま7時ごろから登ろうとして登山口に着く頃にはゾロゾロと降りてくる来る人に出会うことになる。彼らの中にはそれから出勤すると言う人もいるのだ。 
 光城山とはそう言う山だが、トレーニングに適した山でもあるり、どこそこの山に登ると言う場合,ここでのトレーニングが指標になったりする。

 南側の田沢からは谷を挟んで2本のコースがあり、今回はそのうちのR19に近い尾根から登って、もう一方の尾根から降りた。
 登山道だけでなく、長峰山と田沢を結ぶ林道が山頂のすぐ側を通っているので車でも行けるし、長峰山から林道を光城山まで歩いたり、逆に長峰山の方に歩くと言うコースもあってJP篠ノ井線の田沢駅と明科駅を利用して2つの山を歩くのはコース取りには広い人気がある。
 光城山は元々麓の集落の人達が薪炭材を確保するために利用していた里山なので、各集落からの無数の道があり、これらを探して歩くのもなかなか面白い。


 柏が多い/落ち葉の道

 田沢からのコースの周辺には柏の木が多い。落ち葉がたまったふかふかの道を歩くのは気持ちよさそうに思えるが、実際は意外と歩きにくい


 『イノシシ出没注意』の張り紙が多い。イノシシはある意味では熊よりやっかいな危険な獣で、この山では一昨年もハンターとイノシシが相打ちで死んでいたと言う事故があった。
 駐車中に突然山から現れたイノシシを見たことがあるが、何に向かって突進しているのかまったく予測できない動きで、しかもスピードが凄いのでまともに向かってこられたら避けようがないと思う。その時はすんでのところで車にぶつかりそうになって方向を変えたが、スピードを全然落さずに方向転換するのに驚いたことがある。
 光城山はイノシシの他にシカやカモシカも出没する生態系の豊かな里山である。

2008年01月02日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

謎の光は停止流星か・・・,四分儀座流星群前夜に・後

 謎の光をめぐるもう一つの可能性・・・? ここでUFO等と言う荒唐無稽なものを持ち出す気はない。
 
 考えられるのは流星である。
 普通,流星は光の線になって見えるが、これは我々が流星を横ないし斜め横から見ているからだ。
 だが、もし流星がまっすぐ自分に向かって飛んできたらどうだろう。その場合は1点で光り始めてその場で明るくなり、その場で消えていくことになる。
 数ある流星の中にはそう言う流星があっても不思議ではないし、実際にそう言う流星がある。これを『停止流星』と言う。
 私が金星の近くで見た謎の光は、この停止流星ではないかと思う。光り始めたところを見逃したので『全然動かなかった』とは言い切れないが、その直前までそこを見ていて目を離したのはほんの一瞬だったことと、消え方からしてその場で光り始めてその場で消えたことはほぼ間違いなかった。
 停止流星は確率的にはかなり頻繁に起こっているのではないかと私は思う。ただ、それを見ることができるかどうかと言うことになると確率は格段に下がる。
 最近ではしし座流星群が話題になったりして流星が関心をもたれるようになって来たが、そもそも流星を見たことが無いという人も沢山いるのだから停止流星を見ることが出来る人は極めて稀だと言えそうだ。

 自分自身は過去に1回半,停止流星を見たことがある。1度はまったくその場で光って少し明るくなってそのまま消えた正真正銘の停止流星で、それが停止流星を知るきっかけになった。『半』の方は完全な停止ではなくほんの1度ほど動いたので停止に近いという意味で、動いたことで逆に流星であることが確認できたとも言える半停止流星だった。
 そう言えば5年前のしし座流星群の時,角度にして数度以下と言うのもいくつかあったが、あれは流れた距離が短いのではなく、流れえる角度が私達のいる方に向かっていると言うことで、真正面に入れば点になる訳だ。

 冬の空は空気が澄み、明るい星が多くて賑やかだ。 
2008年01月01日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

ハシゴ



 光城山は標高911m。安曇野の東にあって長峰山に連なる低山だが、朝の散歩代わり365日登っている人が何人もいるほど人気があり、またトレーニング場としても格好の山で、我々は例えば『白馬大池へは光城山を3回登るくらいだ』等と、その山のしんどさの指標にしたりする。低山の割には急登の連続する結構きつい山である。因みに今朝登った虚空蔵山は光城山の半分以下である。



 風は寒いが雪も降らずピーカンとなり、『この分なら美ヶ原は問題なかったじゃん』の声しきり。日和って王ヶ鼻を見送ったことを悔やんだ。
 かくして2つの山をハシゴすると言う初体験で2008年が明けた。


2008年01月01日 by 木偶野呂馬 | General | 2 コメント | No Trackbacks |

元日は虚空蔵山


 朝日に染まる聖高原

 朝日は入山方面から登る

 松本市四賀地区の虚空蔵山に登る。最も短い中央ルート登山口から登ったので25分で着いてしまった。





 聖山はすでにバラ色に染まっていた。日の出は通称『けつだし山』こと入山からなのだが、標高が1600mあまりあってここより500mも高いので遅くなる。待ってられないので早々に下山する。


 岩屋神社/魔崖仏


 1時間で下山。

 虚空蔵山登山口


 召集がかからなければ光城山に登る予定だったと言う人がいて『それならもう1つ登ろう』となり、光城山へ移動。
 


2008年01月01日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

母屋と別棟をつなぐデッキづくり・・・5日目


 柱(105北東)の上部に梁を受ける連結用の穴を穿つ。
 鑿を使う時,その木材をまたいで座るのでなく、どちらか一方に横座りになって作業しなければいけないと親方に教えられた。万一,刃物が滑った時,足を開いていると内股を傷つけることがあるが、こうして座れば腰の後側に流れるだけで傷つける心配がないからだ。


 外側の柱(105南東)の頭。母屋側の柱(105北東)からの75mm角材と隣の柱(105南中)からの75mm角材を受ける。

 柱の溝の深さを間違えて12mmほど余計に彫ってしまった。詰めものをしてご勘弁!

  こっちはうまく行った!


 東側の別棟側の柱と梁が何とかつながった。


 西側の母屋側の柱はすでに固定してしまったので立ったままの状態で溝を掘る。ここは一方向だけなので難しくはないが、まっすぐ彫っているつもりでも、奥へ行くほど狭くなって行くものらしい。


 外側(105南西)の柱の頭はこんな形になった。『何だい? そりゃあ』と言われそうだが、そこは素人の強み!


 反対側からたたき込んだが、奥が狭かったらしくなかなか入らない。そろそろ夕陽色。


 びくともしなくなった。終わりよきをもってよしとする。本日ここまで。
2008年01月01日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

謎の光は停止流星か・・・,四分儀座流星群前夜に・前

 それは2005年12月15日,ビニールハウスづくりで冷え切った身体を、新装なった長峰荘の露天風呂で温めていた時こと。時刻は午後5時42分頃。
 のんびりと湯につかって常念岳方面の空を見ていた。宵の明星・金星が明るく輝いている。一度目をはずしてもう一度その方向を見上げた瞬間,金星の北北北西ないし北北西(北極星を天の北極と仮定して金星と北極星を結ぶ大円に対して)約5度くらいのところで何かが明るく光ってすぐに消えるのを見た。
 それは金星よりやや暗く木星くらいの明るさだったが、光り始めたところを見ていないので最大光輝を過ぎていたとすればもっと明るかったかもしれない。あるいは私が見た時が最大光輝だったのかも・・。
 いずれにしてもその光は動かずにその場で光って消えたと思われる。
 この謎の光の正体は何だったのだろうか・・・?
 
 2つの可能性が考えられる。
 1つは飛行機のライト。普通は飛行機のライトを横から見ているのだが、旋回しながら着陸態勢に入る時,ライトを正面に見る瞬間がある。飛行機が着陸態勢に入っている時は機種が下を向いているので地上にいる人の目に直接入るのだ。そして一瞬だけ見えると言うことは旋回している途中だと言うことになる。
 広島湾での夜釣りの時,9時前後に東京からまっすぐ西進してきた最終便が高度を下げながら宮島の東辺りで向きを90度北に変えて滑走路に進入して行く。その旋回の時にライトが正面に入る一瞬があった。ただ、正面から見る飛行機のライトはものすごく明るい火の玉で金星や木星の比ではない。
 松本空港に降りる飛行機は穂高の上空ではすでに旋回を終えて滑走路に向かってまっすぐ飛んでいるので、この場合,飛行機のライトはあてはまらないと思われる。注意深くその後の光を探して見たが、それらしきものは見えず、音もなかった。ここまではそれを否定するための前置き。(続く)

2008年01月01日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

1月4日,四分儀座流星群に期待!

笑う竹
 天体の話題。
 新春早々,1月3日から4日にかけて流星群が見られる。四分儀(しぶんぎ)座流星群と言い、場所は北の空,北斗七星の隣の竜骨座。四分儀座と言う星座は現在の88星座になってからは竜骨座に吸収されてなくなっているのだが、竜骨座には別の流星群があるのでそれと区別するために四分儀座流星群と呼ぶのだそうだ。
 四分儀座流星群は、8月のペルセウス座流星群、12月のふたご座流星群と並んで三大流星群の1つに数えられている。他の2つと比べると知名度は低く、出現も1時間に10個程度とあまり多い方ではないが、希に1時間に数十個ほど出現することもあると言われる。
 活動のピークは1月4日の15時ごろと予想されており、月は下弦を過ぎて細いので、月明かりの影響はほとんどないと言えそうで、年初めの現象として期待できそうだ。


2008年01月01日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |