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  • ハンドルネーム: 木偶野呂馬
  • 性別: 男
  • 年齢: 64
  • 住所: 長野県 松本市
  • 所属クラブ:
  • 登録日: 2007年06月22日
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私の山行記録 新着

2008年06月28日
焼山 [ 2400.30m 妙高山・戸隠山周辺(新潟県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年03月09日
天狗岳 [ 2645.80m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)
2008年02月17日
聖山 [ 1447.15m 八ヶ岳・筑摩山地(山梨県・長野県) ]
登山行程ルート表 登山高低差グラフ 山行日記+写真 (5) 5 山行フォトギャラリー (10) 10 登山ルート地形図(国土地理院) 登山ルート地図(グーグルマップ)

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薮漕ぎ,鹿の道追い〜3(2003年6月11日)〜第1行程前半・その3

6月12日(木)
馬飼〜刈谷原峠間
 馬飼峠までバイク・車と徒歩で入り、馬飼峠〜刈谷原峠の中間ピーク(赤ピン)へ。

 参加申し込みされたTさん(70才)がバイクで見えたので入山点を案内した後、天平林道に車を回し、烏帽子から子ノ神までのルートの未調査の部分を一緒に刈り払いして歩く。終わって車に戻り、子ノ神から十二の集落経由で十二沢林道の入山点までのコースを案内する。さらに前日馬飼峠から歩いて戻ったコースに車を乗り入れて行ける所まで走り、そこから峠まで歩く。
峠には何も標識はなかったが、馬飼峠であることは間違いなく、そこから管理歩道を登って鉄塔まで行き、Tさんにはそこで待ってもらって刈谷原峠に向かう。
 20分の登りで中間のピークに到達。前回(5月4日)の調査の時の見覚えのある赤いテープを確認して戻る。
馬飼峠の後、ついでとばかり刈谷原峠に向かう。車で入れるところまで入ってから歩き始めたが、時間がなくなったので中断してR143に戻り、葬祭センター入口の下降点を見てもらって散会する。その後は十二沢林道の入山点にもどり、松茸山の中のコースの薮を監視小屋の手前付近まで刈り払いして終わる。
刈谷原峠
 車・バイクで刈谷原峠の手前(赤ピン)まで。

 6月13日(金)
 学校林の降り口から沼に向けての下り道をつくるため、刈り払いしながらテープを巻いて降りた後、沼から逆に沢を遡ってルートを切り開く。沼の上流は幅5〜6mほどの広さがあり、樹木に被われてはいるものの小さな平面が階段状に連なっており、かつては桑畑だったのではないかと思われた。その一画をえぐって細い流れがある。ところどころに水がたまった場所があって、そういう所では鹿が転げまわって泥あびをした跡があった。
 一面が鹿の踏み跡で頻繁に歩く所はしっかりした道になっていた。踏み跡は両側の斜面にもあり、そこいらじゅうが鹿の通り道だった。近隣の山で鹿の歩いていない所はどこにもないと言いきれるほどである。これを見ると最初の山道は人間ではなく、鹿などの獣たちがつくったに違いないと言うことが分かってくる。鹿の踏み跡はそれほど頼りにもなるのである。
 沢の奥は思ったより長く、かなり歩いてようやく源頭に到達した。左右だけでなく正面にも急な斜面が迫り、その上に青空が見えている。その一番低い部分を目指して最後の登りにかかる。
 「進入禁止」と書かれた先の林道に出ると信じて疑わなかったが、登り切るとそこに見慣れた車があった。間違えて出発点に戻ってしまったのだ。
 身体中の力が抜ける衝撃だったが、冷静になって考えてみると沢はほとんどまっすぐで右にカーブしていたとは思えなかった。そうだとすれば最後の詰めを誤っただけかもしれない。思い直して林道側から見当をつけて直下降してみることにした。
 分岐点から中谷寄りに50m程先の左手に小さなピークがあった。その一番高い所からまっすぐ谷底に滑り降りると思った通り先ほどの沢に出た。
 そこから振り返って見上げると、やや右よりの奥に青空が見えている。ここは左よりの壁状の斜面を登るべきところを正面に上がった結果が先ほどの失敗であるが、低い方に気持ちが向かったのは責められない。調査登山と言うものはこういうことの繰り返しであるから、一つひとつの間違いは失敗とは言えない。

 懸案の直線部分の下降点がこれで確定したが、このルートには境界標識は一本もなかったところを見ると、地図に定規で真っ直ぐ線を引いてつくった境界線であることは疑いないようだ。
直線部
直線部

6月14日(土)
 残るもう一つの課題をやり遂げて明日を迎えたかった。冒険学校のFさんが中学1年生と2年生の女の子とともに小学2年生の男の子を参加させるために、ご自身が林道を伴走されることになり、コースを覚えてもらうために矢の沢を振り出しに葬祭センターまで道案内する。
 その後国道から谷底へ降りる道を整備しようと思ってその道を探す。道はすぐに分かったが造林鎌で刈り払いしながら進むとやがて倒木が何重にも折り重なっている所に出て行き詰まった。そこから先は容易には切り開けそうにないので、前回降りたルートに切り替えて刈り払いし道をつける。谷底まで道をつけたかったが、次回にまわして懸案の直線コースに向かう。
直線部末端
ここ(赤ピン)から入って沢に出るつもりが・・・,

 最後の課題は直線部分の後半である。十二沢林道の入山点の100mほど先から下に向かう道が見えていた。この道を辿って見ると屈曲した林道に戻ってしまったので引き返し、境界線をさらに奥に進んで北側の沢に降りる尾根を探したが見つからなかった。更に奥へ進んで適当な所から急斜面に飛び込んで降りる。
 道はまったくなかったが、半分くらい降りると鹿の足跡が見つかったので意を強くし、それを頼りにやっとの思いで沢まで降りた。
 ところがその沢には見覚えがなく、急いで下ると200mほど下流で本沢に合流した。改めて地図を見ると水線はないが沢があると読み取れる地形で、それは境界線よりも豊科よりだった。要するに奥(西)に入り過ぎたのであり、境界線をつなぐにはもっと手前(東)から降りるべきだったのだ。
沢違い
 赤ピンの先辺りは水線のない沢で本流を外れてここに出たので200m下って本流に戻り、逆方向からやり直す。

 ならば沢の側から探すしかない。沢ははじめにまっすぐ東に向かって伸び,途中から大きく北向きに曲がるので、東に向かう延長線あたりの斜面をよじ登れば必ず境界線の道にぶつかるはずである。考えてみればはじめからそうすべきだったかもしれない。
 けれども先ほどの斜面の下りで疲れ切っていた上に午後からの雨で合羽の中までぬれで気力が湧かず、あきらめてトボトボと林道を迂回し車に戻る。不本意だが、明日はこの部分だけ境界線を外れて歩いてもらうしかない。

 知らない山の中を歩き回った1週間だったが、未知の部分が多い分,ワクワクさせられて面白かった。今後も全てのコースを事前調査することになるので可能な方には参加をお勧めしたい。


2007年06月22日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

薮漕ぎ,鹿の道追い〜2(2003年6月12日),第1行程前半・その2

マツタケ山
 赤ピンの先から再び山道に入る。

  その入口は十二沢林道が尾根を避けて北東に大きく曲がる手前にあった。そこに車を置いて再び歩き始める。赤松の多いその山は松茸が豊富に産出する所らしく、いたるところに「松茸止山」「入山者は罰金○○万円いただきます」の張り紙があった。
  道ははっきりしているが、シーズン外れなので薮が被っている。あまりにひどいところだけ少し薮を払ったりして進むと大きな松の倒木があり、それを避けて林の中をくぐり抜けるとひょっこりと松茸用の作業(監視?)場らしい小屋のある場所に出た。
マツタケ2
 赤ピンが小屋のある場所。ここから西に向かって車の入れる道がのびていた。

  そこからは車で入れる道が西に向かっているが、境界線は左手の鉄条網で囲われた松茸山に沿って進む。5分ほどで分岐点に到達し、右折(南東進)するとよく手入れされた松茸山の丸い尾根に出る。R143を走る車の音が聞こえるようになるあたりまで下ると作業小屋がもう一つあり、その横を通って2分ほどで豊科葬祭センターの道に出る。
 松茸の止め山を歩くのはシーズン外れとは言え気が引けるが、境界線という幾分かの公共性に免じて歩かせてもらうことにする。
矢の沢から国道143号まで、2つの問題点は残したものの一応これでルートがつながったので、次の課題である馬飼峠へのルート調査に向かう。
豊科葬祭センター
 赤ピンの先が豊科葬祭センターの入り口に当たるR143の降り口。ここから国道を横切って反対側の谷に下りる。

  国道の四賀村と豊科町の境界標識のある駐車スペースから適当に下の沢に向かって下る。道はなく、谷底に辿り着いて振り仰ぐとはるか高いところで車の音がした。沢には殆ど水はなく、丈余の草が繁っており、草をかき分けて反対側の斜面の取りつきを探す。

  どこを見ても崖である。むき出しになった松の根を頼りによじ登って木のある所に身を置くと汗が噴き出した。来た道を引き返すしんどさを思い煩いながらも上へ上へと登り、国道が見える高さにまで達した時、引き返すより進む気になった。
 そこから激しい登りが続いた。登るほどに傾斜が緩くなるはずだという期待を何度も裏切られながらようやく尾根に辿り着き、標識を発見。これを左折して20分も歩けば馬飼峠に着くと小躍りしてぐんぐん進むと国道を走る車の音が近くなってきた。そこまできて間違いに気づき引き返す。地図を見れば分かることなのに一瞥した時の思い込みで歩いているとこうなる。
馬飼峠
 赤ピンの所でオレンジ色の境界線ラインは一条ヶ峰に向かっている。これは四賀村が松本市に吸収合併されて境界線が変わったためで、当時の旧四賀村の境界線は馬飼峠に向かっていたのである。

 はっきりした踏み跡と所々にある標識のおかげでルートに関する不安はなかったが、そこから先の登りは長かった。やがて送電線の保線道の階段が現れ、それを登って降りると小さな峠に出た。馬飼峠を示すものは何もなかったが、状況から考えるとそれは目指す峠に違いなかった。
 時刻15時半。車を降りて歩き始めたのが12時半。国道から降り始めたのが13時過ぎだったから2時間近い登りだったということだ。国道から馬飼峠までを30分しか見込んでいなかったのが大きな誤算となり、第1行程で刈谷原峠までという計画が絶望的になってきた。
  馬飼峠から刈谷原峠への調査は後日にまわしてこの日の調査を終えることにしたが、帰りをどうするかで迷った。峠からは送電線に沿って錦部方面に向かう道があるが、この道はうんざりするほど長い。かと言って今登ってきた道を下ってまた谷底から国道まで登り返すのはもっと辛いので送電線に沿って錦部への道を選ぶ。
刈谷原トンネルへ
 馬飼峠から赤ピンが示す点線の道を歩いてR143の刈谷原トンネルへ向かう。

 この道からはKDDIの正三二面体の特異な形をした電波塔が目印になって、この日歩いたコースのほぼ全体を望むことができた。車のある位置も大まかに掴むことができたがそれはあまりにも遠かった。
 この道はまた境界線とほぼ並行して北進しているので、歩きながら国道から馬飼峠への長い長い尾根の全貌を真横から見ることもできた。
  1時間以上歩いて国道の下降点に戻り、そこから山道を登り返して17時05分に車に戻る。
刈谷原トンネル
 この地図の中に後半の行程が全部入っている。馬飼峠から刈谷原トンネル(赤ピン)までの道がオレンジ色の境界線とぴったり並行しているのがよくわかる。

下降点(赤ピン)が確定。
2007年06月22日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |

薮漕ぎ,鹿の道追い・・四賀村境界線調査山行〜第1行程前半・その1

矢の沢出発点
オレンジ色の線は市町村の境界線を表す。赤いピンの所が出発点。

四賀村境界線・調査山行記録1・・・2003年6月10日〜14日
 境界線ハイキング構想を実行に移すことを決断してから、先に刈谷原峠から稲倉峠とその次の無名の峠を経て戸谷峰に至る境界線の踏み跡と戸谷峰から三才山に至る稜線の道を調査し、自分の活動範囲に近い明科町との境界から刈谷原峠への調査はいつでも調べられるという気楽さから後回しにしていた。
6月7日の新聞で参加を呼びかけたその日から申し込みがあり、希望者はすぐに5〜6名に達したので慌てて矢の沢から刈谷原峠までの調査を始める。

6月10日(火)
 新聞の募集記事を見た明科町のYさんが調査に同行して下さることになる。9時半に矢の沢から四賀村の執田光地区に続く道のちょうど境界線に当る沢の入口に車を停める。入口にはうっそうと草が生い茂っていたが、構わず長い柄の造林鎌で草を払いながら入ると、沢の水を引く黒いパイプに沿った踏み跡が見つかった。
道は取水口まででそこから先は両側が切りたった細い樋状の沢の中を歩く。沢をどこまでも詰めるのが本来だが早く尾根に出たかったので尾根に上がる取りつき点を探す。
 沢をはさむ両側の斜面には人の踏み後はない代わりに無数の鹿の足跡があった。鹿が何度も水を飲みに通ったためか、中にはしっかりした道のようになっているものがあって、そういうはっきりした踏み跡の一つをたよりに崖のような斜面をよじ登って南側の尾根に這い上がる。
斜面を登り切れば尾根に出られて南側の執田光の集落が確認できるという予想に反して、そこは尾根というよりなだらかな平面で、木立に視界を阻まれて展望が利かなかった。執田光の一番上のリンゴ農家の上の尾根に出るだろうという予測は外れ、思ったより北側の明科寄りにいるらしいことがわかる。
 交錯するいくつかの踏み跡を拾いながら登って行くと道はやがて一本にまとまり、ほどなくそれが地元の人達が烏帽子と呼んでいるピークに続く道であることに気づく。
 烏帽子
赤いピンの先,天平の森のすぐ東の直角に折れ曲がった所が烏帽子で、そこから林道と並行して南進する。

 かつて矢の沢と田沢が上川手という同じ行政区であった頃,矢の沢の人達が光城山を経て田沢へ通った道の一部である。その道は烏帽子のピークを巻いて子ノ神に近道するが、境界線はピークを通っている。矢の沢から1時間かかって10時30分,烏帽子(910m)に着く。
烏帽子から林道に出て入山点の車まで40分程歩いて戻り、Yさんと分かれて子ノ神に車をまわし、そこから逆に踏み跡を辿ることにする。この道ははっきりした踏み跡として残ってはいるが、歩く人がめったにいないせいか薮が被っていて歩きにくいので造林鎌で薮を切り開きながら歩く。
 途中で迷って四賀側をぐるっとリングしてしまい、1時間を無駄に費やしたりしながらようやく道を切り開く。2度ほど林道に出ざるを得ない所があり、そこで切り上げて次に向かう。

 第1行程で不確定なルートが2ヶ所あり、それが最大の不安要素である。その1つが子ノ神から中谷地区へ至る林道の途中から四賀村の十二沢林道の西に向かってつけられた直線の部分である。はじめ、この直線部分の起点を読み違えていて天平林道上の光城山の南側あたりで豊科町高萩地区へつながる道と境界線を表す標識を探したが見つからず、一旦県道に出て大口沢から国道143号にまわり、中谷地区から高萩に入って境界線を探そうとした。
 この林道は大型ゴミの不法投棄を警戒して「進入禁止」となっていたが無視して進入する。道はやがて舗装も切れ、轍の間の草をなぎ倒しながら進むという心細い状況になった。
 自分が今どこを走っているか分からないまま走ること20分あまり,突然右手に家が現れ、T字路にぶつかった。何となく見覚えがある気がして左折すると50m程で舗装された林道に出たが、何とそこは先ほど車を停めていた子ノ神の分岐点だった。つまり、子ノ神から天平林道,県道,国道,林道中谷〜子ノ神線をぐるっとひと周りしたのだった。
 そこで初めて直線部分の起点となる林道を読み違えていたことに気づく。失敗に苦笑しつつも、起点の発見の可能性に安堵して後日の調査に託し、この日の調査を終える。
子ノ神
 赤いピンの先が子ノ神



2007年06月22日 by 木偶野呂馬 | General | コメントを書く | No Trackbacks |