記録を紐解いてみると1982年の事とある。
会社の同僚と二人で赤石岳に登って翌日聖沢を下りながら渓流釣りをやる計画を立ててマイカーで静岡を出発した。
例年になく遅い梅雨明け宣言の出た翌日の事である。
朝から快晴の好コンディションの中をさわら島から登り順調に高度を稼ぎ、途中赤石小屋で昼食休憩。
この時はまだ聖岳の頂上がよく見えていたのだがこの後ガスが出始めやがて本格的な雨となり更には雷まで鳴り始める。
ほうほうの体で避難小屋までたどり着いたがいつもの山行なら楽しみの一つである宴会も出来ないほどの疲労困憊ぶりで激しくなる雨音を聞きながら翌朝早々の下山を決定しはやばやと床に就く。
翌朝はいっこうにやむ気配のない豪雨の中を6時に下山開始。
赤石小屋まで一気に下って後はさわら島まで下りてリムジンに乗って帰るだけという安心感からか20分の休憩を取った。
後で考えるとこの休憩を10分間にしておけば後の行程が全く違ったものになったのだがこの時点ではそんな事を知るよしもなかったのである。
さわら島に着いたのが9時40分の事で畑薙ダム行きのリムジンは10分前に出たばかりとの事。
次のリムジンが出る11時半までぶらぶらして待っていると待てど暮らせどリムジンは来ない。
小屋の管理人さんの話では道路の状況が悪いのでしばらく運転を見合わせているとか。
ノー天気な賢パパはまだ深刻な状況になっている事を理解していなくて避難小屋に置いて来てしまった酒類を「持って来ていれば良かったなあ」なんて未練に思っていた。
結局11時半のリムジンはキャンセルとなりロッジで一日中酒を飲んでごろごろ過ごす。
翌日になると雨はやんだがロッジ前の大井川の水位は相当高くなっていた。
林道まで出てみると土砂崩れがあちこちで起きていてこれではリムジンの通行はとても無理なので徒歩での下山を決意して11時10分にさわら島を後にする。
途中何十カ所もの土砂崩れの上を乗り越えてひたすら歩き続ける。幸いにも上からの崩れの箇所ばかりで道路が落ちてしまった所がなかったので苦労しながらも前進する事が出来たが「中の宿」の所に1カ所だけ道路の落ちてしまった箇所がありそこのトラバースには苦労した。
何しろ一歩間違えたら濁流の大井川に呑み込まれてしまうのだからさすがの賢パパも思わず足がすくんでしまった。
後日聞いた話ではこの場所で足を滑らせて濁流に落ちて行方不明になった方がいたらしい。
難所を何とかクリアーしてさらに進むと一難去ってまた一難でとんでもない事態が待ちかまえていた。
何と大井川にかかっていたはずの立派なコンクリートの「畑薙橋」が跡形もなく流されていたのである。
途方に暮れる我々だったが後から到着した栃木県のパーティが右岸を高巻くルートを辿るというので同行させてもらう事にして後に続く。
散々苦労した末夜の8時を回った頃にやっと畑薙ダムに到着しその夜はダムサイトでビバークしたが夜中に再び激しい雨となりバス停のベンチに避難。
翌日は雨の中を井川の駅まで歩き通した。
駅には臨時避難センターが開設されていてそこに登録して会社には無事である事を知らせる事が出来た。
大井川鉄道は不通になっていたためその日は井川の民宿に泊まり翌日鉄道が一部区間のバス振り替えによって復旧した事でやっと静岡に帰り着く事が出来た。
我々が帰宅したのと時を同じくして「災害救助法」の適用によってさわら島に足止めされていた人たちがヘリコプターで静岡に帰ってきたのは皮肉な事であった。
写真はさった峠からの駿河湾と富士山です。
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