
終点めがね橋〜近代化遺産第1号

6号トンネルは進入禁止

5号トンネルを抜けると目の前に橋が見え、終点のめがね橋に着く。( 9:30 )
橋を渡った突き当たりに次のトンネルがあるが、その前にバリケードがあって中に入らないようにと言う看板が立てかけられ、その手前には見学者の求めに応じて説明をしてくれると言う2人のボランティアガイドさんがいた。
ガイドさんの話しによると、遊歩道は今後熊の平駅跡まで延長される予定だそうだ。

めがね橋と言っても橋の上にいればただの道に過ぎず、4連アーチ,レンガ張りの橋脚を見るためには下に降りなければならない。右手にそのための道があり、私達のように遊歩道を歩いてきた者だけでなく、車で国道を走って来た人も上がって来れるようになっていた。

橋脚を見上げる

その道を下って橋を見上げる。200万個のレンガが使われていると言う橋脚は、ただただ素晴らしいと言う他ない。
色々な所から見上げて見るとちょうど車道の真ん中辺りが一番いい距離,いい角度の位置になり、それは誰にとっても同じなので、みんな申し合わせたように車を警戒しながらそこでカメラを構えることになる。ヘアピンに近いカーブなので結構危ない。

8:45発,中山道の入り口に向かって来た道を引き返す。
歌碑『碓氷の春』

8:50発。歩き始めてすぐに旧18号線の下をくぐると、そこに北原白秋の歌碑『碓氷の春』があった。
『 うすいねの 南おもてと なりにけり
くだりつつ 思ふ 春のふかきを 』

1号トンネル
目の前に1号トンネルの入り口がぽっかりと開いている。馬蹄形,レンガ張りの単線トンネルは私の郷里にもあった。その狭いトンネルに真っ黒い煙を残して列車が吸い込まれて行くのを幾度見たことか・・。
明日に向かう通路だったはずのものが過ぎ去った時代にいざなう道になってしまった。列車に乗って通過しこそすれ、歩くことなど許されなかったその道が、今は歴史を遡る道として目の前にある。

1号トンネルを出ると左手に『中山道⇒』と書かれた標識が現れる。木段を登り土手の上に出てトンネルの上を反対側に移動し、併走する旧18号線を渡るとそこが中仙道碓氷峠越えの入り口であるが、先ずは終点のめがね橋をめざす。

1号トンネルから400mあまりで2号トンネルに到達。2号トンネルは傷みが激しいらしく上半分がコンクリートの皮膜で補修されている。100mほどのそのトンネルを抜けて300m先で再び国道の下をくぐり、200m歩くと3号トンネルだ。

3号トンネルからは4号トンネルが見える。いや、よくよく見るとその先に5号トンネルの入り口まで見えていた・・。

一番長い5号トンネルの仄暗い灯りの向こうに出口が見えてくると、そこが終点のめがね橋だ。
トンネルの先には6号トンネル,そこから先は進入禁止となっているが、強引に入って行く人がいるらしい。
財団法人碓氷峠交流記念財団と碓氷峠鉄道文化むらは、次のような警告を発している。
〜旧信越本線 碓氷線(横〜軽)の鉄道用地立入厳禁について〜
『 標題用地は、安中市の所有地となっております。碓氷峠鉄道文化むら〜軽井沢間の列車運行計画は現在進行中であり、本用地への立入は非常に危険であり、また本計画の阻害となりますので、用地内への立入は固く禁止します。〜以下略 』
碓氷線復活プロジェクトと言う運動があるらしい。
入りたい気持ちはわからなくはないし自分も入ってみたいのはやまやまだが、もしそこで事故が起こったら復活計画そのものが打撃を受けるのは明らかである。
運動の妨げになることは慎みたいものだ。

上信越道下を通過/まっすぐな長い道

8:00,碓氷関跡から再出発。およそ1kmは続くかと思われるまっすぐな道の行く手6〜700m先の上空に高く聳える上信越道の巨大なつり橋が見えてくる。15分でその真下を通過。抜けるような青空を背景に時代の申し子のような高速道路の巨大なタワーが廃線の架線を睥睨し、踏みつけている。踏みつけられた足元から睨み返す者がいることを刻んでおくのだ。
吊り橋を越えてもなおまっすぐな道が続く。

古びた信号/頭上には架線がある

サイドの送電線から電車の真上の架線に電気を導入する

架線をたるませないように引っ張る重石/絶縁用の碍子

アプトの道は、2本ある線の一方(上り線)の軌道に、レールの上面に合わせてアスファルトを敷き詰めて歩道にしたものなので頭上には架線がそのまま張られている。
架線を吊り下げるためのワイヤーの張り方や、電車の真上にある架線に軌道の両サイドにある送電線から電気を導入する仕組み(特にカーブする部分),架線がたるまないようにピンと張るために電柱に設けられた重石と重石を引っ張るワイヤーと架線との間にある絶縁のための碍子の関係等,電車の架線と言うものがどのように張られて電気がどのように導入されているのか、その仕組みをじっくり観察するいい機会になり面白かった。

線路の両脇の土手はきれいに草が刈られ、所々に保線作業の内容を書いた看板が立てられていて、線路内や周辺斜面の異常,樹木やの様子から排水溝の水の流れにまで気を配る作業の様子から、碓氷線復活にかける並々ならぬ決意が伺える。

レンガづくりの変電所

1.2km続いた直線部分が終わり、線路が緩やかに左にカーブする辺りの右手に古いレンガ造りの建物が現れる。これが丸山変電所。
左手にはトロッコ列車『シェルパくん』の停車駅が設けられている。(8:25通過)
丸山変電所の辺りから線路は大きく左にカーブし、まもなく霧積川と言うきれいな川を渡る。森村誠一の『人間の証明』で知られた霧積の名は、長野県境の霧積山塊と呼ばれる山々(一ノ字山、留夫山、鼻曲山、剣の峰)で年間を通して霧の発生が多いことに由来するものと思われる。

峠の湯 シェルパくんはここまで

8:40,碓氷峠の森公園の一画にある峠の湯に到達。早朝4時に朝食を摂っただけなので空腹を覚え、線路を離れて休憩所のベンチで軽く腹につめる。
横川駅から峠の湯までの距離は2.8km。シェルパくんはここが終点で、ここからは5つのトンネルを通ってめがね橋に向かうこととなる。

上:廃線トレイル『アプトの道』起点 下:アプトの道より上信越道を見上げる。

10月12日(日)信越線廃線ウォーク&旧中山道・碓氷峠越え。安曇野市スワンガーデンを5:00に出発し軽井沢駅へ。同駅7:05のバスで横川駅着7:35。7:45から歩き始める。
駅駐車場の西隣が鉄道文化村で、そこに『ウォーキングトレイル・アプトの道起点』と書かれた看板(写真)があり、そこが出発点。文化村は9:00開園なのでこの時間では列車を外から見ながら通るだけになる。
ここはアプト式から粘着運転への切り替えに伴って登場し『峠のシェルパ』と呼ばれて廃線まで活躍した補助機関車『EF63型電気機関車(ロクサン)』が牽引するトロッコ列車『シェルパくん』の始発駅となっている。

シェルパくんの雄姿を見ながらアプトの道に入り、麻苧茶屋を通り抜けると屋外鉄道展示館の脇を通る。遠目ながら沢山の電車に混じって特急『あさま』の懐かしい姿も見られる。

機関車の向こうに『あさま』

電車いろいろ/貨物列車の最後尾はこの箱だった。

10分で中山道を横切る地点に到達。中山道ウォークでは欠かせないポイントである碓氷関に寄る。
碓氷関は醍醐天皇の時代(899年)に群盗を取り締まるために設けられたものが江戸時代になって徳川幕府の確立・安定と言う政治的な意味を持つものとなり、『入り鉄砲に出女』の取り締まりを狙いとしたものとなったとある。
総ケヤキの堅牢堅固な門柱・門扉は当時のもの。

碓氷関の見学を終え、改めてアプトの道を歩き始める。時刻は8:00ちょうど。

スギヒラタケは、一般的なキノコとして食用されていたが、2004年(平成16年)秋、腎機能障害を持つ人が摂食して急性脳症を発症する事例が相次ぎ、同年中に東北・北陸9県で59人が発症,うち17人が死亡すると言う事例が起こった。発症者の中には腎臓病の病歴がない人も含まれていたため、政府は原因の究明が進むまで、腎臓病の既往歴がない場合も摂食を控えるように呼びかけている。

厚労省,および林野庁の『注意喚起』
『スギヒラタケは、キシメジ科スギヒラタケ属のきのこで、栽培は行われておらず、スギ等の切り株・倒木に夏から秋にかけて発生します。
平成16年と19年にスギヒラタケ摂取者に急性脳症を疑う事例が発生していますので、腎機能の低下していない方も含め、スギヒラタケの摂取を控えていただきますようお願いします。』

スギヒラタケに関するQ&Aの冒頭文
『スギヒラタケと腎機能が低下している方の急性脳症との関係については、現在、調査が行われていますが、平成16年と19年にスギヒラタケ摂取者に急性脳症を疑う事例が発生していますので、腎機能の低下していない方も含め、スギヒラタケの摂取を控えていただきますようお願いします。』

峠を越える道なので立峠(善光寺街道)のような草生した明るい山道を想像していたが、青崩峠の遊歩道は鬱蒼とした杉・檜の林の中の石畳のある道で、苔むした林床が古色然とした落ち着いた雰囲気を醸し出しており、しっとりとしたその林床のあちこちに無数のキノコの発生が見られた。

スギヒラタケ/これもキノコ

リュウノウギク
このところキノコモードになっているのでついついそちらに目が行ってしまうが、林の中には武田信玄公が腰をかけた石だとか健次屋敷跡などと言う史跡もある。

途中にやや老朽化した橋があるが全体としてはよく整備された道で、まっすぐ歩けば20分ほどで峠に着く。
峠には『史跡・青崩峠』と書かれた立派な石柱と海抜を記した標識,丸太を張った展望テラスなどがある。

標高1082mはかなりの高さだが遊歩道の起点からはさほどの高度差はない。
峠から西に向かって標高1600mあまりの熊伏山と言う山への登山道がある。テラスの一画に置かれた書き込み帳を見ると熊伏山から下りてきたと言う人の記入がかなりあって結構人気の山であると思われた。
峠からは伊那側の眺望が効かないので遊歩道を反対側に少し下ると開けた場所があり、遠山郷と思われる集落の赤い屋根が見えた。深い谷の向こうに見えるその赤い屋根のことを歌った歌碑が峠にあった。

しっかり道草を食って1時間あまり遊び、車に戻って次は遠山郷の側から峠の反対側の上り口にある国道の消失点を目指す。

文字通りの毒見をしてみた。
写真は青崩峠遊歩道で見つけたツチスギタケ。ヌメリスギタケモドキにそっくりだが地上生でぬめりがない。いい香りがするので持ち帰って調べてみるとツチスギタケで、毒キノコ扱いになっているが食べてどうと言うこともなく、美味だと言う人もいるので味噌汁に入れて食べてみた。
潜伏期間は1時間で、吐き気,嘔吐,腹痛,下痢となっているが、今のところ何ともない。味噌汁に入れたのでは美味しくも何ともなかったが、甘辛く煮ると美味しいと言う記述があったのでやってみたらいい味だった。

このキノコが毒菌の分類がされているのは上に書いたような症例があるからだが、一方では美味しいキノコとして普通に食べられていると言う事実があり、仮に症状が現れたとしても命に関るほどの猛毒のキノコと言う訳でもないので食べてみることにも意義があると思った次第。
実際に実験的に食べている人は結構いるようだ。かと言って食べてみることを推奨している訳ではない。

もう1種類はムラサキシメジっぽいので多分そうだろうと言うことでこれも試食。特徴のホコリ臭さがあったので間違いないだろうが、汁の実にした限りではさほど美味しくはない。甘辛く煮つけてみたがホコリ臭さは変わらない。
試食に当っては一度に2種類以上のキノコを食べるとどれがどう影響したのか分からなくなるので1種類づつ,少量食べて様子を見ながら量を増やす。そこは慎重にやる。
安全と分かっても家族にも勧めないで1人で食べる。なぜならキノコの毒は即効性のものだけとは限らないので数年後の影響までは責任が取れないからだ。

結論から言うと青崩峠,下栗の里,シラビソ高原と鬼面山の登山をジョイントするのは不可能と言うことになる。
地蔵峠に行かれない以上,こちら側から鬼面山への登山はできず、逆の大鹿側から地蔵峠に行くには一旦,飯田に戻って中央道またはR143で松川まで行き、そこから大鹿村に入らなければならないが、その距離は80kmに及ぶので事実上無理。
鬼面山には西側の豊丘村からのルートがあるが、その場合も一旦飯田まで出なければならない。
と言うことで鬼面山の下見は一応脇において、シラビソ高原,下栗の里を経由してR152に戻り、第2の不通区間である青崩峠に向かう。

この間のつながっていない国道を結ぶ唯一の間道は兵越峠を通る道である。地元の人が『ヒョー峠』と呼ぶこの峠は、長野県と静岡県の境界に当るのだが、今も明確な境界線が確定していない〜と言うことになっている。そして、毎年10月の最終日曜日には、信州軍と遠州軍が『国境』をかけて綱引きで対決する『峠の国盗り綱引き合戦』が行なわれている。
長野県は飯田市南信濃、静岡県は浜松市水窪町の両商工会の青年部から各々十五名の精鋭が選出され、三本勝負を行なって勝った方が1メートル、相手側に『国境』を広げることができると言うユニークな行事として話題になっている。
遠山郷からその『国取り綱引き』の行われる国取り公園のある兵越峠を越えると三遠南信自動車道と思われる広い道路に出てまもなく草木トンネルをくぐり、三度R152に出る。ここから青崩峠に向けて頼りない舗装道路が伸びていて10分ほどで『塩の道・青崩峠遊歩道』と書かれた看板のある場所に着く。

アケボノソウ
ここで舗装は終わるが道はまだ上に向かって伸びているので、オフロード感覚で悪路に車を乗り入れて終点まで行ってみた。一度ヘアピンを曲がって雨でえぐれた河原のような道を200mも行かないうちに広場のある終点に到達。そこには青崩峠の遊歩道につながる道と、それとは逆に兵越峠に向かう遊歩道があり、ヒョー峠まで2時間となっていた。
戻って青崩峠入り口で昼食を摂った後、峠に向けて歩く。

シラビソ高原の紅葉/しらびそ峠から赤石・大沢岳方面
R152,信州側の南信濃と遠州側の水窪を結ぶ幻の国道,伊那山脈の青崩峠を歩く計画の下見に行ってきた。
中央道飯田ICで降りて喬木村の県道251を西南西に走り三遠南信自動車道の矢筈トンネルを抜けるとR152に達する。
R152は上田市から茅野を通り杖突峠から伊那市高遠,大鹿村,飯田市遠山,浜松市水窪を経て浜松市に至る長大な国道である。南信の伊那市八幡宿以南は遠山郷を経て火の神様・秋葉神社の参拝に使った信仰の道であったことから秋葉街道とも呼ばれ、また塩の道としても重要な道であった。

南信から三遠方面にに抜ける国道には他に飯田から新城・豊川方面に至るR151があるが、南アルプス西麓の急峻な山ひだと深い渓谷に最後までより沿って太平洋まで走る国道はこれ1本だけである。しかし、この国道には不通部分が2ヶ所あって、1本の道としてはつながっていない。
その不通部分の一方が矢筈トンネルの東口付近と大鹿村の間に立ちはだかる地蔵峠であり、もう一方が飯田市遠山郷と浜松市水窪を隔てる青崩峠である。

下栗の里/道の真下に家や道がある

『境界線』の月例山行としてこの幻の国道を歩き、南アルプスの展望台・シラビソ高原と、日本のチベットと言われる下栗の里を訪ねて1泊し、翌日地蔵峠から伊那山脈の鬼面山に登ると言う計画を立てたのだが、地蔵峠に至る林道がけ崩れで不通になっているらしいとの情報を得て、鬼面山登山の可能性を探るため急遽現地調査に行くことになった。
R152の最初の不通部分をつなぐのがしらびそ峠方面に向かう御池山林道の途中から左折し、地蔵峠を通って大鹿村のR152につながる蛇洞林道と呼ばれる林道であり、唯一の頼みであるこの蛇洞林道が不通になるとお手上げなのだ。

秋葉街道,R152の長野県と静岡県の県境を結ぶはずの幻の国道青崩峠。一帯にサルナシの蔓が多いのに気づいて実を探してみた。
が、見つかったこの実はサルナシではなかった。よく似てはいるが形状はマタタビに近く、しかし味はサルナシにははるかに劣るがマタタビほど不味くはない。
ミヤママタタビにはまだお目にかかったことがないが、図鑑などで見る限りこのようにお尻が尖っておらず枕形である。尻が尖っている点はむしろマタタビに近いが、マタタビは広島では8月下旬にはもう黄色く熟していて軽く摘んでもぐじゅぐじゅに潰れ、食べると酸っぱくてピリ辛くお世辞にも美味しいとは言えない。
ネットで調べるとサルナシ,マタタビ,ミヤママタタビには葉にそれぞれ特徴があるようなので、葉や蔓をしっかり確認すればよかったと後悔中。
即ち、『サルナシの葉には光沢があり、ミヤママタタビとマタタビはよく似ている』とある。自分はマタタビとサルナシの違いはよくわかるが、サルナシと思っていたものの中に葉の光沢がなくて弱々しい感じのものがあるような気がしていた。さらに『ミヤママタタビの枝の色は赤みが強いのに対して,サルナシは灰色がかった褐色である』とあった。もう一度機会があればしっかり見てこようと思う。
なお、『マタタビは葉の先端から中央部にかけて白くなることが多いが,ミヤママタタビでは同じ部分がピンク(はじめは白)になる』とあった。
観察眼がいい加減だとつくづく思う。写真を撮ってよしとするのがマイナスになっている。スケッチする習慣をつけないとは思うのだが・・。