翌朝、雲1ツ無い快晴である。早く出発したかったがトイレが行列で30分待ちのため出発は6:20となってしまった。陽が昇ってきて苔むした太古の林が赤く染まる中を一人で歩くのは心躍るものがあり感激していたら突然、女性の悲鳴のような猿の鳴き声で驚かされる。林の中の第1展望台に出ると、朝日の当たった宮之浦岳、永田岳を始めて眺める事ができ一人で感動する。このパノラマを見たら興奮してどうしてもピッチが早くなる。平石岩屋の岩の上からの目の前の宮之浦岳と好対照の大岩の重なり合った永田岳の景色も気に入った。熊野三叉路に荷物を置いて空身で永田岳を往復する。40分で頂上に着くと誰もおらず目の前の最後の百名山の宮之浦岳をじっくりと眺める。ローソク岩がすぐ近くに聳えている。海も当然のことながら見え、屋久島が丸い島であることが判る。
三叉路に戻り、宮之浦岳への最後の登りを1歩1歩、嬉しさを噛み締めながら登る。山頂には10人前後の人が休んでいた。日本百名山完登と書いた紙を出して回りの人にビデオを取ってもらい収まる。

「1ケ月に35日、雨が降る」と言われる屋久島で今日のような快晴の日に百名山達成の日を迎えることができたことは山の神が私を導いてくれたお陰と感謝する。9月の標高100山達成したときも雲1ツない快晴で今まで登ってきた山々が顔を出し祝福してくれたが、これまで雨にたたられる山行の多かった私が記念すべき2ツの山を快晴で迎えることができた事に対して神に感謝するのみであった。いやもう一人にも感謝しなければならない。標高100山、日本百名山を達成できたのも連れ合いのお陰である。私の認知症の両親の面倒、子供の面倒を見ながら、時には喧嘩をし、嫌味を言いながらも私の我儘を許して笑顔で毎回、送り出してくれた連れ合いが居たからこそ達成できたのであり、ただ頭を下げて感謝・感謝である。私はなんと幸せ者かと思った。
山頂はいつの間にか私一人になっていた。一人の山頂で日本百名山を達成した喜び、感激よりもこれでピークハンティング的な山登りから開放されて、本来の私の好みの山に登れるなと考えていた。団体が山頂に近づいてきたので山頂を後にしてヤクササの明るい道を鹿が笹を食べているのを見ながら栗生岳、投石岳に向かう。途中、色んな形をした花崗岩の巨岩が目を楽しませてくれる。投石平の岩の上で休憩したかったが先客が居て休みの良い場所を占拠していたので一気に花乃江河まで下る。ここで最後の食料のパン1ケとフルーツゼリーを食べる。花乃江河は湿原の綺麗な場所で一部、紅葉も始まっていた。
ここからはタクシーを予約した時間まで余裕が出来たのでゆっくりと周りを楽しみながら淀川小屋に下る。きれいな水が流れる川の脇に建つ淀川小屋はのんびりしたくなる雰囲気の良い小屋である。しかし小屋の周りには誰もおらず、昨晩の新高塚小屋の混雑が嘘のように思えた。小屋から登山口まではここまで来ればもう楽な道と思っていたがかなり登り下りのある道で疲れた身体には応えた。
14時に淀川登山口に着き、着替えていると迎えのタクシーが来たのですぐに民宿に戻りビール大ジョッキを立て続けに空ける。淀川登山口――安房間のタクシー代は5750円であった。ほろ酔い気分で安房の町の土産物屋を見て回る。仕事のことも気がかりになり、港で船トッピーの便を朝1番に変更する。
翌朝、民宿のご主人に安房港まで車で送ってもらう。しかし船はまだ来ていない。南方の台風の影響で波が高く欠航の可能性もあるとのことで気を揉む。船は10分遅れで港にやってきてヤレヤレと胸をなでおろす。今日も天気が良いが船の上から見る屋久島は山の上は雲がかかっていた。西鹿児島、鹿児島空港と連絡は良く、富士宮の家には16時30分に帰ることができた。すぐに工場に行き、本社の社長と連絡を取り、屋久島に行く日の早朝に提出した中期経営計画案を社長の意向を加味して手直しをし、22時近くに第1次案として纏め関係者にメールで送る。家で酒を飲みながら連れ合いに感謝しつつゆっくりと百名山達成の余韻を楽しむことはできなかったがこれで私の山の1ツの目標が終わった。
完
百名山の最後の山は宮之浦岳にしようと残り20座位になったときから決めていた。北海道の残り三座をこの年の8月に登り、いよいよ宮之浦岳だけとなった。同時に標高100山も5月に南アルプスの笹山(黒河内岳)を登り残りは北アルプスの祖父岳のみとなっていた。祖父岳は以前、雲の平に行った時にすぐ脇の撒き道で三俣蓮華に行き足跡を印していなかった山である。どちらを優先させるか迷ったが私としては人の主観よりも数値的に意味の有る標高100山の方により強く執着していたので9月の連休に祖父岳に登った。
そして10月の連休にいよいよ宮之浦岳に向かった。しかし出発するまでが大変であった。会社で私の部門の中期経営計画の案を明日中に社長に提出しなければならない。明日、山に行くために休暇を取っているので今日中に作成する必要がある。営業からの資料が出てきたのが21時、それから生産、技術部門との整合性を付き合わせ資料の形に纏まったのは朝の4時半過ぎになっていた。急いで家に帰り山の仕度をして朝1番の新幹線で東京・羽田に慌ただしく出発した。幸い、仕事に集中していたらそれまで風邪で鼻がグズグズ、頭痛がしていたのがどこかに吹き飛んでくれた。
鹿児島空港からバスで船の出る西鹿児島に行くが丁度、桜島が久しぶりに火山灰を吹き上げ市内は口をハンカチで押さえ、傘をさしながら歩いていた。飛行機到着から、バス、船の連絡が良く、途中で昼飯を食べようと考えていたがその時間が取れず、昼食抜きで船に乗る。私は船に弱くいつも酔ってしまう上に空腹で徹夜明けのため船酔いしないか不安であったが水中翼船のジェットフォイル・トッピーは揺れもなく、快適そのものであった。窓から海に浮かぶ開聞岳が私を見送ってくれる。屋久島の宮之浦港は観光地の雰囲気の全くしない田舎の小さい港そのものであった。着くとすぐに今日の宿泊予定の民宿(いっぱち)方面(安房)へのバスが出るので地元の小学生達と一緒に40分くらい乗る。民宿近くのバス停で下りて民宿に連絡して車で迎えに来てもらう。
羽田でコンロの燃料の白ガソリンを没収されてしまったので島で売っているところがないか民宿のご主人に聞くが売っていないとのこと。ガスコンロのガスカートリッジは売っていた。普通のガソリンでも使用できないことはないが明日からの1泊2日の山行は弁当とパンで実行する事にする。コースは荒川口から入り、縄文杉を見て、新高塚小屋に泊まり翌日、永田岳、宮之浦岳を登り花乃江河から淀川口に下山するコースに決めている。
翌朝、タクシーを呼び、弁当とパンの売っている店に連れて行ってもらい2日分の食料を準備する。安房から荒川登山口までタクシー代は4200円であった。途中、猿の一団が道を占拠していて警笛を鳴らしながら走る。運転手の話では屋久島では人の数よりも猿や鹿の数の方が多いとの話である。
荒川登山口は島とは思えない山深さを感じさせる。マイカー、レンタカーも多く駐車していた。運転手さんに明日の14時半に淀川登山口に迎えを予約してから出発する。雨がしとしと降っている。傘にしようか雨具を着ようか迷ったが取りあえず傘をさしてトロッコ軌道を歩き出す。この軌道は屋久杉を伐採し運び出すために作られたものでまだ1部、別の用途で使用されているようである。小杉谷学校跡は建物の土台が残っている。回りには人の住んでいた形跡は何もない。こんな所に学校があったのかと不思議に思い、帰ってからインターネットで調べたら伐採最盛期の昭和35年前後には133世帯、540人が小杉谷に居住していたそうである。昭和44年に伐採は終り、今は誰も居なくなったとのこと。軌道には時々、猿と鹿が現れる。鹿は1〜2mくらいまで近づいても逃げない。本当に鹿と猿は多かった。
三代杉付近までくると大きな古い杉や木株、苔むした朽ちた杉等が目に付くようになる。大株歩道入口で軌道から別れ本格的な登山道となる。翁杉は大きすぎて前の広場からはビデオに収まりきれない。ウィルソン株では団体さんと一緒になり、今まで一人、太古の雰囲気を味わいながら歩いていたのが急に賑やかになる。株の中は空洞になっていて10畳ほどの広さがありその大きさに驚嘆する。
団体を先にやるためにここで昼食とする。雨が本降りになってきたので傘をたたんで雨具を着る。木の階段を登って行くと大王杉、夫婦杉など名前の付いている巨木杉が見られるがそれ以外にも巨木な杉ばかりで歴史を刻んだこれらの木を目の前にして感動しっぱなしであった。
縄文杉は根の保護のため、かなり離れた所に柵が施され展望台からしか見ることができない。確かに縄文杉には風格を感じ、素晴しい感動を覚えたが私はどちらかと言うと直接手で触る事ができた翁杉や大王杉のほうが太古の息吹を感じて感激した。
縄文杉の上に高塚小屋があるが泊まるのは1時間ほど登った新高塚小屋の方が良さそうなので縄文杉の喧騒を後にして静かな登山道を新高塚小屋まで行く。小屋に着いたのは13:40で早いためか7〜8人しか居なかった。雨も止み、小屋の裏手では鹿が草を食べているのが窓から見える。次第に混みはじめ小屋に入りきれなくなり軒先に寝袋を広げている人も出てきた。薄暗くなり始めた16:30過ぎに着いた最後のパーティと思われるリーダーが小屋の皆に70歳以上の年配者3名だけでも小屋に入れるように詰めてほしいと頼むのでギュウギュウに詰めながらなんとかスペースを空けた。年配者が居ながらこのような時間に着く計画をしたリーダーに疑問を感じてしまった。
窓の外は青空が広がり夜になると星がまばたいており、明日が楽しみで気持が高ぶってくるのを持ってきた日本酒2合を飲み気持を静めてから寝る。
後方羊蹄山は本物の富士山の麓に住んでいる私が見て、今まで見てきた郷土富士の中では1番、本物に似ていると感じた。
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昨日、富士山に登ったのは膝の様子を確認する他にもう1つの目的があった。それは10月17日からヒマラヤトレッキングに向けて高地順応をするためである。
去年、久しぶりに富士山に登ったら軽い頭痛と吐き気がして歩くのが苦しかった。今まで10回以上富士山に登っているが高山病の症状が出たのは初めてである。富士山より高いスイスのクライン・マッタホルン展望台(3883m)やフランスのエギュイーユ・デュ・ミディ展望台(3842m)でも高山病の気配は全く感じられなかっただけに年のせいかとショックであった。今回予定のヒマラヤトレッキングでは4200mまで歩くつもりでいる。
先日、エベレストに2回登った井本重喜さんとお話しする機会があり高山病対策を聞いてみた。呼吸は腹式呼吸をしながら歩く事、休憩時には口すぼめ呼吸を10回前後すること、水分を充分に取る事の3点を勧められた。口すぼめ呼吸とは目の前にロウソクの火があると思いながら火を消すつもりで一気に口をすぼめて息を全部吐き出し、その後、鼻から息を吸うことである。これにより肺で血液に酸素を多く送り込むことができるとのことである。
腹式呼吸をすると口から息を吐き出すために息とともに水分が体の外に出て行ってしまうので充分すぎるほど水分を補給する必要がある。
この注意点を実行し高山病対策になるか実証するために富士山に登ったのである。
腹式呼吸は意識していないと続かない。山頂近くで空気が薄くなると自然に金魚のように口をパクパクしているのに気が付き慌てて腹式呼吸に戻す。休憩毎に口すぼめ呼吸を10回繰り返した。その効果か今回は高山病の症状が出なかった。
水分を充分に補給するようにとのことで500ccのイオン飲料水1本と350ccの御茶を今回、飲み干した。私は真夏の暑い山登りでも300cc程度しか水を飲まないので日頃の倍以上飲んだ事になる。当然、トイレに行きたくなる。しかし富士宮口では六合目の山小屋しか開いておらずトイレがない。六合目に下るまで我慢できそうもなく、悪いとは思いながら人の見当たらないところで放出させてもらった。ちなみに六合目のトイレはバイオ式で200円の有料である。有料であることは一向に構わないが途中の八合目付近でシーズン以外でも別棟のトイレを開放してほしいと思う。
また、今回は高地順応訓練と考え、ただ頂上を往復するだけでなく山頂に出来るだけ長時間、滞在することにした。そのため今まで2回しか歩いていないお鉢巡りを25年振りにしてみた。昔は剣ケ峰、白山岳、久須志岳、大日岳、伊豆岳などのお鉢の周りのピークを歩いたが今は火口原の中を歩くようになっていた。確かに、剣ケ峰の横の大沢崩れの源頭が頂上まで上がってきていて非常に危険な状態だったのでお鉢の尾根歩きは立ち入り禁止されても仕方がないかもしれない。結局、山頂に2時間滞在して下山をした。この登山がヒマラヤトレッキングに活かされる事を願っている。
今日、約1年ぶりに富士山に登ってきた。朝起きると厚い雲で富士山は見えませんでしたが今日は展望を眺める事が目的ではなく、膝の調子を確認する事が目的なので雨さえ降らなければ良いと考えて出掛けることにした。県道で富士宮口五合目に向かいますが民家が途切れた上の1合目付近で車道を5〜6頭の鹿が小走りで横切りました。私は近くの愛鷹山では鹿を見たことがありますが富士山では始めてです。富士山の富士宮側ではボランティアグループが富士山に植林を進めていますが最近は鹿に食べられてしまい頭を痛めています。近頃は人里まで鹿が下りて来ているようです。昔は山で鹿を見かけると自然の動物に会えたと嬉しくなりましたが、最近は何処の山も鹿が増えて鹿を見ても害獣を見るような目で見てしまいます。
更に少し走らせると道にタヌキらしい動物が車に轢かれて死んでおりカラスが啄ばんでいました。鹿にしろタヌキにしろ人間と共存するのは難しいですネ。
天気は1.5合目で雲の上に出て富士山は雲1つ無い快晴である。
富士山はシーズンオフの上に今週初めの積雪のため登山者は少ないだろうと思っていたが多くの登山者が登っていた。特に外人(欧米系)が今日は非常に多く登山者の1/3近くを占めていたのには驚いた。

五合目に向かう県道から朝の富士山

富士宮口山頂からの剣ケ峰

今週初めに降った雪が残るお鉢めぐりの道
今年は身体がボロボロである。5月末に腰痛を再発し動けなくなりおとなしくしていた。腰は完全には良くならないが歩けるようになったので櫛形山や天子ケ岳など誤魔化し、誤魔化し登っていたら今度は8月に痛風の再発である。5年以上、痛風の発作は抑えていたのだが痛み始めの箇所がいつもと違っていて薬を飲むタイミングが遅くなり発症してしまった。薬で激痛は治まったものの少し痛みが残り、山を歩ける状況では無かった。そのため山のベストシーズンの8月はどこにも行けず、悶々としていた。40年以上続けていた晩酌も止めて節制に励んだ。そのお陰で9月になり、山に登れそうになるまで痛みはやわらいだ。
そこで運度不足の身体を鍛えなおすつもりでトレーニングを開始した。私の山のトレーニングは家から2.5Km離れた里山の公園を往復し、その里山の400階段を5回往復することである。ほとんど身体を動かしていなかった期間が長く、焦りもあり急に2000階段の登り下りをしたら今度は膝を痛めてしまった。膝と腰は今まで何回か痛めている。
前に痛めた時に「サメ軟骨」の錠剤を呑み続けたら良くなったので今回も飲み始めた。その効果か判らないが痛みもやわらいだのでトレーニングを再開した。階段の登り下りは最初は400段から徐々に増やしていき2000段の登り下りも出来るようになった。
そこで山に登り膝の調子を確認する事にした。どの山に行こうか考えたが1番回数も多く登っていて身近で目の前の富士山に登る事にした次第である。富士山はある意味で1番、膝に負担がかかり大変であるが痛み始めたら止めて帰れば良いと思い出かけた。
登り始めから膝に違和感がある。七合目までくると少し痛み始める。サポーターをしようとザックの中を捜すが無い。昨晩、ザックの側に置いておいたのに入れてくるのを忘れたのだ。諦めて帰ろうかとも考えたが痛みはひどくないのでもう少し登ってみようと上を目指す。結局、軽い痛みのまま頂上まで上がってしまった。
お鉢巡りで下りになると痛みが強くなる。これは下山時、泣かなければならないかなと覚悟を決める。しかし下りも軽い痛みのまま順調に五合目まで下る事ができた。お鉢巡りの時は風があり、回りに雪もあったので膝が冷えたままでの下りとなり痛みが強くなったようである。膝もこの分ならば大丈夫そうでヤレヤレである。
晴れてはいたが登山中は十勝岳の山頂のみガスがかかり望岳台に下りて来てから初めて十勝岳の山頂を見ることができた。
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前日までの雨で腰近くまで増水していて流れも速く、最初の渡渉でビビッテしまった幌尻岳であった。
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祖母山は九州アルプスと言われるように岩峰の眺めは良かったが左膝を痛めてしまい苦しい下山となってしまった。
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斜里岳は沢コース、尾根コースともに楽しめ、更に頂上からの展望も最高であった。
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防寒具は充分に準備していたが9月の連休に吹雪かれてルートを見失い、一時はヤバイと感じたトムラウシであった。
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